佐世保 10
ートラフダイトという革新的な素材は日本において功罪をもたらした。
既存兵器の常識を覆したターニングポイントとしての一面を持つ反面、そもそもとしてトラフダイトが見つかりさえしなければ、中国がただの運動団体だった「国共解放戦線」に武器を供与してクーデターを促した上、本国から部隊派遣を行うことはなかっただろう。
紛争前の日本政府はトラフダイトの発見について大きな希望を頂いていた。
南海トラフ自身による東海地方の惨状は東日本大震災に匹敵するレベルであり、復興には莫大な予算と労力を要する試算が出て、行政が頭を抱えている最中に見つかった。
発見されてからの研究は目覚ましいほど進み、そのあまりの汎用性と有用性、そしてある条件を満たせば非常に簡単な精製が可能な素材であり、復興どころか世界経済をリードする存在にも返り咲ける程のポテンシャルを秘めている。
更にトラフダイト採掘可能なポイントは全て日本の排他的経済水域内にあり、「濡れ手に粟」と言わんばかりの好条件が揃っている。
分かりやすく言うなら、「島国であるが故に鉱物資源に乏しい日本が、従来の鉄鋼技術の限界を覆す新素材を現状ほぼ無限に採掘でき、日本だけが加工・精製も容易にできる」といったところか。
日本国民からすれば、巨大地震で多くの被害と犠牲を生み、疲弊していた中で、福音にも等しい地球からの贈り物になるー、はずだった。
ただし、それは画餅に帰す事だったことをすぐさま知らしめることになる。
震災においておよそ同情的だった諸外国からは、トラフダイトの有用性を認識されていくほどに採掘権の分譲を声高に主張を始めた。
特に強固に主張したのは米中であり、米国は同盟国であることを強調したうえで共同採掘権を熱望し、他方中国は「日本国のみの資源の独占は西側諸国の奴隷を生み出し、大日本帝国の再来を引き起こす重大な懸念」として恫喝紛いに採掘地域の割譲を欲した。
同盟国の米国についてはゆくゆくはという形で一旦は合意に至ったが、中国に関しては再三議論を重ねたところで意見は翻らず、それどころか安全保障上の問題として経済制裁を匂わせてくるまでに至る。
結局のところ、諸外国相手には「南海トラフに起因する巨大災害」の復興までは待ってもらい、凡その復興が出来たタイミングで各国に均等に供与する旨を通達。
事情が事情だった故に各国も吞まずにはいられない為、一旦は解決したと思われていたが、中国党本部は諦めず、解放軍などの日本国内における反日過激派勢力と接触し、武装蜂起によるノウハウの伝授や軍備の提供を行っていったのは前述の通りである。
現状、日本は南海トラフ及び解放軍との戦争状態を経ても尚、国体そのものは維持することに成功しているが、それもあくまでトラフダイトとその加工技術を日本が占有、管理して他国に渡っていない為に独占状態が維持され、同等品が作られていないことが大きい。
ただ、その独占状態も日本臨時政府が劣勢であるが故に黙認されていたものであり、関西奪還を為してからは「トラフダイト供与は紛争終結まで」という暗黙の了解が崩れ去ろうとしていた。
特に欧米諸国からは「加工技術の提供」について求められており、要求に応じない場合には支援物資供給を停止するという強硬な態度をとる国もある程だ。
同盟国かつ日本沿岸で警戒活動に助力している米国に対しては道理が通るものだが、欧州のある国等に至っては大した支援もしないまま、トラフダイト関連の供与だけ預かろうと騒いでいるような横柄さを出している国もある。
日本政府は到底許容できる内容でない要求については毅然として跳ね除けた上で、トラフダイトについては紛争以前の条件を変え、「解放軍との紛争が終結次第、世界情勢を鑑みながら段階的に供与していく」と声明を発表するに至った。
紛争以前の日本政府ではまずこういった毅然とした態度は出来なかっただろう。
解放軍初期の攻勢によって多くの人命と共に政府や行政も主となる人員を喪失。
