第一章 よしなきリーダーの苦悩
ときどき、北見は考える。
(さて)
(真中にとって、俺は『なに』で)
(俺にとって、真中はなんやろう)
「責任とってくださいよ、リーダー」
「なんでやねん、アホか」
悩まされるのは、こんな軽口を相手が云うからだ。ふたりきりのときにも、周囲に誰かがいるときにも。
北見の職業はベーシストだ。いわゆるバンドマン。メジャーデビューからは三年が経った。ありがたくも、一年めの途中から、音楽だけで食っていけている。
ロックバンドではあるが、やっている曲は雑食気味だ。ブルースロックやファンクが混じる。オルタナティブロックの新旗手などと評されたりもした。
かまえたところのない普段着で、等身大で、痛みを唄う。そんなバンドだ。
名を《lifetime》。
大阪で結成し、二年ほどインディーズで活動してから、拠点を東京に移した。
せつないメロディと、文学的な歌詞。そういったものが響いたのか、十代、二十代を中心に支持されている。チャート上位の常連とまではいかないが、そこそこには売れるようになった。
今年は大きな会場でのライブも経験し、自信もつけている。なにより、ライブハウスからホールへと、だんだんとでかくなる会場、返ってくる客の歓声に、手応えがあった。
自分の進んでいるこの道は、まちがっていない、と思うのだ。
前述のとおり、北見はベーシストだ。リズム担当。
バンドは四人全員が曲を作れるのも強みで、北見は作品数こそ少なめだが、いちおう曲も書いている。
メインコンポーザーはドラムの鶴岡で、せつないメロディラインが得意だ。心の奥をぎゅうとつかむ、繊細な痛みを表現する。カラオケなどにいっしょに行くと歌もうまいのだが、本人のポリシーでライブでもドラムに専念し、コーラスは入れていない。
比較的、明るめの曲を作るのは、北見と、ボーカル&ギターの真中だ。もうひとり、ギターの河合は渋めな曲もポップな曲も作れるが、北見以上に寡作だった。河合は、弾くのは好きだが、作るのに熱意はない。職人肌のギタリストだ。
一曲だけ北見もシングル曲の歌詞を書いているが、文学的な歌詞は、ほとんどが真中の手によるものだ。ダブルミーニングや韻を多用した詞は、耳で聴いただけでは意味がとれぬこともままあり、そこが受けていたりもする。
難解でありながらポップ。意味が理解できずとも、音として耳に入るぶんにはキャッチー。
初めて逢ったときには真中のそんな才能は知らなかったが、北見がライブハウスに貼らせてもらったバンドメンバー募集の貼り紙を見、ギターを希望して連絡を寄こしてきた真中に、ボーカルを勧めたのは北見だった。声がよかったのだ。
(……まあ、声は好きや)
煙草をやるせいか、錆を含んだ声だ。そのわりにハイトーンものびる。
初対面時のセッションの最中に、真中が少しだけふざけて歌って、それが北見の心に響いたのだ。会話をしているときから薄々感じてはいたのだが、好みの声質だった。
ギターをやりたいと主張する真中に、ボーカルになってくれと、しまいには北見は懇願した。直角くらいの角度で頭を下げた。
「頼む、ボーカルになってくれ! このとおりや!」
このころ、憶えている真中の顔は、ほぼ困り顔だ。
「あんた、なんで、そんな……」
「きみの声に惚れたんや。なあ、頼む」
「――そんなん云われても、俺は、歌は……」
そもそも、バンドメンバーの募集は、ボーカルとドラムとで出していた。ギターは河合がいるので募集していない。
真中は貼り紙に書いてあった「やりたい傾向」のバンド名の羅列に興味を引かれ、「どんなもんやろ」と連絡をとってきただけなのだ。ちょっとセッションしてみたくて。ボーカルになる気など、さらさらなかった。
「ギターやりたいなら、ギター&ボーカルでどうや? 河合くんとツインギターなるけど」
「まじか、このひと。ハードルあがっとるやん……嘘やろ」
結果的に、二か月くらい追いまわしていた。電話や、直接、どうにか逢って。あのころはとにかく真中の声が必要だと思っていたから、なりふりかまわなかった。ストーカーとして訴えられていたら、疑いを晴らすのは難しかったかもしれない。
