朝食の前に
今回は少し長め
少しだけですが
簡単に着替えて、鏡台にあったブラシをお借りして、髪の毛を整える。シャルロッテさんが来た時には、手櫛で整えただけだったけれど、子供の時ほどこんがらがってはいなかったので、まあ良しとすることにした。
もしかしたらお化粧とかする必要があるのかもしれないけれど、今手元には何もない。化粧ポーチはいつの間にかどこかに行ってしまっていたカバンの中だし、そもそも基礎化粧品の類は家だし。
今朝不自然にハンガーラックに混ざっていたあのドレスを着るようなとき以外は化粧を特にしなくてもいい文化だと楽なんだけれど、それは後で聞く事にしよう。聞かなくても分かるかもしれないけれど。
「お待たせいたしました。朝食に参りましょう」
ソファに座ってぼんやりと待っていたら、シャルロッテさんが迎えに来てくれた。昨夜夕飯を食べたのが何時かは知らないけれど、お腹は空いている。そういえばこの部屋、時計ないなあ。
「食堂は一階にあります」
「はい」
シャルロッテさんに先導されて、可愛いワンピースに昨日森の中を疾走したパンプスで朝食会場へと赴く。靴だけは、足に合ったものを後日あつらえましょう、とシャルロッテさんに言われてしまっている。どうにも、「市販品」とか「既製品」というものがないようだ。服も自宅で仕立てるか縫い直すかで、靴は特別な職人以外は作れないそうだ。許可がないと販売できない、作成できない、とかではなく、単に職人じゃないとうまく作れない、ってことらしい。
まあ、私のパンプスは昨日私が着ていたものの中では比較的ダメージが少なく、靴の底にこびりついた土を洗えばまだ履けるんだけれど。はく靴はある、というのは、それだけでありがたいことらしい。
廊下に出て、足音を吸われるくらい毛足の長い、しかしふわふわして歩きづらいという事のないつなぎ目の無い絨毯の上を歩いて、昨日の階段まで行く。外から見た感じは二階建てってことはなさそうだったから、他の場所に上りの階段はあるのだろう。ご当主様の絵画の前を通って、玄関ホールへ。
そういえば前に、玄関ホールでパーティをやるってシーンを何かの小説で読んだけれど、ここなら可能そうである。グランドピアノを運び込んでのダンスパーティとかは難しそうだけれど、子供が何人かの立食パーティなら可能そうだ。
なるほど、海外は、いやここは海外どころの話じゃないけれど、広いのだなと変なことを考えながらシャルロッテさんの後に続く。
私が泊めて貰った部屋はお城の向かって右側だったけれど、食堂はどうやら左側にあるらしく、シャルロッテさんは玄関ホールを横切った。勿論私もそれに従う。
同じように長い廊下があって、足音の響かない絨毯が敷かれているけれど、絨毯の色と柄が違うような気がする。詳しくないから、気がする、止まりだけれど。
いくつかのドアを素通りして、シャルロッテさんはブラックのドアをノックした。ステンレスとかの金属製でなはく、木材を黒く塗った……わけでもなさそう。多分、経年で黒く光って見えるのだろうドアだ。
「失礼いたします」
中からの返事を待たずに、シャルロッテさんがドアを開けた。
部屋の中には、四角いテーブル。
正面には男女が二人。片方は肖像画で見た人だから、当主様だろう。お隣に座っているのは奥様かな。
その左隣、当主様の右隣の辺にも男女が二人。その隣にも男女が二人、最後の辺にも男女が二人で、四面全て男女が二人座っている。どういうことだ。
「おはよう、エリィ。よく眠れた?」
私を手招きしてくれるベアトリクスさんは、ご当主様の奥様の左隣の辺にいた。そこだけ椅子が三脚あり、ベアトリクスさんの左隣が空いているということは、そこが私の席なのだろう。一応末席であるけれど、すべての辺が埋まっていることからそう言う訳でもないのだろうか。
その辺りは、まあおいおい分かればいいかなと思う。現実世界のこういうマナーだってややこしいのに!
