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あなたに愛を教えるのは  作者: 旧里朽墟
一章:悲劇の誕生
12/31

10.

 穴を通った先。


 これまで視界に映ってきた暗闇とは異なり、はっきりとした光源を見て、目に痛さを感じる。


 それに段々と慣れてきた視界が、目の前の光景を燦然と映し出した。


「……これは」


 眼前の景色に、ダフネはこれ以上ないくらいの驚きを見せた。


 夕焼け色の空の下、自生した緑の木々が広がっている。


 彼女の隣で、王も同様に、驚愕を顔に浮かべていた。


「一体、どうなっておるのだ。これは……?」


 ダフネの隣で、ペンテウスもまた、これまで見たことのない驚きを見せた。


 その答えに思い当たったのは、直感という他にないだろう。


「陛下」


「……」


 声が届かなかったのか、もう一度呼び掛ける。


「ペンテウスさま」


「どうした?」


 今度はちゃんと聞こえたらしく、王は顔を振り向かせる。


 先ほどは本当に聞こえなかったのか、それとも振りをしたのか、今問うのは止めておこう。


 それより、ダフネは自分が思い至った考えを口にした。


「もしやここが、かの楽園なのでは?」


 その答えを聞いて、ペンテウスが納得した顔で頷く。


「……なるほどな。では、余とそなたは、迷宮の最下層へとやってきたわけか」


 いつの間にか辿り着いた目的の場所を眺める王の視線には、様々な感情が混ざっているように見て取れた。


「となれば、至上の酒もここにあるはず……ん?」


 と、眼前に広がる世界へと向けていたその目が、再び大きく見開かれた。


「あれは……⁉」


「ど、どうされました?」


 ダフネが首を傾げ、たずねようとするより早く。その体は動き出していた。


 見る間に前へと飛び出したペンテウスの背中を、ダフネの声が追い掛ける。


「陛下!」


 それに止まる様子のない相手は、さらに速度を上げて走っていく。


 慌てて、ダフネもその後ろ姿を追い掛けた。


 息を切らせてようやく追い付いた先は、群生した木々の間の一本だ。


 その樹の下で、ペンテウスはまるでかじりついた虫のように立っていた。


「一体、どうしたというのです……?」


 ダフネが恨めしげな視線をその背中へと送る。


 と、王は振り返った。


 その手に、紫色の果実を抱えていた。


「それは……?」


 ダフネもまた、その正体を確認して、目を見開いた。


 ペンテウスが手に持っていたもの。それは、葡萄の実であった。


「先ほど、そなたといる時に見つけてな。気付いたら体が飛び出しておったわ」


 どうやら王はこの実を見つけて、居ても立ってもいられなかったらしい。


 正体不明な土地だというのに。勇敢というか、恐れ知らずというか。


 と、呆れるダフネの面前に、手が差し出された。


「ほれ、そなたの分だ。いっておくが、余もまだ口にしておらんぞ?」


 特に気にしていない言い訳を述べながら、王が手にした果実のひと粒を差し出してくる。


 飢えと渇きで苦しんでいた二人にとって、これはまさに降って湧いた幸運と呼ぶべきもの。


「では、いただくとしよう。あー、むっ」


 それを受け取ったダフネの前で、ペンテウスが口を大きく開けて運ぶ。


「んむっ! 美味い! これはまこと美味ぞ! 余はかつてこれほどの味を口にした覚えはない!」


 喝采するかのごとく、王は歓喜の声を上げた。


「これで葡萄酒を醸造すれば、どれほどの名酒が出来るやら……他国にも売れようぞ」


 不敵な笑みをこぼし始めたペンテウスを、ダフネがいさめる。


「ペンテウスさま。ここは伝説に名高き楽園の地。そう勝手にものを取られては、後ほどいかなる天罰が下るやもしれません。恐れ多いことですので、乱獲するのはどうかおやめください」