解放軍という「暴虐無人な侵略者」によって生まれた強烈な反中感情によって、親中派ないし多くの政治屋が軒並解放軍に譲歩する案を出した為に不評を買い、失脚した事で皮肉にも政治家達が台頭できる土壌が生まれた。
「腐敗しきった政治屋たちの『政治の為の政治』が行われていた状況を結果的に打破した」という意味では、解放軍の武力革命そのものの意義はあったと後世では評されるだろう。
ただ、それはあくまで後世から見た結果論に過ぎない。
前述してきた通り、彼らは日本にとって安全を著しく脅かす「テロ組織」だ。
連中の動向に意義を持たせてしまえば、不法に土地を占有し、虐殺の限りを尽くし、今も多くの人を苦しめている現状を正当化する事になる。
国の体裁は勿論、国民の心情を慮っても到底許容できない上、一度そういう見方が出来てしまう事で第二.第三の「国共解放戦線」が生み出されていく未来は容易に想像がついた。
この毅然とした外交を紛争以前で出来ればあるいは結果は異なったのかもしれない。
また、日本臨時政府が解放軍に敗北したとして解放軍が日本を統一すれば、そのまま中国の属国ないし自治区になるのは明白で、トラフダイト資源は中国がすべて占有することになる。
「電磁波や放射能を吸収し、他の金属分子と結合することで軽く頑強な素材を精製できる」という現行技術を底上げするような夢の物質を独占すれば、軍事面・輸出面において多大なアドバンテージを有することになり、世界のパワーバランスは大きく崩れる事だろう。
中国は「台湾統一」はおろか、アジア一帯を支配地域とするのもあながち夢物語ではない。
前述した通り、この解放軍との紛争は中国による変則的な「侵略」の形式であり、日本臨時政府はこれを止められるかどうかで今後の中国の対外戦略に影響を及ぼす。
日本のトラフダイト占有について渋々ながらも各国が了承したのも、解放軍が勝ってしまえば中国統治によるトラフダイト独占の未来は見えていた為にやむを得ないと判断したからだろう。
見方を変えるなら、日本、ひいては統合軍というのは中国という大津波に対する防波堤の役割を図らずも担う事となる。
ただ、その防波堤は内部から少しずつ亀裂が入ってきていた。
ー爆沈した「青龍」の残骸は、それから数週にかけて回収作業が行われ、機関部、推進部及び直接の轟沈理由になった榴弾砲破孔部を含めた8割ほどの船体引き揚げが完了した。
目的は放たれなかった核ミサイルの回収及び世界初のトラフダイト合金で作られた原潜の実戦データ取得も含まれている。
クルーの救助についても同時進行で行われたが、脱出の形跡もなく、艦橋要員は艦と運命を共にしたか破断した艦橋から海中で投げ出されたようで他の各部署担当クルー達も損壊した水死体などで何体か発見されている。
結局、艦に搭乗していたクルーの総数も不明な為、引き揚げ作業完了と時を同じくして全員死亡ないし行方不明のまま、救助活動は断念されることになった。
引き揚げれらた船体は一旦佐世保の乾ドックに揚げられ、調査を開始。
調査を進めていくと、「青龍」は従来の原潜のコンセプトとは異なる系統のカテゴライズになり得る艦だった事が分かってきた。
例えるなら「堅牢な防御力を持つ大型艦に大火力を持たせる」という、旧大戦における大艦巨砲主義時代の戦艦に近しいものである。
主機となる部分は航宙艦にも用いられる核融合レーザーを流用したことで船体は弾道ミサイル型原潜よりも大きいにも関わらず、推定速力は従来ある攻撃型原潜の30数ノットを優に超える40ノット(時速75km相当)近くは出る上、最大潜航深度は推定1,000mは耐え得るというものだ。
また、大容量コンデンサを使う事によって瞬発的に最大45ノット近くは出せる上に、一時的であればコンデンサの電力のみで航行も可能であり、図体に似合わず隠密行動もとることが出来る。
この驚異的な速度は従来型の原潜よりも「より高効率な主機」で「より軽量な装甲材」を用いるという、至極単純な原理でもって実現できた。
実際、今までにも各国でも同じような試みは検討されてきた。
