第4話:盗品と善意の迷路
雨上がりの夜は、静けさと湿気を運んでいた。
倉庫の中で、ジョウは荷物の木箱をじっと見つめていた。
中身は“修道院の寄付品”――つまり盗品だ。
重さや形状、匂いまでは完全に計算済みだが、問題は環境にある。
隣でケルロが、木箱に手をかけて言う。
「なあジョウ、この箱、マジでシスターに見つからずに持ち出せるのか?」
ジョウは静かに頷く。
「タイミングと心理操作次第だ。善意は最大の敵だが、使い方次第で味方にもなる」
「味方になるって……意味わかんねえ」
「簡単だ。シスターは“安全確認”という習性がある。
俺たちはその習性を逆手に取る」
リンゴがぽつりと呟いた。
「安全確認? つまり、俺たちが危ないフリをすれば……?」
ジョウは口角を上げた。
「その通り。シスターが心配で動けなくなる。俺たちは自由に行動できる」
ケルロは眉をひそめる。
「これ、合法なのか? 法律上の問題より、心の問題がやばいだろ」
「心の問題も、計画の一部だ」
三人は慎重に倉庫を出た。
エレナは隣の部屋で修道院長に報告中のため、数分は戻ってこない。
それだけが、夜間行動の“安全地帯”だった。
ジョウは木箱を持ち上げると、床の軋みを確認した。
「ほら、ケルロ。ここからは完全に“忍者タイム”だ」
ケルロが息をひそめる。
「忍者タイムって……俺たち、忍者じゃねえだろ」
リンゴは慌てて木箱を支える。
「重いっす! 俺、今筋トレってレベルじゃねえっす!」
ジョウは無言で彼の背中を押した。
不器用ながらも、彼は計画の中で“不可欠な歪み”だ。
廊下を進むと、廊下の角に照明がひとつ光った。
ケルロが止まる。
「角の灯り……あれ、センサーじゃねえか?」
ジョウは目を細める。
「いや、これはシスターの“見張り目線”だ。角度と距離を計算すれば大丈夫」
リンゴが小声で言う。
「どうやって計算するんすか? 見張り目線って」
ジョウは小さく肩をすくめた。
「経験と勘だ」
ケルロがため息をつく。
「勘か……泥棒の勘ってやつか」
その時、遠くから声が聞こえた。
「エレナ? あなたたち、何してるの?」
シスター・エレナが戻ってきたのだ。
ジョウは木箱を抱え、瞬間的に背を低くして影に隠れる。
ケルロはテーブルの下にしゃがみ込み、リンゴは床に倒れた。
エレナは首をかしげながら、ゆっくり近づく。
「何か音がした気がして……」
ジョウは頭の中で計算する。
“善意のシスター、動き速度:平均1.2メートル/秒。視界角:約120度。
木箱移動時間:約15秒。距離:6メートル”
「……行くぞ」
三人は呼吸を合わせ、木箱を持ち上げて廊下を進めた。
床の軋みは最小限に抑え、エレナの視線は壁の方に逸らすよう誘導する。
しかし、偶然は最悪のタイミングで襲ってくる。
廊下の隅に置かれた掃除用バケツが、リンゴの足に触れた。
「うわっ!」
金属の音が響く。
エレナの目が光った。
「何の音!?」
ジョウは瞬間的に判断する。
“善意のシスターは、警戒よりも心配が先。
不審者ではなく、助けが必要な人間と誤認する”
彼は声を張る。
「大丈夫です! バケツが倒れただけです!」
エレナは眉をひそめる。
「……本当に大丈夫?」
「ええ、全く問題ありません!」(ジョウ、心の中で汗をかく)
ケルロが小声でつぶやく。
「ジョウ、さっきから汗が顔面の川になってるぞ」
ジョウは返す。
「これは計画の一部だ。汗=人間味。シスターを油断させる」
リンゴがバケツを拾いながら言う。
「人間味って……泥棒の計画って本当に意味不明っすね」
廊下を抜け、最後の角を曲がる。
目の前に小さな庭が広がる。
月明かりが湿った石畳を照らす。
「あと少しだ」ジョウは低くつぶやく。
ケルロが木箱を支えながら答える。
「あと少しで“安全地帯”か?」
「いや、まだだ。ここからが本番だ。逃げ道の最終チェックをする」
三人は庭の端に到着。
そこには小型の搬出口が設置されており、外の路地に通じている。
ジョウは木箱をそっと地面に置き、搬出口を開けた。
「よし……ここからは、夜風が味方だ」
リンゴが息を切らせながら言った。
「ジョウさん、俺……ここまで来て初めて思ったっす。
この計画、ちょっと、いや、かなり狂ってるっすね」
ジョウは笑った。
「狂ってる? いや、完璧に計算されてる」
ケルロが木箱を抱えて言う。
「お前の計算って、だいたい偶然と善意のシスター頼みだろ」
「偶然も善意も、計画の一部だ。
この夜の主役は、善意の誤認だ」
月明かりに照らされた庭で、泥棒三人は一瞬の勝利の息をつく。
ジョウは静かに木箱を持ち上げ、搬出口に向かう。
「よし……これで修道院から脱出だ」
だが、夜はまだ終わらない。
シスター・エレナの善意が、さらに意外な障害として立ちはだかろうとしていた。
月明かりに照らされた庭。
ジョウ、ケルロ、リンゴは木箱を抱え、搬出口へと進んでいた。
だが、微かに聞こえる足音が、三人の心拍を乱す。
「……ん?」ケルロが耳を澄ます。
「誰だ、こんな時間に」リンゴは怯えた声で言った。
確かに、倉庫の奥から静かな、しかし確実な足音が近づいている。
ジョウは木箱を抱えながら、影に隠れる。
「シスターだ。完全に善意の足音だ。だが、俺たちを止めるかは運次第」
その時、シスター・エレナが姿を現した。
手には懐中電灯ではなく、庭のランタンを抱えていた。
優しい光が三人を包む。
「皆さん、大丈夫ですか?
