第24話 メモリーバス(前編)
メモリー・バス ―奪われる記憶の迷宮―
第一部:挑戦状と乗車
未来都市の夜は、ネオンとホログラムの光で水面のように反射していた。空中に浮かぶ広告パネルが、車道に映る光と重なり、都市は一瞬、幻想的な迷宮のように見える。
その街角に、怪盗Lとミラが静かに立っていた。
「ねえ、L……今日の挑戦、どう思う?」
ミラは少し緊張した様子で、手元の小型デバイスを見つめる。
「楽しめそうだね」
Lは淡々と答え、視線を遠くの光に向けた。
「挑戦状はすでに届いている。内容も確認済みだ」
ミラは眉をひそめる。
「……でも、今回は普通じゃないのよね? “メモリー・バス”って何?」
「その名の通り。乗った者の記憶を奪う自動運転バスだ」
Lの声は冷静だったが、その内容にミラの目が見開かれる。
「記憶を奪う……!? そんな、どうやって……」
「技術的には単純だよ。ナノカプセル型の光子メモリーを体内に投与して、乗車中の脳波を読み取り、記憶をバスのAIに転送する仕組みだ」
「……それ、すっごく危険じゃない!」
「危険だね。でも、挑戦者の心理パターンも事前に解析済みだから、君の安全は保証されている」
ミラは小さく息をつき、Lの袖をつかんだ。
「……ねえ、L。今回も私、手伝うわ」
「入口までならいいよ」
「ええ、もちろん。でも……やっぱり、私も一緒に乗った方がいいと思う」
夜の道路に、独特の形状のバスが滑り込んできた。未来的な黒光りの車体に、光の筋が流れる。
「……あれがメモリー・バス……」
ミラの声は小さく震えた。
バスの自動ドアが静かに開くと、柔らかくも機械的な声が響いた。
「ご乗車ありがとうございます。乗車前に確認します。乗客の記憶保護措置は、限定装置によって保証されています」
Lは無言で一歩踏み出す。
ミラもその後に続き、二人は車内に入った。
バスの内部は静かで、座席はゆったりとした未来型カプセルシート。各席には小型モニターと脳波センサーが組み込まれている。
「L……本当に大丈夫?」
「問題ない。君が隣にいる限り、何も怖くない」
ミラはその言葉に顔を赤らめたが、すぐに目をそらす。
座席に座ると、バスは静かに走り出した。都市のネオンが流れ、窓ガラスに光の帯が映る。
「L……見て。この街、夜はいつもこんなに美しいの?」
「うん。だから僕は、挑戦の最中でも楽しめる」
バスのAIは、二人の脳波をスキャンしつつ、微細な光と振動で記憶制御を開始する。ミラは小型装置を取り出し、AIの干渉を防ぐための信号を送る。
「この複製装置がなければ、危険よ」
「君が作ってくれたおかげで、僕はいつも通り動ける」
Lは微かに微笑む。
だが、すぐにバスは異変を見せる。
座席の照明が不規則に点滅し、モニターに過去の風景が流れ始めた。街の記憶、歩いた路地、笑った瞬間……二人の過去が幻影のように浮かび上がる。
「L……これって……私の記憶?」
「そうだね。でも慌てる必要はない。僕が観察したところ、AIは情報を転送するだけで、まだ吸収は完了していない」
ミラは深く息をつき、複製装置を慎重に操作する。
「この装置でAIを撹乱して、記憶を保護する……」
「うん。僕はその間にバス内のルートを解析する」
バスの座席が微かに傾き、車内の重力が揺れ始める。記憶の迷宮に迷い込んだかのような視覚の錯覚が二人を包む。
「L……これは……ただのバスじゃない。まるで、記憶そのものを操る迷路みたい」
「その通り。でも、迷路にも抜け道はある」
Lの目は冷静に光り、空間の歪みと光のパターンを読み取り始める。
バスがカーブを曲がるごとに、座席と通路が微妙に変形し、視界に奇妙なパターンが浮かぶ。
「L……早く、どうするの?」
「落ち着いて。まずはAIの干渉を読み切る。周期を把握すれば、進むべきルートが見える」
ミラは息を整えながら頷く。
「……わかったわ、L。あなたについていく!」
バスの前方モニターには、出口を示す光の帯が浮かび上がる。
「見えた。ここが第一段階の突破口だ」