五年が経過したいまでも、真中はあのときの恨み言を、笑いながら軽く口にしたりする。
「あんたが俺の声を認めてくれたから。だから俺は、ボーカルなんて難儀なもんやってんやで」
ボーカルはバンドの顔だ。重責もひどい。それは、後ろで見ているだけでもよくわかる。ライブででも、インタビューなどの取材ででもだ。
「ボーカルなんてようやらへん」と、かつて真中は弱った顔で云っていた。北見の要望は、真中にとっては嬉しくはなく、根負けして頷いたのも渋々だったのだ。
けれど、五年もボーカルとして歌いつづけているのだから、真中も歌うのが嫌いではないはずだった。
あのころの困り顔とは違って、近頃の真中はふてぶてしい。
「あんたが居らんかったら、俺は歌ってないってこと。よお考えたらええですよ、北見さん」
錆を含んだハスキーな声は、艶も含む。
バンドの成功は、メインコンポーザーの鶴岡の負うところも大きいが、真中の声なしではありえなかった。
バンドの顔は、外見も大事であると、北見は考える。真中は見た眼もそこそこわるくない。ひと昔どころか、ふた昔まえの文学青年風で地味ではあるが、清潔感があった。「石けんの匂いがしそう」とファンレターに書かれているのを見たときには、メンバー全員で大笑いしたが。
ともかく、北見は真中をボーカルに据えたのを後悔していない。むしろ自分内でクリーンヒットだったと思っている。誘うのを諦めないでよかったとも思う。二か月も追いまわしたのは我ながらみっともなくはあったが、そのぶん、甲斐もあった。
わりと北見は感情が薄いほうだ。恋人でも友人でも、そこまで執着し、誰かを追いはしなかった。真中をバンドに誘ったのが、初めての経験だ。珍しい、と自分で知っている。
そして、真中の軽口のつづきは、たいていこうだ。
「高校出たてのぴっちぴちの俺をあんなに口説いたんやで。責任はとってもらわんと」
「なに云うてるねん。メジャーデビューでおつりが来るやろ」
北見は真中と年齢が八つ違う。出逢ってからは五年。ぎりぎり二十代でデビューできて、ほっとした。三十になっても芽が出なかったら、さすがに親や親類縁者の眼を気にして、バンド活動を辞めていたかもしれない。
年齢がそれほど違うと、聴いてきた音楽も違うものだが、北見にも真中にも、おなじ年代の兄がいる。音楽はどちらも、兄の影響を多大に受けていた。マーヴィン・ゲイ、ジョン・リー・フッカー、ドアーズ、XTC――いまどきの若手バンドマンがあまり通ってこない道だが、ブルースもロックも、惹かれるものが近かった。
同学年の友人たちとはできなかった音楽の話を、真中とはできた。それもバンドに勧誘した理由のひとつだ。
真中はどちらかというとブルースやファンク、ソウルに造詣が深く、北見はロック寄りでメタルなども嗜んだが、おおまかにでも趣味が合うのは大きい。知らない方面は、刺激にもなった。
北見はバイトさきで知り合った河合とバンドを組むと決め、メンバー募集をはじめたのだが。そのしょっぱなに真中がコンタクトをとってくれたのは、幸運だった。
貼り紙にはむろん、北見と河合とが好きなバンドの名前や、やっていきたい曲の傾向を記していた。地味で、あまりいまどきではない、古くさい趣味のバンドの羅列。
結果的にメインコンポーザーは河合の大学の後輩、鶴岡になり、オルタナティブの色が濃くなった。当初の路線とは違ってはきたのだが、ブルースの匂いは失わなかった。
バンドは大事だ。趣味ではじめた音楽ではあるが、現在では生活の糧でもある。当然、メンバーも、みな大事だ。
(――責任って、どういうことやねん)
そんな大事なボーカルと、北見は。
いつのまにか、躰の関係を持っていた。
さて。
それで、だ。
(あいつは、俺のなんやねん)
益もないと云ってはそれまでだが、たまに根本に戻ってみたくなる。
誘われるままにキスして。
抱いて。
それで、終わり――か?
