第一章 5 ミシェーレ公爵家
ダグラス公爵家もそうだが、ミシェーレ公爵家もまた領地は持たない上位貴族だ。
ダグラス公爵家の本業が王家の影であり裏では裏社会を取り仕切るが表向きは王家所有の鉱山や別荘の敷地の管理運営としている様に、ミシェーレ公爵家もまた似たようなものなのだ。
表向きのミシェーレ公爵は代々、王家の金庫番だ。
要は財務管理をしていると言う事だ。
けれど、裏では架空名義の商会を運営し国の経済を誘導し流れを作ったりしているのだ。リオベルトに教えて貰った知識だ。
そんな訳で、両家は王都にあり王家に次いで広い敷地を有していた。
移動距離は馬車をのんびり走らせても一時間にも満たない。
島国の王都は、それなりに広くゴミゴミと密集する事もなく大通りなどの路も広々としていて案外のどかだ。
都会ではあるものの自然も豊かで、丁度良く融合していると言えよう。リゾート地の街場みたいな感じだろうか。
ミシェーレ家の敷地の門を潜り抜けても本邸迄の道程は徒歩ではしんどい位の面積だ。ダグラス公爵家と同様に敷地内に何棟もの屋敷があったり庭園は勿論、池や小さな小川の様なものまであるのだから、家の庭としては規模が違う。
前世の庶民感覚で言えば、何処かのリゾートホテルより凄いかもなんて思える訳だ。
本邸の玄関前のロータリーまで馬車で乗り付ければ使用人が十数名で出迎えてくれる。
アリス達が降りれば、一人の案内係を除いた他の者は馬車から荷物を降ろしたり運んだりと忙しなく動いていく。
案内係りに着いて行けば、一階の大きなサロンへと導かれる。アリスの記憶では、良くココで御茶会が開かれていた事を思い出す。
窓の外の庭園が綺麗に見える、ゆったりとしたソファーへと促されリオベルトと二人で腰を降ろすと控えていたメイドがワゴンを引き御茶のおもてなしを始めた。
紅茶の良い香りが部屋に広がり、座り心地の良いソファーと外の景色が優雅さを感じさせる。
ソーサーを持ち上げ、ティーカップの持ち手に指を添えながら香りを楽しむと、ほのかに柑橘系の香りがしてフレーバーティーだと分かる。
そのまま一口飲むと、隣でリオベルトが訪ねてくる。
「そう言えば、あまり砂糖を入れなくなったな。
好みまで変わるものなのだな?身体が好みを決めてる訳でも無いのか」
リオベルトは興味深そうに聞いてくる。
「味の好みは思考が決めるのかもね。味覚はただの目安に過ぎなくて、どう感じるかは感性の問題なんじゃないかしら?根本的に身体に合わない成分は別としてよ?」
アリスの答えを興味ぶかげに聞くリオベルトは研究家なのかもしれないと思ってしまう。
そうこうしてると、エルロンドが現れた。
「おかえり、アリス。楽しみに待っていたよ。
仲直りは出来た様だね。離縁なんて言葉を聞いて心配していたが杞憂だったようだ」
にこやかに話しながらアリスの前まで来ると、座るアリスを軽く抱き締め頬に軽くキスを落とすとアリス達の対面のソファーへと腰掛けた。
「お陰様で誤解も解けましたし仲直りもしましたので、義父上様に慰めて頂かなくてもと思いましたが、たまにはアリスも実家が恋しいかと思いまして」
リオベルトは穏やかな微笑みをエルロンドへ向けアリスの変わりに答えた。
「それはそれは、気遣い有り難いね。
義息子は話が分かる男の様で私も助かるよ。
レオンときたら、数年前から反抗期の様でね。可愛げがない」
「それは義父上に甘えていると言う証拠では?
