7.
神官女が声を上げようとして、その前をアレキサンドリアが、庇うように立つ。
「……〈白の神官女〉さまは危ないので、私の後ろにお下がりください」
〈白の神官女〉がその視線を追うと、現れた影に瞠目する。
「あれは……⁉」
見つめる前方の先。人間の倍以上はある影が、隊列の行く先を塞ぐように立っている。
それこそ、この迷宮における恐怖の正体である。
「牛頭鬼……⁉」
迷宮に生息する怪物の二種のうち、一種。
牛の頭部に人体を持った、獣頭人躯の怪物。
目に見えるほど、隆起した筋肉。その手に持っているのは、両刃の斧だ。
あれで殴られたら、ひとたまりもないだろう。
牛頭鬼が、威嚇のために咆哮する。
「ブモォオオオオオッ――!!」
洞窟内に、耳を抑えたくなるほどの大声が反響する。
怪物はその生態として、獰猛な性格をしており、気性が荒い。
ひと目見た相手を敵と認識し、襲い掛かってくる。
問題なのは、相手が人間の女性であった場合だ。
「そなたは下がっておれ。特等席で我らの戦いを見るがよい」
苦々しい思いでいると、馬上から〈赤の王〉が声を掛けてくる。
そのまま王は前方へと走り、戦場の指揮を取るべく、兵士たちの間に割って入った。
間もなく、牛頭鬼との交戦が始まる。
と、思いきや、王はいきなり怪物と一対一で向かい合った。
周囲の面々が驚くのも束の間。
それに構わず、王は怪物と対峙して、その手を向けていった。
「そなた、臣下として余に仕えるつもりはないか?」
「……は?」
列の後方まで聞こえたその言葉に、〈白の神官女〉は目を点にした。
対して、王の勧誘を受けた牛頭鬼は、当然ながら咆哮をもって返した。
その丸太のような片腕が振り上げられ、対峙する相手へと打ち付ける。
「おっと」
しかし、王は受けることなく、躱してみせた。
転がるようにして背後の隊列に戻り、体を起こす。
「交渉は決裂か。残念だ」
「陛下! 一体何をされているのです⁉」
その側を〈白の神官女〉が駆け寄る。
「聞いた通りだ。あやつらを我がものにできれば、他国への戦力になると常々考えておった」
「そのようなこと、出来るはずがないでしょう!」
「ものは試しというであろう? それに、余はまだ諦めておらん」
「諦めてください!」
縋るように、〈白の神官女〉はいった。
しかし、それに構う様子のない〈赤の王〉は。
「とはいえ、これ以上の交渉はできまい」
相手を見据えながら、獰猛な笑みを浮かべる。
「ゆえにその生命、狩らせてもらうとしよう」
〈赤の王〉の一声に、その左右隣を守るようにして、武装した兵士たちが立ち並ぶ。
対する牛頭鬼は、その身の丈に相応しい拳をしている。
あれを人間の体が食らえば、ひとたまりもないだろう。
それを想像した神官女の身に恐怖が走る。
怪物は人間の女を襲う。そして子孫を残そうと、繁殖行為に及ぶのだ。
これまで〈白の神官女〉のもとに運ばれてきた女性たちは、これが原因であった。
「皆、密集隊形を作れ!」
王の号令の下、隊列が形成される。
ファランクスとは、武装した兵士たちが肩を寄せ合い押し合う形で列を成す布陣のことである。
楯を持った彼らが数列の横隊を作り、向かい来る敵に対しての攻防を行う。
それが今、王の指揮により即座に作られた。
振り下ろされる牛頭鬼の一撃を、大楯を構えた兵士たちが止める。
一丸となった彼らの防御に、さしもの怪物も攻撃が止まった。
「今だ!」
その隙を突いて、間髪入れずに構えた楯とは反対の腕に持った槍を突き出す。
と、牛頭鬼の体目掛けて突き出された槍は見事、相手の体に刺さった。
「ブモォオオオオオッ――‼」
槍の穂先が身に刺さり、痛みに牛頭鬼が苦悶の声を漏らす。
