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八.美しい夫婦画

「それって……」


 冗談の話ではなかったのか。

 目を丸くすると、燈は深いため息を吐き出した。


「俺は最初から本気だった。妖力が戻り、この姿になれるようになったあの日からな」


 ただ、と燈は続ける。


「あの時と今とでは、言葉の中身が違う」


 あの時の燈は、人間として生活するため、私との関係を望んだという。


「では……今は?」


 頬を撫でるように動き出した手を掴み、訊ねると。

 うっすら色づいた頬が、少しだけ緩んだ気がした。


()()()生きたい。お前の隣にいて、生き急ぐお前の邪魔をしてやりたいんだ」


 深く、それでいて優しく抱き寄せてくれる腕から、燈の言葉が本心だと伝わってくる。


「燈……」


 しかし。

 私も、という言葉は飲み込んだ。

 自分の気持ちが、まだ分からない。


「嫌か?」

「ええと……」


 心臓の音を確かめるように、頭が胸へ降りてきた。

 私の命を憂う彼を安心させようと、頭を抱き寄せると――。


「……っ!?」


 左胸に生暖かい感触が走った。

 慌てて見下ろせば、燈の舌に血がついている。


「すまない、お前を傷つけてしまった……貴重な血を流させてしまうとは」

「い、い、い、や。それより、舐めましたよね!? だめですよ、こんな……まだ他人なんですからね!」

「……そうか。()()、な」


 今更気づいたが、着替えの途中だった。

 肌けた胸元に燈の顔があった時点で、なぜ気づかなかったのか――。


「なんだ、針など取り出して。【黄泉縫い】した魂を解いて、今度こそ俺を冥土へ送るつもりか?」

「違います! 落ち着こうと思って、つい……」


 相棒の針を握ってしまった。

 顔を背けると、燈はふっと笑い声をこぼした。


「良かった。俺が嫌というわけではないようだ」

「えっ? それは……嫌、ではないですよ。ただ……」


 この浮ついた気持ちを押さえつけるものの正体が、少しずつ見えてきた。

 私は燈より明らかに早く亡くなる。

 それに妖と結ばれるなんて、姉が祝福してくれるはずがない――。


「だから、私は……」

「『どれだけ生きたか』ではない、『どのような時を共に過ごしたか』、だろう?」


 それはいつか、私が燈に向けて語った言葉と似ていた。


「残りの時間や家族の心は関係ない。花鈴、お前自身がどうしたいかだ」

「私自身……」


 正直、私にできないことをしてくれる彼が頼もしい。いつも私自身に選択を委ねてくれるところも、信じてくれるところも――たぶんこの気持ちが、信頼とか、愛情とか、そういうものなのだろう。


「俺は共に生きるならばお前がいい。お前はどうだ?」


 迷いを晴らすような、まっすぐな瞳が近づいてくる。「花鈴」と囁く唇を避け、慌てて顔を逸らそうとすると。「逃げるな」とでも言いたげな両手に、頬を挟まれた。


「やっ、ちょっと待ってください!」

「触れられるのは嫌か?」

「嫌っていうより、まだ返事してないし……」


 そもそも私は、燈の本性をよく知らない。


『貴様が本気を出せば、人間の軍勢程度――』


 雄勇の声が、今も耳に残って離れない。

 それほどの力を持ちながら、燈はどうして人間になりたいと願うのだろうか――。

 強引に進めようとする妖王の肩を押し返した、その時。


「花鈴ちゃん大変! 超超美男子が……!」


 離れを震わせるほどの大声に、身体が飛び上がった。

 

