2-7 上官とメイドごっこ
島兵たちの談笑が響く中、ファディルは一人で斜面に座り、カラリヤの根から生える幼株を見ていた。
カラリヤは親株が光合成、養分、水分を担保し、幼株は自活しないという生態だ。根は地下水層に接続する巨大な匐根構造であり、複数の葉群を共有する。光合成で得たエネルギーは地下塊茎──いわゆる芋に蓄積され、幼株は初期段階でそれを吸収して育つ。
大きな葉は老廃化して倒伏すると、腐葉土となり新たな生育スペースを作る。
(幼株が育つ速度、およそ──)
脳が幼株の成長速度を計算していたが、途中で数式が崩壊してしまい、ファディルは頭を抱えた。観測の影響で集中力が半減している。早くコーヒーを二リットル飲まなければ。
「班長〜」とノリの声が斜面下からした。下を見ると、盆を持ち階段を上がってくるノリの姿が見えた。盆の上にはカラリヤの芋と葉がのった銀皿と、香ばしい香りの漂う黒い液体の入った銀コップが。
ノリはファディルの隣に膝をつき、ニヤニヤ笑いながら軽く頭を下げる。
「ファル坊ちゃま、アフタヌーンティーのご用意ができましたわ」
ノリはカラリヤの大きな葉をエプロンにしていた。突然のタメ口違反と「お坊ちゃま」呼ばわり、「わ」という余剰語尾の追加、彼の行動原理を分析できずファディルは訊いた。
「それは何の真似です」
ノリは盆を置き、カラリヤのエプロンを両手でつまみ上げて深々とお辞儀をする。
「ぼ、ぼくはその、ファル坊ちゃまのメイドです、の⋯⋯にひっ」
ノリは吹き出し、銀皿をファディルの膝上に乗せた。
「お坊ちゃま、先ほどは驚かせてしまい申し訳ございませんでした。お詫びの茶菓子でございます」
茶化すような口調だが、ノリの瞳孔はぱっくりと開いていて虚ろだった。死人のような闇をたたえた目で見つめられ、ファディルは意識が吸い込まれそうになる。
「ノリ、体調は大丈夫なのですか?」
ノリは口に弧を描いて微笑む。
「はい⋯⋯大丈夫です」
「で⋯⋯なぜメイドの真似を?」
ノリは節穴のような真っ暗な目を細めてくすりと笑い、言った。
「こうでもしないと、僕の精神がもたなくて。これでも結構、ギリギリなんですよ」
ノリから放たれる生体反応粒子は、重度の倦怠感を示すくすんだ灰色だった。彼の言う通り、かなりギリギリな精神状態であるのは間違いない。
メイドの真似などしていないで、衛生隊に看病してもらえと言いたいところだが、ギリギリ崩壊しそうな精神を保つためならば咎めるのはむしろ逆効果。そう判断してファディルは口を閉ざす。
ノリは声を弾ませてメイドの真似を再開する。
「さぁファル坊ちゃま、お召し上がりくださいませ」
カラリヤ芋からは、炭水化物を燃焼させた時に近い臭気を感じられた。胃が縮小するのを感知し、ファディルは皿上のフォークを手に取る。
斜め下にいる島兵たちが、フォークに突き刺した芋にがっつくのが見えた。ナイフでぐちゃぐちゃに切った芋をへかきこむ者もいる。がさつな食べ方に嫌悪感を覚え、鳥肌が立つ。
(ナイフとフォークの使い方も持ち方も下品極まりない。テーブルマナーが全くなっておりませんね。ああ、見ているだけで総毛立ちます。これだから田舎者は⋯⋯)
ファディルは支給品のマルチツールナイフを腰囊から取り出す。右手のナイフの背を人差し指で押さえ、左手のフォークで蒸された芋の端を刺して、静かに切り分けた。
一口サイズに整え、フォークの歯を下向きにして芋の欠片を刺し、優雅に口へ運ぶ。音を立てないよう、静かに頬張る。
口に広がったのは熱気のみ。ファディルは無言で熱い芋を咀嚼する。
(味覚評価係数、二.五)
食欲を刺激するほどの基準値には到達していない。平時の軍食の基準値は四.五を越える。舌への刺激指数と味覚評価係数を掛け合わせた結果を脳が弾き出す。
「薄味八十五パーセントです」
