6.
「……これ、は……?」
ダフネは、己の身に起きている現状について呟いた。
天と地もわからぬ状況の中、彼女は一人暗闇をさまよっている。
「ここは夢の世界。汝ら現世とは異なる、幽世の景色。此方が干渉することはできず、彼方が干渉することもない。ただ、流れ行く記憶をその目に見るのみである」
ふいに、隣から声が聞こえた。
辺りにダフネ以外の人物は見当たらない。
しかしそれは紛れもなく、あの羊頭の怪物のもので。
視界が切り替わる。世界に光が灯される。
あらためて映し出された彼女の視界に、一人の銀髪の女性が立っていた。
「……カサンドラさま?」
「否。あれこそは、そなたら〈白の神官女〉の始まり、初代〈白の神官女〉だ」
「あの方が……?」
ダフネはもう一度、銀髪の女性に目をやった。
確かに見た目はカサンドラに似ているが、雰囲気は大きく異なる。
先代のような柔らかい感じではなく、もとい勇ましさを感じさせる印象だ。
その女性が今、王の宮殿と思わしき場所で、ある人物を相手に話をしている。
相手は男性で、赤髪の上に月桂冠を冠していた。
ペンテウスではない。年齢が違う。恐らくは異なる時代の〈赤の王〉であろう。
その容姿からして、男性が〈赤の王〉であることは間違いなかったが、どの時代のどの王なのか。ダフネには見当が付かない。
「……では、あちらの方は?」
「あれは初代〈赤の王〉。汝らが建国王と呼ぶ人物だ」
「建国王……始まりの〈赤の王〉というわけですね」
ダフネたちが暮らす〈赤の王国〉にとっては、最も偉大な人物だ。
「しかし何故、初代〈赤の王〉と初代〈白の神官女〉が……?」
ダフネの目からは、二人が何やら言い争っているようにも見える。
「二人は親子だ」
「え?」
「初代〈白の神官女〉の父親は、初代〈赤の王〉である」
「神殿と王家の関係の始まりが、父と娘だった……?」
その事実に、ダフネは口元を抑える。
今自分は、知ってはならないことを知ってしまったかのように。
それからさらに視界は変わる。
そして、最後の光景を目にして、世界は再び暗澹に飲まれた。
「――今見てきたものこそ、真実だ」
一連の顛末を見届けたダフネは、その場に膝からくずおれた。
「そんな……それでは、私たちは一体何のために……?」
彼女は、その目尻から涙を流していた。
ダフネは今、ある思いに駆られていた。
――受け入れよう。この結末を。
決まりを破ったがために、自分はこの場所にいるのだから。
もしあの時、楽園の果実を口にしていなければ、〈白の神官女〉の能力が変質することもなかった。
そう諦め、何もかも投げ出そうとした、その時。
静寂を破る声が、辺りに響いた。
「ダフネ!」
「……陛下?」
声の方向を見やると、そこに、見覚えのある人物が現れた。
「迎えに来てやったぞ」
尊大な口調で、涙の跡が渇いたダフネを見る。
王の背後からも、武器を手にした兵士たちが、続々と現れてきた。
「陛下、急に飛び出されては困ります!」
その手に剣を握った忠臣のアレキサンドリアが、主君をたしなめる言葉を吐きながら背後より参上する。
「仕方なかろう。余が先導する他になかったのだ」
「それは、そうですが……」
アレキサンドリアが、不承といった顔で頷いた。
それらの光景を目の当たりにしたダフネが、首を傾げる。
「一体、どうやってここまで……?」
「余にもわからんのだが、何故かこの場所までの道のりがわかるようになってな」
投げやりな説明をするペンテウスの背後で、初めて楽園の地へと足を踏み入れた者たちが、それぞれ驚愕の色を顔に貼り付けた反応を見せる。
「まさか本当に、このような場所があったとは……」
彼女は感心した顔で、辺りの風景を見回していた。
「な? 余のいった通りであったろう? まぁ、余とてここに来るまでは信じておらんかったが」
そこで王は辺りを見回し、己の臣下に問い掛けた。
「……奴はどうした?」
「先生なら、先ほどの怪物の対処をお願いしました」
「そうか。なら、後であやつもここに追い付こう」
ペンテウスはダフネへと向けていた目を、彼女の前にいる相手へと移す。
「楽園の実を食したことで、道が開かれたのだろうな」
羊頭の怪物――羊頭鬼が、ペンテウスがここまで辿り着いた要因について簡潔に述べた。
人語を話す怪物に対し、王は驚く様子を見せることなく、発言する。
「また会ったな。やはり、そなたが『迷宮の主』であったか」
対峙するペンテウスの言葉に、羊頭鬼は言葉を返した。
「汝ら人間がそう呼んでいるに過ぎん」
「違いない」
王は納得の笑みを浮かべた後、口端を上げていった。
「そこでだな、そなたにとっておきの名前を考えてきてやったぞ。偽神・羊頭鬼とな」
その言葉を受けた怪物が、一瞬息を止めたような。
しかしすぐに、その疑問をかき消す答えを吐く。
「好きに呼ぶがいい。すぐに意味をなさなくなる」
「それはどうかな? 早速だが、〈白の神官女〉を返してもらおうか」
腰より抜いた剣を、羊頭鬼へと向ける。
「汝もまた、果実を口にした者。よってその身は、ここにあらねばならない」
「余は他人の話を聞かないことに関しては群を抜いておるでな。その決まり、破らせてもらう」
ペンテウスが剣を振るう。
それを鋭利な爪で羊頭鬼が防ぐ。
そのもう片方の手で、ペンテウスの胴を狙う。
ペンテウスが身を引き、それを躱す。
一連の攻防を終え、羊頭鬼も後方に下がった。
「では、こちらも数を合わせるとしよう」
意味深な発言。怪物は両手を大きく広げる。
それを振るった途端、背後から大きな物影が姿を表した。
「何だと……⁉」
その光景にさしものペンテウスが目を見張る。
現れたのは、牛頭鬼と馬頭鬼がそれぞれ一体ずつ。
加えて、さらに新たな鹿や猪の頭をした怪物までもが、羊頭鬼に侍るような形で立っている。
それら計四体の怪物を前に、ペンテウスも背後の従者へと叫ぶ。
「アレキサンドリア!」
「――ここに!」
「あれらの相手は、そなたらに任せたぞ!」
「お任せを!」
やり取りを交わし、あらためてペンテウスは羊頭鬼へと向き直る。
「余は、そなたと戦おう」
「……いいだろう」
一騎打ちの提案に、羊頭鬼も頷きをもって返す。
どちらともなく、再び両者による武器の火花が宙へと散った。
幾度となく重なった、その時。
「お待ちください!」
両者の間に割って入る影が現れる。
ペンテウスと羊頭鬼が動きを止める。
その姿を目にした王が声を上げた。
「何をしておるのだ! ダフネ!」
ペンテウスと羊頭鬼の間に、ダフネが両手を広げて立っていた。
「……もうお止めください。この戦いには、意味がありません」
「……意味ならある。余はそなたと共に生きたい。そのためには、そなたをここから連れ出す必要がある」
「……ペンテウスさま」
「人前で名を呼ぶな。他に聞かれたらどうする」
「すみません……」
「……妙な気配だ。今までにない、両者の関係を感じる」
神妙な口調で告げる羊頭鬼に、王は得意げに答える。
「当然であろう? 今代の〈白の神官女〉は、余の妃となるのだからな!」
その言葉を聞いた相手が、初めて驚くような様子を見せた。




