悪魔の力を借りてでも
アンナの生家、リリス家には秘密がある。
遠い昔、悪魔から愛されたリリスという少女がいた。
悪魔はリリスを手に入れようとしたけれど、当時の神の使い、聖女に阻まれそれは叶わなかった。しかし、悪魔がリリスを諦めることはなく、代わりにリリスに呪いをかけた。悪魔の力、即ち闇の魔法を使えるようになる代償に、魔法を使い続ければ悪魔へと変貌するという呪いを。
そして、その呪いはリリス家の子ども、決まって女児に引き継がれていった。ただ、聖女も黙ってそれを見ていた訳ではない。聖女はリリス家の子が悪魔に堕ちるのを防ぐため封印を施した。
リリス家の子は悪魔の呪いと聖女の封印をその身に宿して生まれてくる。そして、自らの意思で聖女の封印を解かない限り、闇の魔法を使えないし、魔に堕ちることもない。
闇の魔力はリリス家の先祖の誰もが決して手をかけなかった呪われた力。実際、アンナの母親も殺される直前さえ封印を解こうとする素振りも見せず、ただ大人しく死を受け入れた。
私はそんな道は選ばない、とアンナは心の中で呟いた。たとえ悪魔の力を借りてでも、自分のやりたいことを成し遂げると、もう決めたのだ。
アンナはモンスターの前に歩み出ると、解除の呪文を口にした。誰に教えられた訳でもないけれど、生まれた時から力が欲しい時にはこの言葉を唱えればいいとアンナは知っていた。
「悪魔メフィストフェレスよ、アンナ・リリスの名の下に命じる。汝の力を我に捧げよ。」
アンナは詠唱を終えると、自らの掌に口づけを落とした。
その瞬間、アンナの身体から途方もない魔力が噴き出した。
――愛しいリリス。貴女の為なら喜んで私の力を捧げましょう。
どこからともなく声が聞こえた。歌うように柔らかな美しい男の声だった。
物陰でアンナの様子を見ていたロキは、全身の肌が泡立つのを感じた。数々の戦場を生き抜いてきたロキだが、これほどまでに邪悪で強力な魔力を感じたことはない。目覚めてはいけないものが目を覚ましたのだと、本能で理解した。
このどす黒い魔力をどう使えばいいのか、アンナには手に取るようにわかった。
氷の魔法は使えなかったけれど、この迷宮に施されている魔封じの術も闇の魔法には通用しないようだ。
「鍵のモンスターさん。あなたに恨みはないけれど、私のモルモットになってもらうわ。」
鍵のモンスターはアンナの魔力の気配に怯んだ様子を見せていたが、すぐに戦闘態勢に戻り、目の前の獲物を狩るべくアンナに向かって走ってきた。そして、アンナ目掛けて鋭い爪の生えた前脚を振り下ろしてきた。アンナは闇の魔力で鞭を形成すると、その鞭を柱に巻き付けて身体を引き寄せることでモンスターの攻撃をかわした。
モンスターの攻撃の威力でアンナが先ほどまで立っていた場所の石造の床が抉れた。
あのモンスターの攻撃を喰らえば致命傷は避けられないだろうが、当たらなければ問題はない。アンナは鞭を数本増やしてモンスターの身体を縛ると、鞭を持っていない方の左手をかざした。
《闇の球》
黒色の球体がモンスターを包み込む。闇の魔法には生き物の生気を吸い取る力がある。
アンナは術に魔力を流してモンスターの体力を奪っていった。モンスターは苦しそうな鳴き声を上げていたが、体力が尽きると力無く地面に倒れた。それと同時に空間が歪み大きな亀裂が発生した。
アンナは魔法を解くと安堵の息を吐いた。
「君の魔法、勇者や聖女だけが使える光の魔法と対になる魔法、闇の魔法なのか?」
物陰で見ていたロキがレーヴァテインの方に歩きながら話しかけてきた。ロキはこちらの実力を推し量るような目線をアンナに投げてきている。
「流石に騎士様は物知りね。そう、私はこの世界で唯一闇の魔法を使える者なのよ。」
「なるほど。第二皇子を倒せる算段を持ってるって訳か……」
ロキはレーヴァテインを手に取り、腰につける。
「これだけ暴れれば警備の者が来るのも時間の問題だ。早く行こう。」
「少し待って。」
アンナは眼鏡に手をかける。
闇の魔法を解き放った今、この眼鏡は必要ない。命を救われたあの日、レイゼルトが光の魔法をかけてくれた眼鏡。アンナがもう二度と狙われることがないようにとアンナの赤い瞳を隠してくれていた眼鏡。
アンナは眼鏡を地面に放ると思い切り足で踏み砕いた。
「髪も仕事に邪魔だから結んでたけれど、もうその必要もないわね。」
解かれたアンナのウェーブがかかった長い黒髪がふわりと舞った。
地味眼鏡女と呼ばれた少女の面影はもうなく、悪魔のような少女の姿がそこにはあった。
「待たせて悪かったわ。それじゃあ行きましょう。白雷の騎士さん。」
アンナとロキは亀裂の中へ飛び込み、迷宮の外へ出た。