4.
ペンテウスが向かったのは、市街にある大学堂と呼ばれる場所である。
そこはありとあらゆる学問が研究されている建物であり、至高の英知を求めるべく学者たちが日々研究と勉学を学び続けているところだった。
「……いつ来ても、気の滅入る場所よな」
建物の入り口に立って、ペンテウスがそう呟く。
王はこの場所が、以前から苦手だった。
というのも、頭を使うより体を動かしている方が、自分には合っていると思っているからだ。
扉を開け、中へと入る。途端、書物の埃の匂いが、鼻に伝ってきた。
建物の中には、多くの人々が書物や道具を手に、机に向かい、何やら書き物をしている。
外の方からは、時折議論による声も聞こえてくる。
「これは、これは。陛下、よくぞ参られましたな」
「うむ。久しいな、老師よ。今日は奴に頼みがあって来たのだ」
王の言葉に、驚いた顔をする相手。
「ほう? あの陛下が彼に頼みごととは! これは、近いうちに嵐が来るやもしれませぬな」
「茶化すでない。余は大事な話をしておるのだ」
「おっと、それは失礼を。それでは、彼の研究室へと案内しましょう」
案内役を請け負った禿頭の男が歩き出す。
その後を、ペンテウスとアレキサンドリアが追った。
「この部屋です」
やがて辿り着いたのは、ある一室の扉前。
早速その扉を叩くが、当然のように返事はない。
「……入るぞ」
ペンテウスが扉を開けると、室内の至るところに物凄い量の書物が散見された。
その中に、人影と思わしき物体が、ペンテウスの視界に映る。
「久しいな、先生」
ペンテウスがそう呼び掛けると、今気付いたのか、その人物は頭を上げた。
痩せぎすな頬をした青年であった。他の連中と同じく、ひと目で学者とわかるような雰囲気をしている。
歳はペンテウスより上だろうが、あまり変わらないように見える。と思えば、一回りも、二回りも上に思えた。
その彼が、目を見張りながらいう。
「……陛下? 何ゆえ、この場所に?」
「話は後だ。埃臭くて敵わん。外で待つゆえ、そなたは支度をせい」
ペンテウスはそういうと部屋を立ち去って、その足で中庭へと向かった。
それより数刻した後、中庭で待つ王の前に、先程の人物が姿を表した。
「お待たせしました、国王陛下」
「うむ」
相手の容姿は先ほどよりは整っており、それらを一見した王は口を開く。
「早速だが、本題に入らせてもらおう。そなたには、これから行う余の迷宮入りを助けてもらいたいのだ」
「迷宮入り、ですか?」
「そうだ。先日も視察に参ったが、いささか難航してな」
「それは何ともまぁ、面白そうなことを……」
あの場所を面白そうといえる時点で、並みの神経ではない。
「そこでの経験から、余と臣下だけの力では叶わぬと思い知った。ゆえに、そなたに頼みたいのだ」
「なるほど、なるほど。私の力が必要というわけですか。もちろん、陛下の下知とあらば、従わぬわけにはいきませぬゆえ、およばずながらお力添えしたく思います」
とその時、一人の兵士が走り寄ってきた。
「陛下!」
「どうした? 今は取込み中だぞ」
「それが、〈白の神官女〉さまが行方不明とのことで、神殿の者たちが騒いでいると……」
「何だと……?」
ペンテウスは驚きに目を開く。
さらに兵士は報告を続けた。
「実は、市民の一人に、〈白の神官女〉さまらしき人物を見たという者がおりまして」
「ほう?」
王が目で訴える。それを承知した兵士が、建物の外へと出ていき、すぐに戻ってきた。
「こちらで、王がお呼びだ」
そう兵士に付き添われて現れたのは、一人の男。
「この者が、女性が空を飛んでいるのを見たといっております」
「ほ、本当です王様! おらぁ見たんでさぁ! 翼の生えた男と、それに抱えられた神殿の女性らしき二人を……!」
「まさか、昼間から酒を飲んでいるのでは?」
「飲んでなどいません!」
「よい。余はそなたの話を信じる」
「陛下、本気でお信じに?」
「あやつの情報をくれる相手をどうして疑えようか? そなたには後ほど褒賞を賜わすゆえ、連絡を待つがよい」
「ははぁっ」
相手の男は跪いて、頭を下げた。
「……これはいささか、大変なことになりましたな?」
と、話を聞いていたと思われる人物が声を掛けてきた。
「そなた好みの展開であろう?」
「ええ。実に胸の踊る思いですとも」
笑みを見せる相手。アレキサンドリアが王にたずねる。
「背中から翼の生えている生物など、聞いたことがありません」
「男かどうかはわからんが、余にはひとつだけ心当たりがあるぞ」
首を傾げる面々をよそに、ペンテウスは兵士に告げた。
「すぐに兵を整えよ。これより、迷宮入りを敢行する!」
・ ・ ・
夕暮れ時。王の宮殿、玉座の間にて。
部屋の扉が開かれ、アレキサンドリアが中へと入ってくる。
「陛下、兵の準備が整いました」
玉座に座ったペンテウスは、その報告を受けて頷いた。
「うむ。ご苦労であった」
「では、出陣のご準備を」
「その前に、此度の戦い、大義をどうするか考えておってな」
「理由付け、ですか」
「そうだ。戦いには理由がいる。正当な事情なくして戦えば、いざという時に戦意が揺らぐ。それこそ前回の二の舞いだ」
「……そうですね」
「その考えがもう少しでまとまりそうなのだ。……よし」
ペンテウスは席から立ち上がった。
そこで再び部屋の扉が開かれた。
現れたのはかつてペンテウスに師事した人物、先生だ。
「陛下、楽隊の方も用意ができました」
「ちょうどよい。これから行くところであった」
「あの、陛下。楽隊とは、一体どういう……?」
「そなたも参加するつもりで見ておれ」
意味深な笑みを浮かべる主君に、アレキサンドリアは首を傾げる。
王は宮殿の外へと足を運び、眼下に居並ぶ兵士たちへと姿を見せた。
階下からの視線を受け止めて、ペンテウスは集まった彼らに対し大声を発する。
「皆の者! よく聞くがよい!」
ペンテウスのよく通る声が、広場へと響き渡る。
「我が王国の神殿に仕えていた〈白の神官女〉の行方が知れないことは、皆も知っていよう。そう、先日の迷宮入りの際、入る前に軟膏を配ってくれた者だ」
おお、と一際大きなどよめきが起きる。
その効能については、先の迷宮入り時に実証済みだ。
ペンテウスは迷宮から帰った後、兵士たちが怪物との戦いで負った傷を治すのに大いに役立ったと感謝する声が多いと、アレキサンドリアからの報告で聞いていた。
「その者の行方が今、知れぬと来ている。今こそ恩を返すときではないか?」
王の言葉に対し、そうだそうだと、各所から声が上がった。それはやがてこの場の全員が発しているのではないかと思えるほどの大声となって輪唱される。
ペンテウスは、兵たちの思いを礼という形で使うつもりだった。