第二章 10 ミリティアという女
彼女の名はミリティア。
親の顔も知らない。哀れな女。
オベリオ王国の山沿いの小さな町の教会で育った。
生まれたばかりの赤ん坊の時に、教会に捨てられた子供だった。
親が居ない子供は珍しくも無い。
子供を産んだのは良いが育てられない平民も多い。
教会に子供を捨てる者は多かった。
良心が少しでもあったのだろう。子供を金に換えないだけ少しはマシなのかもしれない。
けれど、現実は残酷だ。
教会で育てられたとはいえ、それは最低限の保証に過ぎない。寝る所に困らないだけ良いくらいなものだった。
ミリティアは、その可愛らしさを利用して生きてきた。雑用や手伝いをする事で食事にありついたり、森に行って薬草や樹の実など食べられそうな物を探しては腹を満たした。
ミリティアには、精霊が見えていた。
だから幼い頃から、自然と話す様な子供だった。
周りからは変わった子供だと思われて居たが、ミリティアの可愛らしい笑顔で大人達は気味悪く思う事は無かった様だ。
そうして成長して行くミリティアは、小さな町娘の中で誰もが目を惹く存在になっていた。
金や食べ物を餌に、汚い大人達はミリティアを良い様に弄んだ。ミリティアは、生きて行く為の手段であった為に、その現状を当たり前の事だと思っていた。
それを良く思わない女達からは、良く虐められもしたが、男達が優しくしてくれるから気にもしなかった。
ある日、自然の猛威が町を襲い降り続く雨で地盤が緩み土砂崩れが発生した。土砂に呑み込まれ多数の犠牲者が出る程の酷い災害だった。
城から視察団が来た事は皆にとって喜ばしい事だった。支援物資が教会に運ばれて来て、ミリティアは手伝いに借り出されていた。
その時に、同い年の王太子であるウィリアムと出会う事になった。
ミリティアは、住む世界が違うウィリアムが同じ人間だとは思えなかった。
ウィリアムの提案で、町や山沿いの案内を頼まれ二人で話しながら歩いた。ウィリアムの質問に答えながらミリティアは、平民の暮らしを何も知らないウィリアムに、やはり同じ人間ではないと思った。
ミリティアは、他の者が気付かない様な精霊が見える。山沿いを歩いて居ると精霊が騒がしい様に見えた。ウィリアムの話を聞き流しながら、ミリティアは精霊の動きを眺めていた。
ミリティアが逃げなきゃと結論付けた時には、既に遅く土砂が崩れようとしていた。
ミリティアは咄嗟にウィリアムを庇うために身体が動いていた。それは自然な流れだった。
ウィリアムだったからではない。
きっと他の者でも咄嗟に動いたのだと思う。
何も考えては居なかったのだから。
ミリティアはウィリアムに飛び付くと守る様にして抱き寄せた。きっと助からないと思ったが、いつまで経っても土砂に埋まることは無かった。
何故なら、ミリティアの身体から放たれた魔法が二人の周りに広がり保護したからだ。
ミリティアは何が起きたのか自分でも分からなかった。ウィリアムに感謝されても、自分が助けたとは思えなかったのだ。
その日からミリティアの世界は、別世界へと変容する事となる。ミリティアにとっては正に奇跡だった。
王都は別世界で、綺羅びやかな建物に綺羅びやかな装飾品、着るものも食べ物も豪華で同じ世界なのかと驚いたものだった。
何もせずとも与えられる。まるで天国だった。
けれど、世界が変わっても意地悪な人間が居るのは同じだ。小さな町に居る時より悪質だった。
命の危機があるのだから、ミリティアは怖かった。
怯えるミリティアにウィリアムは勿論、他の男達も優しくしてくれる生活は、ミリティアを徐々に傲慢にさせていく。
人間は、慣れてしまえば当たり前の基準が変わってしまう。城での生活が当たり前になれば、その当たり前が壊されない様にと動くものだ。
ミリティアには、その可愛らしさと言う武器しか無かった。知性や品格など無い。男達に媚びる事しか無かった。
ウィリアムの婚約者となったが、直ぐに魔法の力がミリティア本人の能力では無い事が分かる。
ミリティアは、薄々は気付いていた。
それどころか初めから分かっていた。
きっと精霊の力なのだろうと。
その頃からだった。
リオベルトが良くミリティアの元にやって来る様になったのは。
ウィリアムは、相変わらず優しいが忙しい様で顔を合わせる事は少なくなっていた。
ミリティアは、自分の居場所を保つ事で精一杯だった。また貧しい生活に戻るのが死ぬ程、嫌だったからだ。
リオベルトに縋る様に媚を売った。
誰か一人でも、この夢の様な生活を保証してくれるなら誰でも良かった。
けれど、リオベルトは残酷な現実を告げてくる。
ウィリアムの婚約者で無くなる事実だった。
ミリティアは、恐怖だった。
また、あの小さな町に戻されるのかと怖かった。
しかし、リオベルトが言った提案は意外な程に簡単だった。
