消える生徒の怪談
この中学校には、有名な怪談がある。
消える生徒の怪談。
この学校の生徒の中に、人間ではないもの、幽霊が潜んでいる。
その生徒は見かけでは幽霊だとはわからない。
どうやったのか書類も用意されているため、先生にも発見不可能。
ではどうして幽霊だとわかるのか。
それは、幽霊は卒業しないから。幽霊は卒業せず、学校に残り続ける。
卒業生たちは幽霊のことを忘れてしまうので気が付かない。
先生も、卒業しなかった幽霊のことは忘れてしまい気が付かない。
そんな生徒が、この学校には一人だけ存在するという。
昼休みの教室に集まった生徒たちが、ワッと騒ぎ始めた。
「まさかぁ~。幽霊なんて。」
「そんなの、いるわけないよ。」
「書類を用意してあるってのが嘘くさいよな。」
「もしかして、そういうお前が幽霊じゃないのか?」
「あははははは。」
中学生たちは、身近な自分の学校の怪談で盛り上がっていた。
もちろん、誰も本気で信じていたりはしない。
その男子生徒も、その一人だった。
消える生徒の怪談についての話し合いはまだ続いている。
その男子生徒は誰となく尋ねた。
「ところで、この怪談の出どころって誰なの?
生徒や先生の誰かじゃないよね?
生徒は卒業したら記憶が消えてわからないはずだし。」
「それがね、用務員さんの話らしいよ。」
「それってあの人じゃないよな?ヨボヨボの爺さんの用務員。」
「多分、その人。
その人がこの学校では一番年上だし、学校の怪談にも詳しいはずだよ。」
「悪いけど、それじゃちょっと信用できないなぁ。」
「そうだよな。あの人、いっつもブツブツと意味不明なこと言ってるし。」
「ボケちゃってるんじゃない?」
「それは失礼だけど、でもそうだとしても不思議はないね。」
怪談の出どころが記憶の怪しい老人だとわかると、
急に信憑性が低くなってしまった。
生徒たちの興味は他へ移っていって、話題は散り散りになった。
その男子生徒は、学校の中でも特に目立つ存在ではない。
成績も運動も平凡で、性格も穏やか。
ところが中学生といえば思春期も真っ只中。
男女生徒の仲は最悪で、何かと言えば口喧嘩になってしまう。
「女が口を出すなよ!」
「ちょっと男子!それは失礼でしょう!?」
男女生徒の口喧嘩など、学校では日常茶飯事。
その男子生徒も例外ではなく、女子生徒と話すことも躊躇われる状態。
だけれども、たった一人だけ例外がいた。
同じクラスのある女子生徒とだけは、遠慮なく話すことができた。
「やあ、おはよう。凛子ちゃん。」
「おはよう、進くん。」
今朝も学校に登校して最初に話すのは、その女子生徒だった。
今ではお互いに名前で呼び合うほどの仲で、かといってそれ以上の仲でもない。
中学生にとって、名前を呼び合う以上の仲になるには壁があった。
だから二人がするのはもっぱら当たり障りのない話。
「わたしたちももう三年生だね。」
「そうだね。」
「進くんは進路どうするの?」
「近所の高校に進学するつもり。凛子ちゃんは?」
「わたしは・・・どうかな。」
進路を尋ねられて、その女子生徒は少し悲しそうな顔をした。
何かまずいことを聞いてしまっただろうか。
その男子生徒は他の話題を探した。
「女子生徒相手に怪談は・・・ないな。
凛子ちゃん、今日の小テストの準備はどう?」
「一応、用意してあるよ。」
「本当?僕にも教えてよ。」
そんな風に、受験を控えた中学三年生のその二人は、
どうしても話題が勉強に向かいがちになりながらも、
仲良く過ごしていた。
その男子生徒と女子生徒が学校に通う間に季節は移ろいゆく。
学年が上がったばかりで何もかも新鮮だった春を越え、
長い夏休みには、二人で海へ遊びに行ったりもした。
「凛子ちゃん、海だよ!それっ!」「わっ!冷たい!」
中学生の二人だけで行ける場所といえば、家の近所がせいぜい。
それでも二人は一緒にいられる時間を楽しんだ。
秋には近所の並木林で紅葉を楽しみ、季節は冬に向かっていった。
中学三年生の冬は試練の季節。
多くの生徒にとっては初めての受験を迎えることになる。
その男子生徒は、成績が特別良いわけではないので、
他の多くの生徒と同じく、受験勉強に追われることになった。
毎日、学校の授業が終われば、塾や何やと勉強に追われる。
