佐世保 3
ー「下山と解放軍幹部は本当に会合するでしょうかね」
篠田は佐世保市内の海沿いにある駐車場で芹沢と共に先ほど買った佐世保バーガーを咀嚼しながら尋ねる。
「食べながら喋るな。録音記録で本人がそう言っているんだ。何かしらのアクションはあるだろう」
彼女の行儀の悪さに顔をしかめつつ、芹沢はそう返す。
一等兵から預かったUSBの音声データは、下山が艦長室で何者かのやり取りをしているところの録音データであった。
内容は明日にあたる午前2時、佐世保のある地区で合流するという話だ。
合成音声のでっち上げの可能性も捨てきれない為、一応作戦室の分析班にもデータを回したが、結果は合成などではなく、98%本人という結果が出た。
話していた場所が艦長室であり、出入りできる人物はごく限られている事を鑑みれば、暗号データも含め「下山が間諜である」という内容の信憑性がいよいよ増してきた。
「ーただ、あの密告がそもそも誰の仕業か、何の意図があるのか分からん」
「それは確かに。下山が引きずりおろされて喜ばしいのは統合軍内でも我々だけでしょうしね」
彼女ら特殊戦略作戦室の面々は呉の際に彼の強引な介入や宮前捕縛作戦の際に相当な不利益を被っている事からあまりいい印象こそないが、他方で下山の外聞はそこまで悪いものではない。
解放軍のクーデター発生時には中国本土から飛来してきた数多のミサイルを艦隊指揮を執って迎撃した際に九州への被害を最小限に抑えており、統合海軍に編入してからも現在に至るまで前線に出張り続けて少将まで登った現場主義の男だ。
知見がない相手には融通が利かず、嫌味な部分がある部分こそ難があるものの、一定の敬意を持たれている。
ただ、宮前の一件から分かるようにクサい部分が多い。
呉にしても強引な介入で鹵獲可能な機体すら破壊するという暴挙に出て、捕縛作戦でも埠頭という最も逃走に適した場所までのルートに海軍だけで検問所を立て、いざ宮前が来た際には素通りを許し、埠頭に人員を配置しなかったの確信犯レベルの所業だろう。
本来であれば軍事裁判にかけられ、相応の厳罰が下って然るべき内容であるのに、結局嫌疑不十分で立件はされなかった。
「どのみち、今夜が答え合わせだろう」
実のところ、「分からない」と言いながら、芹沢は下山が間諜であるのは間違いないだろうと見ていたし、密告したのは潜伏している解放軍連中の仕業と思っている。
身内同士の保身と蹴落としの為の足の引っ張り合いというのは、共産圏ではよくある話だ。
こういった密告が出た以上、下山の解放軍における立場は無いだろう。
それはそれとして、芹沢にはどうも引っかかるところがある。
録音記録の声は怯えることもなくただ淡々と対話をしている。
並の幹部であれば会談の後に何が起こるかなど容易に想像がつくのだが、その様子もない。
恐らく、下山は何かを握っている。
以前、「雲仙」を使って下山の乗艦である「むらさめ」を高高度から数日間監視していたが、特段何も起きず、傍受した通信記録も不審な点が無い。
加えて呉の件から現在に至るまでの下山の行動を独自に洗うように諜報部隊に指示していたが、それについても現状の内容よりも有力な情報は得られなかった。
定期的に結果を出さないと後ろから刺される解放軍の中で、最も動きやすい関西奪還作戦も含めた宮前捕縛作戦以降の動きが全くないのだ。
「一撃で臨時政府日本の命運が決まるような兵器を有する何かを作っている」ではないかー、という可能性が捨てきれない。
それも、奪還作戦という統合軍のほぼ全軍を使い、九州の守りが最も薄いという絶好の機会を逃してなお、釣りが来るような代物だろう。
