第11話 静寂の宝盗り
1 訪問
門をくぐった瞬間、怪盗Lは
“風の密度が変わる”のを感じた。
和風の庭は静かに佇み、松の影が畳に流れる。
案内人はいない。
戸がひとりでに開き、奥の和室へ通される。
畳の中央──
背筋を矢のように伸ばした老人が、正座していた。
皺は深く、だが目は澄み切っている。
老人の周囲の空気だけ、まるで緊張して揺らいでいた。
「世界最強のセキュリティとはどこにあるのでしょう?」
怪盗Lが問うと、老人は微動だにせず言った。
「今、目の前に座っておる」
Lの眉がわずかに跳ねた。
「わしこそが世界最強のセキュリティだ。
宝が欲しければ――このわしを倒して奪い取ってみなさい」
その声音には、虚勢が一片もなかった。
Lは軽い失笑をこぼしそうになったが、
老人の背後に立つ“無風の気”に気づき、喉奥で止めた。
化け物だ。
2 老人の“結界”
畳の上に座るだけで、老人は半径三百メートルを察知するという。
人の気配、気流、重さ、音の変化――
それらをすべて“風景”として捉える。
老人の強さは、
もはや技でも筋力でもない。
その場の空気そのものが武術化している。
怪盗Lは悟った。
――これは、普通にやれば一歩も動けず終わる。
だからこそ、
怪盗Lはごく自然に座り込んだ。
老人と、同じ姿勢で。
軋む畳、遠くの鴬の声。
二人の呼吸が静かに重なる。
老人の目が細められた。
3 怪盗L、降参する
「僕はあなたに勝てませんよ、老人」
怪盗Lは穏やかに言った。
「戦う気もありません。
僕は武術家ではありませんから」
老人の瞳に、わずかな揺らぎが走る。
敵はまず挑む。
挑まれれば返す。
それが老人の世界だった。
降参から始める盗人。
そんなもの、初めてだった。
「しかし」とLは続けた。
その声はなぜか、畳の目に染み込むように柔らかかった。
「あなたの武は、“勝つ”ためのものではないのでしょう?」
老人の呼吸が止まった。
「あなたほど強ければ、
勝つための力などとうに不要です」
Lは視線をそっと床に落とした。
「本当は……守るための力だったのでしょう?」
老人の胸の奥で、
古い鐘が鳴るような、重く響く沈黙が落ちた。
Lは老人の部屋を一瞬だけ見回す。
壁際に置かれた古い刀。
飾られた掛け軸の言葉。
茶器に残った傷の数。
そのすべてが語っていた。
――この老人は、誰かを守れなかった過去がある、と。
4 老人の“心”を盗む
老人を観察する怪盗Lの瞳は静かだった。
敵を見る目ではない。
ただ、ひとりの人間の人生を読み取る目だ。
老人は武を極めすぎて、
“揺らぎ”というものを忘れていた。
だが今、
怪盗Lの一言がその揺らぎを呼び戻す。
老人は、はじめて L を“敵”ではなく
“対話する者”として捉える。
気が緩む──
ほんの一瞬だけ。
怪盗Lはその一瞬を、誰よりもよく理解していた。
老人は知らない。
世界最強のセキュリティの唯一の穴は、
老人自身の心なのだ。
5 老人の脳が混乱する瞬間
怪盗Lは老人の呼吸、
姿勢、
視線、
体重の角度まで“写し取る”。
老人の観測能力はとてつもない。
しかしそれゆえに――
自分と全く同じ動きの相手
を前にすると、
脳が混乱する。
「……なぜ、おぬしの気配が……わしと同じなのだ……?」
老人の声がかすれた。
世界最強のセキュリティが、
初めて“認識の揺らぎ”を起こす。
その瞬間、
老人の戦意も守りも、
すべてがふっと静かにほどけていった。
6 敗北
老人は静かに目を閉じた。
長い沈黙のあと、
ゆっくりと懐に手を入れる。
取り出したのは、小さな桐箱。
何百という盗人がこの箱を狙い、
誰も触れられなかった宝。
老人は、それを両手で捧げた。
「……持っていけ」
怪盗Lは目を細めた。
「よろしいのですか?」
老人は深く、深く息を吐いた。
「わしは敗れたのだよ。
武に勝つ者は、武を超えた者だけだ。
おぬしは……その域にいた」
怪盗Lは一礼し、箱を受け取る。
老人の背筋は伸びたまま。
しかしその瞳は、どこか晴れやかだった。
