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一.もう一度だけ

「高級黒ごま餡の包子(パオズ)、頬が落ちそうなほど美味しいです!」

「花鈴は本当に、色気より食気だな……」


 妖の王を倒し蘇った英雄と、蘇らせた針子の娘。

 豪奢な客間へ用意されたご馳走を前に、印と二人談笑していたのだが。

 突然、円卓の向こうの彼は笑顔を消した。


「すまない花鈴! 俺はお前より、大義を選びたいと思う」

「え……?」


 どうして印が謝るのか――。

 最初は分からなかった。命を繋ぎ止めた私よりも優先すべきものが、この世にあるのだろうか、と。

 真っ白な頭に、印の「大義」を抱くきっかけになった説明が響く。

 妖王退治の功績を認められ、世継ぎのいない皇帝の跡取りに選ばれたと。


「それでは、印は……」


 皇帝になるのか――。


「そこで相談なんだが、側室にならないか?」

「え……?」


 口中に広がっていた、幸せな饅頭の味が消えた。

 言葉の意味を噛み砕けないまま、「紹介したい人がいる」と、印が食卓に呼び出したのは――煌びやかな赤と金の衣装に身を包んだ美女。


「皇女様……?」


 皇位に就く条件として、彼女が印の正室になるというが――口に残ったままの饅頭が、いつまで経っても飲み込めない。


「あなたが“黄泉縫い”の花鈴? まぁ……素敵なお召し物ですこと」


 まるで万年葬式ね――私の白衣を見て、皇女はクスッと笑った。

 印の許嫁だった私が気に入らないのだろうか。

 それでも彼女は、高貴な身分の方らしく、私に堂々と向き直った。


「印様の大切な人として、あなたを側室の中でも一番丁重に扱うと約束するわ」


 この人が、本当にそんな約束をしてくれるのだろうか。

 白粉の香る微笑みは、私を試すかのようだ。


「……ちょっと、考えさせてください」


 それだけ喉奥から絞り出し、「ご馳走様」も言えないまま、狭い雑魚寝座敷へ戻った。

 王の親衛隊として入廷した印を追いかけ、宮中の中でも身分の低い針子になった私――彼の役に立ちたい一心だった。

 でも。

 古い布団に横たわり、シミのついた天井を眺めていると。浮かんでくるのは、十年以上前のこと。


 田舎村の川のそば――姉と二人で魚をとっていた時、あそこで水の妖に襲われたのだ。もうダメだと思った時、釣竿で妖を殴った少年が印だった。


『お前ら、大丈夫か?』

 

 印は元々、近所に住む子どもだった。

 身分が近かったこと、そして妖の一件がきっかけで、親たちが許嫁になるよう計らったのだ。

 それからは、川へ釣りに行ったり、野山をかけたりして過ごしてきた。

 純粋で真っ直ぐな印は、夫となる人というより、兄にしか見えなかったのだ。

 許婚を受け入れたのも、印へ嫁ぐことが恩返しになると思ったから――。


 そう思った時、ふと食卓での言葉が浮かんできた。


『花鈴は色気より食気だな』


 印も私を、妹以上に見ていなかった。

 やはり――好きとは違う。

 命を繋いでくれた恩を返すため。だから今度は、自分が印の命を縫い止めただけ。


『もう一度だけでいい。あの熱に、声に触れたい……』


 あんなことを思ったのは、気の迷いだったのだ。


「宮中を出よう……」


 それが二人にとって一番の選択だ。それに、あの皇女にとっても――。


 決心して、風呂敷ひとつ分にもならない荷物をまとめた。

 ここは私を見下す人ばかりで、唯一の味方すら失ってしまった――。

 誰にも別れを告げず、こっそり夜の王城から抜け出そうとしたところ。

 北門の前に、二つの人影が見えた。

 ひとつは、松明の明かりに照らされた衛兵。もうひとつは見覚えのある美丈夫――印の葬儀で私を叱責した、狐顔の若い大臣だ。


「では、あいつのことは頼んだよ」

「応! 任せておけ」


 何のことだろうか――。


 衛兵と言葉を交わし、大臣が去った瞬間。


「そこの娘!」


 ひとりになった衛兵に手招きされ、従わざるを得なくなった。

 見上げるほどの大男だが、まだ若そうだ。鋭い眼光の奥には、暗がりでも分かる不思議な色が灯っている――人のものとは思えない、紫の焔がにじむような。


「貴様が『白娘』だな? 先日大英雄の葬儀で、死者を蘇らせる術を披露したという」

「はぁ……」


 こんな夜更けに外出しようというのだ。止められて当然だろう。

 しかしなぜか衛兵の男は、槍を背にかけて私の顔を覗き込んだ。男の厳つい顔面が、耳元に近寄ってくる。


「ある者を蘇らせて欲しいのだが」

「え……?」


 とっさに男の方を向くと、両腕を掴まれた。

 逃がさないというかのように。


「聞き届けるならば、この宮中を追われた復讐でも何でもやってやるぞ?」


 不義理にも追い出されたのだろうと、わけ知り顔の男は口角を上げた。


 この人、いったい何者なのか――。


「いえ、別にそこまでは……」


 とにかく、自分でここを出ていくと決めたのだ。

 それに復讐なんてお門違い――。

 私は恩を返すために印を蘇らせた。別に、その先を期待したわけではない。


「ならば人助けだと思え! お前の技を必要とする者が、今ここにいるのだ」

「人助け……」


 印を助けたことで、私の命は確実に擦り減った。

 ならば――余ってしまった残りの命も、誰かのために役立てたい。


「どこにいるんですか? その人は……」


 無骨な男の手を払い、不思議な色の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「俺の願いを受けるということか?」

