第一章 1 なんで今?
バタンっ!
大きな音と共に背中と頭に強烈な痛みを感じ、私は床に叩きつけられた事に気付いた。
周りがやたらと煩い。
数人の者が私を取り囲み心配気に見下ろしていた。
「いったぁ〜いっ」
ジンジンと痛む後頭部を押さえながら上半身を起こそうとする私を補助する様に抱き上げる男が心配気に声を掛けてくる。
「おいっ、大丈夫か?
少し力の加減を間違えた様だ…」
罰の悪そうな顔をしながら視線を外す男に私は見惚れてしまう。
見たことも無いような容姿端麗な男が目の前に居るのだから仕方あるまい。
「おいっ!聞いているか?
本当に大丈夫なのか?意識はハッキリしているのか?」
固まってしまっていた私に、男は訝しげに問いかけてくる。ハッと我に返る私は、物凄い近距離にあるイケメンを押し退けて立ち上がると慌てて口を開いた。
「誰だか分かりませんが有り難う御座いました。所で、ココって何処ですかね?」
私の言葉に、男が逆に固まった。
数秒の沈黙の後に男は困惑した顔で口を開く。
「アリス。オマエ…なんのつもりだ?
今度は記憶喪失を装って俺の気を引く魂胆か?」
「ん?…アリス?私に言ってます?」
アリスって誰よ?と思い辺りをキョロキョロと見渡すがメイド姿の者達が困惑した表情を向ける中で、目の前の男が私に向かって話しているのは明白だ。
そんなアリスの様子に驚きの表情を向けていた男は、急に怒りの雰囲気を醸し出し冷たい声で言い放つ。
「オマエの他に、アリスが居ると言うなら、オマエは誰だと言うのだ?」
「私?私は・・・・
私の名前…何だっけ?ん〜〜〜〜……」
(私?誰?
確か、私は…)
頭の中で、記憶を手繰り寄せる。
(確か、夕飯を食べて、いつもの様に家のリビングで寛いでいて…で、どうしたんだっけ?
その後、なんでココに繋がるの?
名前…
思い出せない…)
思い出せそうで思い出せないもどかしさに、頭を抱えたくなる私は、自分の違和感に気付く。
(そう言えば、なんで私はドレスなんか着てる訳?
それに…)
窓の外に視線を向ければ、普段見ていた風景とは比べ物にならない程に空は綺麗な青空で、草木の緑は鮮やかで輝いて見えた。庭園には色とりどりの花が咲き誇り、別世界の様な風景に驚きが隠せない。
アリスの挙動に男は困惑するも近くに控えていた執事に声を掛ける。
「妻を部屋へ連れて行け。
それと医者に連絡と、ミシェーレ公爵にも事情を伝えろ」
「畏まりました」
執事が指示に従い、メイド達に指示を出すとメイド達がアリスを気遣いながら部屋へと案内を始める。
その光景を見ながら男は思った。
メイドの案内に戸惑うアリスの姿や、今この場所が本気で分かっていなさそうな態度、しかもメイドに対しての接し方。どれも、自分に引っ付く彼女を押し退ける力加減を間違え床に叩き付ける前とは別人の様なアリスに、どう対応するのが最善なのかと思考を始めるのだった。
自室に連れて来られたアリスは、メイドに促されソファーに座るとメイドが淹れてくれた御茶を飲みながら頭の中を整理する様に、メイドから話を聞き出していた。
メイドの話を聞いてる内に、アリスは記憶の断片が蘇る。
この国、オベリオ王国とは私が生きた日本で読んでいたウェブ小説の物語に出て来た国であった。
異世界転生と言う単語が頭に過る私は、またも頭を抱えた。
ウェブ小説、幻想の夜想曲。
オベリオ王国を舞台に、平民生まれのヒロイン、ミリティアが突如覚醒した能力により人生が変わるシンデレラストーリーな訳だが…。
王太子と二大公爵家の嫡男の三人の男達が、ヒロインと出会い惹かれていくが、ヒロインが最終的に選び結ばれるのは王太子であるウィリアムだ。
そして、ミシェーレ公爵家の嫡男にしてアリスの兄でもあるレオン。ダグラス公爵家の嫡男にして今のアリスの夫であるリオベルトは、ヒロインへの想いを抱えながらも身を引く当て馬と言う事になるのだが…。
アリスは、この小説においてはモブだ。
主要人物の妹と言う事もあり、サラッと描かれている程度だ。レオンには妹がいるとか、リオベルトには幼い頃に親が決めた婚約者がいるとか、その程度の情報量しか無い。ヒロインとは面識さえない。
記憶の情報を垣間見るに、今は物語が終わった後の世界だと推測される。
ヒロインを害そうとする悪役は、ウィリアムの妹である王女キャロラインとリオベルトの妹のミランダだ。
リオベルトは現在、若くして公爵を継いでいる。
何故なら、アリスと同い年だったミランダは幼い頃にウィリアムとの婚約が決まっていたが、ミリティアの出現により婚約が危ぶまれるとウィリアムの気持ちを自分に向かせる為にアレコレと画策し、ミリティアを害そうとする中で自滅し殺人未遂容疑で処刑されたのだ。
本来ならダグラス家の破滅な訳だが、国にとって重要な公爵家と言う事もあり前公爵夫婦が、リオベルトに爵位を譲り娘の罪を親である自分達が背負うと言う形で命を差し出した事によりダグラス家は存続した訳だが、その権威を失墜していた。
