愛してるが届くまで、何度でも。
はじまして、はまちゃんと申します。
文才がないので短いですが、不定期でこのお話をかければなと思います。
あの日あの瞬間に僕は死んだ。
僕、橋本優多は勝という男と優海の間に生まれた。名前の由来は母に似ているから母から一文字取ろうという父の意向と、多くの優しさを持った人になって欲しいという母の願いからだった。
幸せな生活を送っていたと思う。だがその頃の記憶には鍵をしたからあまり思い出せない。いや、思い出したくないだけかもしれない。
父はいい人だった。だが名前の通りにプライドが高かった。何でも1番になりたい、勝つことが全てだという考え。それが間違いだとは言えないが、父はそれが行き過ぎていた。
母はとても優秀な人で、仕事と家事、そして育児をこなしていた。辛いはずなのに、大変なはずなのにいつも優しく、そして僕に笑顔を向けてくれていた。そんな母が大好きで大好きでたまらなかった。
いつからか父の母に対する言動が横暴なものになった。「お前は家事だけしてろ」だの「お前は俺の言うことを聞いていろ」だの。たぶん自分が母に劣っていることが悔しくて恥ずかしくて仕方がなかったのだろう。それでも母は父の言う通りにしなかった。それが続いた結果、あの日悲劇が起きたんだ。
1か月近く晴れが続くという異常気象だったのに、その日は1か月分を補うかのように激しい雨が降っていた。公共交通機関は軒並みストップし、もちろん両親の会社も休みとなった。
その日は両親が喧嘩をしていた。内容はもちろん先に述べたような内容だ。父の一方的な発言に母は呆れながらも丁寧に対応していた。でもそれが面白くなかったのだろうか、父は激高し、あろうことか包丁で母を殺してしまった。幼い僕は何も出来ずに母を殺されてしまった。数秒後、父は自分のしてしまったことに恐怖しながら僕に「このことは絶対に誰にも言うな、言ったらお前も優海のようにするぞ」と言ってきた。僕は怖くてその言葉に頷くことしか出来なかった。
その一週間後、父は捕まった。
母の会社の同僚が、母が会社に出勤していないことを不思議に思い我が家にやってきた時に父の犯行がバレたのだ。
この一週間は地獄だったような気がする。少しだが覚えていることがある。それは、僕が父に虐待されたことだった。
それのせいと言うべきか、それともそれのおかげと言うべきかは分からないが、僕は一時的に施設へと送られた。
優しいお兄さんとお姉さんがいたような気がする。
その1ヶ月後、諸々のことが落ち着いてから僕は母の兄夫婦、つまり伯父夫婦に引き取られることになった。