 ダフネの讒言に、ペンテウスは両手を広げて返した。


「何をいうか。見ろ、この辺り一面の木々を!」


 まるで、既にこの空間は我がものといわんばかりの態度だ。


「これほどあるのだぞ? そのうちのいくつかなど、取ったところでバチは当たるまい。それとも、そなたらの崇める神は、そんなにケチなのか?」


 この答えにダフネは苦い顔で応じた。


「それは……詭弁というものです」


「ほう? いうようになったな?」


「……失礼しました」


「よい。というか、むしろもうそのつもりでおれ。そなたはこの余の隣に侍る女となるのだ。強気でなければ、妃など務まらん」


「……お言葉ですが、陛下。私はまだ、求婚を受け入れたつもりは」


「今その話はよい。それより、食わぬのか? 喉が渇いておったのだろう?」


 ペンテウスがダフネの手元を指し示す。


 それに目を落としつつ、ダフネは困惑の表情を浮かべた。


「私は……」


 断ろうとして、しかし言葉が喉から先に通らない。


 まるで、これも喉の渇きのせいだと、体がいいたげに。


 ダフネは受け取ったそれを持ったそのまま、固まってしまう。


 その視線を目の前で遠慮なくむしゃむしゃと頬張る相手に向けて、不満げな顔をした後、もう一度手のうちにある果実を見下ろした。


 そして、祈るような仕草でそれを持ち上げて、天上におわす自身が崇める存在へと感謝を述べる。


「……神よ。あなたの御恵みに感謝します」


 そうして、ダフネは一口、おそるおそるといった手付きでその実を口に含んだ。


 途端、瑞々しい味が口内へと一斉に広がる。


「……これは」


 自然、その頬が緩んでしまう。


 その顔を目にしたペンテウスは、ぽつりとこぼした。


「美しい」


「……え?」


「そなたの笑みは、この世のどれよりも輝いておるな」


 突然褒められて、ダフネは反応に困り、顔を背けた。


「とりあえずはここで休憩するとしよう。……ん?」


 腰を落とそうとした王が、ある方向へと目を向ける。


「……何だ、あれは?」


 その目が見開かれる。ダフネもその視線を追った。


 途端、二人の目の前に、巨大な物体が落下してきた。


 衝撃に、足元の地面が大きく揺れる。


 ダフネが倒れる。


 呆然と見上げる二人の前に現れたのは、頭に二本の角を生やした生物だ。


 見たことも聞いたこともない怪物であった。


 その顔は牛や馬ではなく、羊。その背中からは、鳥のような翼が生えている。


 牛頭鬼や馬頭鬼よりも体は数段大きく、通常の人間の三、四人分はあると思われるぐらい。


 その怪物が、待機を揺るがすような咆哮を上げた。


「――ぁ、え?」


 それを聞いて、ダフネは目を白黒させる。恐怖で体が動かない。


 目の前に訪れた、はっきりとした死の恐怖を感じた。


「何をしておる! 逃げるぞ!」


 ペンテウスが手を引き、ダフネと共にその場から走り出す。


 その後を、ゆっくりとした足取りで怪物が追い掛けてきた。


「追ってくるか……!」


 背後に目をやり、ペンテウスは辺りに視線を回した。


「もう一度、洞窟に戻るぞ」


 そういい、ダフネを連れて自分たちがきた穴を見つける。


 息を切らしてその穴へと戻る。


「……あれ?」


「これは、どうなっておるのだ……?」


 と、そこは元きた穴ではなく、自分たちが入ってきた迷宮の入り口だった。


「陛下!」


 立ち尽くす二人に声が掛けられる。


「よくぞご無事で!」


 声の主は、ペンテウスの従者、アレキサンドリアだった。


 二人の元まで駆け寄ってくる。


 彼女の背後には、ペンテウスに付き従ってきた兵士たちも駐屯している。


 とっさに、ペンテウスがダフネに耳打ちした。


「……先程見たことはまた後で、話すとしよう」


 ダフネもまた、頷きを返した。


 事情はわからないにせよ、自分たちは再び帰ってこれたのだ。


 まずは、それを喜ぶとしよう。

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