「姐姐!?」


 色々と不味すぎる状況――と思ったが。

 幸か不幸か。姉は混乱していて、大人の姿になった燈に気付かなかったようだ。その隙に燈は、少年の姿へ変わっている。

 私も今のうちに、着崩れた衣を直さなければ――。


「結鈴さん、何があったのですか?」

「いいから燈ちゃんも花鈴ちゃんも来て!」


 珍しく慌てた姉に手を引かれ、母屋へ向かうと。入り口で申し訳なさそうに微笑む、細身の男性と目が合った。


「ええと……どなたでしょうか」


 いくら治療院とはいえ、こんな夜中に女性ひとりの家を訪ねるなんて。

 口元を布で覆い、一切喋らないところも怪しい。確かに姉が言っていた通り、素朴で美しい人だが――。


「この人、『絵』なのよ〜!」

「え……?」


 いつの間にか玄関に飾られていた「婦人画」を指して、姉は「この絵は元々『夫婦画』だったの」と肩を震わせた。


「患者さんが『治療代がわりに』って置いていった絵なんだけれど、この絵の殿方とよく似た方が治療に来たの!」

「そんなまさか……」


『夫婦画』といっても、絵の中に夫の姿はない。目尻と唇に紅を差した美人が、花嫁衣装を纏いひとりで微笑んでいる。


「婦人画と見間違えたのでは……?」

「たしかに夫婦でいたのよぉ~!」


 普段の姉からは想像もできない怯えようだ。

 私も信じたい気持ちでいっぱいだが――人懐こい笑みを浮かべた謎の男は、懐から紙を取り出した。


「『夜分遅くにすみません。妖の力で話せなくなり、治療に来ました』……って」


 隣の燈に、「この人、妖?」と耳打ちしたところ。「分からん」と、すぐに返ってきた。


「うう……怖いわ。お願い花鈴ちゃん、この怪しい美男子と二人きりにしないで!」

「姐姐、失礼ですよ……」


 きっと絵のことは姉の見間違い――。

 この日は怯えつつも鍼治療を施す姉と、謎の患者を見守り、離れへ帰ったのだが。

 翌朝、母屋へ向かうと。


「あれ……燈、本当にいますよ!」

「ああ。そのようだな」


 不思議なことに、昼間の絵の中には男の姿があった。幸せそうに寄り添う美人妻の隣で、浮かない顔をしている。


「それにしても、似ているな」

 

 燈の指摘通り。絵の中の男は、夜な夜な治療に来た男と瓜二つだ。


「やっぱり妖……?」

 

 怪しい絵から隣へ視線を移すと、子どもの姿の燈は首を傾げていた。


「この男、どこかで見たような……」

「ね? 本当に絵の中の人と似ていたでしょう!?」


 朝の往診を終えた姉が、いつの間にか居間にいた。しかし「怖い」と言いつつも、姉は絵の中の男をじっと見つめている。


「姐姐、どうかしましたか……?」


 もしこれが妖と判明すれば、姉は問答無用で絵を燃やしかねない。絵を庇うように姉の前へ出ると、「うーん」と悩まし気なため息が降ってきた。

 

