第二章 1 幸せの形
世界は広い。
この世界の中で、一人の人間はあまりにもちっぽけだ。
どんなに地位が高くとも、一人で出来る事は少ない。
だから人は群れ、藻掻きながら生きるのか?
数千年前の巫女が考えていた事だ。
アリスも、そんな事は分からなかった。
何故、人は?なんて考えても答えなど出るはずも無い。人の数だけ想いがあって、人の数だけ考え方がある。それを全て分かろうなど、それこそ傲慢だ。
人は皆、悩みながら葛藤しながら自分の信じる路を生きている。それだけだ。
迷ったら、先に進めないのだから。
「疲れてるだろ?少し休みな」
お昼寝している、5歳になったアーサーの寝顔を眺めながら考え事をしていたアリスを気遣って、ウィリアムが声を掛けた。
「大丈夫よ。疲れたのは、アーサーの方。
好奇心旺盛で元気いっぱいで、精霊達を追い掛け回して相当疲れちゃったのね。グッスリ寝てるわ。コレじゃ夜は寝なくてメイドが大変ね」
アーサーの寝顔に視線を向けながら答えるアリスの背後からウィリアムは、包む様に抱き締めると「誰に似たのかな?」と呟いた。
出産してから、既に5年の歳月が流れていた。
アーサーの出生の秘密は、一部の者しか知らない。
見た目は、本当にウィリアムに良く似ていて普通の5歳児だ。神の子だと言われなきゃ分からない、他の人間と何も変わらないのだから
アリスから身体を離したウィリアムは、アーサーの寝顔を見下ろし微笑む。
「なんか不思議だよ。子供の頃の自分が目の前にいるみたいだ。まぁ〜見た目だけで性格は違うけどね」
そう言って、クスっと笑うとアリスに視線を移して言った。
「御茶でも飲もう。アーサーは直ぐには起きないだろうしね」
「そうね。話したい事もあったし」
二人は控えていたメイドに、アーサーを頼むと部屋を移動した。王太子宮の使用人は、内部事情を知る者しか居ない為、偽りの関係性を演じなくても良かった。
皆んなで考えて決めた事だが、アーサーにはありのままを見せて育てる事にしたのだ。
いつかバレる嘘をつく方が残酷だと思ったのだ。
まだ幼いアーサーは、その複雑さを理解はしていない。けれど、成長と共に大人達の歪んだ世界を知る事になるだろう。どう思い、どう感じるかは誰にも分からないが、一つ言える事は愛されて育った事実だけは嘘が無いと分かって貰えると信じていた。
ウィリアムやリオベルト、アンジェリカは、親の愛情を感じた事のない幼少期を過ごした。だからこそ、偽りの関係性を見て育つ苦悩を知っている。
乳母や使用人が、幾ら愛情を注いでも、実の両親からの愛情に勝る者は無い。
その愛情を受けられなかった三人が、揃って偽るのを拒否したのだ。家族で秘密を共有し外に偽る方が良いと、アリスは三人から教えられた。
外の綺麗に咲き誇る薔薇を一番楽しめる部屋で、二人はティータイムを楽しんだ。
「ところで話ってなんだい?」
「リオに聞こうか迷ったんだけど…話をはぐらかされる気がしたから。
ねぇ、ウィル?ミリティアは生きてるんでしょ?」
アリスの口から、ミリティアの名が出た事にウィリアムは息を呑んだ。心臓が締め付けられ言葉が出て来なかった。
「別に責めてる訳じゃないのよ。そんな顔しないで」
アリスの言葉に、ウィリアムはアリスの意図を探る様に瞳を見つめた。
「やっぱり、生きてるのね。
それに隠して置きたかったのよね?ウィルは何も動いても居ないって分かってるわ。何かしたとするならリオなんでしょ?
それに陛下の指示でもあった…。
ウィルは、罪悪感を今も抱えてたりするんでしょ?」
「なんで?」
「なんで、私がミリティアの事を知ってるか?って不思議?
