実働時間
夫。私が離婚を切り出した事で、今までよりもより遊びに連れていく。
しかし、人のこと言えないけど、いつも同じ服だし年齢にあってない。
好きな服じゃないみたいだし。私と違ってスタイルも雰囲気もあるから、あっち系のほうが似合うと思うんだよな。と夫改造計画を脳内でする。
離れた後の事をおせっかい。
離れたあと、夫はきっと今より幸せになる。
そう願う。
最後になると思って連れて行ってるのだろうか?
今さら、どうこうなると思ってやってるかんじじゃないんだよね。
でも、相変わらず沸点が低い。イラついている。
前と少し違うことがある。
私はついていかない。
この、誰かの役に立てるのか、誰かに届くのか、本当に読んでいる人がいるのかもわからない小説を書くために。
折角の休みだというのに、もし、明日私が死んだら何ヶ月後に死ぬとわかったら、子供と一日中いられた最後の休みだったとなるかもしれない。
きっと後悔をするのかも知れない。
前なら、それに振り回された。
まだ、自分の気持ちを優先していたのかもしれない。
今は、少し本当の意味での親に近づいているのかもしれない。
何を子供に残せるのか。
よいものをのこせるか。
私の場合は治療のせいなのか、体力がない。
今は、さらに書く事でトラウマが蘇り鬱っぽくて踏ん張りがきかない。
でも、この鬱が小説を書くのに、いい仕事をしてくれてる。
多分、通常の人よりも1日に使える時間は少ない。
元気な人は一緒の時間を楽しめるかもしれない。
私の場合は、無理矢理こういった人の真似をして
少ない時間の中、毎回外に行ってたら。
体調を崩す。
帰ってきてから追われるように家事をする。
体調不良。ねる。
風邪を引く。
しばらく遊べない。
の繰り返し。
遊んでいる時以外は一緒にいるのに、苦しんでいる私を見せる事になってしまう。
私は、こうなってほしくない。
悪いお手本を良いお手本だと思わせたくない。
私の場合は、いたずらに長い時間を一緒に過ごすだけが正解じゃない。
私の場合は特に正解じゃない。
間違えばかりをしてしまう私は正解に連れて行ってくれる人を探していた。
間違えだった。
私は一緒に間違えて、一緒に笑ってくれる人といたほうが居心地がよいし幸せだ。
子供のために、苦労させないように、間違えないように、間違えないように生きないと。
そう生きてきた。
でも違った。
間違えても楽しい時間を過ごす方法。
間違えた場合どうするのか一緒に考え乗り越えていく。
遊んであげるのではなく、学ばせるのではなくて、
子供と一緒に生きる
ことが大事だと今さら気がついた。
今、私はやりたい事を見つけた。
私はそれをやる。
音楽が好きだから聴く。
踊りたくなったら踊る。
子供と遊びたくなったら遊ぶ。
遊ぼうと言われたら遊ぶ。
子供の趣味にお邪魔してみたり。
やりたい事のために生活の一部の流れを止め放棄するという選択をする。
誰かを悲しませない。
恨まない。
仕返しに頭をつかわない。
子供に思いっきりワガママをしながらやりたい事のために取捨選択していくママをみせている。