泥棒喜劇《影の段取り屋》第1話 「絶対万全の計画」
鳥羽ジョウ … プロの泥棒。天才的な犯罪プランナーだが、運は最低。
ケルプ枠:乾ケルロ … 物体の扱いがやたら上手いが、頭はあまりよくない。
夜の新宿裏路地。
半分壊れたネオンの下に、場末の喫茶店がある。
店名の由来は、店主がボクシング好きだからだが、常連はみな「ここに来ると人生から殴られてる気がする」という意味で呼ぶ。
扉がギィと開き、黒いコートの男が入ってきた。
鳥羽ジョウ――表向きはフリーのアパレル物流コンサルタント。
裏の顔は、泥棒。
「遅かったな、ジョウ。俺なんて冷めたコーヒー二杯目だぞ」
奥の席で手を振ったのは、乾ケルロだった。
身長は高いが猫背で、手先だけ妙に器用。
彼の“器用さ”は物騒な方向にも役に立つが、本人の知能はそれに追いついていない。
ジョウは椅子に腰を下ろした。
「ケルロ、お前は毎回十分前に来るくせに“遅い”って言うな。まだ集合時間の三分前だ」
「時間の問題じゃなくて、俺のコーヒーの問題だ」
ケルロはそう言って、コーヒーカップを持つ手をひっくり返しそうになり、慌ててジョウが支えた。
ジョウは深く息を吐く。
「…で、依頼は?」
「これだ!」
ケルロは紙袋からA4の封筒を取り出し、ドヤ顔で差し出した。
内容は――
「アンティーク宝石の強奪依頼」
依頼人は、どこかの骨董商のオヤジ。
曰く、「昔持ってた宝石を、競り負けた嫌な業者から取り返してほしい」とのこと。
ジョウはいくつかの資料を読み、眉をひそめた。
「ふむ…保管してるのは《天翔商会》か。古物市場じゃ有名な堅物だぞ」
「ま、ジョウの計画なら何とかなるっしょ? 俺、信じてるから」
ケルロはにやにや笑っている。
ジョウは計画を考える間、ケルロを見た。
“この顔で信じてると言われると、不安が増すのはなぜだろう”と。
ジョウは資料をテーブルに広げ、丁寧に説明を始めた。
「いいか、今回は慎重に行く。
正面から侵入すると、三重のセンサーに引っかかる。
だが幸運にも、明日の夜に《天翔商会》は閉店後の内覧イベントをするらしい。
富裕層をご機嫌取りするアレだ。その準備中の1時間だけ、裏口のセキュリティが緩む」
ケルロはうんうん頷きながら、シロップをコーヒーに三つ入れている。
ジョウは続けた。
「そこでまず、ケルロ、お前は裏口の荷物搬入口を開ける」
「任せろ。俺、鍵って割と好かれるんだよな」
「褒めてない。…その後、俺が宝石の展示室に入って目的の品を取る」
ここでケルロが言葉を挟む。
「なあジョウ、その“目的の品を取る”のところで、なんかこう、俺が派手に活躍する場面ってないの?」
「ない」
「即答か!」
不満そうなケルロを無視し、ジョウは説明を再開する。
「展示室には定番のアレ――圧力センサー付きガラスケースがある。
ただし、型番が古い。
“重さを少しずつ変化させると誤作動を起こしにくい”タイプだ」
ケルロが小声でつぶやく。
「なんでそんなこと知ってんの…」
「仕事だからだ。で、そこが肝だ」
ジョウはケルロに向き直る。
「明日、お前はこれを準備しろ」
ジョウは紙袋から、小さな砂袋を取り出した。
吊り下げられるようになっていて、中には砂がぎっしりと詰まっている。
「……砂袋?」
「圧力センサーの誤魔化しに使うんだよ。この砂袋を宝石と交換して、重さを徐々に変化させていけば、センサーは—」
ケルロが遮った。
「待てよジョウ。もしかして、それ俺がやるの?」
「もちろん」
「俺、こういう“ちまちま作業”本当に苦手なんだけど…」
「だからお前にやってもらうんだ」
「理由になってねえ!」
ジョウは資料をまとめた。
「とにかく、今回はきっちり段取りを踏む。
俺は完璧な計画を立てた。
これだけやれば、不運どころか、むしろ幸運に恵まれるはずだ」
ケルロは乾いた笑いを浮かべた。
「いやジョウ、お前が“完璧だ”って言う時に限って、ロクなことになった試しがないぞ」
ジョウは目を細めた。
「今回は違う。何が起きても対処できるように、三段構えで対策してある。
すべてのパターンは予測済みだ」
その瞬間、店主の叫び声が店の奥から響いた。
「おい!! お前ら!!
