8.
そうやり取りするうちにも、兵士たちは暴れ回り、事態は混乱に陥っていく。
「一体、どうすれば……!」
「ひとまず、そなたは隠れておれ!」
〈赤の王〉が声を掛けた、その時。
「……何だ? この音は?」
地響きがした。次いで、空間の揺れる音。
「……まさか」
王が洞窟の奥へと目を向ける。そこは何も見えない真っ暗の闇であったが。
次の瞬間、それは闇の中から現れた。
「怪物……⁉」
〈白の神官女〉の読みに答えるように、先ほど〈赤の王〉たちが倒したはずの巨体と同じぐらいの大きさをした影が、この混乱した場に出現した。
それは、この迷宮においてもう一種。馬頭鬼と呼ばれる怪物だ。
「こんな時に、新手か……!」
焦燥を隠せない顔で、〈赤の王〉が現れたそれを睨む。
その周囲の兵士たちは変わらず、興奮した様子で辺り構わず暴れていた。
そこに、怪物も加わり、場は一層混乱の渦に巻き込まれていく。
その時、馬頭鬼が〈白の神官女〉を狙い、襲い掛かった。
すんでのところで、〈赤の王〉が助けに入る。
「あ、ありがとうございます……」
礼を述べるのも束の間。
その足元の地面が、大きく崩れた。
「え……⁉」
〈白の神官女〉の体が沈む。落ちないようとっさに伸ばした手を、もう一方から伸びた手が掴んだ。
それは、〈赤の王〉による手であった。
「陛下!」
どこかから、女性の声が響いてくる。
掴み合った手はそのまま、崩落する穴へと落ちていった。
・ ・ ・
目を覚ます。
「……ッ」
遅れて、鈍い痛みが体に伝わってきた。
体を起こそうとするも、全身が打たれたように痛く、なんとか動かせる状況だ。
状況を確認するべく、視線を周囲へとめぐらせる。
視界は相変わらず暗く、闇が広がっている。
と、傍らに人の気配を感じて、目を凝らした。
自分の隣に、人影が座っていることに気付いた。
「目が覚めたか」
「……陛下?」
〈白の神官女〉が目を丸くする。その近くに腰掛けて、〈赤の王〉は辺りに視線を向けていた。
「……ご無事だったのですね」
「こちらの台詞だ。二人とも生命があったからよいものの、危うく死んでおったわ」
非難じみた目を、王は神官女へと向ける。
「ここは……?」
「忘れたのか? 余とそなたが、何故このような状況に陥っているのか」
その言葉で、神官女は自身に起きた出来事を思い出した。
「……そうでした」
頭の中で染みるように、記憶が鮮明になっていく。
現状に至った理由。それは〈白の神官女〉たちの前に突然、現れた怪物によって地面が崩落し、〈赤の王〉と共に巻き込まれたからだ。
「よいか? もう二度とそれを使うでないぞ?」
ふいに、〈赤の王〉が目線で神官女の傍らを指した。
その方向に目を向けると、寄り添うようにして、あのテュルソスが置いてあった。
〈赤の王〉が念を押して言い付けたのは、間違いなくこれのことだろう。
「どういうわけか、そなたの手元を離れぬようにあったぞ。呪われておるのではないか?」
「……そのようなことはありません」
〈白の神官女〉は起き上がろうとして、苦悶に顔を歪めた。
「動けるか?」
〈赤の王〉が声を掛けてくる。
「……なんとか」
強がってはみるが、体は引きずるように重い。
それに、先ほどからひどく喉が渇いている。
「喉が渇いているのだろう?」
「……おわかりですか?」
「余もそうだったからな。仕方ない、これを分けてやる」
そういうと、王は自身の懐に手を入れて、革袋を取り出した。
それは、先日神殿で会った際にも目にした物だ。
中に入っているのは、水で割った葡萄酒だろうか。
「お酒は……」
神殿に仕える者は自らに飲酒を禁じている。
というのもあるが、実は〈白の神官女〉はお酒があまり好きでなかった。
しかし、今は選り好みをする以上に喉が渇いている。
「……いただきます」
背に腹は代えられまい。
差し出された革袋を受け取り、その蓋を開ける。
口元へと近付けた、途端。
「ごほっ……⁉」
あまりの酒気に、むせ返った。
「へ、陛下……! これ……⁉」
「どうした?」
