第三章 ぐちゃぐちゃ恋愛観(あるいは嘘の
騙されていると思った。
その笑顔に。その眼に。
惑わされていると思った。
その指先に。そのまなざしに。
本当のことなんて、どこにも、ない。
×××
真中は、よく嘘をつく。へらへら笑いながら。
インタビューなどでも冗談なのか本気なのか不明な発言で、インタビュアーを攪乱した。
最新の嘘は、「俺、じつは帰国子女なんです。インド育ちで」だった。しょうもない嘘だ。なんの意味があったのかも怪しい。
しかし、横で聞いていた鶴岡が「俺、帰国子女なんだけど。ベトナムね」と云いだし、手帳に読めない文字を綴り出したので、場は騒然とした。日頃、物事に動じない河合も、眼を瞠っていたくらいだ。鶴岡は河合の大学の後輩だが、河合も聞いてなかったらしい。
「小学校の一年から三年くらいまであっちにいたけど、もう、ことばはほとんど忘れてるね」
「ツルくん、どんだけ兵器隠し持ってんねん」と、真中はけたけた笑い、話題は鶴岡のベトナム暮らしに移った。
ドラマーとして体力作りをしている鶴岡は、背はあまり高くないが、体つきはいい。バイクでスタジオにやってくるので、たいてい黒革のごっついライダースを着ている。眉は凛々しいが、けれど顔つきは柔和で、純朴そうな匂いがした。
鶴岡は真中と違って、意味のない嘘はつかない。帰国子女も本当だと、誰もが信じた。
真中が兵器というのは、メインコンポーザーである鶴岡のその作曲のセンスと、持ってくる楽曲量と、意外と歌がうまいあたりだろう。
北見も鶴岡が初めて曲を持ってきたときには、ひどく驚かされた。こんな繊細な音とメロディとが、バイクやドラムをこよなく愛する筋肉野郎から出てくるとは、まったく思いもしなかったからだ。
ツルちゃん、ツルくん、ツルっちと呼ばれる鶴岡だが、正直、鶴というよりは熊だった。ツキノワグマと並べて写真を撮ってみたい願望が、メンバー内にはなくもない。やったら死ぬけども。
「ツルくんに全部持ってかれたわ~、まいった」
「なんなら、真中くんもインドの話をしてくれてもええんやで」
「リーダー、いけずやなあ」
云いながらも、真中は目尻をさげて笑っている。
真中は嘘を歌う。嘘をつく女を、嘘をつく男を歌う。嘘をつく教師を、嘘をつく親を、嘘をつく子供を歌う。
毒がありながら、歌詞は純粋さを失わない。
激しく、冷静に。冷たく、熱く。透徹な眼で世界を望む。
張りつめたもの。研ぎ澄まされた。
綺麗に砕ける硝子のような。
真中が描くのは、概ね、そんな世界だった。鶴岡の紡ぐ音と、ひどく、泣きたくなるくらいに合っている。
透明な色。――色と表現するのはおかしいが、そんな気配がした。
帰国子女の話で脱線しまくったが、インタビュアーが本来の道に戻す。新しいシングルに関しての取材だった。
今日はレコード会社のミーティングルームで、ほぼ一日、こんな感じになっている。合同インタビューもあれば、インタビュアーが入れ替わりでやってきたりもする。撮影込みの取材は、明日の予定だ。
新曲の歌詞はイカロスを彷彿とさせた。蝋の翼で太陽をめざした男。愚かで熱く、純粋な。
片道だけの羽。
帰るすべを持たない。
インタビューでもイカロスの名が出たが、真中はのらりくらりと矛先を躱していた。作詞に関し、真中ははっきりした答えを口にするのをいやがる。多重の意味を持たせているから、紐解くのがいやなのだろう。自身の書いたものを解説する照れくささもある。
今回の曲は作詞が真中で、作曲が鶴岡。インタビューはふたりに集中し、北見や河合は、話を振られるまで黙っていることが多い。おかげで、余所事を考えたりもする。真中が披露しようとしない、歌詞の意味。
(――翼、欲しいんかな)
飛びたいのだろうか。
真中には危うい匂いがする。少なくとも北見はそう感じている。
翼なんて持ったら。
ここから飛び立ち、帰ってこない想像が、容易にできる。
(……それは、いややなあ……)
インタビューは、あちこち話題が飛んだ。
技巧的なものを中心とした音楽雑誌はともかく、ライトな雑誌では、恋愛観や、好みのタイプを訊かれたりもする。河合が渋い顔をする質問だ。北見もあまり好きな方向性ではない。
(音楽の話、しとるはずなんやけどな)
こういうとき、最初に振られるのは、たいてい真中だ。
「もうね、あかんのです俺。ぐっちゃんぐっちゃんにくっつきたい。一個になりたい」
融合したい欲望。笑いながら、真中は云った。
「ふたりで居んの、いやや」
熱烈だなあ、とインタビュアーは笑った。今日のインタビュアーは北見や河合と年齢が近い男だ。真中の発言に引いた部分もありながら、「若いなあ」などとは云わなかった。思っていたかもしれないが。
「真中くんのそういうところ、さほど歌詞には反映されていませんよね。歌詞は、恋愛に関しては淡泊というか、さらりとしている感触がある」
温度が低い感じというか、と、つづける。
この三年のうちには何回も顔を合わせているが、このインタビュアーは感じがいいな、と北見は思っていた。嫌いなタイプではないから、いやな質問でも、ちゃんと答えようとする。河合や鶴岡もそうだろう。真中はどうだか知らない。