外に止めてたワゴン車、知らねえか!?
盗まれたぞ!!」
ケルロがジョウにゆっくり視線を向ける。
「…ジョウ?」
ジョウは頭を抱えた。
「……それ、今回の仕事で使う車だ」
ケルロは楽しそうに笑い、肩をすくめた。
「ほらな? ジョウ。“完璧”って言うからだよ」
ジョウはコートを脱ぎ、立ち上がった。
「行くぞケルロ。まずは車を取り返す。
計画以前の問題になってきた」
「了解。…ちなみに“車泥棒を追う泥棒”って、なんかの罰ゲームか?」
ジョウは小さくため息をついた。
「違う。これが、俺の日常だ」
二人は夜の街へ駆け出した。
――完璧な計画は、いつだって最初の五分で壊れる。
新宿の夜風は冷たい。
鳥羽ジョウと乾ケルロは、店主が指差した方向へ走っていた。
「おい、ジョウ、見えたぞ! あれじゃねえか?」
ケルロが指す先には、ジョウたちが借りたワゴン車――
いや、正確に言うと、ジョウの“友人の知り合いの身内の誰か”から借りたワゴン車――が、時速20キロほどでトロトロと逃げていた。
ジョウは半眼になった。
「……なんで盗難車が徒歩の俺たちに追いつかれそうなんだ」
「慎重な泥棒なんじゃないか?」
「慎重すぎるだろ」
ワゴン車は、どうやら車線変更が死ぬほど苦手らしい。
ブレーキランプが明滅し、初心者マークのようにフラフラしている。
ケルロは笑いながら言った。
「ジョウ、あれ絶対“運転できない奴”だって!」
「頼むから運転できない奴は車を盗むな…!」
二人が車に追いつくまでもなく、ワゴン車は道端のコンビニ前で停まった。
そして運転席から降りてきたのは――
金髪の若い兄ちゃん。
スウェット姿。
コンビニ袋片手。
ケルロは呆れて口をぽかんと開けた。
「お、おい…あいつ、コンビニ寄るために盗んだのか?」
ジョウは額を押さえた。
「そうだろうな。犯罪の順序を間違えてる…」
二人はゆっくり近づいた。
兄ちゃんは、まるで「ちょっと借りました」程度の顔でワゴン車のドアを閉めた。
「おい」
ジョウが声をかけると、兄ちゃんは振り返った。
「あ? なんすか?」
ジョウが言った。
「それ、俺たちの車なんだが」
「あー…マジっすか?」
兄ちゃんは、まったく悪びれもせず笑って言う。
「だってさ、鍵刺さってたんすよ。乗るっしょ?」
「乗らねえよ」
ジョウは即答した。
ケルロが続ける。
「お前、なんでコンビニ行くために車盗むんだよ」
「盗んでねえっすよ。ちょっと借りただけっす」
「黙れ」
ジョウとケルロの声が完璧にハモった。
だがジョウは深呼吸し、気を取り直した。
「まあいい。車を返してくれ。俺たちは急いでいるんだ」
兄ちゃんは「しゃーねぇな」と言いながら鍵を渡した。
そのときだった。
兄ちゃんが、ふとケルロの肩越しを見る。
「……あれってアンタらの仲間?」
ケルロが振り返ると――
黒い服を着た二人組の男が近づいてきていた。
胸に「警備保障」のバッジをつけている。
ケルロはジョウの腕をつついた。
「ジョウ…あれ、ウチの仲間じゃねえよな…」
「違う」
「じゃあ、あれは…」
「車のGPSを追ってきた天翔商会の警備員だ」
ケルロは叫んだ。
「GPS切ってなかったのかよ!?」
「借り物だから下手にいじれなかったんだよ!」
警備員たちはもうすぐそこだ。
兄ちゃんが小声で呟く。
「俺のせいじゃないっすよね?」
ジョウは目を閉じた。
「お前のせい8割、ケルロのせい1割、俺の不運1割だ」
「なんで俺も入ってんだよ!?」
警備員は無線で誰かに話しながら二人へ近づく。
「おい、そこの二人。
その車、天翔商会がレンタルしてる車両だろ?
