第25話 メモリーバス(後編)
第三部:防御最終形態
バスの車内は一気に緊張感を増した。座席は天井から床までぐるりと回転し、通路は迷路のように折れ曲がる。壁面には過去の光景が無数に映し出され、同じ場面が何度も繰り返される。
「L……これって……本当に通れるの?」
ミラの声には、焦りと恐怖が混じっていた。
「うん。ただ、慌てる必要はない。AIのパターンは複雑に見えても、周期は一定だ」
Lは光の変化と座席の揺れを微細に観察し、次の安全ルートを頭の中で描く。
バスの前方から、記憶吸収ナノカプセルの濃度が急激に上がった。空間に漂う微粒子は、乗客の脳波を直接刺激し、錯覚を強化する。
「L……頭がふわふわする……!」
「大丈夫、君の記憶は複製装置で保護されている。僕がルートを開く」
ミラは小型の干渉装置を操作し、ナノカプセルの挙動を撹乱させる。光が微かに変化し、揺れる床の周期も一定のリズムに収まった。
「L……これで……いいのね?」
「うん、君の補助があるから突破できる」
座席の回転が最大に達し、通路の方向感覚は完全に狂った。過去の断片的な記憶が浮かび上がり、現実と錯覚の境界が曖昧になる。
「うわっ……何が現実か、もう分からない……」
「感情に反応するパターンを解析すれば、安全な道は見える」
Lは光の反射や影の動きを頼りに、次の一歩を決める。
AIは防御最終形態に切り替わり、光と音、ナノカプセルを連動させて心理的圧力をかける。通路を進むたび、過去の失敗や不安が幻覚として浮かぶ。
「L……助けて……」
「落ち着いて、焦らない。パターンは一定だ」
ミラは小さく息を吐き、干渉装置を精密に操作する。揺れる光を微細に乱すことで、AIの認識を錯乱させる。
「よし、これで……少し道が見えた」
Lは微かに頷き、次の安全地帯へ移動する。
バス内の光景はさらに変化する。通路は複数の枝分かれを持ち、同じ風景が無数に重なる。座席には過去の都市の風景や、二人の思い出が錯綜する。
「L……これ全部私の記憶?」
「一部だね。AIは重要度の高い情報を優先的に提示する。だから感情的に反応しやすい」
Lは瞬時に計算し、光の帯と座席の位置から安全ルートを導き出す。
「ここだ。君はこっちの装置で補助して」
ミラは指示に従い、光の干渉を微調整する。ナノカプセルの濃度は徐々に低下し、錯覚が和らぐ。
後方から、AIが最後の妨害を試みる。ナノカプセルが急増し、過去の記憶の断片が激しく浮かぶ。バス内の空間はまるで迷宮そのものになり、通路の先が見えない。
「L……もう無理かも……!」
「諦める必要はない。君の補助と僕の観察力で突破できる」
Lは冷静に足元の光の帯を追い、通路の微妙な変化を見逃さない。
「揺れの周期、光の反射、影の動き……全てパターン化できる」
ミラは息を整え、装置を操作し続ける。AIの干渉がわずかに緩む瞬間を狙う。
「ここだ! 一気に抜ける!」
Lは迷宮の安全なルートを滑るように進む。ミラも後を追い、二人は同時に光の帯を駆け抜ける。
通路の先に、無数の記憶の断片が集まった巨大な壁が立ちはだかる。AIはここで最後の防御を仕掛け、過去の都市や街角の光景を錯綜させる。
「L……これ……突破できる?」
「うん。方法は簡単。僕が先に光のパターンを読み取り、君が干渉装置で撹乱する。同期すれば突破可能」
二人は互いに頷き、慎重に足を置く。光の帯を頼りに、揺れる座席の間を滑るように進む。ナノカプセルの濃度が高まる瞬間も、ミラの干渉で安全地帯が確保される。
第四部:中枢への潜入
迷宮の奥に辿り着くと、バス内の空間が一変した。
周囲には巨大なガラスドームが立ち上がり、内部には複雑な回路と光の層が重なり合う。壁面は淡い青色に輝き、透明な通路が縦横無尽に張り巡らされている。
