5.
「皆の思い、よくわかった!」
大音声に負けない声で返した王が満足そうに頷く。
「余の見立てでは、かの神官女は迷宮に囚われている。よって余はこれより、迷宮へと討ち入るぞ!」
おお、と再び大きな声が打ち上がった。
先ほどの意味とは異なり、今回のそれは同意であった。
「加えてもうひとつ! 余にはある考えがある」
と、ペンテウスは話を付け加える。
それに兵士たちは戸惑いの色を浮かべた。
「余が前回の迷宮入りで、突然の崩落に巻き込まれたことは皆も知っていよう」
王の話は、そんな言葉から始まった。
と、その時、どこかから楽器の音色が聞こえてきた。
おそらくはアウロスと思われる笛の音が、周囲に流れてくる。
「その先で、余は迷宮の最下層と思われる空間にたどり着いた。同じく共に落ちた〈白の神官女〉は、そこを楽園と呼んだ」
兵士たちの間に再び、どよめきが走る。
傍らに控えていたアレキサンドリアですら、怪訝な目を己の主君に向けた。
そこに込められているのはやはり、困惑や戸惑いといった感情である。
しかし、ペンテウスは話を続ける。
「そこには数多くの葡萄が実っておった。余はそれを口にしたが、まこと極上の味であった!」
そう、力強く説明する。
「同時に、余は考えた。もしそれで葡萄酒を作れば、最高のものが出来ろうとな!」
王は両手を広げて、眼下の兵士たちに同意を求めた。
「そなたら、それを飲んでみたくはないか? 極上の果実で作った酒を飲みたくはないか⁉」
ごくりと、誰かが喉を鳴らす音が聞こえた。あるいは、この場にいる者たちが全員鳴らしたのかもしれない。
「しかし、その場所を一体の怪物が守っておった。前回そなたらが対峙した怪物よりも大きく、強大な奴だ。あれこそ紛れもない、『迷宮の主』であろう。至上の酒を手に入れるには、奴を退ける必要がある。余はその名を偽神・羊頭鬼と命名する! 我らは神殺しを行うぞ!」
「うおぉ――!!」
特大の大声を発すると、兵士たちもまたそれに応じ、夜闇に男たちの大音声が響き渡る。
「我こそという者は、余に続け!」
再び、兵士たちの歓声が宮殿内に響いた。
それらの声を受けて、ペンテウスは室内へと戻った。
室内で待っていた先生が、主君へと言葉を掛ける。
「お見事でした、陛下。兵士たちの心を掴んで見せましたな」
「なに、余の心からの言葉よ」
王はこの状況を作り出すために、楽隊の用意をさせた。
士気を上げるために、そして、それらをまとめるために。
音楽は気分を高揚させる効果があるからだ。
「本当に、楽園などあるのですか?」
背後のアレキサンドリアがたずねる。
主君は目だけを寄越して、その問いに答えた。
「そなたも飲んでみたいであろう? 極上の酒とやらを」
「それは……もちろん」
「ならば、そなた自身の目で確かめるしかあるまい」
不敵に笑い、ペンテウスは部屋を後にした。
国王率いる赤の王国の兵士たちが、神殿へと押し寄せる。
夜闇の中、神殿付近では篝火が焚かれていた。
彼らがその入口間際まで近付くと、正面のところに頭巾で顔を隠した〈神殿従女〉たちが頭を下げて待っていた。
「全隊、止まれ――!」
王が静止の号令を掛けると、背後に続いていた兵士たちが足を止める。
それまでがちゃがちゃと鳴っていた金属同士の擦り合う音が、ぴたりと止まる。
王はあらためて、目の前の女性たちへと目を向けた。
「何だ、随分と慕われておるではないか」
と、その中のひとりが王の前へと進み出る。
「お待ちしておりました。国王陛下」
「〈白の神官女〉が行方不明と聞いたが」
「はい。お昼ごろから〈白の神官女〉さまの姿が見えず、神域内を探したのですが、どこにも見当たらず……」
「余は知っておるぞ。迷宮の最下層だ」