ただ、より高効率を求めるにも核動力の主機については性能が現行技術のある一程度まで来ている関係もあってほぼ頭打ちになりがちな上、構造が複雑化していけば運用コスト及び整備点数などが比例的に上昇する当然と言えば当然の帰結が待っていた。
仮に主機の問題をクリアしたとしても、より軽量な装甲材を使えばその分耐え得る水圧の限度によってどうしても更にコストを上げて装甲材を厚くするか潜水深度を妥協しなければならない。
兵器において最も重要視されるのは性能ではなく、「対費用効果」である。
他国のモノよりも高性能であるのは望ましいが、性能を求めた結果他国よりも倍のコストがかかるのでは話にならない。
結果、装甲部や主機というよりはその他部品によるアップデートを繰り返すような改修が最も効果的でコストも抑えられる事実にどの国でも辿り着いた過去がある。
そういう意味では「青龍」も主機において新規開発をするわけではなく、航宙艦用のレーザー核融合炉ありきの開発で、最も莫大なコストとリソースを要求される部分の問題を解決していた。
また、複殻構造かつトラフダイト合金を使用した装甲板によって、装甲材の重量を落としたにも関わらず現行の原潜、引いては艦船の中でも規格外の防御力を有している。
その上でミサイルセル下部にあるミサイル格納庫を数セル毎にブロック化、主機周りも厚い装甲板と衝撃を軽減する特殊な緩衝材で保護することで、ダメージコントロールにおいても優れた能力を発揮できた。
事実、引き揚げた船体で確認できる内、砲撃を除いた直撃弾だけでもおよそ魚雷8本と機雷6基の被雷、至近弾も含めれば十数の被弾を受けていたが、戦闘時には航行能力に著しい低下が見られていない。
結局、前述の通りに浮上したタイミングでAJT-HEAT弾を使用した105mm榴弾2発がミサイル格納庫に直撃したことでようやく轟沈したという事を鑑みれば、そのタフさは芹沢の言うところの「大和型戦艦」の喩えに恥じぬものだろう。
ただ、大型化した事による弊害も無視できない。
部品や戦闘時の録画などを基に作られた「青龍」シミュレーションモデルは、大質量の船体を優速で動かす為にスクリューや舵が肥大化、それによって従来の原潜より騒音が激しい事が判明。
元々原潜自体が通常機関を用いた艦よりも騒音が大きい傾向はあるが、「青龍」のそれは大質量の船体を動かす関係でどうしてもサイズアップせざるを得ない事、そもそもとして原潜用に開発された主機の流用によって騒音がどうしても抑えられかったのだろう。
確かにコンデンサによって一時的には静かな航行は可能であるが、それもせいぜい数時間が限度で通常航行であればそのデメリットは大きく表出する。
加えて肥大化したスクリューや舵も巨体を自在に動かすにはなお足らず、艦の回頭性には難があるだろう事もシミュレーション結果として算出された。
建造した企業から押収した設計図などによって分かった事だが、設計段階で技術者達はまず「航宙艦搭載のレーザー核融合炉の流用」ありきで進めていた為、必然的に船体が大きくなってしまったようだ。
そのまま大きくなった船体に対し、デメリットを補うために様々な部分も大型化する必要に迫られ、図らずも世界最大級のサイズになってしまったのだろう。
もっとも、水上からの探知限界である300m以上の潜水は当然可能なので公海に出てしまえばさしたる問題にも成り得ないが、300mより浅い深度での対潜対策又は対潜水艦同士であれば隠密性の低さと図体が仇となり確実に先制攻撃を受ける。
仮にその防御性を把握された上でスクリューや舵を狙われた場合には頑健な船体と言えど航行不能に陥り、浮島になるか海底の文鎮になるかのどちらかだ。
これらの問題は下山含め「青龍」を建造した技術者たちが「原潜」そのものは知っていても、「自国保有の原潜」を知らない事が大きい。
旧海上自衛隊時代から統合海軍である現在に至るまで、日本において原潜は建造された事は無かった。
通常機関の潜水艦であれば海自は世界最高峰の性能の潜水艦を複数有していたし、技術的には原潜は建造可能であったはずだが、国として非核三原則を掲げる上でいかなる形でも核動力の兵器を作ることは国民及び対外的に強い反発を招く事が容易に想像され、断念した経緯がある。