「あら、じゃあコーヒーを飲んでからお召し上がりくださいまし」
ファディルは差し出された銀のカップに注がれた黒い液体を見る。
燻られた豆類に近い臭気に、身体全体が浮遊するような感覚を覚える。コーヒーを飲んだ時にも発生する感覚だ。脳にこの感覚を表す数式が浮かぶ。
(身体浮遊式──)
この数式とコーヒーの関連性は、未だ不明である。
「ファル坊ちゃま、コーヒー冷めちゃいますわよ」
ファディルはカップを受け取り、取っ手に指を揃えてそっとつまみ上げ、一口飲む。
『ファル坊ちゃま、取っ手に人差し指を入れて飲むのはマナー違反でございます』
『はい、ばあや』
懐かしい『ばあや』との会話が蘇る。
ノリの言う『ファル坊ちゃま』は、ばあややメイドたちからの呼び方を真似たものだ。
戦場へ来ても、『坊ちゃま』としてのテーブルマナーは変わらない。戦場では早食い早飲みするのが常識だが、上流階級生まれのファディルはメイド長の『ばあや』から仕込まれた食事方法しか知らない。
「う⋯⋯っ」
コーヒーとは異なる泥臭い苦味が舌に染み、脳内の身体浮遊式が、音を立てて崩れていった。定数が、変数が、関係性が消えていく。
腹の奥が熱くなるとともに、ソーサーを持つ手も震え出す。脳が新たな数式を書き出した。
身体加熱式──。作戦時、伝えた距離、角度を部下が間違えた時にも発生する数式だ。
「これはコーヒーではありませんね」
「ええ、タンポポコーヒーですわ」
ファディルはぷるぷる震える指で眼鏡を押す。
「偽物を出したのですね。タンポポの出汁を。コーヒーと偽った虚偽報告により、次回作戦での演算精度低下が懸念されます。これは、連携障害の要因として記録されます」
「これしかなかったのです。お許しを」
ファディルは一呼吸置いてから、覚悟を決めて再度飲む。
「集中力向上効果ゲプッ、並びに香ばしさ成分ゼロ⋯⋯ヴェップ、誠に遺憾でオェッ⋯⋯アァッ⋯⋯」
文句を垂れ、えづきつつファディルは『タンポポの出汁』を少しずつ、音を立てずに啜る。口の中に泥味の底なし沼が広がっていくようだ。胃が痙攣する。
「あらぁ、そこそこの味ですのに?⋯⋯って、飲み干してるじゃん」
ファディルは空のコップを膝に叩きつける。膝の痛覚刺激指数、三十五パーセント上昇。
「ノリとの業務上の連携力維持のためには、完飲が必要と判断されたためです」
「ははっ、『信頼関係が崩れるから飲み干さないと』って思ってくれたのですわね。このメイドノリ、嬉しゅうございます」
「信頼関係? 業務と一体何の関係が?」
「さぁ、知りませんわ」
ノリはくすくす笑う。
芋は薄味だったが、かすかに残る甘みが、タンポポの出汁の泥臭さをかき消してくれる。
「ああ、泥臭い⋯⋯舌が腐りそうです」
ノリは弾けたように笑い出す。
「けっ⋯⋯やっぱ、エリート様の舌は違うなぁ。でもさぁ、ここお屋敷じゃなくて戦場だよ? さっさとタンポポコーヒーの味に慣れろ」
ファディルにとってコーヒーはただの嗜好品ではなく、観測業務を遂行するための覚醒薬である。 集中力維持のためには、タンポポの出汁ではなく覚醒成分濃度の高い本物でなければいけない。
コーヒーがない戦場では、生のミントを齧るなどして気を紛らわせてきたが、集中力回復には及ばなかった。
ノリの誤解に身体過熱式が無限に生成され、脳内を埋め尽くしていく。
ずきりと頭の奥が痛み、ファディルは額を押さえた。演算によるエネルギー消耗に加え、暴走する身体加熱式が脳を焼きつつある。
こんなときにコーヒーもなく、挙句に茶化されるとは、冗談ではない。地獄だ。
「こんな泥水に耐え続けるくらいなら、いっそのこと死んだほうがマシです」
「わがまま言うなっつの」
それでもノリの精神衛生と連携力を維持するため、あえてファディルは茶化されることに乗り、このふざけた状況にもっとも相応しい役『坊ちゃま』を演じる。