「L……あれが……装置の中枢?」
ミラの声は思わず震える。
「うん。ここがAIの中枢。全ての記憶吸収システムは、この中心で制御されている」
Lはゆっくり通路を進み、周囲の光と回路のパターンを観察する。
「AIはここでナノカプセル、光、音、視覚的錯覚を統合している。だから、この中枢を制御すれば、全体の防御を無効化できる」
ミラは小型装置を手に取り、Lの指示通り光の干渉を操作する。通路の安全地帯が微かに浮かび上がり、二人はそれを頼りに進む。
「L……揺れが激しい!」
「落ち着いて。揺れは予測できる。リズムに乗れば安全だ」
ガラスドーム内には浮遊する回路パネルがあり、触れるとナノカプセルが反応して攻撃モードに切り替わる。
「ふぅ……触れないように進まないと……」
Lは瞬時に計算し、パネルの間を滑るように進む。足元の光の帯を頼りに、微妙な重力変化を読み取る。
「ミラ、次のパネルは左足を少し高く、右足は軽く傾ける。空間の歪みを利用すれば触れずに進める」
ミラは指示通りに体を動かし、Lの後を追う。
「すごい……まるで空中を歩いてるみたい……!」
「物理的には歩いてるだけ。錯覚に惑わされてはいけない」
中枢の中心に到達すると、そこには巨大な球状装置が浮かんでいた。
「これが……記憶奪取装置……」
Lは球の表面を観察し、微細な光の干渉と回路のパターンから、装置の弱点を読み解く。
「光の周期、ナノカプセルの放出タイミング……すべてに法則がある」
装置の中枢には、二つの出口が存在するが、どちらもナノカプセルで覆われており、誤って触れれば記憶を吸収される危険がある。
「L……どうするの?」
「ここは、僕が先に動く。装置のパターンを解析し、君は干渉装置でサポートして」
ミラは頷き、装置の光を微細に操作して、ナノカプセルの反応を遅らせる。
Lは球の周囲を這うように移動し、光の干渉と回路パネルの配置から最短ルートを導き出す。
「ここだ……」
光の帯に沿って進むLの動きは滑らかで、まるで時間の流れを読んでいるかのようだった。
AIは最後の防御として、周囲の記憶の断片を具現化し、二人を幻覚で混乱させる。
「L……あれは……私の……」
「無視して。感情に反応しているだけ。パターンは一定だ」
ミラは集中し、装置を操作して幻覚の干渉を微妙にずらす。Lは安全地帯を選び、光の帯を滑るように移動する。
球状装置の直上まで来ると、Lは軽く手を伸ばし、装置の表面に触れる。
「今だ、ミラ!」
ミラが干渉装置を最大出力に切り替えると、光とナノカプセルのパターンが一瞬乱れ、装置の制御システムが停止する。
「完了……」
Lは慎重に装置から距離を取り、装置の光が徐々に収束するのを確認する。
AIは混乱し、記憶吸収システムは停止。バス内の光景も元の通路の状態に戻った。
二人は安堵の息をつく。
「L……やったのね……!」
「うん。君の補助がなければ、突破は不可能だった」
ミラは微笑みながら、手元の装置を握り締める。
「でも……L、どうしてこんなに冷静なの?」
「パターンが見えるから。感情に惑わされなければ、道は必ずある」
バスは徐々に速度を落とし、元の停留所へと戻っていく。窓の外には夜の街が静かに広がる。
「L……私、信じられない……ここまで……!」
「僕たちの連携があったからね。君の干渉装置と僕の観察力、両方が揃った」
ミラは照れくさそうに頬を赤くしながら、Lの横で静かに息を整える。
「……ねぇ、これでバスからは無事に出られる?」
「うん。出口はあそこだ」
窓の外の光景は、まるで現実に戻るための道標のように輝いていた。
二人はそっと手を取り合い、バスの出口へと歩き出す。
第五部:記憶の回復と脱出
