第八章 やむなきリーダーの苦悩
悩んだ末の結論は、いっそ簡潔なほどで。
ことばにしてみればそれは、説明するまでもなく自明なことだった。
「俺がおまえ好きで、それで抱いてて、なにがおかしいことがあんねん」
×××
真中は喜ぶどころか、むしろ不審な顔をした。
「やっぱりあんた、ドッペルくんなんやろ」
「云うに事欠いてなにを云うんや、おまえは」
本物と信じたからこそ、逃げたのだろうに。真中はそんないまさらなことを疑う。
北見はむろん、おもしろくない。
「信じませんよ」と、なおも真中は意固地になる。
「リーダーが俺にそんなこと云うやなんて、ぜったい、ない!」
あんなあ、と北見はため息をつく。
「信じろや」
真中の考えていることを信じていられなかったのは、昨日までの北見も同罪ではあるが、真中は北見よりよほど往生際が悪い。
お互いに心情を告白して、あとはまとまるだけだというのに、その手前でまだぐずぐずしている。
その真中の不信が生来のものなのか、北見のこれまでの行動が植えつけたものなのか判断は難しいが、それでも北見は数日前の己をなじりたくなる。
いくらそれを口にされようとも、真中の行動が恋情のもとにあると信じていなかった北見は、己が真中を抱くことにも理由づけをしていなかった。
真中がなぜ自分を翻弄するのか。なぜ自分が誘いに乗ってしまうのか。
疑問ばかりが増えて、答えは闇のなか。
光で照らさず、つのる闇。
暴力をふるった記憶はないが、それでも、いらだちのままに抱いたことはある。ぞんざいに扱ったことも。
それをこんなふうに後悔する日がくるとは意外だったが、もう少し自分がやさしかったなら、真中もいくらか素直だったかもしれないと思わずにいられない。
「けど、おまえも悪いんやで」
むすっと北見は口にする。
「俺が好きなんやったら、もう少し、そおいう顔せえや」
「なんやの、それ! あんたのためや云うたやろ!」
真中にしてみれば、北見の云い分はまったく勝手で、許しがたいものなのだろう。逆に北見は、真中のそれを余計な世話だと感じる。
「誰も頼んでへんやろ」
これで真中に怒るなというほうが無理な話だった。
だが北見は、これまでの真中の態度に悩んだぶん、お相子だと思う。
むしろ真中が思うままに振舞ってくれていたほうが、苦悩は少なかったに違いないと思うから、なおさらだ。
ぐるぐる悩んできたことのほとんどが、いまでは、ばかばかしく映った。
「おまえは俺を見くびってるんか? 誰が逃げるねん、そんくらいで」
「そんくらいって」と、真中は詰まる。怒りよりも驚きでつづきが出なくなったようだ。
状況のアホらしさに北見は再度、ため息をつく。
「真中くんは、たしかに俺をよお理解しとるな。云われたとおり俺は四六時じゅう誰かと居んの苦手やし、べたべたするの嫌いやねん。ひとりで居るの好きやし、家に他人あげんのも得意でない。ようするに誰かを自分の領域に入れるの、好きやないねん。逆も真なりで、ひとの領域にも踏み入りとうない。できれば、どっちも避けたいことや。距離、保ってたいねん」
壁を作ると、真中は評した。事実であるため、北見は否定しない。線を引き、壁を構築し、自己を守る。北見にとっては当然のことだ。
知っている真中は、無言で頷いた。北見はなんの感慨もなく見やる。
「よお理解しとるけど、穴があんねん。俺に最後まで云わせる気なんか? なあ、考えてもみいや」
なにを、と真中は眉を寄せる。
「なんで、いま、きみはここに居んねん」
信じろや、と、もういちど北見は云った。
真中は、立っていられず、床に座り込んでしまっている。
呆然とした顔だ。
いつか考えた境界線。
真中が線の内側にいたのなら、自分とのあいだに境界線など見えるはずもなかった。ラインは、彼の後方にあったのだ。
北見には、そう思えた。それでいいと思えた。
それでこそ、すっきりする話だ。
「俺も、理由がわかったの、さっきやけどな。あの階段で。でも、なんでやろとは考えてたねん。彼女かて泊まらせへんのにな、俺」
「……うそ」
「なにが嘘やねん。俺がそういう人間やって知ってたんやろ。いまさらやん」
少しの恐怖と、微かな羞恥と、面倒な自尊心と、あたりまえという軛。
そういったものを認めて、排除するなり取り入れるなりすれば、前方は簡単に拓けた。
それらを認めたくなかったのは事実だが、もう見つめてしまったからには、しかたない。気持ちの落ちつくさきが決まりさえすれば、いくらか肝は据わるものだ。
ヤケ同然だと理性が警告したところで、後戻りしようがない。
ほとんど吸われないままだった煙草は、灰皿の上で形を残したまま灰になっている。それに気づいた北見は、新しい一本に火をつけた。
真中は動かず、じっと北見を見ていた。