羨ましですよ。私には甘える親はもう居ませんからね。義父上が隠居する時は、是非にダグラス家に身を寄せて頂きたいものですよ」
「ほぉ~。それが本心なら願ってもない話だ」
「本心ですよ。アリスも喜びますしね。
その辺の話は迎えに来る日にでも改めてゆったり話しましょう。昨日から仕事を滞らせていましたから今日は早々に帰らねばなりません。
アリス。少しの時間だが、ゆったり義父上との時間を過ごしなさい。久しぶりに可愛がって貰わないとね」
リオベルトは意味深に微笑むと、エルロンドに帰りの挨拶をして出て行った。視線で見送ったエルロンドは上機嫌の様だ。
「アリス。彼との結婚は正解だった様だな。
一時期は、どうなるかと思って気を揉んだが杞憂だった。話の分かる男の様だし、コレからも良い関係を築けるだろう」
エルロンドの中で、リオベルトは信用に足りる男だと判断したと言う事だろうか?信用は別として嫌っては居ないのだろう。
エルロンドの話によれば私が滞在する2日間は、本邸ではなく離れにある屋敷でエルロンドと二人で過ごす様だ。
仕事もスケジュールを開けた様で、ずっとアリスと過ごす気満々のエルロンドが少し可愛くも思えてしまうとは、アリスの中にある父への愛なのだろうか。
使用人が屋敷の準備が整ったと伝えに来ると、敷地内だと言うのに馬車へと乗り込み移動する事となる。
その間、エルロンドはアリスをお姫様の様に扱い溺愛ぶりが見て取れる。
離れの屋敷は、敷地の端の方にあり木々に囲まれた小さめの屋敷だが造りは豪華で可愛らしい。
先々代が隠居して建てた屋敷の様で、豪華だがゆったりと寛げる工夫が随所に見られ、他の建物も見えずに隠れ家的な空間でもあった。
なんと言っても、露天風呂などがあり家に居ながらにリゾートの隠れ宿の様な所なのだ。
「アリスは初めて来るな。私も久しぶりに来たよ。
先々代が使ってた屋敷で、いつか私が隠居したら住もうかと考えてた場所だ」
そう言いながら中を案内してくれる。
数人の使用人が、二人には見えない位置で控えている様な気配はするが、用があるまでは邪魔にならない様な徹底ぶりで視界に姿を映す事は無かった。
そんな訳で、実質は二人きりの様な空間だ。
エルロンドは、記憶の中の父親よりも男だった。
明らかにアリスを娘としてではなく一人の女として扱っているのだ。
けれど、不思議とアリスに嫌悪感は無かった。
二人の空間に慣れてくるのは早く。アリスは違和感なくエルロンドに甘える様に自然な空間になっていく。
バルコニーで、昼間から酒を嗜み談笑をする。
記憶が欠損したアリスを気遣い、昔の想い出話を語るエルロンドの話を聞いて、時には嘘だと指摘しながら笑い合う。
この世界は不思議だ。
魔力などある世界なのだから、前世の世界観と違うのは当然なのだが、魔力が高い程に老化とは無縁なのだ。寿命が目前に迫るまで、その容姿は若いままで止まる。だからこそ、自分が成長し大人になれば親であっても年齢を感じさせない見た目が年の差をも感じさせなくなるのだろう。
エルロンドも実年齢は40くらいの筈なのに見た目は20代後半だ。それが余計に親子の距離感を狂わせるのではと思わせた。
リオベルトの可愛がって貰いなさいと言う言葉があったせいか、エルロンドの可愛がり様は一線を越えていた。
明るい内から、共に露天風呂へと入り肌をくっつける様に近寄ってきたりとアリスの記憶で抜け落ちているらしいベットを共にしていた過去は本当の様だった。
身体が覚えて居るのか、エルロンドに触れられてもアリスは不思議と心地良さを覚えすんなりと受け入れて居るのだから抵抗する選択肢がアリスの中にも起こらないのだ。
流れのままに唇を重ね、エルロンドの愛の囁きを嬉しく想うアリスの感情に思考は流されていく。
前世の私よりも、私は今迄のアリスに近いのかと思う他か無かった。琉石に最後までの行為は無かったが、親子の関係からは逸脱していた。
エルロンドとの密な時間はあっという間に過ぎ、リオベルトが迎えに来る日も、離れの屋敷でベッタリの二人の前にリオベルトは現れた。
当たり前の様に、リオベルトは二人の親子以上の距離感を受け入れ
「私も混ざっても?」
などとエルロンドに許可を求める様は、冗談なのか本気なのか判断が付かない様な態度で笑顔を見せた。
エルロンドは、リオベルトを案内して来たメイドを呼び付けると、アリスの支度を命じた。
アリスは、リオベルトに久しぶりの挨拶を済ませると支度のために奥の部屋へと移動した。
「有意義な時間でしたか?