今回、下山捕縛の為に確保・制圧を担当する特務部隊も佐世保に入ってきているが、「最悪の想定」に備えて「雲仙」を高高度で待機させ、いつでも32中隊を降下できるよう備えている。
本来であれば芹沢は「雲仙」艦上で万に一つに備えて指揮を執るべきだろうが、本件は高度な政治判断を要求される可能性があると見ていた。
下山が杜撰で目立つような行動をしていることには何か背景があり、今夜の会談にしても何の準備や手もなく応じるような人間ではないと見ていたし、芹沢の推察が正しければ、今夜の会談で下山はそれを必ず見せざるを得なくなる事は想像に難くない。
佐野がいない今、艦上にて篠田や捕縛部隊から受けた報告でもって動くには遅すぎる可能性すらあり得る事態も念慮すべきと考えた上での配備だ。
ともかく今は待つしかないのだろうー。
「嫌な予感が杞憂であればいい」とダメ元で祈りながら、彼は手元にあるバーガーにかぶりついた。
ー夕刻、下山は佐世保ドックの士官室にいた。
不愉快を隠そうともしない面持ちで紅茶を啜りながら、ドック入りした「むらさめ」を眺めている。
今晩、佐世保に解放軍幹部が来るとの事で連絡があったのは数日前、それもかなり緊急性が高いという。
話の内容は予測がついていた。
要は「かねてより立案していたクーデター作戦を何故絶好の機会で決行しなかったか」というかどでの総括と、場合によってはその場での粛清だろう。
彼も腐ってはいても海軍少将であり、戦局について付け焼刃程度の知識しかない解放軍幹部連中とは違う。
大阪奪還作戦時がクーデターの最大効果を発揮できる機会だったが、関西方面軍の想定よりも早すぎる撤退に伴い、温存されていた部隊に逆襲されるリスクが高いとして決行しない判断を取った。
にも関わらず、幹部連中から後ろ指をさされているという現状に心底閉口していた。
他の同格の同志たちより高い位に着く為に、何よりも保身の為に行うそれは共産主義国家の伝統芸能と言っても差し支えないだろう。
成程、作戦が上手くいけば戦争終結が見込めるものだったが、現状で実行した場合、大逆転はおろか、良くて多少の混乱を招く程度、最悪は投入部隊ごと磨り潰される。
機を逸した以上、わざわざ火中の栗を拾う真似をする必要はない。
が、解放軍幹部にとって成功の可否はさして重要なことではなかった。
「何故、下山同志はあの時、党本部に義を示す機会を逸したのか」、この一点において総括を行う理由になり得、それは関西陥落における責任の矛先を下山に変えたいが為に行われる。
「無能な連中め」
下山は独り毒づきながら葉巻を咥える。
戦力的には心許ないクーデター部隊で政府施設の一時的な掌握は出来ても、関西から航宙艦を使って速やかに温存していた第一師団が蜻蛉返りしてきた場合、苦も無く鎮圧される恐れがあるからだ。
堺に残っていた関西方面軍主力が激しく抵抗し、ほぼ全軍を投入した第一師団含む統合軍を真っ当に釘付けにしていたのであれば、あるいは成功したかもしれない。
とはいえ、仮に伝わっていたとして、彼らが足止めできたかは疑問が残る。
第一師団の急襲は事前に通達していた為、防御に徹する前提ならば第一師団相手に善戦は出来た可能性はある。
だが、結果として他の防衛線を混成師団に想定より早く突破されていた為、実際は統合陸軍の中核を為す精鋭部隊を堺の戦力だけで抑えられたかについては、兵俑機部隊を以てしても非常に怪しいだろう。
そもそも幹部連中の間ですら解放軍の今後の指針が定まっておらず、関西方面に部隊を集結させたはいいものの、どの地域からの侵攻かを判断できないまま誰もが空白地域からの侵攻をされた場合の責任を取らされたくがない故に戦力の分散配置を行ってしまった事が戦線の早期崩壊の理由だった。
