2.
一人で悩んでいると、背後から声を掛けられた。
「〈白の神官女〉さま」
反応して振り向くと、そこに〈神殿従女〉の一人が立っている。
「お悩みごとですか?」
難しい顔をしていたからだろう、〈白の神官女〉が心配になって声を掛けてきたのは。
ダフネは笑みを返した。
当然のことながら、〈神殿従女〉の中にも様々な人物がいる。
世俗との関わりを断ち、自身の名前を隠すこととなった彼女たちだが、元来の性格というのを変えるのは難しいらしい。
目の前の相手のように、誰かが心配だと声を掛けてくれる従女もいる。
それはとても素晴らしいことのように思える。
実際、彼女のような人物に救われた者もいるだろう。
しかし、ダフネにとってはそれも悩みの種といえた。
本来、〈神殿従女〉と個人的な関係を築くのは、許されないため。
「……いいえ。何もありませんよ?」
「……そうですか」
「?」
今、確かに相手の様子が変わったように思えた。
「ああ、でも。そうですね」
どこかゆったりとした彼女の口調から察するに、疲れていたのかもしれない。一人で悩みを抱えることに。
だから、平時であれば滑らない口も、この時ばかりは開いてしまった。
「ひとつ、変わったことがあります。……聞いてくれますか?」
「もちろんです!」
ダフネは今胸のうちに抱えている問題について、打ち明けることにした。
「それはきっと、神さまの呪いですよ!」
話を聞き終えた従女が、開口一番飛び上がるようにいった。
「呪いだなんて、そんな……」
それをやんわりと否定しようとしたダフネの脳裏に、先日の言葉がよみがえる。
――この血は呪われておる。これまでも。そして、これからも。
心当たりがないわけでない。実際に、自分はあの時それを口にしてしまった。
〈赤の王〉と共に迷宮で落下した際のこと。
迷宮の地下深くで、ダフネたちは楽園に辿り着いた。
そして、危機的な状況であったとはいえ、果実を食した。
今さらながら、あれは許されざる行為だったのでないだろうか。
もし、そうだとするなら。
自分は、取り返しの付かないことをしてしまったのでは。
そんな胸中に渦巻く後悔の念を知ってか知らずか。
目の前の相手はさらに自説を続ける。
「やっぱり、迷宮になんて入るべきじゃなかったんです!」
「……そうですね」
この時ばかりは、相手の意見に頷く他ないダフネ。
やはり、自分ひとりで抱えるよりも、一度誰かに相談してみるべきだろう。
「ありがとうございます。おかげで決心がつきました」
「そうですか? 何よりです!」
「ええ。さて、そろそろお役目に戻るとしましょう。他の方々に怒られてしまうやもしれませんから」
「それは、勘弁ですねぇ」
二人は笑い合って、秘密の話し合いはそこでお開きとなった。
その後。
「〈白の神官女〉さま!」
一人の〈神殿従女〉が、神官女のもとに焦った様子で現れた。
「どうしたのです? そんなに慌てて」
「実は、従女の一人が失踪しまして……」
「失踪……?」
その言葉に、ダフネは目を剥いた。
一度、神殿に仕えた者が神殿を出ることはある。
金銭を溜めて、故郷に戻る者。
市民権を得て、街で暮らす者。
など、その種類は多岐に渡る。
しかし、無断で抜け出すことは禁じられていた。
もしそうなった場合は、罪人として裁判に掛けられ、しかるべき処置を受けることとなっている。
「どこに行ったのです……」
一人、つぶやいたダフネの言葉。
その問いに答えられる者は、この場にはいなかった。
後日、ダフネのもとに、〈神殿従女〉の一人が訪れた。
「〈白の神官女〉さま、先日お送りしたお手紙のお方が、こちらにご到着されたとのことです」
「わかりました。すぐに向かいます」
既に支度は整えており、部屋を出て、神殿の前室。その入口に向かう。
立ち並ぶ列柱の隙間から出ると、その人物を見つけて、ダフネの頬が自然と綻んだ。
相手は、ダフネよりも一回り年上の大人の女性。
地面へと流れる銀髪が、海砂のようにさらさらと煌めいている。
女性はダフネの姿を見て微笑んだ。
「一年ぶりね、〈白の神官女〉さま?」
「――カサンドラさま!」
ダフネは普段にない、明るい声で相手の名を呼んだ。
それに、カサンドラと呼ばれた女性が苦笑を返す。
「さまは止してちょうだい。今はあなたが、〈白の神官女〉なんだから」
「でも、私にとっては、いつまでも憧れのままです」
「……もう」
嬉しさの混じった嘆息をすると、カサンドラに向けて、ダフネはうやうやしく礼を取った。
「ようこそ、神殿へ。中をご案内しますので、こちらへどうぞ」
ダフネは、普段であれば〈神殿従女〉に任せる役目も、今回は自ら進み出た。
「お願いするわ。――一年ぶりだから。この神殿も」
そういって、カサンドラは神殿の中へと足を踏み入れた。
カサンドラは、ダフネにとって関わりの深い人物であった。
というのも、ダフネが今代の〈白の神官女〉となる前の、先代の〈白の神官女〉その人である。
また、ダフネをこの神殿に連れてきた人物でもあった。
ダフネにとっては、いわば師匠であり、育ての親でもあり、母親の代わりだった。
先代の国王が倒れ、〈白の神官女〉としての務めを終えたカサンドラはその後、神殿より離れた辺地で暮らしている。
その地で今はオリーブの農園を経営しており、また、カサンドラ自身もオリーブで作った香油や薬、軟膏の調合師として有名な人物である。
ダフネも彼女から調合について手解きを受けており、簡単なものなら自作していた。
先の視察で兵士たちに配ったのもそれである。
そのカサンドラが今回神殿を訪れたのは、ひとえにダフネが呼んだからだ。