義父上が望むなら私の家に早い事、隠居して下されば日々楽しめると思いますが?」
妖しく微笑むリオベルトにエルロンドも又、妖しげな笑みを浮かべる。
「私はね、ミシェーレ家に特別な思い入れは無い。
うんざりしてる位だよ。血統だのより濃い血だのと取り憑かれた様な父親に嫌悪感しか無かった…
君も知っての通り、全てを排除したよ。煩わしい全てをね。何も知らない無垢な赤子のアリスだけが私を人間に留めてくれた様に思うよ。最初は親心ってヤツだった。いつでも殺せる程に小さく弱き者が屈託なく微笑みを向けて来た時だ。生かしておこうと血迷った…成長する度に愛おしいとは、この感情を言うのかと初めて思った。異常な程にアリスを愛してるのは自分でも分かっていたが、なんの疑いも持たず私を受け入れるアリスに欲望は増すばかりだ。
結局、私も姉を愛した父親と同じって事だ。
成長する度に姉に似てくるアリスが愛おしくて、つい手が出たよ。君にサッサと婚姻しろと急かしたのは純潔さえ奪いそうだったからだ」
エルロンドの独白を無言で聞いていたリオベルトが話に割り込む。
「純潔は奪わないでくれて感謝してますよ。
私も善人とは言えませんから、義父上のした事を責める気もありませんしね。ただ、アリスを愛して育ててくれた事に感謝してます。アリスも変わってますからね…それが俺にとっては寧ろ有り難いです。
まともな奴じゃ、ダグラス家に染まれませんから。
それに、国王陛下に聞いてると思いますがアリスの重要性は分かってますよね?」
そう言って苦笑いを浮かべるリオベルトにエルロンドは答える。
「ダグラス家に育った君も複雑だったろうな」
「そうでも有りませんよ。
俺は善人じゃ無いらしく寧ろ楽しんでますよ。
ミリティアに近付いて監視してたのも陛下の指示ですしね。王家がミリティアを受け入れなきゃ今頃はミリティアをどうしてたかも分かりませんが、結局は俺の嫁はアリスだと決めてましたから。
アリスは良くも悪くも純潔で何色にも染まる。
本当に愛らしい女ですよね?自分の色に染め切りたくなる」
「ハハハ。君は良い性格をしている様だ。私と同じで歪んでいる。嫌いじゃないよ。
君は私に何を望むんだ?」
エルロンドの問にリオベルトは美しく微笑み迷いなく答えた。
「勿論、貴方の頭脳と俺と共に楽しめる相棒になって頂く事ですよ」
「相棒ときたか…光栄だね」
二人の密談はアリスが知る由もない。アリスの支度が整うとリオベルトと共に帰路に着いた。
見送ったエルロンドは、早々にレオンへと仕事の引き継ぎを済ませる算段に取り掛かる。
爵位を退くと言うのに、エルロンドの中に迷いも心残りも無かった。あるのは楽しい未来への確信だけだった。
帰りの馬車の中で、リオベルトの機嫌の良い雰囲気にアリスは質問を投げた。
「パパと何を話してたの?随分とご機嫌そうに見えるのは気のせい?」
「察しが良いと言うべきかな?それとも俺が解り易かった?義父上が相棒になってくれると約束してくれてね。今から何をしようかと考えると楽しくてね」
「元々は、それが目的で私との結婚を決めてた様なものだものね…」
アリスが呆れる顔を向ければリオベルトは、アリスの隣へと移動する。
「それは前の話だろ?今はアリスを愛してる。
父親に妬きもちとは、アリスも俺を愛してくれてるんだろ?嬉しいね」
肩に腕を回すと、流れる様に唇を塞がれキスに酔い痴れる自分がチョロいなと思うが深く考えるのはよそうとリオベルトの背に手を回し舌を絡ませ堪能する。
一度許せば、リオベルトとの逢瀬は最高に良かった。
アリスは案外、欲望に忠実な様だと思った。
馬車の中だと忘れた様に、積極的にリオベルトを求めるアリスにリオベルトは嬉しそうに囁く。
「もっと本性を曝け出せよ」
それは妖艶に微笑む悪魔の甘美な誘惑の様にアリスを誘うのだった。