第一章 6 王家の誤算
アリスにとって、平穏な日常が続く中。
王家では問題が発生していた。
数々の試練とも言える障害を乗り越え結ばれたウィリアム殿下とミリティア。
ラブストーリーとしては、ハッピーエンドで終わりを迎えても人生とは続くものだ。
リオベルトの話によれば、ミリティアの能力とは自分自身に生まれ付き備わる魔力や属性と違い精霊との契約による魔法の行使であり、実力と言うよりは精霊に力を借りているに過ぎないとの事が判明したのだ。
確かに、魔法と一色担にしがちだが細かく言えば種類も少しずつ違うと言えよう。ミリティアの場合、本人の魔力量や属性はたいしたことも無く、たまたま精霊に好かれ知らずの内に契約が成立していたと言う稀なケースだった様だ。
契約した精霊が、たいしたことも無いなら未だに平民としての人生を送っていて王子との接点さえ無かったかもしれない。小説のストーリーを知っているアリスにとっては決められた運命とも取れる訳だが、こうして現実として生きて居れば可能性は無限にある気もするのだ。
ミリティアが契約を交わした精霊は、精霊を纏める王とも言える存在だ。だからこそ、ミリティアの能力が高く評価されている訳だが。
その精霊王が、ミリティアに飽きたのか何なのか原因は不明だが、ミリティアが魔法を行使出来なくなったと言うのだ。国王陛下も頭を抱えて居る様だった。
ミリティアに惚れているウィリアム殿下は能力の在る無しに関わらず気持ちは変わらないらしいが、ミリティアの価値は下がったとしか言い様が無い。
婚約者とはなっているが、王太子妃教育が終わるまではと婚姻を先延ばしにしていたのが良かったのか悪かったのかは人により意見が分かれると思われる。
「で、何か指示でもあったの?」
「指示って訳でも無いのだけどね…
原因を突き止める方が先だからな。その内、また行使出来るのか?それとも、このまま力を失うのか?それがハッキリするまでは下手に動けないしな」
「じゃ〜様子見な訳ね?なのに何で、その話を?」
普段、リオベルトはハッキリしない話を持ち出す事も無かったからアリスは不思議に思った。
「ちょっと気になる事もあってな少し個人的に動こうかと思ってさ。そうなると暫くは家を空ける事も多くなるから伝えておこうかと」
「何処か遠出でもする訳?」
「場合によっては。寂しいか?」
リオベルトの問いに、アリスは言葉が詰まる。
傍に居るのが当たり前過ぎて、考えた事も無かったからだ。
暫く離れる事が寂しいのか分からなかった。
そもそも、流れに身を任せ今がある。
自分の本心を言える相手がリオベルトだけだったアリスにとって、リオベルトは心地良い相手であったが本気で愛せる相手なのか、本気で考えた事が無かったのだ。アリスは世の中を知らな過ぎるのだ。
暫く黙り込むアリスにリオベルトは声を掛けた。
「急にどうした?そんなに難しい質問か?」
アリスは慌てて声を発した。
が、この何とも言えない思いを上手く表現出来ない。
「いやっ、ちょっと、考え事を…」
冴えない表情のアリスにリオベルトは苦笑いを顔に浮かべるとアリスの発言を止める様に口を挟んだ。
「別に責め立てる訳じゃ無い。
胸の内を、ありのままに言葉にすれば良い」
アリスは、頭の中を整理すると言葉を紡いだ。
胸の内に湧き出た想いを吐き出したのだ。
それを黙って聞いていたリオベルトは、アリスが話し終わると口を開いた。
「なるほどな。
幼い頃の初恋の延長で、それが本当の愛かって話だな。俺との思い出も幼い頃の淡い思い出だけ。
結婚する前も婚姻を結んでからの数ヶ月も、俺達の時間は御世辞にも良好では無かったからな。