ちょっと確認させてもらう」
ジョウは車のドアに手をかけた。
ケルロはジョウの目を見た。
「逃げるのか?」
「当然だ」
「だよなぁ!」
二人は同時に車に飛び乗った。
ケルロが助手席で叫ぶ。
「ジョウ、早く! 来るぞ!」
ジョウはエンジンをかけようとした――が、
ブォン……カララララ……プスン。
ケルロ「おい」
ジョウ「……ちょっと待て」
ジョウが再びキーを回す。
カラララ……プス……沈黙。
ケルロは椅子にもたれかかった。
「ジョウ、これ…」
「壊れてるな」
「盗まれた時には動いてたぞ」
「盗んだ奴が下手に踏んだからだ」
そこへ警備員の足音が迫る。
ケルロが焦燥気味に叫んだ。
「降りるか? 殴り抜ける?」
「いや、それはやめとけ」
「なんで!?」
「相手、警備員だ。殴れば計画以前に前科が増える」
「お前いつも前科気にしてるな!」
警備員が車のドアに手をかけようとした――
その瞬間。
兄ちゃんが大声を上げた。
「すんませーん! この車、俺がちょっと乗っちゃいましたー!
この人ら被害者っす! 俺が犯人でーす!」
ケルロ「え?」
ジョウ「……何やってるんだあいつは」
警備員が兄ちゃんに近づく。
「お前が? 本当だな?」
「マジっす。俺がやりました」
兄ちゃんは胸を張って言う。
「オレのせいで車のエンジンおかしくなったのかもしれねぇし!」
ケルロはジョウの耳に小声で囁いた。
「ジョウ…あいつ、いい奴なんじゃ?」
「いい奴じゃない。馬鹿なだけだ」
警備員は兄ちゃんの腕を掴み、連れていった。
そしてジョウたちに向き直った。
「まあ、お前らは被害者みたいだな。運が良かったな」
ジョウとケルロは無言で顔を見合わせた。
“どの口が言うんだ”と二人とも思っていた。
警備員が去り、兄ちゃんの姿も消えた。
ジョウは車の屋根に手を置き、深呼吸した。
「……ケルロ」
「なんだ」
「この車、もう無理だ」
「だろうな」
ジョウはコートを翻しながら歩き出す。
「別の車を手に入れないと計画が進まない」
「盗む?」
「借りる」
「ジョウの“借りる”は大体“盗む”と同義だけどな」
ジョウは遠くを見た。
「完璧な計画に必要なのは、まず足だ。
失われたピースは取り戻す」
ケルロがにやりと笑った。
「夜はまだ長いな」
ジョウは嫌そうに返した。
「不運もな」
二人は暗い路地へ消えていった。
――“完璧な計画のために必要な車を探す”という
前提の前提からしてグダグダなまま。
しかし、鳥羽ジョウは諦めない。
彼の計画はいつも万全だ。
問題は、万全にした途端に何かが壊れることだけである。
ジョウとケルロは、再び新宿の裏道をうろついていた。
目的はただひとつ――今夜の計画を実行するための車を手に入れること。
「ジョウ、車ってどうやって借りるんだ? 普通にレンタカーとかは……」
「無理だ。身分証が残る」
「じゃあどうすんだよ」
「……合法的に借りるルートは、今この時間だと細いんだ」
「つまり?」
「不本意だが“借用”だ」
「出たよ。泥棒の言う『借りる』」
ジョウはため息を吐き、ポケットからメモ帳を取り出した。
「車の候補は三つだ。
①個人経営の中古自動車店
②夜間専門の配達業者の駐車場
③知り合いのチンピラが乗ってるワゴン」
ケルロは即答した。
「③はやめとけ。絶対面倒になる」
「わかってる。あいつらは貸した後に“返すな”って言ってくる」
「それ貸した意味ある?」
「ない」
二人は中古車店の前に立った。
店内は光が落ちていて無人。
シャッターも降りていない。
「ここなら、短時間“借りる”だけなら問題ない」
ジョウは断言した。
「どうせ明日の朝には返す。ノーダメージだ」
ケルロが頷く。
「じゃあ、俺が鍵開けるか?」
「いや、ここの店主は荒っぽい男だ。夜中に音を立てると犬が吠える」
「犬いるのかよ!」
「だから俺がやる」
ジョウは鍵穴を覗き込み、慎重にピックを回した。
数秒で開錠。
ケルロが感動したように言う。
「ジョウ、お前やっぱ天才だな」
「仕事だからな」
二人は店内を見渡した。