北見の一挙手一投足、そのすべてを見逃すまいというように。
熱のある眼で。
「……俺にも、ください」
火かと北見はライターを投げようとしたが、部屋のまえのウィンストンの残骸を思い出し、ローテーブルに放り出してあったパッケージを手にとった。
「マルボロやで」
「知ってますよ」
答えたときには、もう真中は北見のそばにいる。
ふらりと近寄った真中は、そのまま北見の隣に座った。
「せや、おまえあの吸殻、あとで片づけろや」
返事をしないまま、北見がくわえていた一本を真中は奪い、ゆっくりと己の口に運ぶ。
一瞬だけ北見は渋面を作ったが、なにも云わず、箱からもう一本、出した。
火をつけ、煙を吸い、吐き出す。
なんてことはない、煙草をのむ動作だ。いつもしている、日常のなかの瑣末事。
だが、なんとなくあらぬ方向を見やりながらするそれは、どこかひっかかりのある仕種になった。
お互いに、相手を見ない。
ただ、自身の吐き出す煙を見ていた。
最前までとは意味合いの異なる沈黙が、ふたりを支配している。
妙な空気に焦れ、意外と堪え性のない北見が眉間にしわを寄せた。
対して真中は涼しい顔だ。
「……なんかしゃべれや」
「リーダーこそ、なんか云うことあるんやないですか」
それでもまだ、視線は合わさない。
「……もう泣かへんのか」
「うわ、最悪。そこ蒸し返すんですか。しつこい男はモテませんよ」
どちらかといえば真中本人のほうがよほどネチッコイ性格をしているのだが、そんなことは北見も承知のうえで聞き流す。
真中がもう泣いて逃げるほど恐がらなければ、それでいいのだ。
隣に当然の顔をして座っているのだから、真中もあるていどは肝が据わったのだろう。北見は北見で偽者ではなく、騙しているわけでもなく、限りなく本音で話しているのを理解したわけだ。
あんな、と北見は云う。
「俺、疲れてんねん」
「そりゃそうでしょうね、俺もやばいです」
なんだかもう、今夜のライブのことなど忘れかけていたが、ライブだけでもけっこうな運動量になり、それ以降も北見は追跡、張り込みと、普段ならばやらない行動をしている。軽く飲んだ酒はさすがに抜けているが、重い体はごまかしようがない。
真中に至っては、飲み会の会場から北見の家、それから自宅へと歩いている。ライブでも跳ねたりしているし、北見どころではない運動量だろう。
でもな、と北見はつづける。
「いま、けっこう、その気やねん」
ようやく北見を向いた真中は、にっこりと、裏を危ぶみたくなる笑顔で答えた。
「奇遇ですね。俺もです」
ひととのつながりにゴールはないのだから、これが通過点であるのは、北見にもわかっていた。
これからが、笑える日ばかりでないのも。
でも、まあ。と思う。
いま、真中が笑っているから。それでいいのではないかと。
「我ながら、単純やなー」
自嘲も軽くコメントし、真中にくちづける。
くちびるを離せば、真中は笑っていた。
「単純けっこう。キスしたら気持ちええ、好きやからいっしょに居りたい、そおいうんで、ええのとちゃいます?」
「で、したいから、すんのか」
そうそう、と真中は笑みのまま頷く。
「動物やな」
「人間も、動物でしょ。まあ、感情の話をしてるんですけどね、俺は」
なんだかすでに北見は、めんどくさいものを拾ったなと諦めが入ったが、真中からのくちづけには応え、その躰をベッドに倒した。
見上げてくる真中は、厭きもせず笑っている。
まあ、いいか、と北見はまた思考した。
いまは、いまだ。
問題があったなら、そのときどきでまた考えればいい。
彼の声を好きでいる限り、自分は真中を切り捨てはしないから、これからもずっと、完全に悩みが解消されることも、またない。
真中が譲れないところは北見が譲り、北見が許せないことは真中に譲歩してもらう。それが健全な関係だろう。
いくら考えたところで自分が四六時じゅう、誰かといっしょというのは発狂しそうな事態であるので、さすがに真中も譲るはずだ。
お互いを認めあってつづけていくことが、目下の課題。
意識や希望を擦り合わせて近づくことが、とりあえずの目標。
だが、北見の打ち立てた道標など見向きもせず、真中は貪欲に北見を求めた。
いま、疲れて眠っている真中をわきに見下ろしながら、北見は嘆息した。
最中に、真中は泣いてもいたのだ。
――俺のや、……俺の……。
北見の首を掻きいだきながら、涙をこぼした。
涙にほだされるほど自分が初心だとは思わなかったが、状況は己の甘さを露呈している。
(こうやって、振りまわされつづけんのやな)
心身ともに疲れきり、北見も寝ようと真中の隣に潜り込む。
「ほどほどにしといてくれな」
耳許に囁いたそれは。はたして真中に届いたかどうか。
本編は完結。
番外編でもうちょっとだけ、つづきます。