城に出入りして、アーサーの世話をする為に城の使用人とも仲良くなったのよ?使用人達の噂話は情報の宝庫なんだから。王太子宮の使用人達は外では口が硬いけど、だからこそかしらね?王太子宮殿内でだけでは噂話もするのよ?」
ウィリアムは、観念した様に話し始めた。
「隠し通せるはずもないよね。彼女の事は、僕の不甲斐無さが全ての元凶だ。軽蔑されても仕方ない…。
僕は何も自分で決められなかった。周りの思惑に流されて、その結果きっと彼女だけじゃなく色んな者を不幸にしているんだ…」
アリスは苦笑いを向けて、ウィリアムの頭を撫でる。
「だから、責めてる訳じゃないのよ?
もう過ぎた事を、とやかく言うつもりは無いのよ。
ただ、ミリティアに会う許可を貰いたかっただけ」
「会う?ミリティアに?」
驚きを隠しきれない顔をするウィリアムに、アリスは微笑みを向けると頷いた。ウィリアムは少し悩んだが、アリスの意向を尊重した。
ウィリアムは、政務の合間に顔を出しただけであった為に、アリスを一人で行かせる事に躊躇したが、アリスに窘められ仕事に戻る事となった。
ウィリアムの指示を受けた護衛が北棟へと案内してくれる。アリスは、思いのほか綺麗な造りの北棟を見上げながら、護衛に中の様子を確認して来るように、お願いした。
丁度、今はミリティアは一人で居るようだった。
アリスは、護衛を入り口に待たせ一人で最上階へと向かうのだった。
アリスが驚いたのは、扉に鍵が掛けられて居ない事だった。ノックをし中に入ると、不思議そうな顔を向けるミリティアが居た。
「どちら様?」
初めて見るミリティアは、小説のヒロインに相応しく可愛らしい顔の女だった。
艶のある髪や肌が、酷い扱いをされていない事を物語って居た。
「私は、アリス・ダグラス。リオベルトの妻です」
「リオベルトの奥様なのね。はじめまして」
屈託の無い笑顔に、拍子抜けしてしまうアリス。
軟禁されている様には見えないのだ。
「少し貴方と話したかったの。この状況を貴方は、どう思ってるのかと思って…」
「うふふ、私が可哀想で偽善者気取って会いに来たの?」
アリスが黙ってしまうと、ミリティアは御構い無しに話続けた。
「この状況が、貴族の嬢ちゃんには哀れに見えるんでしょうね?底辺を知らないから。
今を生きるのに必死の人間の気持ちが分かるはず無いものね?貴方の旦那の方がマシね話が分かるもの。
ココは幸せよ。何もしなくても大事にしてくれるものね。男に抱かれるのも寧ろ御褒美よ?」
「その様ね。私には貴方の気持ちは分からないわ。貴族で育った私が貴方にとやかく言える言葉も無いもの。だから偽善者なりに言うわね。他に望むものはある?」
少し驚いた様な顔を見せたミリティアは、直ぐに笑顔を見せて、こう言った。
「そうね…たまには外に出たいわ」
アリスは静かに頷く。
すると、一人の男がやって来た。当たり前の様にドアを開け入って来た男は、アリスの存在が目に入り慌てて姿勢を正すと深く御辞儀をして固まった。
「大丈夫よ。私は失礼するわ。後は楽しんで…」
アリスは、そう言って出て行く。
後ろから、ミリティアの甘えた声が聞こえてくる。
二人は楽しそうに会話を初め、笑い声が響いてくるのだった。
外に出ると、待っていたのは護衛では無くリオベルトだった。
「なんでココに来た?」
「何でかしらね?彼女が言う様に、偽善者の自己満足かしらね…。リオ、たまには彼女を外に出してあげられる?きっと、彼女は逃げたりしないわ」
リオベルトは、何も言わずに優しくアリスを抱き締めた。
「分かった。考えておく。
オマエが彼女の事で気を病む必要は無い…」
そう言うリオベルトに、アリスは頷くとリオベルトからさっと身体を離す。
「ほんと、人の幸せなんて分からないものね。
恵まれた環境にいる者が、本当の意味で底辺の者達の事を幸せにするなんて傲慢なのかもね…
何もしないのが贅沢か…」
アリスは後ろを振り向くと北棟を見上げた。
人は生まれた場所がスタート地点だ。
その環境が当たり前になる。貴族と平民の当たり前は違い過ぎるのだ。
貴族の幸せと、平民の幸せ。スタート地点が違い過ぎるからこそ、望むものも違う。
環境によって、考え方も悩みも苦労も違い過ぎだ。
「どんな世界が正しいのかしらね…」
そう空に向かって呟いたアリスに、リオベルトは言った。
「アリスも、ウィリアムと同じだな。
難しく考え過ぎるんだ。環境が違うのは、どうにもならない。
俺は思うんだ。底辺の者達が望むのは脅かされない生活だ。衣食住が揃って食べて行ける金があって、働く所がある。たまに贅沢が出来る程度なら、平民だって幸せな顔して暮らしてるんだ。アリスに会う前のマリだって幸せな平民だ。
俺達が出来る事と言えば、貧民達を普通の平民レベルに上げてやる事だけだ。
文字の読み書きから技能の学びに仕事の斡旋。それを今、アリスが実現しようと動いてやってるだろ?