「私は陸軍中将の次男です。味覚は下々と共有する義務はありません」
「ははっ、ごめんごめん」
「あなたがメイドなら、即解雇案件です」
屋敷でメイドたちが出してくれていた、芳醇な香りのコーヒーを思い出す。磨き上げられた銀のトレイ、白磁のカップ、香り立つ湯気──それらすべてが、ここにはない。
「兄ちゃんもこんな感じなの?」
「⋯⋯知りません。兄のことを想起するだけで胃酸分泌率が急上昇します」
兄のことは思い出したくもない。ファディルは歯をぎりっと鳴らした。
(不快指数、九十九%まで上昇。限界値です)
脳内に映し出される、いつもの記録映像。四角いフレームに切り取られた記憶の断片が、まるで映画のように再生される。
七歳の頃、ファディルは貴族階級の子供たちが通う小等学校の校舎裏で、同級生二名から虐げられていた。
バケツに入った冷たい水を頭上から被せられ、氷のような冷たさに震え上がる。
『ばけもの!』
いじめっ子たちの嘲笑が響く。
『気持ち悪い!』
ファディルの銀髪赤目の容姿を気味悪がった子供たちは、毎日のように人けのない場所へ呼び出しては様々ないじめをした。
ファディルは逃げ出すことも、叫ぶこともなく、ただ静かに涙を流してその場に膝をついていた。
涙と水で濡れた視界の遠くに、誰かの視線を感じた。顔を上げると、木の陰から黒髪黒目の少年がこちらを見ていた。兄のフェディルだ。彼はくすくすと嘲笑った。
『ざまぁみろ、ばけもの』
兄とは幼い頃から犬猿の仲で、現在まで話したことはほとんどない。実家でもお互いいないもの扱いしていた。
記憶の場面が変わる。ファディルは痣だらけの顔を上げ、目の前の木を見た。揺れる葉の隙間から、青白く光る数字たちが花びらのように降ってくる。ファディルは片手で数字を掬おうとするが、掌をすり抜けていく。
数字を降らせる木に向かって、ファディルは声をかける。
『私の友人は、あなただけですよ』
銀髪赤目の見た目ゆえ、誰とも話せなかった。泣き言も、助けも求められなかった。
でもこの木だけは、いつも数字を降らせて応えてくれた。
光り輝く不思議な数字を見せてくれる自然界だけが、ファディルの唯一の友人だった。
数字は決して嘘をつかない。いつも正しい答えをくれる。ファディルが心を開ける相手は数字と、あともう一つ──
『私はばけものではありません。魔女の子でもありません。そんなもの存在しない。人間の妄想です。私はただ、特殊体質なだけ。この銀髪と赤目も、科学と論理で証明できる範疇のもの⋯⋯そうですよね?』
木は何も答えない。
『数字と科学と論理だけが、この世界を定義してくれます⋯⋯あなたのことも』
ファディルは木に手を回し、そっと抱きしめた。
まぶたを閉じる。冷たい幹の感触が、胸の奥まで伝わってくる。
自分も木になろう。
泣きも笑いもしない、木になろう。
そう誓ってからだんだんと泣いたり、笑わなくなり、声も無感情になっていった。
見る世界の全てが数字と論理に閉じ込められ、ファディルを今でも囚えている──。
「お皿、片付けてまいりますわね」
ノリの声で現実に戻ったファディルは、膝上の皿を取り上げて階段を降りていくノリの背を見た。
(満腹率、未達成)
胃の収縮音を発する腹をファディルは押さえた。
「ウタリちゃん⋯⋯目をあげてくれ。ウタリちゃん、ウタリちゃん⋯⋯!」
丘陵の麓から、空気を引き裂くような島兵の泣き声が轟いた。
ファディルはカラリヤ越しに双眼鏡から声の主を見た。
衛生兵たちの担ぐ担架の上に、医薬品の姿があった。
医薬品の顔は老婆のように皺だらけになり、両頬が窪んでいた。四肢も枯れ枝のように干からびている。ファディルは目を見開き、硬直した。
医薬品の皮膚の生体情報を目が補足する。
(皮膚の水分量、正常比でマイナス八十パーセント以上⋯⋯?)