一人の人間として人隣りを見て判断するにも、俺達には時間が必要なのかもな。
俺だけが、オマエを観察してた訳だしな」
そう話すリオベルトの表情は、何故か寂しそうに見えたアリスは、安易に本心を伝えた事に少し後悔したのだ。
自分の発言は、自分勝手な思いだ。
リオベルトの思いを何一つ考えて居ない配慮に欠けた発言だった。
「御免なさい。
私の一方的な想いだったわ。
リオへの想いを真面目に考えた事が無かったってだけなのよ。だから、リオベルトを愛してないなんて事は無いわ」
慌てて訂正する様に言い訳がましく弁明するアリスにリオベルトは笑い出した。
戸惑うアリスに、リオベルトは爽やかな微笑みを浮かべながら言った。
「アリス。これから、また改めて俺に惚れさせれば良いだけの話だ。俺より良い男なんて、早々に居ないからな」
自信たっぷりに言い切るリオベルトにアリスも笑顔が溢れた。
数時間後、リオベルトは部屋を後にする。
控えていた部下が廊下を歩くリオベルトの後を静かに着いて行く。
そんな部下に、リオベルトは視線を向けもせずに落ち着いた声で指示を出す。
「オマエは俺が居ない間、片時もアリスから目を離すな。何かあったら・・・分かってるな」
「はい。心得ております」
部下の男は立ち止まると前を見据えて歩くリオベルトの背中に向かい深々と一礼すると稷を返しアリスの元へと消えて行った。
リオベルトは、誰も居ない廊下を歩きながら小声で呟く。
「アリス…君は…」
その声は誰に届く事も無く外の自然音に掻き消されて行く。何事も無かった様にリオベルトは屋敷を後にしたのだった。
リオベルトが去った後、アリスは考えていた。
改めて自分は貴族の令嬢として生きて来た過去を振り返っていたのだ。
アリスは、外の世界を殆ど知らない。
社交界はおろか、御茶会さえも参加した事が無い。
父親の溺愛だけで片付けるには不自然な程に他者との交流が無いのだ。エルロンドが選んだ同世代の令嬢を招待し自宅で開く御茶会しか経験が無い。
その異様な状況を今の今迄、疑問に思わなかった。
しかし、今のアリスには違和感しか無かった。
王家や他の貴族の事は基本的な知識を学んだ程度。実際には良く分からなかった。
結婚式も、リオベルトと二人きりだったし。公爵家の令嬢なのに目立たず世間知らずだ。
結婚してからも公爵夫人として何もして居ない。
ミシェーレ家でもダグラス家でも、アリスは大事に囲われて居るだけなのだ。
何故、今まで何も感じなかったのかとアリスは不思議だった。
考えても分かるはずも無い疑問を延々に考える事になる。
その頃、王城ではリオベルトがミリティアと対面していた。
「リオベルト。本当に久しぶりね。
こうして会えて嬉しいわっ」
王城敷地内の百合の宮の庭に用意された御茶会場にて、ミリティアとリオベルトの二人きりの御茶会が開かれていた。
流石に王太子の婚約者のミリティアだ。
二人きりと言っても控えている護衛やメイドの数は多い。
しかし、そんな生活にも慣れた様にミリティアは気にする様子も無くリオベルトを案内する時も距離感が近過ぎる。
平民の出だからと片付けるには難しい程に馴れ馴れしく身体を密着させるミリティアの行動も、恋人に甘える様な甘ったるい声で話す口振りも、他者から見たら全ての言動が眉を潜めずには居られない。
護衛もメイドも例外無く冷ややかな目を向けていた。
それを知ってか知らずか、ミリティアは気にしない。
リオベルトの横にピッタリと引っ付いて上目遣いに話し掛けてくるミリティアに、リオベルトは微笑みを向け話を合わせる。
「ミリティアは元気だったかい?