全て、どうにかしようなんて、それこそ傲慢だろ?
それに、先ずは自分の幸せを考えろっ。
ずっと、気を張りっぱなしだろ?」
リオベルトは、少し怒った顔でアリスを抱き上げた。
「ちょっと、ココは王城敷地内なのよっ!?」
慌てるアリスに、リオベルトはアリスを抱えたまま歩き出した。そして口を開く。
「強制収容だ!今日は、このまま家に帰るぞ。
捕まえて置かないと、直ぐに何かやり始めるからな。たまには、ゆっくり休め」
「分かったわっ。家に帰るから降ろしてよ!」
リオベルトの腕から地面に降り立つと同時に、アーサーの声が聞こえてきた。
「カカ様〜っ」
アリスは、コッチに向かって走ってくる、アーサーに手を振ると、後ろを振り返って言った。
「リオ、直ぐには帰れないみたい」
そう言って笑うと、アリスはアーサーの元に走り寄り抱き締めた。離れた所で、その光景を見るリオベルトの顔にも笑顔が浮かんだ。
アーサーは、アンジェリカを母様と呼び、アリスの事をカカ様と呼んだ。
アリスが教えた様だ。アーサーは、アリスが城に来るとベッタリの様だ。アリスが学園創設の計画を立て城で色々と仕事をしていても、くっついて回る様で教育係のアリスに懐いているアーサーを微笑ましく見守られている様だった。
王家では、後に王太子になる者は早いうちから教育係を据え、親よりも長い時間を過ごすのが当たり前の様な風潮があるからこそ、その光景が可怪しいとは思われない。
「起きたら、カカ様が居ないから探し回ったんだ。何処に行ってたの?」
「アーサーが良く寝てたから、リオと散歩してたのよ。たまには、アーサーもリオに遊んで貰ったら?」
「リオ叔父さんと?いいの?」
アーサーは、たまにしか顔を合わせないリオベルトに少し気を使っていた。顔色を伺う様にリオベルトを見上げるアーサーに、リオベルトは微笑みを向けると、アーサーに歩み寄り抱きかかえてやる。
「アーサー様。今日は私が御相手します。
アリスは、少し疲れてる様ですから休ませてあげましょうね」
「カカ様は、いつも忙しそうだもんね。
リオ叔父さんと遊ぶよっ」
満面の笑みを向けるアーサーに、リオベルトはアーサーの頭を撫でてやると「良い子だ」と笑った。
「アリス。ウィリアムも心配してた。
俺が迎えに行くまで、ウィリアムとゆっくりしてろ」
そう言うと、リオベルトはアーサーを抱き抱えたまま歩き出した。
「リオ叔父さん、何処に行くの?」
「そろそろ、アーサー様も男ですから剣の練習はどうですか?真剣はまだ危ないが、殿下が幼き頃に使っていた木の剣があるはずですよ」
「父上の剣?僕が使っていいのっ?」
顔を輝かせながらリオベルトと話すアーサーが遠ざかって行くのを見送っていたアリスは、二人が見えなくなるとウィリアムの元へと向かうのだった。
国の幸せの形とは、なんとも難しいと改めて思うアリスは歩きながら溜息を吐くのだった。