当然、防衛線は広く薄くなった為に浸透突破を受けて各個撃破され、孤立ないし行動不能に陥る部隊が続出、他の防衛線への転用が利かないまま想定よりも早く戦線が後退している。
そうした中で西宮を防衛していた部隊は関西方面軍の主力ではないが、よく堅持した方だろう。
待ち伏せのみの防御だけでなく、玉砕覚悟の突撃を交えた勇戦によって混成師団の浸透部隊を何度も撃退し、援護に駆け付けた航宙巡洋艦一隻を大破させた事は大きい。
ただ、前述の通りに特殊戦略作戦室の戦機兵部隊に防衛部隊の後方を攪乱されたことにより、対処について前線指揮官の意見が紛糾。
指揮系統が一本化されていない事によって紛糾を止める術がないまま前線への指示が滞り、戦機兵部隊に対して部隊単位でまばらな対応を行ってしまった結果、特殊戦略作戦室の思惑通りにまんまと陽動された。
時間を稼がれたことによって混成師団は立ち直るきっかけを得、師団の再攻撃によって方面軍司令部から死守のみの指示しか与えられなかった防衛部隊は苦も無く潰滅の憂き目に遭っている。
その際、方面軍司令部付の飯塚が「兵俑機を使って攪乱を行っている戦機兵部隊を撃破せん」とする意見具申は後方攪乱されている前線の情報を受けてすぐだったのだが、司令部が渋った結果、既に崩壊しつつある状況になってからの投入となってしまっている。
解放軍は軍隊としては出来損ないであるー、下山は今回の一件で痛感した。
部隊単位としては日本人らしく徴用兵だろうと忠実に任務をこなすのだが、複数人が逃亡した場合、部隊毎右に倣えで逃散してしまう。
また、前述の通りに指揮系統が乱立しているせいで一個の軍として動くとなると非常に脆く、幹部連中も判断が鈍い故に臨機応変さに欠ける上に重要な局面ですら責任の擦り付けあいを始める有様だ。
結果、先日のような大規模戦闘で見られた戦力分散のような愚策の妥協案を採ってしまう。
おまけに後から知った事だが、九州におけるクーデター決行については関西方面軍は司令以下誰も知らなかったというお粗末さだ。
もっとも、作戦を知っていたとしても目の前まで差し迫った統合軍を見て散り散りに逃げ出すだろう。
どのみち堺でも下山が望んでいた「抵抗」をロクにせずに「戦力温存の為に転進する」などと嘯いて撤退するだろう事は容易に想像がついた。
下山といい、西宮の防衛部隊といい、真面目に戦う意思のある者が馬鹿を見ている。
肝心な時に最善を尽くせる部隊から損耗していけば、いずれ見えるのは旧大戦における末期の日本軍と同じ末路を遂げるだろう。
幹部連中が保身に走らなければこうはならなかっただろうにー。
彼は葉巻を咥えると、乱暴に手元のマッチを灯し、火を点ける。
思えば、特殊戦略作戦室にも多分に水を差されていた。
下関の停滞を打破されて以降、クーデター作戦計画は大幅に狂い、何度も修正を余儀なくされている中で彼らの行動は図らずも的確にこちらの計画の阻害をしてきている。
当初、下関の失陥は、特殊戦略作戦室を預かり解放軍の土台を破壊していった佐野の手腕によるものだと思っていた。
それ故に、佐野を失脚させるべく、呉の件を宮前経由でお膳立てし、佐野の手足となる「雲仙」及び32中隊を潰す算段を立てる企画を行っている。
だが、初手で兵俑機2機を苦も無く屠られた時点で呉基地の司令官から「鹵獲されないよう破壊せよ」という緊急命令を受け、止む無く鹵獲機を出さないよう下山が直接介入することになり失敗。
初期生産型故の不具合での撃破であり、言わば想定内の被撃破であったにも関わらず、出撃を容認した司令本人が責任追及を恐れてこのザマである。
