祈り人の伝説
「はぁ!?脱獄ぅ?」
レイゼルトは驚きのあまり、報告に来た兵士に思わず聞き返した。その目はこれ以上ないほど見開かれ、口は大きく開けられていた。陽の光を閉じ込めたように眩い金髪に空を映したような水色の瞳。絵本に出てくる王子様をそのまま現世に写したようなその見た目とは不釣り合いな表情だった。
「あいつが?」
「はい。」
「アンナが?」
「はい。ロキ・ファラストと逃げたと。」
「しかも男連れかよ。」
ロキ・ファラスト。ナピカの街で戦うボスだと、レイゼルトは思い出す。ロキ・ファラストが脱獄するのはストーリー通りだが、アンナと一緒に逃げたとなると話が違う。ナピカでロキ・ファラストとアンナの二人と戦うことになるのか。そもそもロキ・ファラストはレイゼルトを待ち受けているのか。
「それと、アンナ・リリスの物と思われる、砕かれた眼鏡が落ちていたそうです。
上から押さえつけられたようでモンスターに踏まれたか、あるいは自ら踏みつけたのではないかと。」
「…後者だとしたらまるで俺への宣戦布告だな。」
レイゼルトが知っているアンナは、レイゼルトのことが大好きで何があってもレイゼルトに全力で尽くす、そんな女だった。そのアンナが自分へ宣戦布告してくるなど、にわかには信じ難いことだった。
レイゼルトの隣に座っているマリアが青ざめた顔をしている。不安そうにレイゼルトの腕に抱きついてきた。
「せっかくレイゼルト様直々に罪を証明して頂いたのに、なんて傲慢な方でしょう。
レイゼルト様、マリアは恐ろしいです。」
マリアは翡翠色の瞳を潤ませてレイゼルトを見上げる。
「大丈夫だよ。マリアちゃん。
勇者様がついてるからな。」
「レイゼルト様……」
こんな綺麗な女の子がそばにいてくれることなど前世では決してなかった。アンナが何を考えていようが、レイゼルトもこの生活を手放す気はさらさらない。
まぁ、主人公の強制力ってやつでなんとかなるだろう。
適当に思考を片付けたレイゼルトの意識はマリアへ向く。レイゼルトはマリアを安心させるように頭を撫でると、その柔らかな頬へ口づけを落とした。
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アンナは姿見を見て、溜息をつく。予想通りの場所に予想通りのものがあるのを見つけたのだ。首にくっきりと黒い薔薇のような形の模様が一つ浮かんでいる。
他人から見えやすい場所でそれでいて本人には見えない場所。だから首を選んだとか。他人に所有の証を見せつけるために。そして本人の気づかぬところで呪いが進むように。
「ほんと悪趣味……」
アンナは誰に言うともなく呟いた。
入り口のあたりで物音がする。ロキが買い出しから帰ってきたようだ。アンナは慌てて髪を下ろして模様を隠す。
「お疲れ様。トラブルはなかったかしら。」
「ああ。問題ない。」
アンナとロキは現在、アミティナを出てルーハドルツに向かっている最中で、ナピカの街の近くにいる。
そして今アンナがいるのは、ナピカの街の外に設置したピグミーハウスの中だ。ピグミーハウスというのは旅人向けの魔法具で、見た目は人一人入れる程度の大きさのテントだが、空間の魔法でテントの中の空間が拡張されており、簡易な家のように中で生活ができるようになっているものだ。アンナ達が今使っているのは、リビングと寝室、風呂がついた一人用のタイプのピグミーハウスだった。
ロキは勲章の授与が決まった後、嫉妬や妬みを持った相手から襲撃される可能性に備えて、資産の一部を隠していたようだ。アミティナでアンナと別れた後、「信用できる知人」に会いに行っていたのではなく、実際にはそれを取りに行っていたらしい。そして、その荷物の中にこのピグミーハウスも忍ばせていたそうだ。
「お茶どうぞ。」
「ありがとう。」
ロキは少し微笑んでアンナが差し出したティーカップを受け取る。会ったばかりの時は全く表情が変わらなかったけれど、段々と柔らかい表情が増えてきた。元々仲間思いの優しい人なのだということは、彼の過去の話を聞いてわかっていた。多分こちらが彼の本当の姿なのだろう。
