第3話:シスター見習いと泥棒たち
夜の雨は、コンクリートを叩くよりも、ジョウの神経を叩いてくる。
「……ケルロ、なんでお前が運転すると“静かに逃げる”って概念がなくなるんだ?」
「うるせえな、ジョウ。車ってのは動力で動くんだぞ。動力は音だろ。音は正義だ」
「この盗んだ配送車、静音推しの最新型なんだよ。
お前の運転で“静音”が負けてるんだよ」
二人の言い合いの最中、配送車のワイパーがぎこちなく前を拭う。
彼らが今夜奪ったのは、M&I倉庫から流出した違法アートの一部。
正確には流出前に流出させたのだが、これはジョウの立てた計画通りだった。
問題は、その「逃げ道」。
ケルロが「こっちの方が空いてる」と言って選んだ道が――結果的に、
教会の裏庭に突っ込む道だった。
「……これ、誰が見ても“隠し場所”には向いてないぞ」
「暗いだろ? 神様は暗いところが好きなんだよ」
「神様に聞いたのか?」
「聞いたら怒られるから聞かねえよ」
会話だけ聞けば頭のおかしい二人だが、本当は一流の泥棒だ。
ただ時々――いや、頻繁に――運の悪さが、彼らの能力を上書きする。
配送車は、教会裏の石壁ギリギリに停められた。
どうにか見えにくい位置にはあるが、神の前で隠し事ができるわけもない。
ジョウが荷台のアートを確認していると、背後で柔らかい声がした。
「こんばんは。こんな時間にお仕事、大変ですね」
二人は同時に固まった。
なぜ教会の影から、微笑むシスター見習いが出てくる?
そこに立っていたのは、黒髪を肩でまとめた若い女性。
灰色のスカーフ、白いブラウス、素朴な木製の十字架。
「優しい」をそのまま擬人化したような顔立ち。
彼女は雨合羽を脱ぎながら、小さく会釈した。
「私、シスター見習いのエレナ・グレイスといいます。
夜の搬入なんて珍しいですね。
……あら? 車、少しへこんでませんか? 大丈夫でしたか?」
ケルロが先に口を開けば何か取り返しのつかないことになると判断し、
ジョウは咄嗟に営業スマイルを作った。
「ええ、その……うちの会社、夜間配送も強化してまして」
「すごいですね! 私たちの修道院にも、こういう効率の良さがあれば……」
エレナは感心しながら、車の後ろへ歩く。
その動きはまるで、
“不可避のトラブルに自ら歩み寄る天使”だった。
ジョウとケルロは声にならない悲鳴をあげながら追う。
「待っ……そこ、危ないから近寄らないほうが……!」
「荷物、重そうですけど……これは芸術品ですか?」
完全に見られた。
荷台には布で包まれた木箱。
その上に貼られた“割れる注意”の赤いシールが、逆に怪しさの象徴になっていた。
エレナは首をかしげた。
「もしかして、教会への寄付品ですか?
だったらありがたいのですが……最近、修道院の修繕費が足りなくて……」
ジョウは焦って口を開いた。
「え、あ、その……寄付、ですね。寄付品です。はい。ええ」
ケルロが小声でささやく。
「ジョウ、おい。お前が悪事の現場で“寄付”って言うと地獄に落ちるぞ」
「うるさい。今は天国系の話を合わせとけ」
エレナはぱっと笑顔になった。
「まあ! わざわざありがとうございます。
中身は何でしょう? 文化財ですか? 壊れやすいものなら、中へ――」
「開けなくていいです!!」
二人の声が揃った。
そしてさらに最悪なことが起きる。
教会の鐘が深夜の空気に響き渡り、
エレナが「あら、修道院長が呼んでいるかも」と言った。
次の瞬間、彼女はこう続けた。
「もしよければ、中に停めてくださっても構いませんよ。
修道院の倉庫、空いていますから。盗まれる心配もありませんし!」
“盗んだものを教会に保管する”…
そんな脳天気な提案を、笑顔でされるとは誰が予想できよう。
ジョウは心底困惑しつつも、
ケルロの袖を引っ張った。
「……ケルロ。俺たち、どうすればいい?」
ケルロは腕を組み、深くうなった。
「ジョウ。俺は専門家じゃねえが……
