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おなじバンドのボーカルに誘われて寝ているが、こいつ、いったいなに考えてるんやろ  作者: 奏ゆう
本編

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2/9

第二章 遠雷、あるいは線の話

 

 

 たとえば、こんなふうに誰かが己の部屋にいる。

 それを、北見はじゃまに感じてしかたないことがある。

 もとより、集団行動が得意でなく、ひとりでいるのが好きなたちだ。

 それは、いま北見のそばにいる相手も、おなじなはずで。

 だから、なぜ、いっしょにいつづけられるのか。

 そんなことに不意に気をとられては、現実が幻のように思えて。

 どこか現実感の伴わぬままに。

 問いの答えを探している。



   ×××



 「なあ、リーダー」

 「……なんやねん」

 作業の手を止められ、北見は不機嫌に問い返す。

 真中を振り向こうとはせず、ピックを持った右手をあらためて弦へと当てた。

 「リーダー」

 「せやから、なんやって」

 それでもまだ北見は、真中に視線をやらなかった。

 なにを考えているのか読めない男は、抑揚のない声で云った。

 「外、行きません?」

 「……耳、わるなったんか。まだザーザー音しとるやろ。どしゃぶりにわざわざ濡れたないわ。出るなら帰ればええやんか、ひとりで」

 今日は昼前から雨だった。完全防音のスタジオにいれば、外の音など気にならないが。北見のアパートでは、雨の音がよく聞こえた。

 音楽で食えるようになったとはいえど、ぜいたくな暮らしができるわけではない。1DKのアパートだ。風呂とトイレとが別なのが、借りる決め手だった。

 大阪で暮らしていたときとほぼ変わらず、部屋はパイプベッドのまわりや下を衣装ケースが囲っている。中身は服だけではなく、ほとんどがCDだった。衣装ケースに入りきらず、上に積み重ねもしている。

 ベースは壁に浮かせておけるよう、メッシュパネルで支えを作っている。いま北見がかかえているもののほかに、二本が飾られていた。ギターもある。ほかに持っているものは、スタジオに置いていたり、誰かしらに貸しているので、この場にない。

 オーディオは、部屋にそぐわぬ、いいやつを使っている。低音がよく響くので、隣人がいるときには音を出せないしろものだ。結果、ポータブルのプレイヤーを愛用している。

 アンプは小さめのものだ。今日は雨の音がうるさいので、遠慮なしにベースをアンプにつないだ。妙な音がしていても、ご近所さんも雨か雷のせいだと思ってくれるだろう。希望的観測かもしれないが。