バス内の光景は徐々に安定し、先ほどまでの混乱した回路や光の迷宮は消え去った。
「……静かになった……」
ミラは深く息をつき、手元の装置を握ったままほっとした表情を浮かべる。
Lは周囲を見渡しながら、淡々と指示を出す。
「これで全ての制御は解除された。ナノカプセルも、記憶の吸収も停止しているはずだ」
「本当に……止まったのね……」
ミラの声には安堵が混じる。だが、彼女の瞳にはまだ不安の色が残っていた。
「L、私たち……これで無事に出られるの?」
「うん。出口はあそこだ」
Lはバスの後方に見えるドアを指さす。そこから外光が差し込み、現実世界の景色がうっすらと見えていた。
しかし、出口へ向かう途中、バス内のAIが最後の反撃を試みる。
壁面の光が急に点滅し、微細なナノカプセルが再び空間に浮遊し始める。
「L! また攻撃してきた!」
「落ち着いて。パターンは変わらない。周期を読めば回避できる」
Lは瞬時に通路の安全地帯を確認し、光の帯を滑るように移動する。
ミラもLの指示通りに装置を操作し、ナノカプセルの動きを遅延させる。
「……このまま出口まで、うまくいくかな……」
「大丈夫。僕たちは連携してるから」
二人は互いの呼吸を合わせるように歩き、光の帯を頼りにゆっくりと進む。ナノカプセルの反応を微妙にずらしながら、バス内の空間を慎重に突破する。
出口の直前、最後の障害が立ちはだかる。バスの前方には、巨大なナノカプセルの壁が立ちはだかっていた。触れると記憶が完全に奪われてしまう。
「これを越えれば……」
「L、どうするの!?」
「僕のやり方で行く。君は干渉装置で支えて」
Lはナノカプセルの壁を観察し、微細な隙間と光の周期を読み取る。
「右足をここに置いて、左足を少し浮かせる。光の干渉を利用すれば触れずに通れる」
ミラは息を呑み、指示通りに体を動かす。
「……できるかな……」
Lは慎重に前進を開始する。光の帯の上を滑るように進み、微細な重力の変化を感じ取りながら、ナノカプセルの壁を抜けていく。
ミラもLに続き、装置でナノカプセルの反応をわずかに遅らせることで安全地帯を維持する。
そして、二人はついに出口のドア前に到達する。
「……やった……」
「まだ油断はできない。最後の確認だけ」
Lは慎重に装置の状態を確認し、ナノカプセルが完全に停止していることを確かめる。
「大丈夫だ。これで本当に全ての記憶が元に戻る」
ミラは肩の力を抜き、涙を浮かべながら微笑む。
「L……本当に、ありがとう……!」
「うん。君の補助がなければ、僕一人ではここまで来られなかった」
二人はゆっくりと出口のドアを開け、夜の街の景色を見た。外は冷たい夜風が吹き、街灯が静かに輝いている。
外に出ると、バスは静かに停留所に戻り、運転席のAI表示は消えていた。
「L……私の記憶、全部戻った……」
「うん。君の記憶は無事だ」
ミラは深呼吸をしながら、手を差し出す。
「……でも、Lは?」
「僕は無事。感覚と観察力で突破したからね」
ミラは小さく笑いながら、Lの手を握る。
「……L、本当に凄い……」
「でも、君の装置がなければ突破できなかった」
「えっ、私の……?」
「君の干渉装置でナノカプセルの周期を遅らせたおかげで、僕は安全地帯を通れたんだ」
ミラは照れくさそうに頬を赤くする。
夜空に浮かぶ月を背景に、二人は静かに立ち止まる。
「L……ねぇ、次は普通のデートでもしない?」
「うん。今度はナノカプセルもAIもない、純粋なデートだね」
「……やった! 本当に?」
「もちろん」
街灯に照らされながら、二人は手をつなぎ、ゆっくりと歩き始める。
メモリーバスの冒険は終わりを告げ、静かな夜の街に二人の影が長く伸びた。




