プロローグ -02
「さてこんなところで立ち話もなんだし、もしも立って歩けるようなら、城へ行こう。歓迎するよ」
「ありがとう、ございます」
座り込む私に、その人は手を差し伸べてくれた。この手を取って立ち上がれば、私の物語が始まるのかもしれない。
きっとそうだ。だって、あのクマのようなものから、私は生き延びたのだもの!
「あ、名乗ってなかった。私の名前はベアトリクス・ツェツィーリア・クリスタラー」
「女の人だったんですか?!」
「うん、そうだよ?」
彼は――彼女はその手のひらに載せた私の手を掴んでぐいと引っ張り立ち上がらせながら、彼女は、彼女は名前と性別を教えてくれた。格好良かったから、てっきり男の人だと思っていたよ。
「もしかしてあなたのお国には、女性騎士はいないのかな?」
そもそも騎士がいません。なんて答えたものかな。いいか、素直に答えてしまって。
「武家に生まれて、戦う女性は過去居たようですが、その、とても平和な世界なものでして」
現代、私の国に限っていえば女性でも戦ってる人はいる。戦ってる、というか、女性自衛官というか。
役職? 的には騎士に近いのかもしれないけれど、多分違うものだと思う。確か騎士って、家系に連なるモノでしょ? 多分イギリス辺りが近いと思うんだけれど、日本は身分制度無くなっちゃったからな。
「あなたのお名前も、お伺いしても?」
立ち上がった私の腰の上、背中の下の辺りにそっと手を添えて歩くのをサポートしてくれながら、ベアトリクスさん、でいいのだろうか。彼女が、聞いてくる。
そうだ。びっくりしてしまって名乗ってなかった。
「すみません。忘れていました。月島絵里です。月島が名字で、絵里が名前です」
「ゴルツ風なんだね。承知した」
「ごるつ?」
「ああ、足元に気を付けて。少し行ったら、私の馬と荷物袋があるから、そこで一休みできるから」
ベアトリクスさんの顔を覗き込んでしまった私に、注意を促してくれる。森歩きなんて慣れてません。お手数おかけします。
「あなたの国のように、姓・名で名乗る国があるんだ。アーベルのすぐそばではないけれど、国交があってね。あちらの人も、多少は領にいるから、紹介するよ」
確かに完全に故郷の人ではないだろうけれど、なんとなく落ち着きそうな紹介ではある。
もう休みたい、もう無理と悲鳴を上げる両足にもう少しだけ頑張ってと心の中でお願いを繰り返しながら、ゆっくりと森の中を歩く。彼女が私を支えてくれなければ、多分歩けていない。それぐらいもう限界だった。
森の中に道はなく、他の場所にはあるのかもしれないけれど、少なくとも今私がいる場所にはそんなものはない。彼女は左手で私を支え、右手で軽く下生えを払ってくれるから先ほどよりは歩きやすい。
茂みの向こう側でがやがやと人の声がした。人の、男性の、声。それも一人二人ではなく、多分もっといっぱいいる。
思わず、私は彼女にしがみついた。
「大丈夫だよ。私の仲間たちだ」
ベアトリクスさんは、私をあやすようにぽんぽんと軽く私の腰を叩いてくれた。
「教会にあるバルバラ様の像が抱えるスズランが赤くなってね、これは何かあったと、私が先に単騎駆けしてきたんだ。彼らは後詰だよ」
「ああ、そうなんですね」
こういった物語だと、ほら、山賊とかが出てきたりするものだから、つい。
私たちは茂みを抜けて、その人たちと相対するけれど、この人たちは本当に山賊ではない? 大丈夫?