その分、その男子生徒は女子生徒と逢う機会も減っていった。
そのことを、その男子生徒は悲しみ、女子生徒はそれ以上に悲しんでいた。
「ねえ、今日、一緒に帰れないかな?」
「塾があるから・・・」
「じゃあ明日は?」
「明日も・・・」
二人の間に受験勉強という壁が立ちふさがる。
それをその女子生徒が深く悲しんでいることに気が付いていたが、
こればっかりはどうしようもない。
その男子生徒は歯を食いしばって耐えていた。
だから、その男子生徒は、その女子生徒の様子に鈍感だった。
年が明け、もうすぐ受験本番というある日。
その男子生徒と女子生徒の仲もまた冬を迎えていた。
男子生徒は受験勉強に集中し、結果、その女子生徒を邪険にしていた。
そうして寒いある日のこと、女子生徒の抱えていた爆弾が爆発した。
その日、その男子生徒が学校へ登校すると、机の中に手紙が入っていた。
「今日の放課後、屋上で待っています。
もしもわたしがあなたにとって必要だと感じたら、必ず来てください。
川中凛子」
手紙から伝わるただならぬ様子に、
その男子生徒はすぐに女子生徒に要件を聞きたかった。
しかし女子生徒は教室では頑なに話をしようとしない。
仕方なく、その男子生徒は、放課後になるのを待ってから屋上へ向かった。
冬の冷たい風が吹き付ける屋上に、その女子生徒はいた。
たった一人、背中を向けて。
男子生徒が白い息を吐きながら声を掛ける。
「言われたとおりに来たよ。
今日も塾があるからあまり時間は取れないけど、要件って何?」
するとその女子生徒は、振り返らずに答えた。
「進くん。もしも、わたしともう会えなくなったら、どうする?」
「急にどうしたんだ?」
その女子生徒が話し始めると同時に、小雪が降り始めた。
こちらに振り返る。しかし表情は雪に紛れてよく見えない。
そうして、女子生徒は静かに語り始めた。
「消える生徒の怪談って知ってる?」
「あ、ああ。知ってるよ。
あれだろう?卒業せずに学校に残り続ける生徒の幽霊って。」
「あれ、わたしのことなんだよ。」
「なんだって?」
「消える生徒の怪談は、わたしのことなんだよ。
わたし、この学校から卒業できないの。ずっとここに居続けるの。
みんな卒業したら、わたしのことを忘れちゃう。
わたしのことを見ることもできなくなっちゃうんだよ。」
「そんなわけないだろう。
僕らはずっと一緒に過ごしたし、手にだって触れるじゃないか。」
「あなたがこの学校の生徒である限りはね。
でも、卒業したら忘れちゃう。触れなくなっちゃう。
記録も消えてしまうから、覚えてられない。」
「そんな馬鹿な。触れる幽霊なんて、いるわけがない。」
「わたしが話してることは、全部本当のこと。
だから覚えておいて。
わたしたちが一緒でいられるのは、卒業するまで。
それを信じてくれるなら、せめてもう少し一緒にいて欲しい。」
今まで一緒にいた相手から、自分が実は幽霊だなどと打ち明けられて、
そのまま受け取る人間はいないだろう。
その男子生徒は、女子生徒の話をそのまま信じる気にはなれなかった。
きっと最近一緒にいる時間が少ないから、駄々をこねているのだろう。
そのくらいにしか思わなかった。
だから、こう答えた。
「わかったよ。受験が終わったら、一緒にいられるようにする。
だから、受験が終わるまで待ってくれ。」
「そう・・・。」
その女子生徒の答えが、雪のように冷たく聞こえたのが、
その男子生徒の記憶に残っていた。
厳しい受験の冬が過ぎ。
その男子生徒は志望校に合格した。
嬉しい知らせをその男子生徒は、女子生徒に真っ先に知らせに行った。
「そう、よかったね。」
しかし、女子生徒の反応は冷たかった。
まるで雪の屋上で話をしたあの時のように。
女子生徒は言う。
「それで、進くんはわたしのこと、どのくらい覚えてる?」
そう問われて、その男子生徒は初めて気が付いた。
その女子生徒と過ごした記憶が曖昧になってきている。
最近のことならまだしも、知り合った頃の記憶はぼやけて思い出せない。
「記憶が・・・失くなってる?」
そうしてその男子生徒は実感した。
あの屋上で女子生徒が話したことは全て本当のことだったのだ。
「もうすぐ春だものね。卒業式まではもうすぐ。
わたしの記憶が消えてきていてもおかしくない。
ね?言ったでしょう?