そこで、ミシェーレ家は恩を売ると共に、幼い頃からリオベルトに恋してたアリスの為にリオベルトとの婚約を破棄にはせずに婚姻を早めたのだ。恋に敗れたリオベルトにとってはダグラス家の為にもアリスとの婚姻は利益にはなったのだが、内心は複雑だろう。
愛の無い結婚な訳で、アリスの想いなど煩わしいだけだったのだろう。結婚してからリオベルトがアリスに関心を向けた事は無い。
幼い頃に、王家と二大公爵家とで婚姻の相手を既に取り決めた訳だが、本来の婚約者をウィリアムが選ばなかった事が、そもそもの発端なのは明らかだ。
王家としても、ダグラス家が無くなるのは本意では無かった。アリスとの婚姻は断る事も出来ただろうが、リオベルト的にはミリティアの気持ちに負担を掛けたくないと言う想いもあったのだ。
それは、ウィリアムの妹であるキャロラインを嫁に娶ったアリスの兄レオンも同じだろう。
キャロラインも、ミランダよりは可愛いものだがレオンとも仲良くするミリティアに冷たく当たっていたのは確かで、ミランダを手助けする事もあったのだ。
しかし王女と言う事もあり、ウィリアムも罰する事を選ばなかった。王家の面子を護りたかったのだ。レオンは想いを寄せたミリティアを虐めていたキャロラインを嫁にするのは不本意だったろうが、幼い頃に決められていた婚約者と言う事とミシェーレ家と王家との繋がりの為に婚姻を選んだのだろう。
アリスの勝手な解釈だ。
思い出せば思い出す度に、頭が痛くなった。
何故、今のタイミングなのだと文句を言いたくなった。
けれど、どうにもならない事を嘆いても仕方無いのだ。
暫くすれば、医者が部屋へと訪れ診察をする。
頭のコブを冷やすくらいで外傷は無く心配は無いだろうとの事だったが、記憶の混濁は頭をぶった衝撃による一過性のものかもしれないと結論付けたのだった。
何しろ、少し時間が経ちメイドから話を聞いている内に断片的だがアリスとしての記憶も取り戻しつつあったからだ。
全てとは言わないが日常生活に困る事はなさそうだ。
アリスは思い返していた。
幼い頃に婚約者として紹介されたリオベルトに一目惚れしリオベルトとの将来を夢見るアリスは、本当に純粋に恋する乙女でリオベルトのお嫁さんになる事だけで他には何も無かった。
この世界の常識として貴族として生まれた娘は親が決めた相手に嫁ぎ能力の高い子を成すのが役割。
それ以上でもそれ以下でもなく。
夫となる当主の役に立たねばならない。
それが当たり前の世界で、そこに愛が無くても何ら不思議では無かった。贅沢な暮らしが保証されるだけで満足しなくてはならないのだ。
前世の記憶を思い出したアリスからしたら時代錯誤も良い所だ。
愛の無い結婚に意味はあるのか。
先程のリオベルトの言い様もそうだが、過去を思い返してもリオベルトからの心からの優しさや思い遣りなど向けられた事はあっただろうかとアリスは思った。
幼い頃は、それなりに兄の様に優しさを見せる事もあった様に思うが、成長するに連れ義務の様な扱いだった様に思う。それにミリティアに出会ってからのリオベルトはアリスに時間を割くことさえ無かった気がするのだ。
結婚式もミランダの事もあり、二人だけの簡素なものだった。ダグラス公爵家を若くして受け継ぐと言う事は、それなりに苦労もあると思う。それを考慮しても妻を蔑ろにし過ぎでは無いのか?と思ってしまうのだ。
確かに、今までのアリスは構ってちゃん全開で煩わしい女だったかもしれないが、冷たいリオベルトにも問題はある気もするのだ。
このまま、婚姻を続ける事を真面目に考えてしまうアリスは一度、リオベルトと話をしなくてはと思うのだった。
改めて、アリスは自分自身の姿を鏡に映した。
銀色の髪にエメラルドの瞳は、ミシェーレ家特有のものだ。ミシェーレ家は水と風の聖霊の加護を受けていると言われており正統後継者は銀髪で緑の瞳と決まっている。
レオンも同じ銀髪に緑の瞳だ。
前世の記憶がある状態で自分自身を見れば、信じられない程の美貌だ。完璧な迄の美女なのだ。
前世の感覚で言うなら、こんな美女を蔑ろにするとか有り得なくない?だ。
しかし、リオベルトも容姿端麗なのだ。
ダグラス家は闇の聖霊の加護を受け黒髪と濃いブルーの瞳が特徴でもある。
闇属性は光属性と同じ様な神聖力でもあり対となる属性でもある。
光属性の王家との繋がりも強い為に今回、御家取り潰しが無かった事もある。
この世から闇の聖霊の加護を持つ血統を絶やさない為でもあった。
しかも、今回の婚姻は王家とミシェーレ家、ダグラス家にとっては血統の強化の意味もあった。
生まれてくる子が、どの特徴を受け継ぐか?この国でも有数の能力を混ぜる事により能力が向上する事を期待する事を含んでいたのだ。
頭のコブを氷嚢で冷やしてくれているメイドに声を掛ける。
「クロエ、もう大丈夫よ。
ずっと、そうしてるのは疲れたでしょ?」
「大丈夫です、お嬢様」
「いや、私が気になるから…。
本当に大丈夫よ。悪いけどリオ様を呼んでくれるかしら?」
メイドのクロエは、アリスの指示に従い部屋を後にしたのだった。