7.
「……汝はそれでよいのか?」
羊頭鬼が、ダフネに向けてたずねる。
先の記憶を見せた上で、問い掛けているのだろう。
「どういう意味だ?」
ペンテウスが問いを返す。
ダフネは何もいえずにいた。
「ならば、今代の〈赤の王〉に問おう。己が望みのために、先代がこれまで築いてきた歴史を否定するのか?」
「王家に掛けられた呪いは、余の代で終わらせるつもりだ。これからの子孫にまで背負わせる気はない」
「知った風にいう。その傲慢さが、悲劇を引き起こしたというのに」
「そなたとは、決着をつけねばなるまい」
「いいだろう。いにしえより続く王家と神殿の呪いに終止符を。どちらが正しいのか、その決着をつけよう」
すると、羊頭鬼の姿が変化していく。
やがてそれは人の形を取り、一人の人間へと変わった。
金髪の、ダフネを攫ったあの青年の姿へと。
それを目にしたダフネは、開けた口元を抑える。
「――やはり、件の空を飛ぶ男はそなた自身であったか」
対してペンテウスは、納得した顔で頷いた。
ダフネが何か言う前に青年が翼を払い、空中にきらきらと粉が舞い散る。
途端、ダフネは声を上げた。
「陛下! それを吸ってはなりません!」
間に合わず、それを吸ったと思われる兵士たちが、次々と地面に倒れていく。
「これは、何だ……?」
「幻覚を見せる粉のようです。吸えば睡魔に襲われ、起きるのが困難になります」
そう説明するダフネ自身もまた、その効果を受けた身である。
「皆、既にわかっているとは思うが、これを吸ってはならんぞ!」
ペンテウスが周囲に向けて声を張り上げる。
兵士たちも口元を抑えた。
「おのれ、かような搦め手を……!」
苦々しげに呟いたペンテウスは、青年の姿に変容した羊頭鬼へと向かっていく。
対する羊頭鬼は、その手元にいつの間にか現れた剣を握っていた。
それが、向かい来るペンテウスへと振り下ろされる。
王はそれを手にしていた王剣で防ぐ。
互いの武器が重なり、剣戟が交わされる。
打ち合う金属音が、周囲へと響き渡った。
それから再び、両者による攻防が繰り広げられる。
傷口を抑え、片腕で防いだペンテウスは、苦悶に顔をやや歪める。
続く二振り目も防ぎ、一度背後に身を引いて距離を取る。
ペンテウスが劣勢を強いられる状況であることは、戦闘経験のないダフネにもわかった。
思わずその側に近寄ろうとしたダフネを、王の声が制する。
「来るな!」
地面に片膝を着きながら、ペンテウスは剣を握って相手を見据える。
「そなたはそこで見ておれ。この戦いの結末を」
そう命じられたダフネは、伸ばし掛けた手をぎゅっと、己の胸の前で握り締めた。
口を閉じ、両者の行く末を見守る。
そして、赤の王国の国王と『迷宮の主』による戦いが、再び始まった。
剣戟が重なる。
もう何合打ち合ったのか、両者互いに一歩も譲らずに、戦いは続く。
ここにあるのはふたつの雄。ぶつかり合う信念と矜持。
獣の如き雄々しさを添えて、二人の男は互いの正義のために剣を振るう。
極限の中にあって筋肉は隆起し、感覚は研ぎ澄まされ、気迫は体を覆う。
――激戦の末に勝利を収めたのは、〈赤の王〉であった。
「余の、勝ちだ」
「……そうだな」
戦いに敗れた羊頭鬼の姿が元に戻る。
その体の端から徐々に霧散していく。
ダフネは立ち尽くしたまま、それが消えていくのを見ていた。
「帰るぞ、ダフネ」
肩口の傷を押さえながら、ペンテウスが近付いてくる。
彼女は目尻から涙を流していた。
夢で見た光景。あれが本当なら、これからこの国で悲劇が起こされるだろう。
話さなければならないことがある。
しかし今だけは、目の前の相手に身を預けたいと思う。
「……すまなかったな」
「……よいのです」
差し出された手を受け取る。立ち上がると、王は帰るべく背を向けた。
「陛下」
その背に、問いを投げる。
「私を守ってくださいますか?」
何を今さら、と言い掛けた口を一度閉じて、ペンテウスはあらためて答えた。
「約束しよう。〈白の神官女〉ダフネ。余、〈赤の王〉ペンテウスは、何があろうとそなたを守ると」
そうしてダフネとペンテウスは、他の怪物たちを倒し終えた兵士たちと共に迷宮を抜け出して、己の故郷へと帰っていった。
・ ・ ・
後日、アレキサンドリアが神殿を訪れた。
何でも、確認してほしいことがあると。
そのために、ダフネは神殿の外で待っていた。
深い青空が広がる下、果たしてアレキサンドリアは現れた。
今日の彼女は鎧兜を身にまとっている。
と、ダフネはその背後にいる人物を目にして、驚きに顔を染めた。
体に縄を巻かれた少女が引き摺られるような形で、後に続いていたからだ。
その顔はダフネにとって見覚えのない人物だった。
「離せ! 痛いんだよ! おばさん!」
悪態を吐きながら、己を引っ張るアレキサンドリアを睨む少女。
ダフネは彼女を案じる目を向ける。
すると、少女はダフネの姿を確認して、大きく目を開くと、懇願する顔をした。
「〈白の神官女〉さま、どうかお助けを……! 何かの手違いで捕まってしまったのです……!」
それに対し、少女を引っ張ってきたアレキサンドリアが笑う。
「何かの手違いだと? まだ嘘が吐けるとは、見上げたものだな」
いつになく厳しい口調の彼女は、手にしていた縄をぐっと引き寄せる。
するとその身が引っ張られ、少女は苦悶に顔を歪める。
アレキサンドリアは顔を近付けて、声を低めていった。
「これ以上、〈白の神官女〉さまを弄するのは止めろ。でなければ、もっとひどい目に遭うかもしれないぞ」
脅しの内容。ダフネがアレキサンドリアに問い掛ける。
「アレキサンドリアさま、そちらの方は……?」
と、少女を見ていた目を彼女は神官女に向けた。
「今日こちらを訪れたのは、この者に用があるからです」
その目が示す、足元に膝をつく少女。戸惑いを見せるダフネに、アレキサンドリアはいう。
「〈白の神官女〉さまがご存じないのも無理ありません。今まで、素顔を隠していたのですから」
「……もしかして、そちらの方は?」
「はい。あなたさまにお仕えしていた、〈神殿従女〉の一人にございます」
ダフネは呆気に取られた。
確かに、先日行方をくらました従女の一人がいると、報告を受けたからだ。
アレキサンドリアの話によると、どうやら市街付近を守護していた兵士の一人が見つけ、拘束したとのこと。
そこにアレキサンドリアが確認を取るために赴いたそうだ。
「間違いありません。この者は青の王国の偵察組織、〈藍蜂〉の一人です」