「本当に……これで大丈夫なの?」
「もちろん」
Lは微かに笑み、手を伸ばしてコンソールを操作する。
バスの床が微妙に波打ち、空間が揺れる。光の帯を頼りに、二人は慎重に進む。ミラの複製装置が光脈を撹乱し、AIは一瞬判断を狂わす。
「これで……突破できる!」
Lは低く息をつき、座席間のわずかな隙間を滑るように移動した。
バスの床が微かに振動し、照明がリズムを刻む。光の帯が通路を覆い、まるで都市の路地がバス内に再現されたかのようだった。
「L……これは……本当に出口に繋がっているの?」
ミラの声は緊張で震えていた。
「うん。ただし、道はひとつじゃない」
Lの目は冷静に揺れる光と影を追う。
「AIは乗客の脳波から最も効率的なルートを割り出し、錯覚で迷わせる。複雑に見えるが、パターンは単純化できる」
ミラは小型装置のスイッチを入れ、光の干渉信号を送る。
「これでAIの認識を微妙に狂わせる……」
「ありがとう、ミラ。君がいなければ、ここで完全に迷子になる」
Lは微かに微笑む。その表情には、焦りや恐怖は微塵もない。
バス内の空間が歪む。座席の位置が変わり、通路は視覚的に曲がりくねる。過去の記憶の断片が浮かび上がり、街の景色や二人の幼少期の風景が交錯する。
「うっ……L、これって……現実なの? それとも幻?」
「両方だね。AIは君の脳波を読み取り、記憶の情報をバス内に再構築している」
ミラは目を閉じ、集中する。
「でも、AIの周期には僅かなブレがある。そこを狙えば突破できるはず……」
Lは光の帯を観察しながら微細な計算を始める。
「揺れの周期、光の反射、視界の歪み……すべてパターン化できる」
バスの後部から、ナノカプセルを散布する音が微かに聞こえる。AIが乗客の記憶吸収を強化する防御策を起動したのだ。
「L……どうしよう!? 体が……なんだかふわふわする!」
「大丈夫。君の記憶は複製装置で保護されている。僕が進む道を開く」
Lはゆっくりと通路の端を伝う。座席間のわずかな隙間を滑るように移動し、光のパターンの変化を読んで次の足場を決める。
ミラは手元で装置を微調整し、ナノカプセルの誤認識を誘導する。
「これで、AIは僕たちを追いかけられない」
「ふぅ……なるほど……!」
記憶の迷宮はさらに複雑さを増す。車内には複数の分岐路が現れ、同じような風景が幾重にも重なる。通路に映る過去の断片が、二人の注意を逸らす。
「L……これ、全部私の記憶? どこが本物か分からない……」
「正確には一部だね。AIは重要度の高い記憶から優先的に提示する。だから、感情的な反応が出やすい」
Lは脳内で光の帯の変化を記録し、思考を整理する。
「周期は一定。感情に反応するパターンは可逆。ここをこう抜ければ、AIは追えない」
ミラは息を整え、Lの指示に従い通路を進む。
「……あ、分かったわ! こっちじゃない!」
Lは微かに頷き、最短ルートを示す。
途中、座席の照明が一斉に赤く点滅し、周囲の風景が全く異なる過去の都市に変わった。
「うわ……L! これは……一体……」
「パターンを崩しているだけ。焦る必要はない」
Lは静かに手を伸ばし、通路の光を頼りに歩く。微妙な重力の変化も見逃さない。
「AIは記憶を映像化するだけで、現実の障害はない。物理的な安全は確保されている」
「でも……錯覚に騙されそうよ……」
「だから君が複製装置で干渉してくれる」
ミラの手元が微かに光り、AIの干渉が弱まる。バスの空間は再び安定を取り戻した。
通路の奥に、巨大な光の壁が立ちはだかる。過去の都市の風景が歪んで連なり、通路の先が見えない。
「L……これ、突破できる?」
「うん。方法は二つ。僕が先に動き、光の干渉を読んでパターンを解析する。それに君の装置で補助すれば、突破は可能」
Lは微細な計算を瞬時に行い、光の壁に隠れた安全な足場を特定する。
「よし、行くよ」
「うん、任せるわ!」
バスの床が微かに揺れ、光の帯が流れる。Lは慎重に足を置き、通路を滑るように進む。ミラは後ろから装置を操作し、AIの反応を撹乱する。