シスターってのはつまり、“神の使い”なんだろ?」
「まあ……そうだな」
「つまり――絶対に逆らうと面倒なタイプだ」
「その理解でいいのか?」
しかし、たしかにケルロの言うとおりだった。
彼女に怪しまれれば通報される。
彼女が親切心で介入すれば計画が崩壊する。
しかし、彼女に敵意を見せれば……なんだか罰が当たりそうだ。
エレナは微笑みながら、雨に濡れた階段を指差した。
「倉庫、こちらです。案内します!」
ジョウは頭を抱えた。
泥棒の計画は、天才の手で緻密に作られるものだ。
だが今夜の計画書には、
“シスター見習いが善意で仕事を台無しにする”
なんて項目はどこにも載っていない。
ケルロがぼそっと言った。
「ジョウ。今夜の仕事、神の試練だな」
「いらない試練だ……!」
かくして――
天才泥棒ジョウと騒がしい相棒ケルロは、
人生で初めて“善良なシスターに案内されながら”
盗品を運び込む羽目になった。
教会の廊下は、なぜか夜でも清潔さが際立っている。
足を踏み入れた瞬間、ジョウは“罪悪感だけが増幅される空気”を感じた。
「……なんでだ、ケルロ。背中が痛い。何か刺さってる気がする」
「十字架の視線だろ」
「十字架は視線を持たない」
「じゃあ神だ」
「黙ってくれ」
エレナはそんな二人を全く気にしていない。
むしろ親切丁寧に案内してくれることを使命のように感じているらしく、
小走りで振り返りながら微笑んだ。
「荷物、重くないですか? もしよければ台車を使いますか?」
「いえ、大丈夫。……これは筋トレの一環です」
ジョウが必死に平静を装う中、ケルロはひそひそ声で毒づく。
「お前、どんな筋トレだよ。『社会悪を背負う筋トレ』か?」
「お前も同じ悪を背負ってるんだぞ」
「俺は背負ってねえ。持ってるだけだ」
「意味は同じだ」
廊下の壁には、修道院で開かれた子ども食堂の写真や、
孤児院の季節行事の絵が飾られていた。
ジョウは、こういう“善”の写真が苦手だった。
自分の人生と対比してしまうからだ。
ケルロは関係なさそうな顔をしているが、
心の底では同じくらい居心地が悪いはずだ。
エレナは歩きながら、ふと語り始めた。
「実はこの倉庫、少し前に改装したんです。
寄付が減ってしまって……古い屋根が雨漏りしてしまって。
修理のために、いくつかの教会財産も手放してしまって……」
ケルロがぼそっと言う。
「ジョウ、これ泣くところか?」
「黙れ。ここで泣いたらもう戻れなくなる」
エレナは続ける。
「でも、皆さんのおかげで少しずつ立て直せてきました。
だから今日みたいに寄付を届けてくださる方がいると、本当に助かるんです。
倉庫までもうすぐですから……!」
言われてジョウは思う。
“寄付”と言ったのは本当にまずかった。
泥棒が神に嘘をつくのは、天罰待ったなしの行為だ。
ケルロが肩をつつく。
「おい、ジョウ。バチって、どれくらい痛いんだ?」
「知らない。知りたくもない」
「雷みたいなもんか?」
「雷よりピンポイントで来る気がする」
「怖ぇ……」
二人の不安をよそに、エレナは扉の前で立ち止まった。
古い木の扉を開けると、中は涼しい空気で満ちている。
倉庫とはいえ、きれいに整理されており、
食料品の段ボールと、寄付された衣類の袋が端にまとまっている。
「ここなら安全ですよ。鍵もかかりますから」
天使のような笑顔だ。
泥棒にとっては悪魔的とも言えるほどに純真。
ジョウは荷物をそっと置きながら、できる限り丁寧に言った。
「ええっと……ここに置いておけば……?」
「はい。あ、よければ中身を確認しますね。修道院長に報告しなきゃいけないので」
「確認は……その……しない方向で!」
「え?」
しまった、とジョウは思った。
“寄付品なのに確認を拒む”という状況がもっとも怪しい。
エレナは小さく首をかしげる。
「もしかして……驚かせるためのサプライズ寄付ですか?