「おはようございます。はい、とてもよく眠りました」
入口で、そのまま軽く頭を下げる。頭を上げてから、ベアトリクスさんの招きに応じて席に座らせてもらう。なぜかシャルロッテさんではなくて、ベアトリクスさんが椅子を引いてくれた。
「初めまして、バルドゥイーン殿。私はディーデリヒ・ファビアン・クリスタラー。ここ、アーベル国の南の果て、バルリング森の守護を任されている」
威厳たっぷりな、重低音だ。なんかこんな声の声優さんいたな、と思うけれど私は詳しくないので誰かは分からない。でもゲームとかCMとかで聞いた気がする。
ところで、こういう時ってどうすればいいんですかね。笑顔でニコニコしてましたけれど、私も何か言わないとまずいよね。でも何を言えばいいのか。
「父さん、昨日も言いましたけれど、エリィは庶民の出で、そのように堅苦しく言うと困ってしまいますよ」
「致し方なかろう。最初はちゃんと言わねばならないのだから」
なんと言っていいのか分からないでいた私の気持ちを、ベアトリクスさんが代弁してくれた。とてもありがたい。会社の先輩たちなら、なんとなく卒なくコメント返しそうだけれど、それは買い被りなのだろうか。どうだろう。立派な社会人でもこれは難しい?
「保護していただき、ありがとうございます。月島絵里と申します。どうか、エリィとお呼びください。これからお世話になりますが、よろしくお願いいたします」
先輩なら、なんていうか。そう考えると、なんとなく答えが出た気がしたので、頭を下げた。座ったままだけれど。
「貴方、わたくしたちのことも紹介してくださいな。このままでは、バルドゥイーン様にお声もかけられないわ」
「ああ、すまん。バルドゥイーン殿、ひとまず我が家族を紹介させていただこう。隣に座るのが、我妻ハンネローレ」
「ご挨拶が遅くなりました。わたくしも、トリクシーにならってエリィちゃんとお呼びしても?」
にこにこというよりはふんわりと微笑みながら、貴婦人がゆったりと問うてくださる。お召し物はワンピースだけれど、私がお借りしたものよりも、ドレスに近い気がした。気がするだけで、一人で着れそうではあるのだけれど。
「とりくしー?」
「私の事だよ。ベアトリクスの愛称だ。エリィにもぜひそう呼んでもらいたい」
隣に座ったベアトリクスさんが、教えてくれる。ベッキーとかじゃないのか。
「ありがとうございます。是非、エリィと。その、バルドゥイーン、は、聞き慣れない言葉なので」
ベアトリクスさんにもお礼を言って、奥様にも頭を下げた。もう是非、皆さんエリィで統一してほしい。
「ディーデリヒも言いましたけれど、わたくしたちはあなたを歓迎いたします。実家のようにはくつろげませんでしょうけれど、どうか親戚の家に遊びに来たと思って、くつろいでちょうだいね」
「ありがとうございます。そうできるといいな、と思います」
生憎私の両親の実家はそんなに広くなくて、田舎に帰ってもこんなに広い家に遊びに行けたことはない。いや勿論こんな広い家の方が少ない、っていうのは百も承知だけれど、それでも。普通の日本家屋におけるスタンダードな一軒家しか知らない身としては難しい。
「食事の前に、紹介だけしてしまおう。これは、長男夫婦だ」
ディードリヒ? ディーデリヒ? ベアトリクスさんのお父さんが右手で、右隣に座る男女を指し示した。
「これとはひどいな。トリクシーの上の兄、フェリクスだ。こちらは妻のエレオノーラ」
「お目にかかれて光栄ですわ、バルドゥイーンさま」
お父さんによく似たがっしりした体格の金色の髪の男性が、金というよりは茶色に近い髪色の奥さんを紹介してくださった。覚えられる自信はないが、まだあと三人もいるのである。
「その隣が、次男夫婦だ」
「グスタフと、その妻のヨハンナだ。トリクシーも含めてよく似た四兄弟と言われているから、俺のこともフェリクスの事もひっくるめてお兄さんと呼んでくれて構わない」
自覚があってくれるようで何よりです。その隣で奥様は、くすくす声を殺して笑いながら、軽く会釈をしてくださった。多分、あれは声が出せないくらい笑っている。
「それから、未婚の子供たちだ」
「イグナーツと申します。弟です」
「よろしくお願いします」
確かに弟さんだけ、お兄さんたちと似ているのだけれど若く見える。若いというよりは、幼いというか。多分まだ、高校生くらいじゃなかろうか。
「アーベル、食事にしてくれ」
「かしこまりました」
さらっと一周紹介が終わったところで、ずっと控えてくれていたのだろう、黒いスーツの、多分執事服とかそういうたぐいの服を着た男性に、ご当主様が指示を出した。
次回更新は1月24日19時です
執事の名前と国の名前がもろ被りしていますが、そういうこともあると思ってください
ほら、インドとかだと神様の名前子供につけるのよくあることですし
それとは違うとの突っ込みはなしで