夏休みの作文
日本はODAで技術依存関係を構築するのに成功した。
と言い、日本を大切に考えてくださる方がハーバードにいると聞いた。
現場で活動されていた日本人の皆さんは、とても凄いと思うし、この方も、なんて、日本を好意的に受け止めて下さるのだろう。
バイアスなしに他国をここまで理解、分析しようとする、この方の凄さに驚くとともに、分析した方、された方、一流は違うなと思った。
自分が情けなくなる。
だけど、日本人の庶民的感覚だと
技術依存関係を構築したわけではないんじゃないかな?とちょっとだけ違和感を感じた。
依存させ、従わせたり従ったりの利害契約のために
技術を伝えたワケではないと日本人なら思うだろうなと思う。
なぜなら、ずる賢さや狡猾さは賢さではない。
恥ずべき事。
ずるさは、経験値は低いが少し知恵のついた未熟な人間がそれをひけらかしてやる幼稚な卑怯さでしかないし、
相手の不利益や人の心を無視した狡猾さは、戦略なんかではなく、人の身になれず、いずれは自分の周りに帰ってくるということすらも計算できない、浅はかな単細胞でしかない。
褒められたものではない。
賢いとは真逆のイメージ。
どちらかというと、薄っぺらく幼稚さのイメージ。
例えば、まるで、小学生がテレビゲームで戦国時代の武将ごっこをしながら、どうだ!凄いだろう!欺いたぞ!賢いだろ?とやっているみたいな、
そんな幼稚さを感じる。
これはゲームではない。
ポイント手札を多く握ったら偉いわけじゃない。
皆が幸せに。
そうなるように動くだけ。
結果、不幸になりそうな人がでてしまいそうなら拾い、不幸にさせない。
それが目的。
技術を通じて絆が構築された。
たまたま、絆のきっかけが技術だっただけなんだと思う。
相手の手綱を握ろうとしたのではない。
結果的に、心の絆が構築された。
が正しいのかもしれない。
と思った。
この国の人達が快適に過ごし幸せになるように、
現場の人達が願い自国の技術を相手の国の人にどうやったら伝わるか頭を捻り伝える。
相手の国の人も、自分の国の人々が快適に過ごし幸せになるようにと、なれない文化の技術を必死になって受けとめ自分に落とし込んでいく。
その姿をみた相手も、ああ同じ気持ちなんだと、心に感じる。
時にぶつかりながら、違うけど同じなんだ、とさらに心に感じる。
受けとめる。
の繰り返し。
同じ目標に向けて、一緒に闘う。
本当の戦とは、こういうものなのではないかと思う。
いつも、戦う相手は目には見えない。
同じ目的の者同士が戦うのは、戦などではなく、
ただの赤ちゃんの「奪い合い」にすぎない。
目に見えないものと戦い出来た絆。
それは、簡単には解けない。
目には見えないお互いが一つの糸の端と端を握りつくった、固い絆。
どちらか一方が離したら、簡単に外れてしまう。
だけど、お互いに
相手のためにお互いに離したくない。
固い固い絆。
それは、お金やしがらみ、そんなモノでは簡単にきれない。
だってお互いに何かあったら助けたいから。
助け合うための約束ではない。
助けたいから。
ごく一部の人やそれが出来ない事情のある人を除き、人間の極自然な基本的な本能なんじゃないかと思う。
ただ、それが理解できない一部の人とは、あるところまで。と線引きされるのも、お互いのために、いたしかたないない。
色々違うところもあるけれど、ただ、相手が好きで離したくない。
絆。
みんな、そんな絆をしっかりと握り、自国へ戻っていき、時折眺めて、それを見た私みたいな自国の人がその絆を眺めながら、また1人絆を握る。