かつてないほど特異で興味深い観察対象である医薬品に、思わぬ異変が生じた。
あれは唯一の医薬品だ。問題が起きたなら、即座に観察し原因を特定する必要がある。ファディルは双眼鏡を下ろし、早足で階段を下りた。
ファディルの姿を見た衛生兵たちは、目を泳がせ、または視線を逸らした。医薬品に近づいた瞬間、微かな酸臭が鼻をついた。汗ではない。血液の酸化臭か、あるいは内臓からの異常発酵反応。
医薬品はカサカサに乾いた小さな唇を開けて、寝言のように「かゆい、かゆい」と呟いている。
ファディルは医薬品の片手を握った。脱水後の筋肉組織のように硬く、脆い感触だった。まるで体中から体液が全て抜けきってしまったかのように、一切のうるおいがない。医薬品が痒いと言っているのは、肌荒れ状態によるものだろう。
医薬品は腕を切れば必ず再生していた。一度として、傷を残したことがなかったはずなのに。
(再生機能の停止。可能性は極端な出血量か、他因子か)
ファディルは衛生隊長ヴァレンスに問うた。
「ヴァレンス衛生隊長殿、説明を」
ヴァレンスが、言い訳を並べるように答える。
「あの⋯⋯負傷兵の手当てに、ちょっとずつ⋯⋯血を⋯⋯そしたら、気づいたら、カサカサに⋯⋯」
「これは私の推測ですが、どうやら、医薬品は失血が一定量以上を越えると再生不能になってしまうようですね」
ヴァレンスはうろたえたように目を丸くする。
「再生、不能⋯⋯?」
「再生するにはある程度の血液が必要、ということです」
「つまり、輸血すれば元に戻──」
「輸血道具はあるのですか?」
ヴァレンスは黙り込み、首を横に振って『ありません』と申し訳なさそうに呟く。
「死んではないけれど、生気が極端に減少している」
ノリは医薬品のそばに膝をつき、血色のない頬に触れた。
苦い何かが胸に広がる。
(もっと早く実験をしておけば、こんなことには)
時間の都合、戦闘と補給の優先で、すべてが後手に回った。小休止の合間にも、せめて血液成分の解析だけでも済ませておくべきだった。
ファディルは指先で医薬品の腕を押した。皮膚は凹み、戻らない。
「失われた体液を戻さねばなりませんね」
独り言のように呟く。
島兵がすがるように問う。
「水をやればいいのか?」
衛生兵の一人が答える。
「飲ませましたが、何も⋯⋯」
「食い物は? 食わせたか?」
衛生兵は半泣き顔で首を横に振る。
「乾燥イチゴ、コンビーフを食べさせても、変化無しでした⋯⋯」
衛生兵の頬を涙が伝い落ちる。彼は涙を拭い、医薬品に謝るように罪悪感を滲ませた声で言う。
「お腹を引き裂いて、かゆい、かゆいって泡を吹いて泣きじゃくって⋯⋯ごめんよ、ごめんよ、ウタリちゃん」
木の枝を杖替わりにした一人の負傷兵が衛生兵たちに詰め寄り、怒りの形相で喚く。
「腹を引き裂いただと!? なんてことをっ!」
片手を包帯で吊るした負傷兵が、泣きながら医薬品の前に膝をつく。
「ウタリちゃん⋯⋯死なないで⋯⋯」
顔の半分を汚れた布で覆った負傷兵が、拳を震わせながら嘆く。
「俺はこの子が怖かった。だが今は、この子の血に命を救われた。⋯⋯なんとかなんねぇのかよっ」
ほんの数日前まで、彼らは医薬品を魔女と罵っていたはずだ。それが今では、まるで家族を失ったかのような取り乱しようである。
(掌返し、ですか。⋯⋯馬鹿馬鹿しい)
それとも街で暮らす平民、または島外の者で魔女への恐れがないのか。
一人の島兵が、泣く島兵の胸倉を掴んで罵る。
「てめぇ! 魔女の血が穢らわしいと思わないのか!」
何名かの島兵もそうだそうだ! と喚き出す。
「ああ気持ち悪りぃ! 衛生兵どもが魔女の血を入れたおかげで全身が穢らわしくてならん。肌を掻きむしって血を全部出してぇ! ああぁ! 最悪だ!」
泣いていた島兵の一人が、真剣さを帯びた眼差しで睨みながら反論した。
「この子は魔女じゃない⋯⋯聖女様だ」
罵倒した島兵が嘲笑する。
「何が聖女様だ。てめぇ、魔女に頭を洗脳されたんだよ」
彼らから発せられる怒りの生体反応粒子が真っ赤な霧になって宙へ舞い上がるのを見て、ファディルは溜め息をつく。
また、面倒事が起きる。
「魔女の血をありがたがる下衆どもめ」
「何だと!?」
島兵たちが雄叫びを上げ、殴る蹴るの取っ組み合いを始めた。巻き込まれた負傷兵が転び、いってぇと叫ぶ。
(──部隊統率、混乱発生)
自動的に混乱を鎮める方法を表した数式が弾き出され、ファディルはベルトに吊るされたホルスターから拳銃を取り出した。
「魔女、魔女とやかましい魔女に取り憑かれた田舎者ども」