「お、団長。ご無事でしたか!」
ひときわ体格のいい山賊らしさで行ったらトップクラスの髭の人が、こちらへと歩いてくる。少なくともベアトリクスさんを団長、と呼んだから、彼女の仲間なのだろう。
いや彼女が山賊であることは否定されていないな? 自分の事を騎士と言ったし、その立ち居振る舞いから彼女を山賊とは思っていないけれども。
「ボニファティウスか。ちょうどいい。この奥でバルドゥイーン様をお救いした。アイベンシュッツに追われていたので、その死体の処理を頼む」
「はい」
「それからお荷物をお持ちではないので、来た道をたどって探して来い」
「承知しました」
その山賊の頭領みたいな人はきりっとした表情で真剣に指示を聞いている。がやがやしていた他の人たちも口をつぐんで、指示を聞いているようだ。
「バルドゥイーン様、心細かったでしょう。城まではもう少しありますが、もうひと踏ん張り頑張っていただいて。どうぞ領主さまのお館でお休みください。
その間に、お荷物なんかはこちらで探しておきますよ」
ベアトリクスさんの指示を聞いた、ボニ、ボニティ……? さんは、私に優しく微笑みかけてくれた。気を使ってくれているのが分かって、ほっとする。
おそらくはお仲間だろう人たちも、私に向かて頷いてくれた。
「よろしく、お願いします」
ぺこりと頭を下げる。こちらの挨拶がどんなものかは知らないけれど、私の所ではお願いするときに頭を下げるし、丁寧にお願いされて、嫌な気はしないはずだ。多分。
お局様にはそれを媚を売ると表現されたけれど、現時点で我が身を顧みるに、媚は売っておいて損はないので良しとする。そもそも上から目線で命令されるより運びを売られていると分かっても、丁寧に接される方が良いと私は思うのだけれども。
「バルドゥイーン様は運がいい方なんですよ」
「そうそう、教会のスズランが赤くなった時、たまたま近くにベアトリクス団長がいてさ」
「誰よりも素早く何かあったかとすっ飛んでったもんなあ」
「アイベンシュッツに出会っちまったのはご不運でしたな」
森の中へと入っていく男性陣が、すれ違いざまに機嫌よく、私に話しかけていく。返事は求められていないようで、声をかけるだけかけて森へと入って行ってしまう。
「無礼者ばかりで申し訳ない。彼らは一般市民から騎士団に入った者達で、荒くれ者よりはまし、くらいに思っていただければ幸いだ」
「そんな扱いでいいんですか?」
ベアトリクスさんは木につながれていた馬に近寄り、袋から竹筒の水筒を取り出して渡してくれた。郷土資料館かなんかで見たことあるな、これ。
同じく竹でできた蓋を取って、臭いを嗅ぐ。飲めるといいな。
うん、泥水みたいな臭いはしないから、行けるだろう。と、傾けてみれば、とても美味しい冷たい水がのどを潤してくれた。
「良いも何も、ボニファティウス以外は本当にそんな感じなんだ。詳しくはまた明日以降話すことにするけれどね」
竹筒を空っぽにする勢いで水を飲んで、手の甲で口を拭って、ベアトリクスさんに頭を下げる。
「お水、とても美味しかったです」
「それはよかった。バルドゥイーン様は、ワイルドなんだね」
「荒くれ者ではありませんが、一般市民なので」
というか、ハンカチがない。
ハンカチはカバンの中とジャケットの右ポケットの中だ。ジャケットは私を守って儚くなってしまったし、カバンは……カバンは? そもそも持ってた?
ないから、仕方がないのだ。
「じゃあもしかして、私の喋り方の方が、堅苦しく感じているだろうか?」
「そうですね。不快、という訳ではないですが」
山賊じみた彼らの言葉遣いを肯定するわけではないけれど、どう感じるか、という話なら彼女の方がきっちりしているな、とは感じる。快不快の話ではなく。
「不快ではないのなら、それでよしとしようかな。ところで、馬に乗ったことは?」
「ないです。……あ、子供のころに、移動動物園のポニーに」
ものの五分程度ではあるけれど乗った。多分問われているのはそうではない、と思いつつ付け加えてみた。
「そうか。私が支えるから、楽にして。初めて乗るのなら疲れるだろうけれど、その足で歩くよりは、マシなはずだから」
「よろしくお願いします」
乗せてくれるお馬さんにも、お願いした方がいいだろうか。
「よかったら、鼻の辺りをなででやってくれない。カリーナというんだ」
「カリーナ、これから背中に乗せてもらいます。よろしくね。あ、私は月島絵里と言います」
カリーナは、私を真っ黒な瞳でじっと見つめてくれた。薄茶色のストレートな鬣で、くせっけの私は少し羨ましいと思ってしまう。耳も私の方を向いていた。気にかけてくれているようだ。
多分もう一話
2024.12.19 加筆修正。もうここからボニファティウスの名前表記ゆれ始まってるのね……。ごめん。