修道院長、そういうの大好きなので!」
ケルロが小声で言う。
「ジョウ……なんだそのシスター。敵か味方か分かんねえぞ」
「俺にも分からない……!」
だが、次の瞬間、運命は加速した。
倉庫の奥から、ドンドンと何かを叩く音が聞こえた。
エレナが「あっ!」と声を上げる。
「忘れてました。ここには……“拾われた人”が寝てるんです」
ジョウとケルロは同時に固まる。
「人を……拾った?」
エレナは平然と頷く。
「ええ。昨夜、修道院の前で倒れていた方がいらして……。
危険そうな人でしたけど、放っておけなくて。
今は倉庫の奥で休んでもらってます」
ケルロが、じわじわと額に汗をにじませる。
「なあジョウ。まさかとは思うが……」
ジョウは深呼吸してから言った。
「……ケルロ。予想が当たってる気がする」
倉庫の奥で、突然声がした。
「おい、誰かいないのか⁉ 水! 水くれ!」
その声にジョウは聞き覚えがあった。
ケルロも聞き覚えがあった。
つまり――
昨夜逃げる途中に置いてきた“あの男”の声だった。
ケルロが頭を抱える。
「拾われてんじゃねえよ、あの野郎!!
よりによって教会に拾われんなよ!!」
エレナが怪訝そうに振り返る。
「え? お知り合いですか?」
ジョウは天井を仰いだ。
神よ。
なぜ泥棒の人生はこうも“最悪の偶然”に満ちているのか。
ケルロが腹を抱えて笑い出した。
「ジョウ。これでお前の計画、完全に粉々だな」
ジョウは握りこぶしを作って言った。
「……ケルロ。覚悟しろ」
「何の?」
「これから俺たち、シスター見習いに嘘をつきながら盗品を守りつつ、知り合いの不良を救出するという地獄のタスクをやる」
ケルロが叫んだ。
「そんなタスク、泥棒学校でも教えねえよ!!」
エレナは事情も知らず、優しく微笑んだ。
「お二人って、本当に仲がいいんですね」
二人は同時に泣きそうな顔をした。
なぜ善良なシスター見習いの笑顔がこれほど恐ろしいのか。
それはきっと――
天使は時に、悪党よりも容赦がないからだ。
倉庫の奥では、毛布に包まれた男がゴソゴソ動いていた。
頬には擦り傷、片方の靴は脱げている。
どう見ても“道端に転がっていた理由”がある顔だ。
エレナが水の入ったコップを差し出しながら言う。
「大丈夫ですか? もう動いても平気なんですか?」
男はそれを一気に飲み干し、肩で息をしながら答えた。
「い、生き返った……シスターさん、あんたは命の恩人だ……」
ジョウとケルロは、棒立ちのまま見つめていた。
ケルロがぼそっと言う。
「ジョウ……あれ、リンゴだよな?」
「ああ。昨日の“仕事”の途中で置き去りにしたリンゴだ」
リンゴはジョウたちの仲間――いや、“たまに雇う雑役係”だ。
正確には、彼は仲間であることを望んでいるが、
ジョウはその不運体質と不用心さを考えて「準構成員」扱いにしていた。
リンゴは二人を見つけると、
まさに果物が落ちたような顔で叫んだ。
「ジョウさん!! ケルロさん!! よかった、迎えに来てくれたんすね!」
エレナが嬉しそうに手を合わせる。
「まあ! あなた方、お知り合いだったんですね。
良かった……昨日から心配してたんですよ。
この方、何かに怯えて逃げてきたように見えたので……」
ジョウとケルロは顔を見合わせた。
何に怯えていたか?
彼らだ。
ジョウがやや強引に話をまとめる。
「ええ、まあ。そうなんです。
彼とは……その……ちょっとした会社仲間でして。
ほら、配送の仕事は危ないですから、夜に怖い目に遭って……」
エレナは心底納得した顔で、リンゴの背中を軽くさすった。
「そうだったんですね。
怖かったでしょう。
でも、もう大丈夫ですよ。
今日からはお友達が迎えに来てくれますから」
ケルロが小声で言う。
「ジョウ、俺たち、いつから“友達を迎えに来る善良な市民”になった?」
「今日からだ。シスターの前では誰でも善良になるしかない」
するとエレナが言った。
「ところで……お二人が持ってきた寄付品ですが、
修道院長に見せても?」
ジョウの背中が凍った。
リンゴが調子よく言う。
「寄付品? え、あの木箱のことっすか?