軽ワゴン、古いセダン、軽トラ…。
どれも年季が入っていて、あまり調子が良さそうではない。
ケルロが軽トラを指さす。
「これなんかどうだ? 荷物運べるぞ」
「軽トラで宝石盗みに行くバカがどこにいる」
「ジョウたち」
「やめろ」
そのとき、店の奥で物音がした。
ジョウとケルロは身を固くする。
「……ジョウ、今の音…」
「犬じゃないな。足音だ」
店の奥から現れたのは――
店主、ではなく、見知らぬ男。
酔っ払いのサラリーマンだった。
スーツはシワだらけ、ネクタイは頭に巻いている。
どう見てもこの店の人間じゃない。
サラリーマンは二人を見ると目を丸くした。
「……ん? 車、見に来たのか?」
ケルロが小声で囁く。
「ジョウ、こいつ誰だ?」
「知らん」
酔っ払いは続けた。
「俺も車、欲しいんだよなぁ。
タクシー拾えないし…会社まで帰るの遠くてよぉ…」
「歩け」ジョウは冷たく言った。
だが酔っ払いは聞いちゃいない。
「お兄ちゃんたち、車借りに来たんだろ? 仲間に入れてくれよぉ」
「仲間じゃない。仕事中だ」
「仕事中かぁ! いいねえ! 実直だねぇ!」
酔っ払いは満面の笑みで車の鍵をいじり始める。
どうやら酔った勢いで、勝手に展示車に手を出しているらしい。
ジョウは額を押さえた。
「……ケルロ、あれ放置するとマズい」
「でも酔ってるし、どうしようも…」
「ああいう酔っ払いは、だいたい警察を呼ばれるオチが待ってる」
その瞬間。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
店内に警報が鳴り響いた。
ケルロが飛び上がる。
「なんで!? ジョウ、なんで警報が!?」
「酔っ払いが、展示車の非常ロックを蹴ったからだ!」
「なんで蹴るんだよ!」
「知らん! 酔ってるからだ!」
警報音が夜の新宿に響き渡る。
近くのアパートの窓が一斉に開く。
誰かが叫んだ。
「おい! またあの店かよ! 誰か通報しろ!」
ジョウがケルロの腕を掴んだ。
「ケルロ…撤退するぞ」
「車は!?」
「諦めろ! この状況で車を選ぶ余裕はない!」
酔っ払いはまだ車を蹴っていた。
「開かねぇー! お前なんで開かねぇんだよぉ!」
「やめろ!」ジョウは叫んだが、もう遅い。
二人は裏口から脱出した。
路地裏で息を整える。
ケルロは地面に座り込んだ。
「……ジョウ、計画。今どういう状態?」
「……開始前にして壊滅手前だ」
「だよな」
ジョウは空を見上げた。
計画を考える時点では完璧だった。
だが、人生はいつだってジョウのプランに忠実じゃない。
ケルロが言う。
「どうする? 車、もう時間ねえぞ」
「わかってる。だから――」
ジョウは立ち上がった。
「もう一つ、リスクの高い手段に出る」
「リスクの高い?」
「“駅前タワーマンションの業者用駐車区画にある高級ワゴン”だ」
ケルロは青ざめた。
「おいジョウ、それ絶対ダメなやつだろ! 高級ってついてるし、タワマンだし!」
「わかってる。だが、家々の防犯設備は逆に“スキがある”。特に深夜は住民の出入りが少ない」
ケルロは震えながら言った。
「……本当に行くのか?」
「行く。今日を逃すと宝石が別の金庫に移される。
今夜しかない」
ケルロは立ち上がる。
「わかったよ。…お前がそこまで言うなら俺はついていく」
「ありがとう」
「ただし、ジョウ」
「なんだ」
「俺ら、もう十分ツイてないぞ」
ジョウは静かに頷いた。
「知ってる。でも、ここから巻き返す。
俺の計画は、必ず最後に帳尻が合う」
ケルロは肩をすくめた。
「それ、聞くの今日で三回目だぞ」
二人は夜の街へ歩き出した。
その姿は、
“宝石を盗む以前に車すら手に入らない泥棒二人組”
――とてもじゃないが犯罪計画を遂行しようとしているようには見えなかった。
だが、鳥羽ジョウには確信があった。
運が悪いなら、あとは工夫でどうにかする。
不運の穴は、段取りで埋める。
そして彼は、
「万全の計画ほど最初に崩れる」
という自然界の法則にまだ気づいていなかった。