「怖いんだけれど、なんだか目が離せないのよね〜、この絵の殿方。それに昨日治療に来た人だって、ちゃんと身体があったわ」


 やはり気のせい――そんなことを言って台所へ向かう姉に対し、燈と無言で視線を合わせた。

 確かに昨日、絵の中には婦人ひとりしかいなかった。見間違いではないと断言できる。


「しばし様子を見るか」

「えっ……でも!」


 もし悪いものだったら、姉が危険に晒されるかもしれない。

 そんな心配が浮かんだ直後。


「仮に妖だとしても、悪意は感じない」


 そもそも何が目的で、絵から抜け出し治療に来ているのかが分からない――燈の言葉に、頷かざるを得なかった。


「確かにそうですが……」


 沈んだ男の横顔を眺めていると、妙に胸が騒ぐ。姉が言っていたように、目が離せない気が――それに燈と同じく、どこかで見た覚えがある気がする。


「おい。夫の前で堂々と浮気か?」

「は……?」

「絵とはいえ、他所の男を熱い眼差しで見つめるとはな」


 何のことか――ぽかんとする間に、「お前は妻、俺が夫だろう」と当たり前のような顔で説明された。


「だから! 私はまだ返事を……」

「冗談だ」

「へ……?」


 この絵には、人間を惹きつける妖力が込められている――燈は笑いながら説明した。


「じょう……だん」

「お前の決断を待つつもりだが。寿命が尽きる前に頼むぞ」

「燈……!」


 笑いながら母屋から逃げ出す燈を追いかけようとしたところで、足が止まった。

 そうだ――姉も心配だが、私は彼と向き合わなければならない。残りの命を託す相手として、真剣に。




「花鈴ちゃん、聞いて〜! 昨晩は『(ジウ)様』がねぇ」

「九様?」


 箸がまったく進んでいない姉に、「誰のことか」と訊ねると。意外にも、「この間の、口を封じられている殿方よ」と返ってきた。

 お茶を運んできてくれた燈と顔を見合わせ、姉に再び視線を戻す。


「姐姐、あの方を恐れていたのでは……」

「それが、とんだ誤解だって分かったのよ! あの後も治療院(うち)へ来てくれて、たくさん楽しい絵を描いて見せてくれたわ」


 それに筆談で交わす会話が楽しい――姉はそう言って、満足そうに瞼を閉じた。

 どうやら絵の中の妖は、姉に何度も接触しているようだ。しかし目的がまるで見えない。

 朝食が喉を通らない私に対して、姉は以前よりも眩しい笑顔を見せていた。


「早くまたお会いしたいわ〜。今度はいついらっしゃるのかしら」


 このため息――私自身は体験したことのない心持ちだが、噂には聞いている。


「燈、これって……」

「ええ。魅力(こい)されているようですね」


 姉の好みは、自分よりも筋骨隆々の男性だったはず。あの絵の「九様」とやらは、線が細い儚げな美青年だ。


「よお、誰かいないかー!?」


 この耳奥まで突き抜ける爆音は――。


「雄勇ですね。僕が出てきます」

「まぁ! あの男、まだ花鈴ちゃんを都へ連れて行こうとしているのかしら?」


 そういえば。最初に雄勇がうちへ来た理由は、印のお遣いと「大臣たちに頼まれて」、だったか――私が行かない理由を、都へ戻った雄勇はうまく話してくれたのだろうか。


「ちょっと私、背負い投げ(ごあいさつ)してくるわね〜」

「姐姐待って!」


 食卓をひっくり返しそうな勢いの姉に縋りつき、「誤解です」と早口に言った。


「彼は無理やり私を都へ連れて行く気はありません。私だって、知らない人たちのために禁術を使う気なんか……」


 私はもう、「誰でもいいから」と自分の命を捧げるようなことなどしない。

 時々父の面影がある姉をまっすぐに見つめ、柔らかく微笑んだ。


「花鈴ちゃん……良かった。そう言ってくれて、お姉ちゃん安心だわ」


 姉の柔らかくも硬い胸に抱き寄せられ、ほっとしたのも束の間。


「強者の女よ、久しいな!」

「……雄勇様」


 鎧越しでも筋肉が盛り上がっている、岩のような大男が天井の梁をくぐってやって来た。彼がここにいると、うちが狭く感じる。


「はぁ〜……今はあなたに構っているどころではありませんので」

「ん? 試合(しあ)わんのか?」


 先ほど話しているときは、いつもの姉だったが。やはり様子がおかしい。ため息混じりに「朝食の片付けしてくるわ〜」と台所へ行ってしまった。

 あのため息、やはり「九様」のことを考えているのだろう。


「なんだつまらん。俺と力のみでやり合える、面白き女だというのに」

「今姉は……」


「恋に落ちている」――ため息混じりに、そう話すと。雄勇は大口を開けて吼えるように笑った。


「この俺が目に入らないとは! 山のように大きく屈強な男に違いあるまい?」

「それが……」


 こんな人、と玄関に飾られた夫婦画を見せると。

 

「ん? 貴様は――」


 雄勇の動きが完全停止した。

 絵の中の男を、瞬きもせずに見つめている。


「お前、知っているのか?」

「がっはっはっ! 燈、貴様なにを言っている? これは俺たちの友、窮奇(キュウキ)ではないか!」

「は……」


 窮奇。

 雄勇の声が反響した瞬間。

 絵の縁が消え、中心から紫色の光が弾けた。

 同時に、甲高い女の叫び声が耳を刺す。

 いったい何が起こったのか――。


「ふぅ! 久々のシャバだよ〜」


 なんということか――。

 絵の中から、男が這い出て来た。

 こうして見ると、間違いない――彼は姉が「九様」と呼び慕っていた、あの美男子だ。

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