そうなると座学上で学ぶことはあれど、肝心な細かい建造方法や運用方法などについては同盟国の米国ですら機密性が高く開示は難しい為、既存の潜水艦の経験に頼る他ない。
ノウハウもないまま見様見真似で進めた為に前提が破綻し、「青龍」のような歪な艦が生まれてしまった。
結局、調査後の評価としては「原潜の皮を被った海中を移動する大型戦艦であり、優速、頑健なるも潜水艦本来のコンセプトを逸脱している為、通常の原潜を用いる用途での運用は困難」という微妙な評価を下された。
ただ、「今後、技術的な洗練があった上で船体の小型化が可能であればその限りではない」ともあり、「トラフダイト合金+レーザー核融合炉の原潜」という試みそのものの実戦での実証試験としては皮肉にも一定の評価を示している。
ー芹沢は「青龍」引き上げに関して報告を駐屯地の自室で受け、回収されたVDRを聞きながら改めてあの戦いを思い浮かべていた。
あの日、緊急浮上した「青龍」は浮上直前に「雲仙」からの砲弾の直撃を受け、ミサイル格納室で炸裂し誘爆するも、なんとか姿勢を大きく崩すことはなく生きていたセルから「雲仙」に対しミサイルを発射。
「雲仙」はCIWSでの迎撃を行いながら回避運動を行うも、短距離高速ミサイルでの攻撃かつ低高度であった為に回避猶予が無かった条件が重なり右翼中央に被弾。
被弾した「雲仙」は4発あるうちの主機1発が被弾し、出力低下に追い込まれたもののの、元より冗長性を持たせた設計であった為に艦の航行に支障無し。
思わぬ反撃、そして「雲仙」は初の被弾を受けた事に多少の動揺を受けながらも、榴弾射手が次弾発射をしようとしたところで「青龍」からも大きな爆炎と共に船体は真っ二つになり、艦首と艦尾が海上から反り立ってから更に爆発を起こし、海中へ没していった。
核も発射されず、解放軍に原潜が渡る事もないという結果を見れば「雲仙」の完勝という内容ではあったが、指揮を執った当の芹沢は勝ったとは思っていない。
「青龍」のVDRには的確なダメコンと見事な操艦によって潜水艦としては欠陥品にあたる艦でよく戦った記録が記されていた。
劣勢にも関わらず、VDRを確認する限り、士気については終始下がることなくむしろ反転攻撃を意見具申するほど旺盛であり、手腕の高さに敬意すら抱く。
少なくとも、原潜を生残させるという当初の目的が橋田の横槍でブレなければそのまま外洋に出て逃げ遂せる事もできただろう。
艦の防御性能もさることながら、浅い海底にて優位性を喪失し小回りの利かない大型原潜でよくあそこまで保たせられたものであるー、内容を聞きながら芹沢は心中で称賛していた。
橋田の援護要請に対しても、副艦長は核発射要請を拒否した上で、「青龍」が撃沈されることを見越し、不慮の事故で起爆しないよう専用コンテナに格納し、ロックを指示。
その後、「日本国民としての教示を守ると同時に海兵の意地として下山の無念を晴らす」という副艦長の意思決定に対して全員が賛同。
陸にいる橋田には「賛同しかねる」という意思表明の為に「戦闘停止」を意味する信号弾を、「雲仙」に対しては先に逝った下山に顔向けする為にも刺し違え覚悟の攻撃指示を出していた。
撃沈される最期の瞬間まで彼らは自身の大義を全うし、沈みゆく艦の中で彼らは口々に「靖国で会おう」と遺していき、轟沈の瞬間と共に記録の再生は終了した。
聞き終えた芹沢は大きく息をつき、椅子の背もたれにもたれかかる。
机上には血のにじんだ白封筒とその中身である手紙が開かれていた。
戦闘終了直後、射殺された下山はそのまま佐世保基地の警務隊によって検視の為、引き取られた際に彼の懐中から出てきたものだ。
そこには、クーデターへの合流を促す決起文が彼の自筆によって書かれていた。
要約すると、「解放軍に一旦合流後、解放軍にて統合軍主力を引きずり出せるほどの陽動の為の大規模作戦を実施し、日本臨時政府の中枢である旧福岡県庁を急襲及び核ミサイルの恫喝によって一時的な政権を確保し、中国に対し対等な立場で併合を求める」といった内容だ。