「はい。急ぎましょう……亡くなってから七日以内でなければ、魂を縫い留めることができませんから」


 すると男は、慌てる素振りもなく微笑んだ。


「その覚悟、しかと聞き届けた」


 月明かりでも分かる、真っ赤な唇。その隙間から、鋭い歯が覗いている。


 人、だとは思うのだが――。


 背筋を冷たい汗が伝う間にも、男に腕を引かれた。

 その「救うべき者」は、宮中に隠されているという。


「ここは……書物庫、ですよね?」


 針子はもちろん、位の低いものは入ることのできない場所だ。

 衛兵の大男はにやりと笑うと、頑丈そうな錠を腕力で開けてしまった。


「なっ……!」

「しっ。いいから来い」


 鉄の錠が、人間の力で曲がるのだろうか――。

 男が書架のひとつを移動させると。その裏には、風を吸い込み、悲鳴のような音を鳴らす穴があった。


「いったいどこへ繋がっているのですか……?」


 男は笑うだけで答えない。

 人間の目では到底見えない暗い穴の中を、彼は確かな足取りで進んでいく。私の手を痛いほどに引きながら。

 やがて見えた小さな光が導いた、その場所は――。


「ここは太古の昔、宮中の術師が内密に築いた『薬房』だ」


 松明が煌々と照らしているのは、むき出しの岩肌。

 そしてそこには、まだ幼い少年が鎖で(はりつけ)にされていた。


「ひどい……誰がこんなことを!」


 少年は下履きのみで、上半身には生々しい刀傷の痕がいくつも残っている。俯いた顔は、長い白髪で隠れていた。


「襲われたのだ。抵抗すれば良かったものを、この男は……」

「襲われたって、妖にですか?」


 傷ついた彼を見上げ、ゾッとした。

 もし印が助けてくれなかったら、十年前、妖に襲われた自分もこうなっていたのだろうか――。


「……まずは、白衣(よりしろ)を用意しないと」


 自分の上着を脱ぎ、薄い白布に針を通した。

 印のために一晩かけて縫ったものとは違う。それでも、この男児の身体にあった大きさへ縫い直せば――。

 袖や胴を詰めるうちに、衛兵の男は少年を自分の膝へ下ろしていた。大切なものを扱うように、そっと。


「縫い終えました。では……いきます」


 瞳を閉じた瞬間。

 洞窟の暗がりとは違う、純粋な闇が広がった。

 その中を泳ぐように浮遊するのは、禍々しい膜で覆われた灰色の塊。


「……っ!?」


 印のものとはまるで違う。

 

 本当にこれが、この子の魂なの――?


「でも……」


 未練がましく飛び交う魂は、あれしかない。

 指先を焦がすような熱を感じながら、闇の糸を掴んだ。内心の目を開き、そこへ針を通す。


「【黄泉縫い】」


 繋がったはず――。

 祈るように彼の手を自分の手で包み、青白い唇を見つめていると。


「……ん」


 かすかに喘いだ少年は、糸で吊られた人形のように、スッと起き上がった。

 思わず手を離そうとすると――生者の温度を取り戻した手が、私の手を強く握る。


「わっ……」


 貝紫色の重厚な瞳が、白髪の隙間からこちらを捉えた。

 綺麗だ――。

 少年を形作るひとつひとつが精巧な刺繍のようで、目を逸らせない。


「お前は……」


 大人びた、深く響くような声――心の奥が、自然と震えるようだ。

 先を紡ごうとする彼を見つめ、ただじっと待っていた、その時。


「目覚めたか!」


 少年を抱えていた衛兵が声を上げると、少年は目を丸くして男の膝から降りた。


「これは、どういうことだ? 俺は……」

「その娘が魂を繋ぎ止めた。貴様は死なずに済んだのだ、(トウ)


 燈――。

 そう呼ばれた少年は、こちらを振り返りつつ「なるほど」と呟いた。


「助けてくださって、ありがとうございます。この恩を、これからすぐにでもお返しいたしましょう」


 急に口調が変わった。

 顔を上げた少年は、不意に艶めいた笑みを浮かべたのだ。


 なんだか怪しい――何より、十歳そこそこにしては目元に色気があり過ぎる。


 私が後ずさるのを見ると、彼は「恩返しします」と繰り返しながらこちらへ寄ってきた。


「恩返しって言っても……私、これから実家に出戻るだけなので」

「ご一緒します! 精一杯お役に立てるよう頑張りますから、どうか」


 連れて行ってください――同じくらいの大きさの手が、私の手を包み込んだ。

 紫の瞳に隠れた、底知れない何か。

 それを感じつつも、なぜか手を振り解けなかった。

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