3.
ダフネは神殿内を進む傍ら、彼女を中庭へと案内した。
あらかじめ用意していた席に、相手を座らせる。
と、その端に用意していた瓶の入った麻の袋を手で示した。
「こちらはオリーブの種です」
「ありがとう。また後で引き取りに来るわ。それにしても、こんなにたくさんあるのね……」
複雑な表情で、カサンドラはそれらの麻袋を見つめた。
「やっぱり、迷宮への不法な侵入は多いの?」
「……はい」
ダフネは素直に頷いた。ここで隠し立てしても仕方ない。
「今日ここに私を呼んだ理由も、それについての悩みがあるからでしょう?」
「それもありますが、今日お呼びした理由は、これなのです」
ダフネは片手のひらを差し出した。
その手のひらに、一粒の種が乗っている。
「それは……?」
カサンドラが訝しげにそれを見る。
「葡萄の種、ですね」
「……それがどうしたの?」
「私の……〈白の神官女〉の能力で、作ったものです」
「……え?」
カサンドラの目が開かれる。
ダフネは意を決した顔で、その事実を告げた。
「オリーブではなく、葡萄の種に変わってしまったのです」
ダフネは、自身の身に起きた出来事を、重要な部分を選んでカサンドラに話した。
先日、迷宮を視察したこと。足を踏み入れ、怪物と遭遇したこと。
そして、王と共に、楽園と思われる場所にたどり着き、そこで果実を口にしたことも。
説明の間、カサンドラはじっとその話を聞いていた。
ダフネは話す傍ら、内心では怯えてもいた。
自身の権力とはいえ、勝手に迷宮へ入ったこと。そして、楽園の果実を口にしたことを。
それらの話を終えて、カサンドラは難しそうな顔で、ぽつりといった。
「……恐らくだけれど」
そう前置きして、彼女はダフネに自身の考えを告げる。
「楽園の果実を口にしたことが、原因でしょうね」
「……果実を?」
「ええ。確証があるわけではないけれど」
そう答えを示されたダフネは、頭を抱えそうになった。
「私は、なんということを……!」
やはり、断るべきだったのだ。
いくら喉が渇いていたからといって、神聖なる楽園の果実を口にすべきではなかった。
今さら後悔の念が襲ってきたが、既に自分は実を食べてしまい、〈白の神官女〉の能力も変質してしまった。
「落ち着いて。まだそうと決まったわけではないでしょう?」
カサンドラが慰めの言葉を掛けてくれる。これまでに何度も救われたダフネは、力なく頷いた。
「それより、これからどうするべきかを考えましょう?」
「……ありがとう、ございます」
礼を口にする。そんなダフネに対し。
「……ごめんなさいね」
ふいに、カサンドラの目に陰りが差した。
「……え?」
思わず、ダフネも目を見張る。
「気にしているのでしょう? 以前、私があなたにいったことを」
「……いえ、そのようなことは……」
気にしていないといえば、嘘になる。
しかし、それは単に、自分の中で消化しきれていないだけだ。
決して、カサンドラを恨んでいるわけでも責めるつもりがあるわけでもない。
しかし、目の前の表情は曇ったまま。
「ずっと謝りたかったの。あの言葉が、あなたを苦しめているんじゃないかって」
「……カサンドラさま」
ダフネは、尊敬する相手の名前を呼んだ。
「私は、幸せですよ?」
「……そう」
複雑な笑みで頷いたカサンドラは、片腕を上げて頭を抑えた。
「……風が出てきたわ。今日はこの辺りでお開きにしましょうか」
その提案に、ダフネも頷きを返す。
「〈白の神官女〉の能力についてだけど、被害にあった女性を治すのには変わりないのよね?」
「はい」
「なら、今しばらくはそれで過ごすしかないわ。私の方でも、色々調べてみるから」
「ありがとうございます」
カサンドラは席を立ち、伸びをした。
それは、ダフネがこれまで初めて見る姿でもあった。
「あら、いけない。私ったら、つい……」