 「――じゃ、エロいコト、しましょう」

 脈絡もないうえ、あまりにあけすけな誘い文句に、北見はベースを弾いていた手を止めた。ようやく、背後のベッドにずうずうしくも寝ている真中を振り返る。

 その向こうの窓は暗く、ときに雨が叩きつけ、激しく鳴った。

 北見は呆れた顔を隠さない。

 「なんでそんな展開になるんや。俺は見てのとおり練習してんねん。じゃますんなや」

 真中を追い出さないのは雨が降っているからで、それ以外の理由はない。

 ベースの練習も曲作りも、どちらかといえば独りで籠もりたい北見は、これでもかなりの譲歩をしていた。

 スタジオからの帰り道。傘貸してくださいよ、と北見の耳許で囁いた男は。傘どころか風呂と北見の服とを借りて、そのまま居座っている。

 なんだかんだ云いながら、真中は、北見を見てもいなかった。「暇や」とうるさかった彼に北見が投げつけた雑誌をひらいて、仰向けになっている。

 北見は少し、おもしろくない気分になった。なんやねん、と思う。

 その雑誌を顔の下半分に伏せ、ちらりと真中は北見を見やった。

 「山羊座がね、今日、幸運日らしいんですわ」

 「占いページなんて見とるんか、自分」

 「リーダーがこれでも見てろて投げつけたんでしょうが、俺に」

 テレビ情報誌にあるそのページは、ほんの添えもので。気休め以外のなにものでもない。

 雑誌の持ち主である北見も、たいして読む意思のないページだった。

 真中が生まれたのは十二月だ。山羊座が該当するのかと、北見は思った。星座に興味はない。せいぜい自分と家族のものを知っているくらいだ。

 「これによると俺の恋愛運、今週かなりええねん。なかでも今日が最高で、『好きな人に話しかけて!』と書いてある。うまくいくらしいっすよ」

 「……それで、なんで俺やねん」

 「この部屋、あんたしかおらんやん」

 「来たのはおまえやろ」

 すげなく返せば、そうっすね、と真中は真意の見えない顔で笑う。

 「で、とりあえず実験してみよ、と思うて。呼んでみてん」

 「いい迷惑やな」

 「せやからリーダー、俺が占いを信じてみてもええような気になるために、協力しません?」

 「それ、実験ちゃうやろ、いかさまやん」

 へら、と真中は笑った。北見が乗らないのを予想している笑みだと、いやでも気づかせる笑みだった。

 反応に困って。とりあえず、どうでもいいことを問いかける。

 「……獅子座は?」

 「最悪です」

 真中は、問いにかぶせるよう答えた。北見は眉を寄せる。

 「獅子座やで?」

 「せやから、今週、獅子座はええことなしっすね。恋愛運がとくにわるくて、『出会いは来週に期待』ですて」

 雑誌を読みあげもせず、真中は教えた。眼が笑っている。冗談かどうか、北見は量りかねた。

 「関係ないとこまで読んでんのか、ホンマ暇やな」

 「そんなことないっすよ」

 「なんでやねん、暇やから読んでんのやろ」

 「関係ないことないですやろ、獅子座やもん」

 寝返りを打ち、真中は北見を正面から見た。たしかめろとでもいうのか、ページをひらいたまま、北見に雑誌を渡す。

 北見は読まずに閉じた。そこらに放り投げる。

 「……ツルちゃんも、獅子座やんな」

 ドラムの鶴岡とは、誕生日が近い。まとめて祝われたりする。

 よお憶えてますな、と真中は笑った。河合は何座かと思考を巡らせても回答が出ず、北見は内心、いらだった。

 「獅子座のイラスト、なんや誰かに似てる思うたんですけど、あれやな、浜崎さんに似てますね。あのひとって眠れる獅子やったんですねえ」

 「失礼なこと云いなや。ちゃんと起きてるやろ」

 まえに占いページを見たとき、北見も先輩ボーカリストを思い出したのはないしょにした。眠っているライオンの顔にどこか愛嬌があり、人間くさいのだ。

 雑談に快も不快も紛らわせてしまおうと、いつものようにちょっと怒った口振りで真中をたしなめる。

 「モリくんに似てたのもあったな、ふたご座」

 大森は、余所のバンドのボーカルだ。鶴岡や真中と年齢も近く、仲がいい。

 「そっか。メールでもしたれや、天下のテレビ雑誌に載ってるて。モリくん喜ぶで」

 「そんな心にもないこと云って、このひとは」

 「なんやて」

 「いやいや、ええアイディアですな。あとでメールしときますわ」

 北見がベースをかかえ直すと、真中は益もないことを背後から話しかけ、ときに笑いを、ときに怒りを北見から引き出した。

 作曲も練習も、ひとりでしたいのに。

 だんだん、真中の存在に慣れつつあった。

 雨はやまない。ブラインドをあげたままの部屋に、うるさく音を聞かせてくる。

 北見が煙草を探し、ベースを置いたときだ。

 「あれ、彼女さんですか」

 真中が示したのは、冷蔵庫に貼られていたメモだった。ドアが開いているので、こちらの部屋からでもダイニングキッチンは見えるが、メモの内容までは、よほど視力がよくなければ読めない。

 書いてあるのは他愛ないこと。冷凍庫に入っている食品の食べかただとかだ。レンジをかけろとか、自然解凍で何時間とか。

 「ああ、やめろって云うてんのやけどな。なんや、所帯くさい」

 「合鍵、渡してはるんや」

 「いや。そんなめんどくさいことせんわ」

 北見は自分の領域を守りたいタイプだ。

 勝手に部屋にあがられるなど、想像するだけで、ぞっとする。泊めるのだって、いやなのだ。

 先日、こっちに寄ったときに、なんだかんだと作って置いていっただけだ。

 北見の現在の彼女は、看護師だった。

 北見も三十を過ぎているし、あちらも二十代の後半だ。職を持ってがんばってはいるが、結婚だなんだと、意識をかすめはするのだろう。こういうプレッシャーをかけてくるようになった。

 知り合ったのは三年前。上京してきてから。

 このままずるずるつきあっていても、あまりよい結果になりそうにないな、と思わなくはない。

 結婚して子供を得て、という未来図が、なんだかまるで描けないのだ。北見には。その彼女とだけではなく、誰が相手でもだ。生活に落ちつく想像が、できない。

 (子供を育てるとか、なんや、わからんな……)

 (母親になっとるあいつも想像できん。なってほしいわけでもない)

 いい歳をして精神的にまだ子供なのかと自嘲もするが、知り合いのバンドマンは三十代、四十代でも未婚の者が多いので、そんなものかと感じもする。

 煙草もやめろとか云われたなあ、と思いながら、フィルターを口にくわえた。副流煙がどうだとか説かれたが。だったら嫌煙家とつきあえばいいと思ったのは、さすがに口にしなかった。

 (やめどきなんかな)

 煙草は火をつけたと同時に、背後の男に奪われる。

 「なにすんねん」

 北見の文句などどこ吹く風で、真中が静かに煙を吐いた。

 「これって、浮気ですかね」

 「そんなんちゃうやろ、きみは」

 「ちゃいますか」

 「それよりベッドで煙草吸うのやめろや」

 そこなんや、と真中はなにがおかしいのか、小さく笑った。

 雨の音は、まだしている。




 部屋にあるもので夕飯をすませ、夜半。

 遅い時刻には音を出せず、北見は楽器での練習はやめている。昔、大阪にいたころにはライブまえに不安になり、アンプごと布団をかぶってベースを弾いていたりもしたのだが、いまはそうした焦燥とは無縁だった。

