表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/15

二.妖しい少年の恩返し

「花鈴お姉さん、荷物持ちます! お腹空いていませんか? お疲れなら背負いましょうか?」

「いえ、自分より小さな子におぶられるわけには……」


 衛兵の大男に頼まれた通り、この見目麗しい少年を蘇らせたものの――いつの間にか彼のことは、私が連れ帰る羽目になっていた。


『俺は宮中を離れられん。()()こいつの面倒を見られないからな』

『えっ、でも……あなたはこの子の家族なのでは?』

『家族ではない!』


 赤の他人だとしたら、なぜ衛兵の大男は、この少年を救ってほしいと頼み込んできたのか――。

 予想外の大金を差し出され、つい了承してしまった。

 田舎へ引っ込むために必要な路銀(主に饅頭代)が欲しかったのだ。


「お姉さんのご実家は柏陽(はくよう)の田舎ですか。あそこは……いえ、なんでも」


 果てしない田園の小道を先導しながら、燈は常に上機嫌だ。

 この少年、「名前以外の記憶がない」と言うわりに落ち着いている。そして口下手な私と違って、よく喋るのだ――ここまで連れて来てしまったが、姉にはなんと説明しよう。


「はい、どうぞ」

「ええと……何?」


 突然地べたへ片膝をつき、何をしているのかと思えば。彼はその小さな背中に、私を背負って行く気だという。


「燈は大怪我していたんですから、無理しないで……」

「でも、なんでもいいから恩人に報いたいんです!」


 純粋――とは言い難い、何かが渦巻く貝紫の瞳。

 しかし彼の「報いたい」という想いに、かつての自分が重なる。印への恩を返そうと、都入りした五年前の自分が。

 せっかく都へ就職したのに、まさか出戻ることになるなんて――情けないと思いつつも、今は姉を頼るしかない。


 印とよく釣りに行った池、薬草を摘んだ野山。

 それらを横目に、跳ねながら先を行く燈に続いた。

 やがて、風に揺れる竹林の中に、懐かしい母屋――『李治療院』が見えて来る。


姐姐(ジェジェ)……」


 すらっと背の高い女が、巨大な斧を振るっていた。

 五年見ない間にも、姉は薪割りの速度をさらに上げたようだ――山のような薪が、みるみるうちに積み上がっていく。


「あちらが結鈴(ジェリン)様ですか? なんと頼もしそうな方でしょう!」

「……あら?」


 こちらの声に気づいた姉は、少し乱れた黒髪をかき上げた。

 淡い緑の瞳が、私の姿を捉えた瞬間――。


「……っ!!」


 姉の姿が消えた。

 斧を置き去りにして。

 そして気がつけば、固く優しい腕の中に捕まっていた。


「花鈴ちゃん、本物……なのよね?」

「……うん。帰って来ちゃいました」


 泣きそうになるほど温かい、姉の匂い――硬く柔らかい胸に包まれたまま、わけを話した。

 妖王との激闘の末亡くなった印を【黄泉縫い】で蘇らせたが、皇帝になりたい彼は「皇女を正室に迎えることにした」と。


 ちょっと嫌な言い方になったかもしれない。

 しかし、すべて事実だ。


「辛かったわね……あなたは許婚のために、禁術まで使ったというのに」


 亡き父と母が知ったら、きっと同じように私を抱きしめてくれただろう――そう言って、姉はなぜか手の指を鳴らし始めた。


「大丈夫よ。お姉ちゃんが皇帝様に、()()報いてくるから」

「えっ……何が大丈夫なの!?」


 姉ならきっと、本気で王宮へ殴り込みに行く。

 腕にぶら下がる勢いで止めにかかったところで、姉はぴたりと動きを止めた。


「あら、この子は?」

「初めまして、お姉さんのお姉さん!」


 そうだ、こちらについても事情を説明しなければ。


「この子は……成り行きで助けることになりまして」

 

 短期間に二度も黄泉縫いをしたことは、やはり叱られた。それでも「助けたかったから」と、思いを口にすると。


「そんなこと言われたら、何も言えないじゃない……」


 姉は肩の力を抜き、にっこり微笑む燈を見下ろした。


「でも、本当に一緒に住むの?」

「はい。離れで静かに暮らしますから」


 母屋で(はり)医師をする姉の迷惑にはならないようにする――そう言ったものの、姉の表情は険しい。

 