暴れるように手足を動かすその攻撃を、再び盾を構えた兵士たちが止める。
そしてまた槍が突き出される。
それを何度も繰り返す、見事に連携された攻撃であった。
「……すごい」
〈白の神官女〉は感嘆に息を吐く。
「確かに、個としての実力では、貴様に遠く及ばないだろう。しかし、我らは『群』である。なればこそ、こうして、倒すことができる」
そんな時、全身を串刺しにされ、息も絶え絶えに疲弊した牛頭鬼と目が合う。
「え、私?」
最後の力を振り絞ったかのように、〈白の神官女〉に向かって、突進してきた。
「うわわわわわわ……!」
震える神官女。しかし、その進行が、途中で切れる。
見れば、牛頭鬼の足が片方、消えていた。
アレキサンドリアが、手にした剣でその足を断ち切ったのだ。
倒れた牛頭鬼の目に、剣を振り上げた青年の姿が映し出される。
「残念だが、それは余のものだ」
「誰が、誰のものですか!」
〈赤の王〉がとどめを刺す傍ら、神官女が突っ込みを入れる。
苦悶に呻いていた怪物は、やがて息を引き取った。
「しかし、こやつらも可哀想な奴よな」
その亡骸を見下ろして、〈赤の王〉はぼそりと呟いた。
「なにゆえ、自らがこの世に生まれたのかもわからず、ただ破壊の限りを尽くし。最後はこうして、死んでいくのだから」
己の言葉を鼻で笑う〈赤の王〉。
「……陛下?」
それに神官女は首を傾げたが、答えは返らず、王は背後で主君の命令を待つ兵たちへと向き直る。
「よくやった、兵士たちよ! 我らの勝利だ!」
「おぉ――‼」
主君の号令を受け、兵たちの声が重なり、洞窟内にこだまする。
それらを満足そうに受け、〈赤の王〉は全体に向けていった。
「しばし、ここらで休憩を取る! 出発まで各自休むように」
王の号令に、兵士たちがそれぞれ隊列を成して休憩に入る。
彼らはここへ来る前に渡していた香油入れを取り出す。その中に入っているのは、オリーブで作った軟膏だ。
それを傷口に塗れば、先程の戦いで負った傷も塞がるだろう。
〈白の神官女〉もまた、持ってきた杖を取り出した。それを見た〈赤の王〉がたずねた。
「どうした? 勝利のあかつきに、舞でも見せてくれるのか?」
「そのようなことはできません。ですが、この杖を振ると、それを見た者には活力が漲るといわれています」
「ほう? そんな効果があるのか?」
興味深そうに杖を見る王。
「よい。ならば振ってみせよ」
〈白の神官女〉が頷き、杖を手にして、兵士たちの前へと踊り出る。
それを振るうと、葉同士の擦れ合う音が鳴った。何回か繰り返す。
「どうだ、皆の者! 活力は漲ったか⁉」
王が問い掛けると、兵士たちの中から一人が立ち上がった。
一人、また一人と立ち上がっていく。
「……どうした? お前たち」
その異様な雰囲気に、王は目を丸くする。
「陛下、何だか、兵たちの様子が……」
隣からアレキサンドリアが声を掛けてきた。
彼女のいう通り、先ほどまで活気に満ちたはずの兵士たちは、しかし。
途端、そのうちの一人が大声で吼え出した。
その周りの者たちも獣のような唸りを上げて、腕や足を振り回す暴徒と化した。
皆一様に、吼えたり叫んだり、辺り構わずに物を壊そうとしている。
「な、何をしておるのだ……⁉」
それらの酩酊した様子の兵士たちに、王は驚きを見せる。
「止めよ……!」
「これは、一体……⁉」
驚く〈白の神官女〉に、珍しく焦った顔の〈赤の王〉が向き直る。
「そなた、一体何をした⁉」
「わ、わかりません。私も、これを使うのは、今回が初めてなので……!」
「はぁ――⁉」
開いた口が塞がらないといった顔で、王は相手を見る。
「使い慣れていないものを、戦場に持ち込むな!」
最もな指摘に、神官女はぐうの音も出ない。