第四話 あの日を思い出す
「帰れるわけないじゃん。オレはもう、あっち側だから」
うつろな目で、微笑むショウマくんは、ぼくから一歩離れていく。
半袖シャツから見えるショウマくんの右腕がすべて、緑色になっていた。
いや、首の一部も緑色になっているのが見える。
「オレ、わかるんだ。これから全身、完全なカッパになるんだ。人間じゃなくなるんだ。なんだか、ふわふわした気分だ……」
ショウマくんは、“仲間たち”のところに、進んでいく。
“仲間たち”が、手を振ったり、拍手したりしていた。歓迎しているようだ。
そいつらが発する「げっげっ」「げげっ」「げーっ」という鳴き声は、ぼくにとっては気持ち悪い声でしかなかった。
でも、ショウマくんにとっては「迎えにきた仲間」の声なんだ……。
ぼくの目から、勝手に涙がぼろぼろとこぼれだす。
きっと、ショウマくんとは……人間のショウマくんとは、今日、ここでお別れなんだ。
そんな予感がする。
「ああ、そういえば、オレが握手したカッパさん、名前があるかって聞いたら、ワスレタって言ってたっけ。カッパになっちゃうと、人間の記憶は、薄れていくのかもな……」
ショウマくんの姿が、どんどん遠ざかっていく。
“仲間たち”に近づいていく。
一度、くるりと振り返った。
「なあ、タクちゃん。……人間の、タクちゃん。ショウマって名前、代わりに覚えておいて。オレが忘れてもいいように」
ショウマくんの目は、もはやネコのような瞳になって、爛々と光っていた。
もう、ショウマくんは帰って来ないんだ。
人間の社会には、帰って来られないんだ。
胸が苦しくなる。
「ショウマくんっ……!」
叫ぶぼくの声は、涙声だった。
「ジャアナ、タクチャン」
ショウマくんはクチバシを歪めて笑って、手を振った。
その手の指には、両手とも水かきが生えていた。
ぼくにとって、ショウマくんの姿を見た最後の日だった。
◆ ◆ ◆
その後、村に戻ったぼくの話を聞いた大人たちは、がっくりとうなだれていた。
子供の戯言として叱ってくれた方がマシだった。
「嘘をつくな」と怒鳴ってくれた方が、それがぼくの罰なのだと受け入れることもできたのに。
この村の大人たちは、きっと、「そうやってカッパが増えている」ことを、昔から知っていたのだ。
水の神様としてのカッパ信仰。
ショウマくんのおとうさんやおかあさんは「そうか……ショウマが……カッパ様に」とうつむいて、ため息をついただけだった。
だから、山の中へ捜索隊を出してショウマくんを探すようなことも、一切しなかった。
夏の日差し、山の緑。
涼しげに流れる、冷たい川の水。
川の水音を聞くと、あの日のショウマくんを思い出す。
◆ ◆ ◆
大人になった僕は、今でも夏になると、母の実家を訪れる。
山奥の川の近くにある、あのカッパの社に、毎年たくさんのキュウリをお供えするためだ。
そして、親戚の子供たちを前に、僕は問いかける。
「本物のカッパって、見たことある?」
ショウマくん。
その名前をもう、自分で忘れてしまっているのかもしれないけれど。
寂しくないように、仲間を増やしてあげようと思うんだ……。