7 去り際
廊下を歩く怪盗Lの後ろ姿に、老人は声をかける。
「Lよ。
おぬしのような盗人は……もう現れまいな」
Lは振り返らず、軽く指を振った。
「老人、あなたもね」
障子がそっと閉じられる。
残された畳の上で、
老人はひとり静かにつぶやいた。
「……まったく……
これだから世は面白い」
小説シーン「L、ミラに語る──世界最強のセキュリティ」
夕暮れの工房。
機械油の匂いと、ミラが好きなジャズが小さく流れている。
ミラ・ガーネットは大きなゴーグルを額に上げ、
スパナをくるくる回しながらLに言った。
「で? 帰ってくるなり“今日のは危なかった”って。
あんたにしては珍しいじゃない」
Lはソファにもたれ、桐箱を膝に置いたまま目を細めた。
「うん、まあ……相手が機械じゃなかったんだ」
「機械じゃない? 動物か? それとも例によって宇宙人?」
「もっとタチが悪いよ。老人だ」
ミラはスパナを落とした。
「……老人?」
Lはうなずき、静かに語り出した。
◆1 世界最強のセキュリティ
「“世界最強のセキュリティ”が欲しかったらしい。
で、実際に訪ねたら座敷に通されてね。
そこに、背筋の伸びたお爺さんがひとり座ってた」
ミラは眉をひそめた。
「は? セキュリティシステムは? 赤外線は? ドローンは?」
「全部ない。
代わりに、老人が座ってるだけ」
沈黙。
ミラはスパナを拾い直し、ぽつりと言う。
「いや……あんた、変な仕事しすぎじゃない?」
◆2 老人の力
Lは笑った。
「あの人ね、半径三百メートルに入った瞬間に察知するんだよ。
銃弾は全部かわすし、ロボットを丸腰で止めるし、
あれはもう……武術じゃない。現象だ」
ミラの目が丸くなった。
「……人間じゃないじゃない」
「うん。僕もそう思った」
ミラは工具箱に腰かけ、腕を組む。
「で、その“世界最強のセキュリティ老人”からどうやって宝を盗んだわけ?」
「戦ったの? 逃げたの? まさか……殺した?」
Lは首を振る。
「戦ってない。触りもしてない」
「え?」
◆3 盗んだのは“心”
Lは、老人と対峙した静寂を思い返すように言葉を選ぶ。
「老人はさ、武術を極めすぎて……
自分の強さに、少し飢えていたんだと思う」
「飢えてた?」
「戦いに。
“勝つ理由”を見失っていたんだ。
誰も彼を倒せないから」
Lは桐箱にそっと触れる。
「だからね、僕は降参した」
ミラ「……なにその一番ありえない選択肢」
L「でもそれで初めて、老人は僕と“対話”してくれた」
ミラは目を瞬かせ、ゆっくり言った。
「……あんた、あのお爺さんの心を盗んだのね」
Lは笑って肩をすくめた。
「盗んだというより、ちょっと動かしただけさ」
◆4 ミラの不満(と、ほんの少しの心配)
ミラはしばらく黙っていたが、
やがて少し怒ったような声で言った。
「……ねえ、L」
「ん?」
「危ないことする時は、ちゃんと“危ない”って言いなさいよ」
工房のライトに照らされた彼女の横顔は、
どこか拗ねたようで、
どこか……心配していた。
Lはその気配を感じ取り、微笑む。
「心配してくれてありがとう」
ミラは慌てて顔をそむけた。
「べ、べつに! あんたが死んだら、
せっかく作ったガジェット誰が使うのよ!?」
「じゃあ、次からちゃんと言うよ。
……たぶん」
「たぶんじゃない!」
◆5 小さな静けさ
工房には再びジャズが流れ、
ミラは道具を片付けながらぽつりと言った。
「でさ、その老人……また会いたいと思った?」
「うん。
あんなに静かで強い人、そういないからね」
「……なんか、
あんたってほんと、変な人に好かれるわよね」
「ミラもその一人だよ?」
ガシャーン!
ミラが工具をひっくり返した。
「っ……今の聞かなかったことにしろ!」
Lは笑いながら、桐箱を抱えて工房を出た。
その背に、ミラのぼそっとした声が追いかける。
「……まったく。
あんたのほうがよっぽど世界最強のセキュリティ破りよ」
工房の扉が閉まり、
温かい光だけが残った。