 雨の音はやまず、むしろ強く耳を打ち、会話の途切れたその瞬間に、部屋の静かさを際立たせた。

 北見は煙草をくわえている。壁に背をつけ、窓を横目に見た。間を置かず、遠くに光の柱が立った。天と地とをつなぐ柱。

 窓を背にした真中は、背中に音を聞いて笑う。

 「……帰れませんな、これは」

 「せやな」

 雨と遠雷。

 外界から隔絶された部屋で、現実感もないまま、眺めている。

 外はきっと、寒くて痛い。

 なにをも押し流す勢いの。それが現実。

 では、この部屋のこれは?

 ひとりでなくて、暖かい。微妙な均衡のうえにある、この時間は。

 翌朝には、露と消える幻だろうか。

 真中はなにかを求めているようで。

 なにも求めていないようで。

 それがわかるような、わからないような、北見に不快な気分をおぼえさせる。

 「リーダー」

 「なんや」

 窓の外を見ながら煙草をふかし、答える。

 「リーダー」

 「なんやって」

 「……北見さん」

 あからさまに声音が変わった。北見は返事ができず、真中の眼を見た。

 「あと二十分で、今日が終わります」

 真中の眼は雄弁に笑んでいて、北見を呆れさせた。数時間まえにもあった呆れだ。

 「あくまでそう来るんやな」

 「せっかく幸運日とか云われとるのに、なにもないままやったら、俺がつまらんでしょう」

 「俺は最悪とか云われてなかったか」

 「せやから、実験してみましょうや。両立するかどうか」

 手招きする真中に、なんだかどうでもいいような気になって、北見は灰皿に煙草を押しつけた。

 いつものパターンだ。誘われて、寝て。

 それで、なにも残らない。そうなのだろうと思った。

 気持ちがいいことは気持ちがいい。それなりの快楽はあるけれど、翌日にはひきずらないものだ。

 お互いに口許がべたべたになるくらいキスをして、躰に触れて。それで、どうなる?

 わからへんねん、と真中に覆いかぶさりながら北見は口にした。進める気にならず、まだ、服も脱げない。

 なにがと眼で問う真中の首に顔を埋め、わからない「なにか」を考える。

 わかっていないのはすべてかもしれないが、とりあえず、見たいなにかはあった。

 それを教えても、真中は返事をしなかった。彼にも見えていないことなのかと北見は思った。

 「……境界が」



   ×××



 雨のやんだ翌朝に。

 とりあえず、真中は消えてはいなかった。

 北見を「リーダー」と呼び、きっちり服を着込んで、素知らぬ顔で笑っているが。

 消えてはいなかった。

 ただ、《朝の顔》をしている。

 境界を越えたんだと。そういった表情をしている。

 北見には見えない、曖昧な線。

 現実と幻との?

 昼と夜との?

 ウチとソトとの。彼我の。

 幸運と不運との。最高と最低との。

 友人と、仲間と、なにかとの。関係と感情とを分けるライン。

 見えないから、北見からは踏み込まない。

 踏み込めない、線。

 仕事に行くまえに自宅で着替えると、部屋を出ようとする真中を呼び止めて。

 北見はラインの外側にいる真中に問いかけた。

 「真中くんが試したいのは、俺なんかな、きみなんかな」

 昨夜が幸運と不運との、どちらだったのか。

 それは、ふたりのどちらに作用するのか。

 実験の、真意は?

 北見の部屋のドアを開けながら、真中は笑う。

 いつもとおなじ、性質の悪い顔で。

 「それは知らぬが花ってやつですよ、リーダー」

 そうして、真中は。ドアの外に片足を踏み出したまま。

 北見を引き寄せ、くちづけた。




 「……せやったな」

 ひとりになった部屋で。北見は独りごちる。

 真中について考えても、いつも答えは得られぬままで。

 けっきょくは無駄なのだと、いくら自分に云い聞かせても。

 懲りることを知らないようで。

 「無駄やのに」

 不意に眼についた件の雑誌を、ごみ箱に捻じり入れる。

 煙草に火をつけながら、北見は窓を見やった。

 内と外とを分ける、その境界線。わかりやすい硝子のライン。

 北見のいる内と、真中の出ていった外。

 窓の向こうには、嘘のように晴れた空。

 北見の意識に、ゆうべ見た雷光がよぎった。

 天と地とをつなぐ光。

 昨夜にはたしかに存在した、眼に見える橋。

 「……どこからが、天なんやろな」

 しっかりとした地上のライン。しかし空には線がない。

 そこが空であるのは自明であるのに。どこからが空なのか知らない。

 これから仕事で会う真中がどんな顔をしているか、と北見は考えた。

 だまし討ちのようなキスのラインがどこにあるのか、わからなかった。

 「きっと、フツーの顔してるで」

 諦めた顔で。北見は、窓から空を見上げたまま。

 煙草をふかして苦笑した。



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