さっきは大変でしたね。バケツを倒した音で驚いたでしょう?」
ジョウは小声で呟く。
「驚かせてない……いや、驚いたのか?」
ケルロは呆然としながら木箱を抱えている。
リンゴは床に転がりながら、口をパクパクさせた。
「シスター……!」ジョウが呼吸を整える。
「ええと……ええと、まさに“大丈夫です!”としか言えない状況です!」
エレナは微笑み、首をかしげる。
「本当に大丈夫ですか? この時間に庭に出てくるなんて、
ちょっと危ない気もするんですけど……」
ジョウは心の中で計算する。
“シスターの善意指数:99%
注意力:80%
誤認可能範囲:最大3メートル
成功率:50%未満なら無視可能”
「……あ、そうですね、心配ご無用です。
ちょっと月明かりを楽しんでいただけです」
エレナは目を細め、疑いのない笑顔を見せる。
「そうですか……でも、気をつけてくださいね。夜道は危ないですから」
ジョウは木箱を軽く抱え直す。
「ええ、もちろんです。安全確認完了……って感じです!」
ケルロが小声で呟く。
「安全確認って……俺たちの安全確認じゃねえか」
リンゴは地面に転がりながら、弱々しく言った。
「ジョウさん、そろそろ筋肉が限界っす!」
ジョウは静かに頷く。
「あと少しだ……ここを抜ければ路地に出られる。
善意の監視を一瞬だけ逸らす」
三人は息を潜め、庭の片隅にある生け垣の影に滑り込む。
エレナは気付かず、少し前方で立ち止まった。
「ふう……これで安心……」
ジョウはリンゴに小声で指示する。
「今だ。木箱を素早く持ち上げ、搬出口へ」
リンゴは必死に体を動かす。
ケルロは後ろからサポートし、ジョウは前方で警戒。
一瞬の隙を突き、三人は搬出口へと進む。
だが、最後の難関が待っていた。
出口の扉は微かに軋み、古い鍵の音が響いた。
「ちょっと待て……!」ケルロが言う。
「扉の鍵、固いぞ!」
リンゴが手を滑らせ、木箱がわずかに傾く。
「うわああっ!」彼の声で、エレナの注意が再び三人に向く。
「皆さん、何しているの?」シスターの声が庭に響いた。
ジョウは一瞬で判断する。
“善意を逆手に取れ。焦りは危険。冷静さを装え”
「大丈夫です! ちょっと木箱が重くて、扉に引っかかっただけです!」
エレナは眉をひそめ、慎重に近づいてくる。
ジョウは小声でケルロとリンゴに指示。
「両端を支えろ。慎重に、シスターの視界から外す」
三人は息を合わせ、木箱を安定させる。
扉が少しずつ開き、月明かりの路地が顔を出す。
「ふう……」ジョウは心の中で呟く。
“成功率……ギリギリ50%。善意指数、あと1%で崩壊する”
ケルロは木箱を抱え、暗い路地に足を踏み入れた。
「ジョウ……あれ、まだ生きてるんだな、俺たち」
リンゴは地面に座り込み、顔を両手で覆う。
「もう俺……二度と夜の倉庫には来たくないっす」
ジョウは静かに微笑む。
「我々は、まだ生きている。
だが、これは序章だ。盗品を手に入れるのは、これからだ」
背後で、エレナの声がかすかに聞こえる。
「皆さん……本当に怪我はありませんか?」
ジョウは振り返らずに答える。
「ええ、全く問題ありません。
心配ご無用です」
月明かりの下、泥棒三人は木箱を抱え、闇の路地を進む。
善意と偶然、そして一瞬の計算が織りなす“泥棒劇場”。
これが彼らの日常であり、奇妙な成功の連続だった。
雨上がりの路地は、湿った石畳が月光を反射し、微かな光の筋を描いていた。
ジョウ、ケルロ、リンゴの三人は、木箱を抱えながら慎重に歩を進める。
背後の修道院からは、シスター・エレナの善意に満ちた声がまだ届いていた。
「皆さん、本当に大丈夫ですか……?」
ジョウは小声でつぶやく。
「大丈夫……計算通りだ。善意は敵でもあり味方でもある」
ケルロが木箱を揺らしながら呟く。
