第13話 巨大アクアリウム(水は苦手)
海のように青く輝く壁が、空をも覆うかのようにそびえていた。
ミラ・ガーネットはその前で立ち止まり、眉をひそめる。
「ねぇ、L……本当に行くの?」
全高80メートル、幅500メートル。光を透かした巨大アクアリウムは、まるで都市ごと水の中に閉じ込めたような迫力だ。
「行くよ。挑戦状が届いたからね」
Lはいつもの涼しい笑みを浮かべる。
「ネプトゥーン・マリン・グループ。最近、侵入者封じの技術が急成長している会社だ。それに……僕の“泳力ゼロ”も知っている」
ミラはぎょっとした。
「どうしてバレたの!? 私しか知らないはずよ!」
Lは肩をすくめる。
「犯人探しは後にしよう」
ミラは少し眉を寄せ、Lの袖をつかむ。
「……ねぇL。今日の作戦、私も手伝いたい」
「入口までね。中には入らないで」
「分かってる! でも……水族館だから、水着の方が動きやすいでしょ?」
ミラは上着を脱ぎ、腰のケースをトントンと叩く。
「例の“模倣”装備、全部揃ってるわ。八本脚スーツ、吸着フック、空気圧ジャンプツール、それに……小型グライダーも」
「ありがとう。君の作った道具があれば、僕は泳がなくて済む」
ミラの顔が柔らかくなる。
「……うん。絶対、落ちないでね、L」
「落ちたら終わりだからね。任せて」
入口の扉が閉じ、Lは一歩を踏み出した。
足元は透明な一本橋。下は深く暗い水槽。揺れる床が不規則に動き、足をすくませる。
「……泳げない者には地獄だ」
だがLは恐れない。揺れの周期、床の反発力、支柱の角度――目に入るすべてを瞬時に観察する。
ミラが作った八脚スーツを装着すると、脚が床に吸い付く音が響き、揺れは消える。
「歩くから危険なんだ。最初から歩かなければいい」
這いつくばったLは、スーツの脚を自在に操作して一本橋を突破した。揺れの不安は一瞬だけ。焦る息も、計算のうちだ。
次の部屋は巨大な回転ドーム。内部はゆっくりと回転し、床が浮いたり傾いたりする。
「ここは……回転を利用するタイプだね」
Lはスーツの脚を畳み、壁に吸着しながら侵入する。方向感覚が狂う中、目は微細な床の凹凸や壁の角度を追う。
(泳げる者なら落ちても這い上がれる。でも僕は落ちれば終わりだ)
ドームが最大加速に達する瞬間、LはAirHopを発動。空気圧で身体を跳ばし、回転エネルギーを利用して横へ滑る。出口が一瞬見えた瞬間、Lは滑り込み、完璧に突破した。
その先には、水中を泳ぐイルカが見えた。だが本物ではない。
「Dolphin D-03……落水者救助用……いや、今回は捕獲用だな」
イルカ型ドローンは、水上に落ちるLを捕獲しようと動き回る。
Lは壁に張り付き、影に隠れながら進む。壁に沿った移動なら、ソナーは感知できない。吸着フックを使い、アクリル壁を“壁走り”で進む。
ドローンが目の前を通過するたび、Lは微かに呼吸を整え、焦る一瞬もあるが、落ち着いた手つきで回避。わずかな隙も逃さず、進路を確保した。
最奥部に近づくと、巨大ポンプ群が逆巻く潮流迷路が待っていた。泳げる者なら突破できるが、Lには絶望的だ。
(でも……逆流じゃない。流れは一方向)
微細な気泡の動き、ポンプの音の周期、水面の揺れの境界――すべてが進めるルートを示している。
Lはスーツをボード形態に変形させ、AirHopで水面ぎりぎりを跳ぶ。潮流が身体を押すが、Lは泳がず、流れに乗る。
「泳がない。流れに乗る」
無浮力サーフィンのように、水面を滑るL。水に触れず、落ちず、泳がず――それでも誰より速く、最奥部へ突き進む。
途中、流れに微妙な乱れが生じ、Lは一瞬だけ焦る。しかし、スーツの変形と壁の支えを駆使し、全て計算内に収める。流れに身を任せながらも、完璧にコースを読み切るLの姿は、観察する者なら息を呑むだろう。
潮流迷路を抜けると、空気だけが支配する広間が現れた。水は完全に止まり、静寂が支配する。
「……着いた」
中央の台座には、透明なガラスケースに守られた宝が光を反射して輝いている。宝石の青、緑、赤が複雑に混ざり合い、まるで海そのものの色彩を閉じ込めたかのようだ。
Lは濡れた一滴もつけず、足元を微妙に調整しながら前に進む。八脚スーツの脚を微細に動かし、床の振動や空気の流れを計算する。
(ここで失敗は許されない……でも、水に触れない限り、僕には可能だ)
ガラスケースには圧力センサーが埋め込まれている。少しでも衝撃を与えればアラームが鳴る仕掛けだ。LはAirHopを使って、床を滑るようにジャンプ。足をつける位置、跳躍の角度、重心の移動――すべてが完璧に計算されている。
わずかに心臓が跳ねる瞬間もあった。空中で微調整を行い、ガラスケースの前に立つ。
「……よし」
Lはケースを慎重に開け、宝を手にした。水滴一つつけず、完璧に成功。
アクアリウムの出口に向かう途中、Lは最後の仕掛け――空中に張り巡らされた水圧トラップを確認した。高圧水流がレーザーのように配置され、接触すれば一瞬でアウトだ。
Lは小型グライダーの展開を決める。足元のボードを跳躍台に変形させ、空中で滑るように前進。水圧トラップの間を滑空し、着地点を正確に計算して着地する。わずかに息を吐く瞬間もあったが、焦りに飲まれることはない。
外の光が見えた。ここまでの道のりを計算し、全てのトラップを読み切ったLの背中には、冷静さと余裕が漂う。
アクアリウムの外。待機していたミラが駆け寄ってくる。
「L!! 大丈夫!? 水、入ってない!? 落ちなかった!?」
Lは微笑む。
「もちろん。僕は泳げないからね」
ミラは胸を押さえ、涙目で笑った。
「……泳げないまま、よくここまでやったわね……!」
「君のおかげだよ。‘水に落ちないための道具’は完璧だった」
ミラは顔を赤くする。
「そ、そうでしょ!? 私、Lのためなら……あっ、ちがっ、別に深い意味はないんだけど!」
Lは宝を掲げる。
「これで挑戦は終わり。さぁ、次は本物のデートをしようか?」
ミラは固まった。
「……っ……デッ……」
「ん?」
「デートって言った!!?」
Lは笑って歩き出す。
「行こう、ミラ」
ミラは慌てて追いかける。水族館の光が二人の影を長く伸ばした。
■エピローグ
ネプトゥーン・マリン・グループの会長は映像記録を見つめ、静かに呟いた。
「泳げないまま突破されるとは……怪盗Lという男、恐ろしい……!」
映像には、一度も水に落ちず、泳がず、流れや仕掛けを読み切って進むLの姿が映っていた。
会長の前で、スタッフたちは息を呑む。水中でものを操る技術や警備の精度をいくら高めても、Lは“泳げない制約”を逆手に取り、常識を超えた方法で突破していた。
そして、水族館の光の中で、Lとミラの笑顔が静かに浮かび上がる。泳げなくても、落ちなくても、誰よりも自由に、誰よりも速く進む怪盗L。その姿は、この挑戦の意味を語り尽くしていた。