消える生徒の怪談は、わたしのことなの。
進くんはもうすぐ、わたしのことを忘れてしまう。
見ることも触ることもできなくなってしまう。
だから、一緒にいられるのはあと少しだけ。
それも散り散りになった記憶を頼りに。」
「そんな、僕は絶対に凛子ちゃんのことを忘れたくないよ!
何か方法は無いのか!?」
「無理だと思う。
だって、中学校から卒業しない人なんていないから。
それか・・・」
「それか?」
「死んで幽霊にでもなれば、一緒にいられるかもね?」
その女子生徒は冷たく微笑んでいた。
「一緒になるためなら。
凛子ちゃんと一緒になるためなら、僕はどんな方法でもしてみせる。」
そうして、その男子生徒は、その女子生徒の手を取った。
それから一ヶ月ほどの時間が流れて。
その男子生徒が通う中学校で卒業式が執り行われた。
卒業式は滞りなく終わり、卒業生たちは学校を旅立っていった。
しかし、そこに取り残された生徒がいることを覚えている人は、
誰もいなかった。
それから時は過ぎ、あの頃の卒業生たちが大人になった頃。
その中学校に一人の男がやってきた。
その男は新任の用務員で、その中学校の出身だった。
「今日からこの学校でお世話になります、野原進です。
よろしくお願いします!」
その男は、あの男子生徒が大人になった姿。
結局、男子生徒は、
女子生徒と一緒になるために、自分も死んで幽霊になる、
という選択はしなかった。
そして男子生徒は卒業の時、あの女子生徒の記憶を失った。
しかしその代わり、一つの決意を胸に秘めていた。
いつか用務員になって、この学校に戻ってこよう。
消える生徒の怪談では、学校の関係者ならば、
消える生徒を見たり触ったりできることになっている。
そして年老いた用務員は、消える生徒の怪談を覚えていた。
ならば、卒業して記憶が消えても、用務員として戻ってくれば、
記憶を取り戻せると考えたのだ。
それからその男子生徒は、理由もはっきりしない、
決意だけを胸に、学校の用務員になるために勉強してきた。
そしてその答え合わせが始まる。
その男子生徒だった男は、学校の屋上へ行く。
屋上には、見知った後ろ姿の女子生徒が立っていた。
「凛子ちゃん、僕だよ。戻ってきたよ。」
女子生徒の背中が、ビクリと震えた。
声はちゃんと聞こえたようだ。
後は自分の記憶を全て取り戻せたかどうか。
女子生徒が覚えていてくれているか。
その女子生徒は言う。
「待ってたよ、進くん・・・!」
「凛子ちゃん。ああ、凛子ちゃんだ。」
言葉を交わした二人の涙が、
怪談を乗り越えて二人が一緒になれたことを示していた。
終わり。
冬ももう終わりなので、卒業をテーマにした話を書きました。
幽霊でなくとも卒業式は別れの行事。
学校を卒業すれば、連絡を取り合うのも難しくなっていきます。
もしも、卒業後も付き合える仲間ができたのなら、
学校に通った成果は十分にあったと言えると思います。
お読み頂きありがとうございました。