確信めいたペンテウスの言葉を聞いた〈神殿従女〉たちは、驚きと困惑の表情を見せる。
しかしそれも束の間で、彼女たちは納得したのか。前に進み出た一人を代表として、再び王へと頭を下げた。
「陛下、我らが主君をお願いします」
「わかっておる。あやつは余にとっても大切な存在だからな」
そう答え、迷宮へと向かおうとした王の背中に、もう一度声が掛けられた。
「もし、もし可能でしたら、私たちと同じ〈神殿従女〉の一人も先日から行方がわからなくなっています。もしかしたら、迷宮にいるやもしれません。その際はどうか、その者もお助けくださいますよう、ひらにお願いします」
「……頭に入れておこう。おい」
近くの兵士に言い含めておく。
今のペンテウスにとって、ダフネ以外の存在を気にする余裕はなかったが、それでも民の命は王として背負うべきものだと、自らに言い聞かせる。
ペンテウスは決意を宿した顔で、以前ダフネに案内された迷宮への道のりを辿った。
・ ・ ・
「……ん」
まぶたに差し込む光が目に痛い。ダフネは目を覚ました。
それは、最近あった同じ感覚を全身に呼び起こさせる。
「ここは……?」
見渡す地上には、緑の木々が立ち並んでいる。そのどれもが、紫や黄緑色の実を結んでいた。
空は夕焼け色に輝いており、かすかな模様の水淡色と合わさって、とても綺麗に見える。
ダフネはそれらの景色を目にして、確信した。
間違いない。ここは先日も来た、あの『楽園』だと。
しかし何故、自分は今この場所にいるのか。
記憶を遡ろうとしたダフネはふと、近くに気配を感じた。
そちらに目を向ければ、自分よりも何倍も大きな物体があることに気付く。
まるで、岩のようにたたずむそれを目にして、ダフネは紺碧の瞳を見開いた。
それは先日、楽園でペンテウスと共にいたところを襲ってきた、あの怪物だった。
頭部から生えた二本の角。羊の頭を持つ巨体。牛頭鬼や馬頭鬼よりも大きく、背中からは翼が生えている。
思わず身を強張らせるダフネに、羊頭の怪物はゆったりと口を開いた。
「目が覚めたか、〈白の神官女〉よ」
その様子に、ダフネは驚愕を重ねる。
「あなた、言葉を話せるのですか……?」
その疑問は最もだった。これまで、怪物は人語を介せないと思われていたからだ。
しかし、目の前にいるそれははっきりと、彼女の耳に聞こえる声で言葉を話した。
驚きを見せるダフネに、羊頭の怪物は答えを返す。
「無駄な抵抗は止めておけ。汝が抵抗しなければ、こちらも危害を加えるつもりはない」
落ち着いた、ともすれば冷静な口調で。羊頭の怪物は話を続ける。
「汝は誓いを破った。ゆえに、その身はこの楽園に在らねばならない」
「……その誓いとは、もしかしてここの果実を食したことですか?」
「然り」
羊頭の怪物は頷いた。
「汝らが口にした実の数はそれぞれ六つ。よって一年の半分を、この場で過ごすこととなる」
「……もし、その決まりを受け入れなければ、どうなるのです?」
「これは絶対だ。汝らが神を信じるように」
そこでダフネは、おそるおそる口を挟んだ。
「やはりあなたは、私たち〈白の神官女〉をお作りになられた……」
その先を述べる口を、羊頭の怪物が遮る。
「否、我が〈白の神官女〉を作ったのではない。〈白の神官女〉が、我を作ったのだ」
「……え?」
瞠目するダフネ。
「〈白の神官女〉が、あなたを……?」
「真実を見せよう。汝には、それを知る権利がある」
羊頭の怪物が片腕を上げる。
途端、目の前にきらきらと粉のようなものが舞っていく。
それが風に吹かれて、ダフネの視界に散らばった。
と、ダフネはふと眠気にさらわれる。
この感覚は、この場所に連れてこられる前の時と同じだ。
それに気付いたダフネだが、幾度かの瞬きを経て、まぶたは再び下りてしまった。