「いや、味方って言っていいのかこれ……もう俺、腎臓まで震えてるぞ」
リンゴは肩で息をしつつ、後ろを振り返る。
「さっきの廊下で倒れなかったら、俺たち全員アウトっすよ!」
ジョウは軽く笑い、暗い路地の角を曲がる。
「これが計画の妙だ。事故も予測済み、善意も計算に組み込んでいる」
ケルロが眉をひそめる。
「事故まで計算してるって……泥棒の天才ってここまで狂気じみてるのか」
リンゴが木箱を前後に揺らしながら言う。
「でも、ジョウさん、これって普通に運がよかっただけじゃ……」
ジョウは軽く首を振る。
「偶然も計画の一部だ。偶然を予測しておくのも、立派な戦略」
三人は慎重に角を曲がる。
視界が開け、目の前には小さな路地の出口が見えた。
そこから先は車通りも少なく、タクシーや仲間の車がすぐに迎えに来る予定だ。
「よし、ここからは最終段階だ」ジョウは低くつぶやく。
「木箱を無事に運び出し、安全地帯に移す」
リンゴが苦笑いしながら言う。
「ここまで来て、やっと計画の“終盤”って感じっすね……長かった」
ケルロが心配そうにジョウを見る。
「でも最後に何か起きそうだよな……」
予感は的中した。
出口のすぐ手前で、木箱が思わずバランスを崩し、路地の壁にぶつかった。
「うわっ!」リンゴが声をあげる。
木箱の角が少し削れる。微かに“ガリッ”という音が響く。
ジョウは素早く反応する。
「落ち着け、音は微弱だ。善意の監視範囲外だ」
しかし、ケルロの視線の先には、路地の端に黒い影が現れていた。
泥棒仲間の車ではなく、偶然通りかかった夜の警備員だ。
「……くそっ、タイミング悪いな」ジョウは舌打ちする。
リンゴが青ざめて言う。
「どうすんすか、これ……」
ジョウは瞬時に判断する。
“警備員は単独で、注意力は低く、視界は狭い。音に敏感ではあるが、目視には弱い”
「方法は二つ。無理に逃げるか、善意を利用するかだ」
ケルロが首をかしげる。
「善意って……警備員に?」
ジョウは微笑む。
「我々の善意だ。小さな事故を演出し、警備員の好奇心と心配心を同時に利用する」
リンゴは頭を抱える。
「計画に善意まで組み込むって、もはや泥棒の域超えてますね」
ジョウは木箱を抱え直し、壁沿いに進む。
路地の端に足を踏み入れ、軽くバランスを崩して倒れそうになる振りを見せる。
警備員は瞬間的に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」警備員は声をかける。
ジョウはゆっくりと体を起こし、苦笑いする。
「すみません、つまずいただけです。ご心配をおかけしました」
警備員は安心したように肩をすくめる。
「気をつけてくださいね」
ジョウは無言でうなずき、ケルロとリンゴとともに最後の角を曲がる。
そしてついに、仲間の車が見える路地に出た。
「到着……」ジョウは静かに木箱を下ろす。
ケルロが安堵の息をつく。
「やっと……やっと終わったな」
リンゴは背中を押さえながら笑った。
「もう俺、二度と夜の倉庫に入らないっすよ。いや、マジで」
ジョウは木箱を車に積み込み、計画を総括する。
「完璧とは言わない。だが、善意と偶然を味方につければ、泥棒は安全に盗むことができる」
ケルロが小さく笑う。
「ジョウ、あんたの計画って……理屈では完璧だけど、
現場では毎回ハラハラさせられるな」
リンゴも笑う。
「俺は筋肉と心臓に優しくしてほしいっす……」
ジョウは微笑み、車のエンジンをかける。
「次のターゲットは、もう決めてある。
計画は練ってある。だが、この夜の経験は、次に必ず生きる」
三人は車に乗り込み、闇の街を駆け抜ける。
善意の偶然と計算が交錯する泥棒たちの夜は、まだまだ終わらない。
そして、次なる“奇想天外な作戦”が、静かに彼らを待っていた。