「貧しい生活に戻りたくないなら、男の相手をしろ。オマエなら朝飯前だろ?」
「そんなんで良いの?それで、私は城に居られるの?」
「まぁ〜な、自由は無いが綺麗な部屋に綺麗なドレス。豪華な食事に世話付きだ。ただ、男の欲望を満たしてやるだけでいい」
「簡単ね。もう生き抜く為に悩まなくて良いなんて最高の贅沢だわ」
王太子宮殿に比べたら小さな北棟の一室だったが、それでも快適だった。
次から次へと誰かがやって来て、ミリティアを求めてくるから退屈はしなかった。
城の使用人は、基本的には良く教育された者達ばかりで、平民とはいえ育ちが良い人ばかりだ。暴力的な者は居ない。
皆が、ミリティアを丁寧に扱ってくれたのだ。
慣れて来れば、男達は欲望を満たすだけでなく疲れを癒すオアシスの様な場所の様に、ミリティアに相談したり愚痴をこぼしたりと、ミリティアに心を開いた。
ミリティアは話を聞きアドバイスをするなど、使用人達の良い相談相手にもなっていた。
ミリティアからしたら、使用人の悩みなど可愛いものだったのだ。考え方次第で、どうとでもなる様な、そんな些細なものだった。
そんな中で、ある日の事だった。
リオベルトの妻アリスが訪ねて来た。
とても容姿端麗な美しい女だった。立ってるだけなのに気品溢れた雰囲気に、ミリティアは初めてウィリアムを見た時と同じで、同じ人間とは思えなかった。
やっぱり、自分とは違う世界の住人だと思ったのだった。
その日から、たまにリオベルトがやって来て街に連れ出してくれる様になった。
王都の街を自由に歩き回れるのは楽しかった。
正直、部屋に閉じ籠もってばかりの日々も飽きていたのだ。
リオベルトは、普通の貴族とは違っていた。
確かに上位貴族で容姿端麗で品格はあったが、街では一変して平民に溶け込むのだ。
砕けた態度で、ミリティアに気を使う事も無い。
いつも雑な対応で冷たい態度を取るが、その本質は優しかった。
ミリティアは、人としてリオベルトが好きだった。
いつか、出してやるって言葉を守る様に、リオベルトはミリティアを城から出してくれた。
住む場所も食べる物にも困らない生活も用意してくれた。ミリティアは自由で安心な居場所をくれたリオベルトに感謝している。
だからと言って、惚れてる訳では無い。
「また客を揉めさせたなっ。いい加減にしろよ!」
いつもの様に、ジグルドがガミガミと怒鳴っている。
「煩いなぁ〜。私が悪いんじゃないもんっ
勝手に喧嘩してるだけじゃない。私は、求められたから応えただけだも〜ん」
「誰彼構わず媚びるからだろ!こんな女の何処が良いんだかね!」
「なによ〜。なんだかんだ言ってるけど、私が好きなクセに」
フフフと笑うミリティアに、ジグルドは否定するがミリティアは聞き流す。
ジグルドは、いつもこんな感じだ。
本気で怒ってる訳では無い。
昔、リオベルトに助けられてから惚れ込んで後を付け回してるジグルド。
リオベルトに構って欲しくて必死なのが可愛いとミリティアは思っていた。
酒場であり闇ギルドの奈落の底で、ミリティアはジグルドと共に居る事が多い。
ジグルドの良くも悪くも一途な所が気に入っている。
リオベルトの存在が全てのジグルドが、ミリティアは羨ましかったのだ。
ミリティアは、今までの人生で、そこまで何かに固執する事が無かったからだ。これからも無いように思えていた。
自分は人として何かが欠けてる気がしていた。
だから、ジグルドと言う人間に興味が沸いて傍で見ていたかった。
「おいっ!聞いてんのか?」
「聞いてますよ〜っ。
それよりジグルド。今日もレオンは来るかしら?
最近、レオンを虐めるのが楽しそうだけど、ボスへの想いは冷めちゃったの?」
「はっ?それとこれとは別だろ。
俺の一番はボスだけだよ。俺の救世主なんだから。
あの人を越える人は居ないのっ!俺の全てだから」
「はいはいっ。聞き飽きたわ〜。
そろそろ、私もジグルドの中で大切な仲間だと思ってくれたぁ〜?ねぇ~ねぇ~」
「まったく、問題起こすのを辞めたらなっ」
二階から降りてきたリオベルトが、二人の会話を聞いていたのか話に入ってくる。
「今日も、オマエらは騒がしいな。
ほんと、仲良しだな。端から見てたらお似合いだぞ」
「「どこが?」」
二人で声を揃えたのが可笑しくて笑う。
そう言いながらも内心では嬉しかったミリティア。
笑いながら、この幸せな時間がいつまでも続く様にと願わずには居られなかった。
彼女の名はミリティア。
奈落の底の癒しの女。
どんな男でも優しく受け入れる、その女を取り合う男は少なくない。
誰にでも優しいが、誰の物にもならない彼女。
けれど男達は夢を見る。
彼女の唯一の男になりたいと。
闇の世界で生きる男達の、癒しと夢の存在。
それがミリティアだ。