慣れない王城暮らしで疲れ果てて無いか心配してたんだよ?少しヤツレた?」
心配そうにミリティアの頬に掌を包む様に添えながらリオベルトは愛しそうな瞳をミリティアに向ける。
「やっぱり、リオベルトは優しいわね。私は大丈夫よ」
嬉しそうに甘えた声を出しながら、大きな瞳に少しの涙を浮かべながら微笑むミリティア。
大丈夫と言いながら涙を溜める強かさに内心は不敵に笑いながらリオベルトは、哀しそうな表情を浮かべミリティアを見つめた。
「俺の前では強がらなくて良い。話は聞いたよ。
魔法が使えなくなって肩身が狭いんだろ?可哀想なミリティア…」
その言葉にミリティアは、涙を流しながらリオベルトの胸に顔を埋める。
そんなミリティアを抱き寄せたリオベルトは優しくミリティアを包んだ。
そんなリオベルトの顔には妖しい微笑みが浮かんでいた。
控えている護衛もメイドも見て見ぬふりだ。
それを当たり前の様に、リオベルトはミリティアを慰めながら唇を奪う。
王城内で、堂々と王太子の婚約者と逢瀬を楽しむ様子を見せ付けるのだった。
乱れた髪とドレスを整えるミリティアと別れると、その足で国王の元へと向うリオベルトは、途中から合流して来たメイドに手短に指示を出す。
「ウィリアムの耳に入るように、一連の話を広げろ」
「御意」
一言残すと指示を受けたメイドは何事も無かった様に足早に去った。
「はぁ〜…。
まったく面倒なことだ…」
少し不機嫌な顔を出したリオベルトだったが、次の瞬間には通り過ぎる使用人に微笑みを向けながら廊下を颯爽と歩む。
その美貌と美しい動作に見惚れる様に動きが止まる使用人を他所にリオベルトは国王が待つ部屋へと辿り着く。
扉の前に控えている護衛が中に向かって声を掛けると扉が開く。国王の補佐権護衛の王国騎士団長が顔を出しリオベルトを招き入れる。
リオベルトは、無言で礼をすると中へと足を進める。
「神の代理人たる聖なる国王陛下に挨拶申し上げます」
そう言いながら跪く前に国王が止めに入る。
「リオベルトよ。堅苦しい挨拶は無用だ。
今回も、つまらぬ仕事を頼んでしまった。すまぬな」
国王の言葉にリオベルトは顔を上げ首を左右に振る。
「つまらぬ仕事など…。
これも大事な仕事ですよ、陛下。
ウィリアム殿下の為でもありますし、私の事を気遣って下さる御気持ちだけで有難い限りで御座います」
困った表情で眉を下げるリオベルトの言葉に国王は微笑みを向け座る様に告げた。
リオベルトは国王に対峙する席に腰を下ろすと背筋を伸ばした。
「ウィリアムにも、ソナタの様に度量が有れば。
大切な家臣に、くだらない仕事を頼む事も無いのだがな…。
所で、精霊の王との接触は可能か?」
「調査の途中ですが、ある程度の魔力量がある者なら精霊を感知出来ますので上位精霊との接触には成功しております。ただ、精霊王の居場所を突き止める事迄は…」
「うぬ。分かった。引き続き頼む。
それで、ミリティアは己の立場を弁えてない様だな」
国王はミリティアの話を持ち出し不機嫌さを隠さなかった。リオベルトは苦笑いを浮かべながら答える。
「恐れながら、ミリティアは立場が分からない様な馬鹿では無いと思いますよ。アレは女狐です。
馬鹿で無知を装った強かな女です。アレを排除したいならウィリアム殿下の熱を冷ますか、逆に嫉妬心で殿下の手で誰にも手の届かない場所に監禁させるか…
それが妥当かと」
言い切るとリオベルトは妖しい笑みを浮かべた。
すると国王は満足気に頷くとウィリアムの新たな婚約者候補のリストに目を落とす。
国王は視線を落としたままリオベルトに問いかける。
「で、アリスの方は」
「アリスの方も経過観察です。
が、預言書の信憑性は高まったとだけ…」
「そうか…
では、ウィリアムの伴侶は御飾りで良いと言う事だな?」
国王はリストから視線を外しリオベルトを見据えた。
リオベルトは、静かに頷くと国王は頷き返し一言「うむ」と答えるとリオベルトは無言で立ち上がり一礼した後に部屋を後にした。
リオベルトが去った後、国王は天を仰ぎ見る。
「いよいよ。預言書通り神の降臨か・・・」
黙って控えていた侯爵であり騎士団長のルドルフが口を開く。
「陛下。預言書通りにと言うと神が降臨すれば戦いは避けられないと言う事ですね」
ルドルフの言葉に国王は静かに視線をルドルフへと向けると口を開いた。
「ルドルフよ。預言書が、何処まで正確かは分からぬ。けれど、我が国に神が降臨すれば力を我が物にしようとする者は出る筈だ。その日が間近と言うなら軍備を強化せねばな」
「御意!」
ルドルフは忠誠を誓い直す様に騎士の礼を取ると部屋を出て行く。するとルドルフの代わりと言わんばかりに扉の前に控えていた護衛騎士が入れ替わりで部屋へと入る。国王は、それを確信すると再び婚約者リストへと視線を落としたのだった。