試したことはないの
ユリスに投与された薬の作用で、魔力の暴走が止まらない。ずっと全速力の走り込みを無理矢理やらされているような感覚だ。肩を上下させながらアンナは荒い呼吸を繰り返した。
アンナがいる部屋の中はめちゃくちゃになった。壁や床も凹みだらけ。置かれていた椅子は闇の力に侵されて木屑になった。
しかし、ユリスは少しも意に介している様子はなく、アンナに休みを取らせてまた薬を投与し暴走させる。その繰り返しだった。
「パワークリスタルに魔力を移すのは不可能なんだね。」
闇の魔力を吸収して砕けたパワークリスタルの破片をつまらなさそうに放り投げながらユリス言った。
恐らくユリスはアンナを悪魔化させようとしている。
体力の限界を迎えてアンナは意識を失った。
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――困っているようですね。リリス。
真っ暗闇の中、声が聞こえた。
聞き覚えがある声。契約の時、確かにアンナに応えた声。
「……メフィスト?」
どちらを向いて尋ねればいいのかわからなかったから前を向いたままアンナは尋ねた。アンナの声は闇に吸い込まれていった。
――ええ。人間はそう呼びますね。
悪魔のものとは思えない、ずっと聞いていたいと思わせるような耳心地のいい声だった。
「他人事みたいに言うけど貴方のせいでもあるんだけど。いっそ貴方が出てきて話をつけてくれたら早いのに。 こんなことしても無駄だって。」
――ならば、契約を結びますか?
「私の何かを差し出したら協力してくれるってこと?」
――ええ。貴方のためなら喜んで。
「そう……」
悪魔からの提案ほど信用できないものも、この世にそうそうないだろう。悪魔の方からアンナの意思に干渉することもできるのか、と考えていたところでこの状況を変えるためのアイデアが浮かんだ。
「待って!この方法ならいけるかもしれないわ。」
アンナは手を叩いた。
「契約はしないわ。だけど、一応、その…ありがとう!」
アンナは思いついた方法を試すため、現実の世界へと意識を戻した。
――ふふっ。私に礼を言うとは。本当に愛い人だ。
アンナの意識はもうここにはない。悪魔は独りごちる。
――貴方には進んでもらわないと困るんですよ。
私の手の中に堕ちるその日まで……
歌うように軽やかに、悪魔は呪いのような言葉を口にした。
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悪魔との対話を終えて、アンナは目を覚ました。
「ああ、起きた?」
部屋の隅からユリスの声がした。ユリスは壁にもたれかかって本を読んでいた。
アンナは引きずるようにして身体を起こす。固い床の上で寝ていたので身体のあちこちが痛んだ。
「ねぇ、貴方の使い魔、研究施設の子ども達の魂を元にして作ったって言ってたわね。貴方は聞いてみたことがあるの?彼らの声を。」
ユリスの足元には黒猫の使い魔がいた。ユリスの足にしっぽを絡ませて遊んでいる。
「聞こえるはずがないよ。魔力の器として無理やり魂を魔法で繋ぎ止めてるだけで、彼らの意思はとっくに死滅している。」
「試したことはないの?」
「あるよ。一応。この子達はオレの言うことには従うけど、意思の疎通ができるわけではない。」
ユリスの答えを聞いてアンナは肩を落とす。使い魔の元になった研究施設の子ども達なら、ユリス自身の将来を考えて、闇の魔法に執着する今のユリスを止めてくれると思ったのだ。
「このままだと私は悪魔化するわ!そうすれば世界がどうなるか……」
「いいよ。興味ない。」
ユリスの冷たい声に遮られた。
「君が悪魔化しても、幸いこの時代にはレイゼルト・イーディスがいるしね。」
「ユリス……」
説得は無理なのかと諦めかけた時、部屋の扉が開かれた。それと同時に、アンナの方へ何か赤い色をしたものが猛スピードで向かってきた。
ユリスとの会話に集中していたアンナは、咄嗟のことで魔法を出すのが間に合わなかった。
「……!ユリス!」
ぶつかられたような衝撃を感じて、アンナは後ろに倒れ込んだ。アンナを庇う形でユリスが覆いかぶさっている。
床に落ちた血を見てアンナは状況を理解した。扉から飛び出してきたのはモンスターで、アンナを庇ってユリスが傷を負ったのだ。ユリスの背中には爪で抉られた傷があった。
襲ってきた赤毛の虎のようなモンスターはユリスの使い魔の蛇に締め上げられている。
「やれやれ。酷い状況だな。」
そう言いながら部屋に入ってきた人物の姿を見て、アンナは目を見開いた。声の主は金髪の若い男だった。