「このお酒、水割りしていないのですか……⁉」
「そうだが?」
その問いに対し、相手は平然とした顔で頷いた。
あり得ないという顔で神官女が相手を見る。信じられないと、その目と口が物語っていた。
通常、葡萄酒は水割りするのが定番だ。
もしそうしないで飲むのは、野蛮とされている。
しかし、目の前の相手は、それが当然である風に答えている。
〈白の神官女〉は泣きそうになるのをこらえて、革袋を相手に返した。
「飲まぬのか?」
「……はい」
「そうか」
返された革袋を受け取った〈赤の王〉は、そのまま口を付けて中身を飲んだ。
その姿を横目に見ながら、神官女は辺りに目を見回す。
暗い闇が広がるだけ。
この場にいるのは二人のみ。他に人の姿は見当たらない。
絶望的な状況に、〈白の神官女〉は祈りを捧げた。
「……神よ。どうか我らをお守りください」
神官女の姿を目にした王が、怪訝な顔を浮かべる。
「このような時でも、神に祈るのか」
「このような時でも、祈るのです」
「……ふむ」
顎に手を当てて、何やら思案する〈赤の王〉。
それが気になって、神官女は思わずたずねた。
「あの……」
「ん?」
「陛下は、神をお信じになられていないのですか?」
その質問に、〈赤の王〉は笑みをもって答えた。
「何を今さら。当然であろう? この間そなたと話した通り、余は神を信じてなどおらぬ」
あっけらかんといい放つ王。さらに言葉が続く。
「だからといって、余は神の存在を否定しておるわけではないぞ? ここははっきりとしておかなければな」
「存在を否定しているわけではなく、ただ信じていられないだけと?」
「そうとも。確かに、この世界は神が創り上げ給うた。だが、どうも余にはそれが人に手を貸すとは思えぬ。確かに神とやらは存在するであろう。だが、人を助けるとは到底、余には信じられんのだ」
「……なるほど」
なんとなく頷く〈白の神官女〉に、〈赤の王〉は得心した顔でいう。
「それにな、そなたの考えも余には読めておる」
王の言葉に、神官女は戸惑った。
「私の考えが、ですか?」
「そうだ」
「……その内容をお聞きしても?」
「ふむ。いいだろう」
〈赤の王〉は頷くと、自身の考えについて述べる。
「今回の迷宮入り。さては余の邪魔をするべく、同行したな? この状況こそが、狙いであったのだろう?」
「……そのようなつもりは……」
否定しようとして、しかし二の句を告げない。
確かに、結果だけを見れば、王の目的を邪魔したとしか思えない。
正直に伝える。
「誓って、そのようなつもりはありませんでした。ですが、陛下を危険にさらすこの状況を起こしたのもまた事実。ですから、無事に迷宮から帰れたあかつきには、陛下のお好きなようにお裁きください」
〈白の神官女〉のこの答えに、〈赤の王〉は笑った。
「冗談だ。そう拗ねるでない」
「拗ねてなどいません!」
珍しく、〈白の神官女〉はムキになって大声を出した。
洞窟内に声が反響する。
「大声を出すな。周りにいるかもしれん怪物どもが、音を聞き付けてやってくるではないか」
「……すみません」
未だ頬を膨らませ、納得のいかない顔で謝る。
その横顔を眺めながら、〈赤の王〉はいう。
「そなたの性分は理解しておる。悪巧みのできない、面倒な生き方であるとな」
褒めているのか貶しているのか、わからない理由を聞かされ、神官女の頬がさらにむくれる。
「そも、わざわざ自らを危険にさらしてまで、余の行動を邪魔する道理が見つからぬ。……よほど、余のことが憎いなら別だがな」
「……ですから、信用なさると?」
「疑わしい奴よ。それとも、そんなに余に裁いてほしいのか?」
「そうしていただかなければ……困る者もいます」
「誰が困るのだ?」
「陛下を崇め、仕えている者たちです。国を治める王が一個人の私情で動かれては、周囲に示しがつきません」
「なるほど、確かにそれも一理あり得よう。だが、余はそなたを信じた。ならば、裏切られるのも余の責任であろう。そうは思わぬか?」
「……」
全く、面倒な生き方はどちらだろうか。