(身も蓋もないわな……)
少しも建設的でない。
だいたい真中は勝手で。気が向いたときに好きなだけ、北見を翻弄しにくるのだ。
猫みたいに気紛れかと思えば。
懐いたまま、ひっついて離れないこともある。
――北見さん……。
妙に熱のからむ声で名を呼んで。くちづけをねだる。
そうだ、北見の好きな、かすれた艶のある、あの声で。
瞳で腕で、艶をおしまず誘って。
翌朝には、誘惑したのも忘れたような、平気な顔して。
(なんで『リーダー』とか呼びよんねん。ムカツクわ)
情の痕跡をその躰に遺しながらも、真中は恥ずかしげもなく、ふつうの顔をしているのだ。
――この部屋、でっかい蚊ぁおりまっせ、リーダー。蚊取り線香とかないん?
(あるかっちゅうねん。シバクで、ほんまに)
思いだしてはイライラして、北見は煙草を一本だめにした。
「リーダー」「リーダー」と、なにかと懐いてくる真中も、本当のところ、嫌いじゃない。
ただ。
なんとなくそれには、バンドのメンバーを通りこして。たまに。
保護者を求めているかのように、思えもするのだ。
(云っても、しゃあないかもしれへんけど)
真中が見ているものが、自分でなくてほかの誰かなら。
そんなん。
(要らんわ)
そして年甲斐もなく短気なところのあるリーダーは。
なにかの節に口にしてしまったりする。
「――俺は、おまえの兄貴でも親父でもないで」
云われた真中は、なんやの、と顔に書いた。
北見の部屋。
たったいま、キスしていたのに、なんだか話題には色気の欠片もない。
それが不満だと、顔に出している。
「あたりまえやん。兄貴や親父と寝とったら、近親なんちゃらですやろ。気色わるいこと云わんといてくださいよ」
「そうやのうてやな」
糸がどこかで絡まったかと。しかし説明も真中は聞かない。
くちびるの端を吊りあげ、いたずらな子供みたいに、に、と笑った。
「あんたですやろ。北見さんやん。わかってんで、俺は。ちゃんと」
なんの気負いもなく、真中はそれを口にする。
「なあ、北見さん……」
誘う語尾の思うつぼに自覚しながらも嵌って。
望まれるままにくちづけをくり返しながら、そんな自分に嫌気がさしつつも、半分諦めたように北見は笑った。
「なんで笑うん」
「どーしよもないな思て」
「なにがですのん」
首をかしげる真中の、その反らされた首に噛みついて、北見はゆるく真中を倒した。ぐしゃぐしゃのベッドでも、真中は文句を云わない。
「あえて差別的な発言をするがな。近親なんちゃらは気色わるくて、ホモは気色わるいと思わんのか」
「時代的にアウトな発言ですねえ、認識アップデートしたほうがいいっすよ、リーダー。あと、ホモちゃいまっせ。北見さんやん」
へら、と、わかっているのだかいないのだか、真意のよく見えない顔で真中が笑う。
「せやな。おまえは真中やし?」
「真中ですわ。な、ちゃいますやろ」
兄貴でも弟でも父親も子供でもない、ふたり。
なんだか、おおいに騙されている気がして。そのどうしようもなさに、北見は苦笑した。
「考えこまんと、はよキスしてください」
「呆れるほど直截やな」
それでも誘う腕に逆らわず、引き寄せられるまま、くちびるを合わせる。
「なりふりかまっていられんほど」
吐息のなかで、真中がまた困るようなことを云う。
「あんたが好きなんですわ」
ベッドでのお約束。甘いことば。甘い声。
北見は、信じたことがない。
信じるにはなにか欠けたものがあると、なんとなく感じていた。
(せやな……)
無意味だ。
云われたとおり、考えるのをやめにした。
溺れてしまえ。
けれど、また三日後には。
似たようなことで悩むのだけども。
(……しょーもな)