「そっすかねえ。あんま、自分で自覚してそういうふうに書こうとか、思ってるわけではないんですけど。そう見えます? 湿度低い感じ? 俺めっちゃ湿度高いねんけど」
「歌詞からは、恋愛に関してアクティブには見えないねえ」
「まあ、ひとりが好きなんも、たしかですけど。もうね、ここらへんは自分でも難しいし、めんどくさいと思いますよ。ほっといてほしいときは、ほんとに放っておいてくれ!ってなる」
気分屋なんです、と、ここばかりは正直に。
聞いていても、北見にはどこまで嘘で、どこから本当かは、見えなかった。
「結婚願望はあるの?」
「なくはないっすね」
相手がいれば、ですけど、と真中は笑って話を締めた。
たいていのインタビューで、真中は機嫌がよいように見える。そういうふうに、自身の気分を高めていないと、話ができないからなのだろう。よくしゃべるし、ローテンションの河合とは正反対だ。
(バンドの顔、大変やな)
次は誰だと警戒したところで、インタビュアーと眼が合ったせいで、北見にお鉢がまわってくる。いるとしたなら、恋人とのつきあいかたについて。
「俺は、線を引いていたいですね。所詮は別の人間なんで。さっきの真中くんじゃないけど、放っておくところは放っておいてほしいというか」
真中とは違う。
ひとつの存在になりたいなどと、彼の語るようには、なれない。そんなふうに誰かを求めることは、北見にはなかった。
「作曲時期もツアー時期も、放っておいてほしい。こっちに踏み込んでほしくない」
自分の領域を確保していたいのだ。
冷蔵庫にメモだのなんだの、領域を侵犯されるのは、本意ではない。
「えー、俺、どっちもおじゃましてますやん」
なにを云いだすのかと思った。真中の発言にどきりとしたが、すぐに持ち直した。
「きみはちゃうやろ。……メンバーやし。ちょっと悩んでるパート歌ってもらったりとか、いて便利なときもある。まあ、本音云うたら、作曲んときはじゃまやな。出てってほしい」
「ひどいわリーダー」
真中はいつもどおり、けたけたと笑う。ほかに場にいる者も北見の冗談だと認識し、全員が笑った。
「北見くんはあれだろ、作曲作業に没頭すんのが照れくさいってことなんでしょ。生む瞬間を見られたくないというか」
「そっすね」
せっかくインタビュアーが軌道を戻してくれているのに、真中が混ぜっ返す。
「鶴の恩返し的なあれっすか? ぜったいに見てはいけませんよ?」
「見とるやろ、きみは。俺が鶴んなって消えてもええんか。それ以前に、なんの恩も売られてへんけどな」
返すもんもないと北見が云えば、にひっと真中は顔を崩した。
「リーダーにツルちゃんになられても困るわ」
脱線しまくったが、なんというか、趣旨から外れて最後には、「メンバーと彼女とは、なんか、違いますね」と、ごにょごにょ云う破目になった。
「北見くんは彼女いるんだね。背ぇ高いもんなー、それで姿勢よければ、かっこよく見えるし」
「もしかして、顔はわるいって云われてるんですかね」
「いやいや、そんな話じゃないよ」
「リーダー、猫背やもんな」と、真中。
これは書いてもいいのかなと訊かれたので、さすがにオフレコでと頼む。事務所的にはとくに禁止されていないが、別れが見えてきた相手のことを書かれても困った。
次は河合、最後に鶴岡。鶴岡はじつに堂々と、「恋人います、結婚したい!」と叫んだが、「それ彼女に読まれたら、間接的なプロポーズになるんちゃうかな」と真中につっこまれ、発言を撤回していた。
取材の場所からは、北見と真中だけがおなじ路線になる。目的の駅がおなじなのに離れて行くのもおかしな気がして、北見は真中と歩いていた。けれど、なんとなく並んではいない。真中が一歩、さきにいる。
天気はぐずついて、いまにも降り出しそうだ。
このまま降ったら、また、傘を貸せと、この男は云うのだろうか。おなじ電車で帰るのに。――そんなふうに考えながら、背中を見つめた。
ちら、と真中がこちらに視線を寄越してくる。
「最近、あんま怒りませんね、リーダー。おこりんぼカズちゃんがどうしはったんですか」
「だ、れ、が、おこりんぼカズちゃんや」
思わず声が尖る。
「ほら、そういうとこですよ」
真中は楽しそうだ。
「あんたゲラやし、おこりんぼやし、そうして怒ったり笑ったりしてるほうがええで」
「余計なお世話や」
「そのほうが俺も」
云って、真中はことばを切る。どうせろくでもないと予想をつけながら、それでも北見はつづきが気になった。
「――なんや」
「なんですやろ、安心? しますわ」
「俺が怒とるほうが安心するやて」
北見は片眉をあげた。
そうです、と真中は頷く。
「変やな、真中くん」
さきを歩いていた真中は、くるりと北見を振り返って微笑むと、北見を置いて走り出した。
「そう、変なんですよ、俺は」
「おい、駅まで行くんとちゃうんか」
答えはなかった。ひとり残された道で、北見はため息をつきながら空を見上げた。
予想どおり、駅に行くまでにぽつりぽつりと雨が落ち、髪や肩をまだらに濡らした。