「私も驚きました。カサンドラさまが、そのような振る舞いをされる姿を見て」
「ふふっ。〈白の神官女〉の任が終わって、気が抜けているのよ」
銀色の髪がさらりと揺れる。温かな風が二人の間を吹き抜けていく。
「しばらくはこの街にいるつもりよ」
「また、お誘いしてもいいですか?」
「もちろん。いつでも声掛けてちょうだい」
そういうと、カサンドラは再び神殿の入口へと向かい、帰っていった。
ダフネもそれを見送り、彼女の姿が消えるのを見届けて。
自分の役目へと戻るべく、神殿の中へと引き返した。
引き返そうと足を向けた、その時。
ダフネは神殿の前に、見慣れぬ人影を見つけた。
思わず、声を掛ける。
「あの……そこで何をしているんですか?」
相手は金髪の青年であった。
その頭に、花冠を付けており、ひと目でそれが雛芥子の花であると看破する。
と、声を掛けられた青年は、ダフネに向けて笑顔を見せた。
「え……⁉」
その青年の足がいきなり、ダフネへと近付く。
相手の行動に反応できず、ダフネは立ち尽くすのみ。
近付いてきた青年の体から、ある匂いがした。
――これは、まさか。
途端、ダフネの視界が揺れ動く。
彼女は意識を失い、その場にぐったりと倒れた。
青年はダフネの体を抱えると、次の瞬間、その背中に変化が生じた。
なんと、白い鳥を思わせる翼が、その背中から生え出た。
それを羽ばたかせて、青年の体が宙を舞う。
空中を飛びながら、ダフネを抱えた青年は、空を飛んでいった。
・ ・ ・
王の宮殿。国王の私室。
室内には各地より収集した調度品が整然と並べられており、部屋の景観を飾っている。
その中で、それらの品々にも負けない美しさを誇る人物が、木製の長椅子で肘を付いて横になっていた。
目の前には、己の従者である女性が立っている。
彼らは今、迷宮攻略の作戦について話し合っていた。
「さて、次の迷宮入りについてだが、一体どうしたものか……」
「何をお悩みになっているのですか?」
アレキサンドリアはたずねた。
己の主君は奔放で人を振り回しがちだが、愚かではない。だからこそ、臣下や兵士たちからも支持がある。
先の視察においても、これまで相手にしたことのない強敵を前にしてさえ、見事な指揮を取ってみせた。
その人物が今、熱を出しそうなほど唸っているのだから、気になるのも当然といえた。
「確かに前回、兵士たちが暴徒化するという想定外の災難に見舞われました。が、あれはあくまで突発的な事態に過ぎません。今後は用心を重ねて、対策していけば問題ないかと思います」
「そなたの言う通りではある」
「なら……」
「しかし、それだけでは足りぬのもまた事実だ」
ペンテウスは首を振って、話を続けた。
「圧倒的な兵力。寸分狂いのない指揮。一人ひとりの士気の高さ。これらは戦いに重要なことであり、欠かせない要素であろう。だが、地形は知らず、情報は少ない。何より……この前の戦いではっきりした。混戦に耐えるだけの指揮系統が足りぬとな。いくら余とそなたが優秀な指揮を取ろうと、戦いながらでは限度がある。それでも、余は賭けに勝たなければならぬのだ」
「……そこまで、〈白の神官女〉さまをお慕いになりましたか」
「いったはずだ。あれは余のものだと。他人になどくれてやるものか」
ペンテウスは、横たわっていた身を長椅子から起こした。
「とはいえ、今の余では力不足。他にもっと要するものも、多くある」
王はため息を吐き、頭をかいた。
「仕方ない。あやつに頼むとしよう」
「……もしかして、その人とは?」
「そなたもよく知っていよう。何せ同じ、余の師であるのだから」
ペンテウスは長椅子から立ち上がった。
「供をせよ。余一人では、あの妖怪を相手にするのは骨が折れる」
「――はい」
出掛けるための準備をするべく、アレキサンドリアは従者たちを呼んだ。