内容を見る限り、「一旦解放軍に合流し、解放軍が陽動作戦を成功したタイミングで解放軍へ通達した計画ではない独自計画にてクーデターを行い、党本部に国ごと亡命して中国の省庁となり日本民族を存続させる」想定だったが、あまりにも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい話である。
少なくとも党本部が行っているチベットなどへの仕打ちを認識していれば、到底対等に立ち回ってくれると考えすら至らない。
成程「青龍」及び核ミサイルこそは用意があったが、相互確証破壊の論理としてはあまりに弱すぎる。
曰く、「解放軍クーデター勃発時に中国軍のミサイル飽和攻撃の迎撃を行っていたが、圧倒的な物量によって迎撃ミサイルやCIWSの弾薬が尽き、本土へ飛翔するミサイルを忸怩たる思いで見送る他なかった」とある。
「そこで日本の国力の限界を痛感し、米国を筆頭とした欧米に植民地化される未来を避ける為、古来より友人である中国に助けを求めよう」ー、というのが本旨だ。
ここについては下山の言も一理ある。
欧米によるアジア地域の植民地化の歴史は長い。
彼らは日本を同盟国であると認めつつも、内心では未だに人間待遇と見下し、いいように扱っている節がある。
トラフダイトが発見され有用性を見出した途端、彼らの顔色が露骨に変わった事は記憶に新しかった。
下山からすれば彼らの態度は「猿如きには勿体ない貴重資源をどうやって取り上げてやろうか」と言わんばかりの態度に見えたのだろう。
彼は身内に対しては情に厚かった為に慕う人間が多かったのも事実だ。
ある話では、訓練中の不慮の事故で重傷を負った部下を背負って病院に駆け込み、彼の容態が安定するまで寝食もせずに病室から離れなかったという。
一方で身内以外に対する態度は冷淡を通り越してあまりに不躾極まりないと言ったところでトラブルを何度も起こしている。
諜報部の調べでは生前、苛烈な政治的言動によって将校同士でもトラブルを起こし、何度か戒告処分を受けていたようだ。
開国を受けた直後は落ち着いていたものの、少しすればまた失言してトラブルになっており、改善の余地は見られなかった。
「人は一面性では語れないものだな」
部屋で独り、芹沢は誰に対して言う訳でもなくそう呟いた。
芹沢が先んじて「青龍」を発見し、先制攻撃でもって仕留めておけば、港周辺で戦った特務隊員達とパイロット達は死んだり負傷する事は無かった。
一時の感情で自身の部隊員はおろか、下手を撃てば核攻撃を受けた可能性だってあった。
自分のどこかで「下山ないし『青龍』クルーは話せば分かってくれる」と妄信していた事が今も悔やまれる。
「青龍」のクルー達は何か弱みを握られていたわけではない。
下山の情に厚い部分に惹かれ、集まり、そして彼らは「義」の為に散った。
以前の芹沢であれば「そういった感傷的な一時の感情だけで貴重な艦とそのクルーを喪う」という非合理的な立ち振る舞いを嫌悪していた。
そうやった精神的な意味合いの強いデモンストレーションじみた行為をする人間は得てして無能か自身の美的感覚に酔いしれている者だけだと思っていた節がある。
だが、「青龍」クルーは純粋であり、能力も優秀な士官たちだ。
そんな彼らが下山のクーデターに賛同し、最期は殉死に近い行動をとった事は自分の固定概念を破壊するに足りる事象だった。
下山の決起文から読み取る限り、「中国の一省庁になる事で日本国が抱えている隣国との軋轢及び西側諸国という『白人主義者達の奴隷』からの脱却」を彼らは目指している。
解放軍に接近したのはあくまで組して日本臨時政府を打倒する為ではない。
党本部とのパイプを取得したい事及び前述していたようにクーデター成功の為、解放軍戦力でもって統合軍主力を釘付けにする「陽動」用の兵力として期待していたのであり、共同戦線というよりは計画の為の踏み台でしかない。