魔女の血を嫌悪する側の島兵たちがこちらを見て、全員が口を閉ざし、硬直した。彼らの生体反応粒子は赤色から、『恐怖』を示す青い霧に急変化する。
「魔女の血が自分の体内を巡っているのが嫌ならば、一人ずつ頸動脈を貫いて穢らわしい血を抜き取って差し上げます」
彼らの表情がひきつるとともに、『恐怖』の生体反応粒子が更に多く放出させる。恐怖指数が一段と上がった。
「命が惜しいですか? ならばあなたがたを生かした穢れた血に感謝することです」
魔女の血に怒り狂っていた彼らは嘘のように静まり返り、俯いた。
落ち着いたのを見計らい、ファディルは拳銃をしまった。
反論する者は、誰一人いなかった。
追い討ちをかけるように、衛生兵たちの中からガマン軍医が現れて、言った。
「我々はウタリちゃん⋯⋯この子の血無しには生きられん。我々はこの小さき母の血を飲まなければ生命を維持できぬ赤子よ。まさに絶体絶命のマトリファジーだ。⋯⋯我慢だ、我慢」
マトリファジー。一部の虫に見られる、母親が子どもに自分の身体を食べさせる習性のことだ。
俯く島兵たちの生体反応粒子がくすんだ赤、青、黒、紫と多種多様な暗い色を放つ。様々な粒子の色が、絵の具を混ぜたように重なる。
彼らの生体反応粒子混濁からわかる心理現象は──『葛藤』
(葛藤しているうちは⋯⋯また恐怖をぶり返します)
とどめを刺さなければ。
「それと」
ファディルは医薬品のほうを見た。
「こいつ⋯⋯医薬品は、あなたがたのいう『人肉で秘薬を作る不死身の魔女』ではありません」
島兵たちが動揺するように息を呑んだ。
「行軍中、医薬品はミントを食べていた私に向かって『その草は何というのか』と聞いてきました。ごく身近に生えているミントすら知らない者に、薬を作る知識があるとは思えません」
島兵たちは俯き、黙り込む。彼らの生体反応粒子の色が、複数混在から青一色へ変容する。もう一押し。今度は恐怖を払拭する。
「あともう一つ、医薬品は一度でも魔法を使いましたか? 見た者はこの中にいますか?」
島兵たちは黙り込む。
「いないようですね。もしも医薬品が魔女で、衛生隊に拘束されて無理やり腹を裂かれる拷問を受けたなら、魔法でその場にいる全員を瞬殺できたはずです。しかし、医薬品は泣きじゃくり暴れるだけだったと?」
ファディルはガマン軍医を見た。彼はぎとついた瞳をファディルに向け、頷く。
粒子が示す島兵たちの感情の色は、静かに『落ち着き』を示す緑色へ変わった。魔女の血を罵倒した彼らの瞳から、迷いの色は消えていた。
「⋯⋯ガマン軍医殿」
ヴァレンスが申し訳なさそうな声でガマン軍医を呼んだ。ガマン軍医はヴァレンスに近づいてぽんと肩を叩き、励ますように言った。
「落ち込むことはない。小さき母への帝王切開で、七十名の赤子は無事生き延びられたのだから」
ファディルはヴァレンスを一瞥した。視線に気づいたのか、ヴァレンスがこちらを振り向く。
皮膚が変質し始めた時点で、なぜ止めなかったのか。だがそう責めたところで何かが変わるわけでもない。ファディルは諦め、開きかけた口を閉ざす。
ヴァレンスは罰が悪そうにファディルから目を逸らした。
彼の背後に立つラフマン二等兵は、どこか緊張したような、思い詰めた表情で医薬品を見つめていた。
「大隊本部から報告!」
一人の通信兵が駆け寄ってきた。彼曰く──
『──アリフ隊は明日進軍開始し、カイラス岳遊撃区へ移動せよ』
カイラス岳。それはセルク島中部、防衛戦の要衝とされる峻険な山岳地帯。
敵が大兵力で本格上陸してくると想定される、海岸線にほど近い山岳。そこを抜かれれば、敵は一気に島の奥地へ侵入する。故に、何が何でも守らねばならない。
だが今それを命じられるのは、あまりに酷な話だった。
島兵たちは落胆と怒りの混じる声色で嘆く。
「は、はいぃ? 明日って」
「中隊、もう半分以上死んでるんですけど」
元々百五十名いたアリフ隊は、戦闘を経て七十名にまで減っていた。一個小隊規模にまで縮小した今、まともな戦闘など到底不可能である。
「おい、本部は俺たちが壊滅寸前なの知らねぇのか?」
半泣きで訴える誰かの嘆きを、ファディルは冷淡に切り捨てた。
「知っているでしょう。ですが、ほかに行かせる部隊がない。それだけのことです」
この島では、もはや生き残っているほうが少数派だろう。おそらく多くの部隊が、すでに先遣隊の餌食となっている。
ファディルは誰に言うでもなく、静かに告げた。
「我々は最初から、死への一本道を歩かされているのですよ」