アレって倉庫の――」
ケルロは即座にリンゴの足を踏んだ。
「痛ぇっ!! なにすんすか!!」
「黙れ、命のリンゴ。腐らせるぞ」
「意味わかんねえっすよ!」
エレナは不思議そうに首をかしげる。
「……何か事情が?」
ジョウは笑顔を作る。
営業スマイル史上、過去最高の膝ガクガク笑顔だ。
「その……えー……寄付品はですね、実は修道院長に直接渡すための“特別便”でして。
サプライズというか……ええ、その……」
「サプライズ寄付なんてあるんですね!」
エレナの目はキラキラだ。
ジョウは心の中で神に土下座した。
ケルロがひそひそ声で言う。
「なあジョウ。これ、そろそろ限界じゃね?」
「限界はとっくに越えてる。俺は今、空中を走ってるようなもんだ」
「落ちるぞ?」
「その前に逃げる」
だが、逃げ道はそもそも存在しない。
善良なシスターが敵という新境地に来てしまったからだ。
リンゴがのんきに座りながら言う。
「ところでジョウさん、俺の財布ってどこ行っちゃいました?」
ジョウは歯ぎしりした。
「知らない。俺の計画にも書いてなかった」
「じゃあケルロさん、知りません?」
「俺は財布は盗まねえ! 人の運だけ盗む!」
「なんすかそれ!?」
エレナは困った顔で、三人の泥棒を見回した。
「皆さん……大丈夫ですか? ちょっと騒がしいですよ」
ジョウが急いで姿勢を正す。
「ご心配なく。いつもの職場の空気です」
エレナは「大変なお仕事ですね」と心底同情してくれた。
万が一にも“犯罪者”だと思っていないようだ。
信じる事に躊躇がない。
だからこそ危険だった。
そこへ、廊下の奥から修道院長の声が響いた。
「グレイス? お話がありますよ」
エレナが「あっ」と言い、振り返る。
「すみません、少し席を外しますね。
寄付品のこと、後でまた確認します!」
そして、ぱたぱたと走って行った。
ジョウ、ケルロ、リンゴは沈黙した。
倉庫には湿った雨の音だけが響く。
ジョウが深く息を吐いて言った。
「……ケルロ。最悪という言葉の定義を更新したい」
ケルロが腕を組む。
「更新しろ。俺はもう限界突破してる」
リンゴが首を傾げた。
「これ……どうするんすか?」
ジョウは、盗品の木箱に目を向けた。
「この“寄付品”、修道院長に見せるわけにはいかない。
でも倉庫から持ち出すには、シスターに見つからないようにしないといけない。
そのうえリンゴをここから連れ出し、逃げ道を確保する必要がある」
ケルロが笑った。
「今のジョウ、完全に犯罪じゃねえよ。
これもう“シスターに迷惑かけないための計画”だろ」
「俺だって好きでやってるんじゃない」
リンゴが言う。
「まあまあ、天使みたいな人っすからねえ。嘘つきたくないっての、分かりますよ」
ジョウとケルロは同時にリンゴを睨んだ。
「お前は黙ってろ。お前が一番嘘つきだ」
「えっ、俺!?」
ジョウは決意を固めた顔つきになった。
「……よし。逃げ道を作る。
寄付品は“夜のうちに別の場所に移した”ことにして、
修道院長の目から隠す。
そのためには、シスターをしばらく“足止め”する必要がある」
ケルロが眉をひそめる。
「足止めって、お前……まさか拉致とか言わねえよな?」
「バカ言うな。人間の中で一番拉致しちゃいけない職業だ」
「だろうな!」
ケルロは胸をなでおろす。
ジョウは人差し指を立て、静かに告げた。
「――俺たちがやるのは“善人への合法的な時間稼ぎ”だ」
ケルロが言う。
「そんな手、あるのか?」
「ある。
ウェストレイクの『不運な泥棒』の歴史でも、
誰も試したことがない方法だ」
リンゴがごくりと唾を飲む。
「それって、どんな方法なんすか?」
ジョウは口の端を上げて言った。
「シスターの“善良さ”を利用する。
俺たちが危ないと“誤解”するように誘導し、
心配で動けなくする」
ケルロは感心したように目を丸くした。
「なるほど……シスターを心配させて足止めか」
「誤解させるだけで罪にはならない。
やっていることは“親切にされる準備”だ」
リンゴが言う。
「なんだそれ……泥棒なのに……」
ジョウは深く頷いた。
「泥棒だからだ。
俺たちは、誰も傷つけない仕事をする。
罪を背負うのは俺たちだけでいい」
ケルロは笑った。
「お前、時々まともなこと言うよな」
「時々だけだ」
雨音が少し弱まり、倉庫のドアが静かに閉まった。
エレナが戻ってくるまで、時間はわずか。
泥棒たちは顔を見合わせた。
この夜の計画は、
盗品の確保でも、逃走でもない。
“シスター見習いの善意を守りながら、犯罪を成功させる”
という前代未聞の作戦。
ジョウは小さく呟いた。
「――さあ、難易度最高の『善良回避ミッション』だ」
ケルロとリンゴが同時に、深い深い溜息をついた。