アンナにとって、男の人と一緒に暮らすのは前世と合わせても初めてのことだったから新鮮だった。ロキは紳士的だしマナーも完璧。宿舎暮らしだったから集団生活にも慣れているという。
「ロキとはこれからのこと、きちんと話しておきたいと思って。」
これまでアンナ達は王都から離れることを最優先に動いてきたため、腰を据えてロキと話す機会はまだ持てていなかった。
「私の目的はレイゼルト・イーディスの殺害。
ただ、レイゼルト・イーディスは世界で唯一の光の魔法の使い手。そして勇者でもある。
祈り人の伝説はもちろん知ってるわよね?」
「ああ。100年に一度、この国の中心にある世界樹に光の魔力を捧げなければ、自然災害やモンスターの凶暴化などの災厄が起こる。だから光の魔力を扱える勇者、もしくは聖女が生まれ、世界樹に魔力を届ける使命を遂行する。
僕はあくまでも王や貴族、権力者への復讐がしたいだけ。できれば無関係な国民を巻き込むようなやり方はしたくない。
…つまりレイゼルトには、世界樹に光の魔力を届けてもらわなければならない。」
概ね予想通りの返答が返ってきて安心した。出来るだけ無関係な人を巻き込みたくはない。そこはアンナも同意見だった。
「ええ。私達が脱獄したことで予定より遅れたけれど3日後、レイゼルトがアミティナを発ち、世界樹を目指す旅に出る。
レイゼルトは光の魔力を強くするでしょう。」
「つまり僕達は強くなった後のレイゼルトを殺す必要があるということだな。」
「ええ。基本的には…そうね。」
抜け道がなくはないのだけれど、その抜け道が使えるかはまだ見極めができない。
当面は魔力が強くなった後のレイゼルトとの戦闘を想定して、こちらの戦力の拡大を目指す方向で話は落ち着いた。
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それから1週間後、アンナとロキはルーハドルツに辿り着いた。
赤茶色の煉瓦造りの建物が並ぶ壮麗な街並み。街の中心には城のような見た目の建物があり、そこがルーハドルツ魔法学園だ。学園を中心として学生や魔法使い、魔法研究者が集まり一つの街ができたという。
そしてルーハドルツ魔法学園の現学長ダミク・シュナンの一人息子。カルム・シュナンがアンナの次の標的だった。
世間的な評判としては、容姿端麗、頭脳明晰で社交的な人物。何より魔法の才能に恵まれており、非の打ち所がない好青年。
しかし実際には非常に女癖が悪いという側面がある。幼い頃から親に厳しく育てられ、愛情に飢えていたカルムは、女性との情交に求めていたものを見出した。まず身体から堕とし、恋愛感情を抱かせることで、自分の思い通りになる駒を増やし、それが親の役に立つことにもなる。カルムにとってはメリットの多い行動なのだろう。
アンナとしては基本的に絶対に関わり合いたくない相手だが、魔法の腕は確かで、戦力としては魅力的だ。ただ、ロキと違って利害も一致しておらず、協力関係を結ぶ方法が分からずにいた。
「ロキ、とりあえずカルム・シュナンについて情報を集めたい。だけど今日はもう夕方で殆どの学生が寮に帰ってしまっているから、明日から動くわ。」
アンナ達はひとまず街の外に出てピグミーハウスで一晩明かすことにした。
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魔法学園の制服を着たピンク色のショートヘアの少女がクッキーを食べながら、ソファに寝転んでいる。欠伸混じりに見つめるその視線の先には、水晶を薄く切り取ったような物体が浮かんでおり、そこにルーハドルツの街の中の様子が映し出されている。
皿のクッキーがなくなり、少女が億劫そうに立ち上がった瞬間、水晶が輝き、黒髪に赤い瞳の少女が映し出された。
「んんん?」
少女は皿をソファに放り投げると水晶でできた画面の前へ駆け寄る。
画面を切り替え、画面の半分に黒髪の少女の別の姿を映し出し、ルーハドルツの街の中にいる少女の姿と照合する。
「おお!完全一致じゃん!」
少女の桃色の瞳がきらりと輝く。
「キャハハ!まさか来るなんて、ラッキーちゃん!
王国に引き渡してもいいけどな~
でもカルムが抱きたいって言ってるからな~
うん!カルムに報告しよ!」
少女は鼻歌混じりに部屋を出ていった。