「まだ童だっていっても、もうすぐ戴冠する年齢の男児じゃないの」

「僕、記憶のない哀れな少年なんです! どうか花鈴お姉さんのおそばに置いてください」

「本当に哀れな子は、自分で『哀れな少年』なんて言わないよの〜?」

「……っ」


 姉の笑みに震え上がった燈が、腕の中に逃げ込んできた。小鳥でさえ逃げ出す暗黒の笑みだ。いくら大人びていても、やはり子ども――と思ったのも束の間。


「あれ……?」


 この子、こんなに大きかっただろうか――。


 都を出発する前は、頭が私のあごにもかかっていなかった気がする。


 それがどういうことか、頭のてっぺんが口元にあるような――。


「……そんなわけないか」


 長い宮中生活で、疲れが頂点に達しているのだろう。しかし、それももう終わりだ。

 身寄りがない燈を養うため、そして()()()()()のこの胃を満たすためにも、これからは町で積極的に針仕事を取ってこなければ。


「お姉さん、どうかしましたか?」


 彼がいるから、私はまだ頑張ろうと思えるのかもしれない――。


 こちらを心配そうに見上げる燈に微笑み、「なんでも」と呟いた。

 燈は時々妙に大人びた表情をするだけで、実際まだ子どもだ。姉の心配するようなことなんて、あるはずがない。




 翌朝。

 目を覚ますと、隣に寝ていたはずの燈が消えていた。

 寝台から床間を見回しても、姿がない。


「燈……?」


 窓の外から鼻歌が聞こえる。

 (すだれ)を上げ、表へ出ると。朝日を浴びながら洗濯物を干す、二人の姿が目に入った。


「あら、おはよう花鈴ちゃん! もうすぐ饅頭も蒸し上がるわよ〜」


 上機嫌で竹竿を振るう姉。


「すみません! よく寝ていたので、黙って抜け出しました」


 手際よく洗濯物を竿にかける燈。

 昨日はあんなに疑っていたというのに、いつの間にか姉は燈を気に入ったようだ。


「働き者は、いくらいても困らないわ!」


 どうやら燈は、朝の饅頭づくりまで手伝ったらしい。


 まずい――私だけが、寝坊を許される穀潰しになっている。


 麻布をタライの中で洗っている燈に聞こえないよう、「あの子の様子、どうでした?」と姉に耳打ちすると。


「妙に言葉がしっかりしているわね。本当に記憶がないのかしら?」

「それは……」


 分かっていたことだが、改めて口にされると妙な気がする。

 その後も、燈と暮らす中での「違和感」は膨らんでいった。


「もう日が高いな……花鈴さん、僕ちょっと出てきますね」

「えっ、またですか?」


 町で受けた依頼の喪服を縫う間、燈は大人しく姉の本を読んでいる。しかし正午が近くなると、彼は決まってどこかへ出かけていくのだ。

 そして夕方ごろになると、ちょっとした銭を稼いで帰ってくる。おまけに立派な魚を吊り下げて。


「言ったでしょう? お姉さんへの恩返しですよ」


 どこでどう稼いで来たのか、まったく分からない。危ないことをしている様子はないが――毎回夕飯時に尋ねようと思っては、機会を逃している。


「いただきます! ここの魚、美味しいですよね。近くの川で獲ったそうです」

「はい……すり身にして饅頭に入れたら、もっと美味しいかも」


 目を丸くする燈に、ふと我に帰った。

 食に関することばかり饒舌で、卑しくおもわれたのでは――。


「ふふっ!花鈴さんはたくさん食べてくださるから、作りがいがありますよ」

「あ……」


 燈の笑顔に、こちらまで頬が緩んだ。

 本当に。妙だと思うことがどうでも良くなるほど燈と暮らす日々は楽しい。


「明日の朝も、結鈴さんと一緒にいっぱい饅頭蒸しますから! 楽しみにしててくださいね」

「はい。あっ、燈、こぼれてます……ほら」


 嬉々として話す燈の口元を拭いてあげると、彼は目を丸くしつつ頬を染めた。

 妙に大人びて見える時があるものの、こういうところは年相応で可愛らしい。


「ああ、すみません。()()()()の感覚にまだ慣れなくて」

「え……?」


 さっき確かに、「この身体」と言った気がしたが。

 妙な言い回しに首を傾げるも、燈は何でもないような顔で先を続けている。


 そういえば。

 燈の身体がまた少し大きくなっている気がするが、気のせいだろうか――。

 いくら育ち盛りの子どもとはいえ、一週間程度で目に見えるほど成長するはずがない。


「お姉さん、今夜も一緒に寝ましょう?」


 その方が温かいという燈に言いくるめられ、今夜もまた並んで寝台へ横になった。

 呼吸がすぐそばにあるのは、何だか落ち着かないが――こうして家族のように寄り添えば、燈の記憶も戻るかもしれない。

 それに。

 印を失った今、この小さな身体の熱だけが、私の「空っぽ」を埋めてくれた。


「ああ……良いものですね、人の熱は」


 大人びた態度をとっていても、まだ十歳ほどの子ども――温もりを求めるように伸ばされた腕に応え、細い身体を胸の中に抱きしめると。


「……あれ?」


 昨夜こうした時よりも、背中が厚い気がする。


「お姉さん、どうかしました?」

「いえ……別に」


 慌てて腕の中の燈を見下ろすと、彼は長いまつ毛を伏せて微笑んでいる。

 そして。

 貝紫の瞳へ囚われている間に、見下ろしていたはずの彼を見上げる体勢になっていた。

 無邪気な笑みが、艶を含んだものに変わっていく――。


「お姉さん。さっきから、身体がとても熱いですよ」

「えっ……!」


 熱を帯びた視線と声に、心臓がどっと跳ねた。

 印といた頃には感じたことのない、胸の高鳴り。

 自分よりも十近く年下の子どもにこんなことを思うなんて、おかしくなったのでは――。


「もしかして、僕を意識しているんですか?」

「まっ……! まさか」


 燃えるように熱くなった耳を押さえ、顔を背けると。かすかな呼吸の音が近くなり、透き通るような白髪が目の前に垂れた。


「もしお望みならば。そういった恩返しも、できますよ」

「お、大人をからかわないでください……!」


 誘うような声と熱を払うように、身体を起こすと――視線の合った燈の姿は、すっかり別人のようになっていた。

 私よりも明らかに体格の良い、青年の姿。


「え……お、大人に……?」


 彼は人間ではなかったのだと、ようやく悟ったのに。

 貝紫の妖しい瞳から目が離せない――。

 あまつさえ、こう思ってしまった。

 綺麗だ、と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