第二話 そこに、ひとつの影があった
ぼくは地元民のショウマくんに案内されて、カッパの目撃談があった川に行くことになった。
周囲は高くそびえる杉の木。見上げると、青空が小さく切り取られて、太陽がずいぶん遠く見える。
流れているのは、大きな石がごろごろしている、渓谷の川だった。
川の近くに、確かに石像はあった。だけど……。
「これが、カッパの石像なの……?」
「そうだよ、カッパに見えるだろ?」
「顔が欠けて崩れた、小さめのお地蔵様にしか見えない」
「よく見なよ、ここが頭の皿! 顔の下半分がクチバシ! どっからどう見たってカッパじゃん」
「そうかなあ……」
ショウマくんに案内された「カッパの石像」というのは、強引な解釈をすれば、カッパっぽく見えなくもない気がしなくもないような、よくわからない石像だった。
すぐ近くで、「ぱしゃん」と、水がはねる音がした。
ぼくは、川魚が水面でジャンプしたのかと思って、音の方向を見たけど、何もなかった。
今の水音……カッパじゃ、ないよね……?
怯えるぼくの気持ちを無視して、ショウマくんは石像の話を続ける。
「オレの父ちゃんも言ってたもん。これはカッパの石像だって。それで、そこにあるのが、カッパ様のおやしろ。母ちゃん、今日の朝、キュウリを置いてきたって言ってたし」
木々に囲まれた中で、周囲を綺麗に草刈りされて整備された、古びた木製の社。
ショウマくんは、無遠慮にその扉を開けた。
「あ」
「どうしたの」
「キュウリがない……朝、母ちゃんが置いたばかりなのに。きっと、カッパが持っていったんだ!」
そんなバカな、とは思ったが、社の床には「びしょ濡れな何か」が歩き回ったような、水の痕が濡れて残っていた。
絶句しているぼくの脇で、ショウマくんは「な? 濡れてるじゃん! 犯人の残した証拠だぜ! 水から上がったばかりのカッパがここに来たんだよ! 川に行こう、タクちゃん!」と浮かれている。
帰りたがるぼくを、ショウマくんは強引に引っ張った。
近くには数メートルの幅の、水の綺麗な小川がある。
「この川にいるよ、ゼッタイ! カッパの石像のそばの川だし、キュウリの食べカスとか落ちてない? あーあ、こんなことなら、おびきよせるエサとして、オレもキュウリを準備しとけばよかった」
残念そうに言うショウマくんの、すぐうしろ。
そこに、ひとつの影があった。
「オマエラ、キュウリ、モッテナイノカ」
「うわっ!」
川から上がったばかりと思われる、全身びしょ濡れの、化物。
皮膚は、アマガエルみたいに緑色でヌメヌメしていた。
指の間には水かきがあり、頭にはレンズを思わせる皿。
目はネコのように輝き、口はクチバシになっていた。
本物だ。
本物がいた。
大きさは人間の子供サイズだが……だからこそ、小学生のぼくたちと、「目線の高さがばっちり合った」。
ぶるっと、今までに感じたことのない恐怖を感じた。
「逃げよう、ショウマくん!」
走りだそうとするぼくの腕を、ショウマくんが掴む。
「待てよ、タクちゃん! 言葉が分かるみたいだし、話してみようぜ」
「やだよ! 逃げようよ! 早く!」
「カッパさん、オレはショウマっていいます。こっちのはタクト。東京から来てるんだ」
「勝手に個人情報を漏洩しないで!」
「カッパさん、あなたに名前はありますか?」
「……ワスレタ。ムカシ、アッタヨウナ、キガスル」
「すげえ! しゃべってるよ! 人間の言葉、通じてるじゃん! クチバシのせいか、滑舌悪いけど」
「逃げようってば!」
「せっかくだし、握手してもらっていいっすか、カッパさん」
ショウマくんが右手を差し出すと、カッパはヌメヌメの両手で、ショウマくんの手のひらを包んだ。
そして、
「けえええええええっ!」
カッパは両手に握力をこめて、ショウマくんの腕をガッチリとホールドして、逃げられないようにしてから、ひときわ、吠えた。
カラスの鳴き声みたいに甲高い声は、山の木々の間に反響した。
「げっ」「げげっ」「げっ」「げっげっ」「げげっ……」
カエルみたいな声をさせて、川からばしゃばしゃと、カッパの大群があがってきた。
今の鳴き声で、カッパは仲間を呼んだのだ。
十匹以上もいるカッパ軍団に、ぼくは震えが止まらなかった。
このままだと、取り囲まれて、退路を断たれてしまう!