その意図を「青龍」副艦長は理解しており、理解したが故に下山の死後になし崩し的に解放軍に組する事を拒んだ。
下山のPCのやり取りに残ったデータから判明した事だが、副艦長は芹沢と同期である。
彼も優秀ではあったが、芹沢はそれ以上の才覚を有していた。
同期内にそこそこに知れ渡っており、名前を言われれば芹沢もすぐに思い出した。
よく周りの仲を取り持ち、何かと仲裁役に立てられて気苦労の絶えない男だったように芹沢は記憶している。
その彼は、終ぞ核ミサイルを使う事は無かった。
その核ミサイルの所在は船体引き揚げ開始から数日でほどなく見つかっている。
ただ、当初想定していた常時発射可能な状態ではなく、ロック付きで厳重に保管された形で「青龍」が轟沈した地点からほど近い海底にて発見。
厳重なロックをかけた上で保管されたそれは正真正銘の核弾頭が搭載されており、技研に搬送された後に分解され、調査が行われた。
該当のミサイルは人民解放軍が運用している「巨浪 JL-1」の模倣をして製造、搭載された事が判明した。
当然試射は出来ない為、分解してから中身の推進剤の量や核弾頭の構造を基に諸元を割り出したところ、推定射程距離は2,000km、核出力は推定100ktであり、ベースになった「巨浪 JL-1」と比して射程距離を延長した代わりに核出力を絞り、都市部とその近郊に対するピンポイント攻撃に適していた。
ただ、都市部のみとは言え、およそ広島に投下されたリトルボーイ(16kt)の6~7倍程度の威力を誇り、一般家屋なども含めた場合の想定加害可能範囲は着弾地点から半径10数キロに及ぶ。
爆風による物的被害もさることながら、人的被害については爆発後の放射性降下物や残留放射能なども考慮した場合、影響は計り知れない。
ふと、自衛隊大学で教わった教官の言が蘇る。
「あくまで核は抑止力の為だけに手札に持っておきたい鬼札であり、その鬼札は切るべきではない」
そう教えてくれた教官は最後に「持っておくことに意味がある。それを切る事を考えた時点で自身の敗北は必然である」と締めた内容だった。
恐らく副艦長もあの場で同じ言葉を聞いていて覚えていたのだろう。
事実、指示した橋田という男が指揮を執る「紅天部隊」は32中隊の前に殲滅させられている。
どのみち負け戦であるなら最後の足搔きとして鬼札を切りたかったのだろう。
だが、副艦長は拒んだ。
確か、「青龍」副艦長の出身は長崎である。
彼の祖母は長崎で被爆し、後に自身の母となる娘を残して戦後間もなく白血病に苦しみ、この世を去ったという話は又聞きで覚えがある。
その母から度々、祖母が苦しんでいる様を聞かされていた為、使用する事だけは何があってもあってはならないと考えていた節があったようだ。
そんな彼が故郷の海で核を撃つなどといった命令は下山からいくら指揮権を譲渡された男だったとしても、到底遂行出来なかったのだろう。
窓の外を見遣ると、夕陽が地平線に沈むところであった。
「青龍」の最初にしてして最期となった航海への出航はちょうどこの時間帯だったという。
彼は沈みゆく夕陽を見たのだろうかー。
最期に見た外の光景に何を思っただろうかー。
まさか最初にして艦が沈むとは思わなかっただろうー。
芹沢は珍しく感傷的な気分になっていた。
大して関わりがあった訳ではないが、同期で名前を知っている男である。
こういった形で袂を分かち、知らずの内に戦い、そして殺した。
自分たちは戦争をしている。
殺し殺されの日常の中には慣れたつもりであったが、殺し合っていた相手が自分の同期と後から知らされれば芹沢でなくとも暗澹とした気分になっただろう。
いずれ彼は謀反の片棒を担いだ罪人として今後も唾棄されるべき存在に貶められる事になる。
だが、芹沢以下戦った「雲仙」のクルーは知っている。
彼らは強かに戦い、優位性を喪失した圧倒的不利な状況の中で「雲仙」に一矢報い、艦と共に海中へと沈んでいった事を。
袂を違えど、彼らもまた自身の信念の為に戦った事をー。
夕陽は完全に地平線に沈み、夜の闇が沈んだ逆の空から少しずつ浸食してきていた。