遅かれ早かれ呉の失陥は特殊戦略作戦室が絡まずとも臆病風に吹かれた彼によって早々に起こっていただろう。
ちなみに当の司令本人は突入部隊に対して無用意に抵抗の意思を見せた為、その場で射殺されている。
次点として下山が立案した宮前捕縛作戦では芹沢、篠田に佐野が間諜であると揺さぶりをかけ、特殊戦略作戦室を内部から崩壊するよう仕掛けたが、結果は初手から両名とも微塵も佐野に対する不信感を示さなかった為、肝煎で本部に要請した兵俑機部隊でもって単機で出るであろう篠田を謀殺する算段に切り替えた。
用意した機体も彼女が使い慣れた22型ではなく、あれこれ理由を付けて32型というエースパイロットでも操縦に苦労する欠陥試作機であり、更に脚部に細工を施した上で供与している。
だが、1対6かつ搭乗経験が無いピーキーな32型という圧倒的不利な条件でも、彼女は使いこなし部隊の半数を撃破せしめた。
無論、最終的に32型に施させた細工の発動後に彼女が形成不利になった時点で討てば良いと思っていた為、彼女の善戦は想定内だったと言える。
事実、発動が遅れたものの、脚部スラスターの不調及びパージ不能に陥った32型は極端な性能低下を伴い、残った兵俑機3機によって彼女は撃破された。
だが、愚かしいことに兵俑機のパイロット達は彼女の死亡確認まで行わなかったのだ。
そのまま例によって統合軍の追撃による被撃破を恐れた幹部連中によって撤退命令がパイロットたちに直接下され、3機は命令に従い撤退。
完全大破を免れた機体から篠田は軽傷で生還し、そのまま保護されている。
つまり、彼らを潰す下山の算段は、篠田らの奮戦と解放軍幹部連中の怯懦によってことごとくご破算になってしまった。
潰せなかった結果は、関西奪還作戦にて手痛いツケを払うことになったのは前述の通りだ。
佐野が不在の中、「雲仙」と32中隊の立ち回りは遊撃部隊として必要十分以上の役割をこなしている。
彼らこそが真に脅威であると下山は改めて認識せざるを得なかった。
ただ、下山には目前に迫る問題に直面しており、彼女らをどうするかの算段どころではない。
どうやら解放軍の幹部連中から「下山同志は怠惰を貪っている」という噂が伝搬しているという。
こういった噂が流れたというのは共産圏において死刑宣告にも等しい。
冗談ではないー、下山は腸が煮えくり返る気持ちだった。
連中は目に見える実績しか見ていないし、ともすれば自分に累が及ぶと見るや妨害工作をする始末だ。
解放軍において実績とは可視化できなければ意味がない。
可視化によって伴う弊害を考えた際にそれがどんなに非効率的であったとしても、見えてこない以上は仲間内で軽侮の対象として扱われる。
それが故に下山は、呉でも宮前の一件でも統合軍から嫌疑をかけられる危険性を孕んでも分かりやすい行動をとる必要があった。
そういう意味では中国共産党の悪癖のみを継承してきているこの集団は、根柢の流れにある連合赤軍時代とさして変わらないし、赤軍の「悪しき型」に囚われている。
ただ、「行動をしなかった」ことで彼らから「怠惰である」と伝搬され、総括ないし粛清の対象になる。
統合軍内部にいても、密告によって立場を失うのは変わらない。
大方、関西方面軍の幹部達が「関西方面軍に同調してクーデター作戦を決行予定だったにも関わらず、下山は命惜しさに決行し陽動しなかったことで関西失陥の要因になった」と喧伝して回っているのだろう。
確実に統合軍に密告を流す上にその情報も微に入り細を穿つような内容だろう。
即座に軍から拘束され、軍法会議で死刑を言い渡される未来は容易に想像がついた。
実際、彼は認識していなかったが、前述の通りに統合軍司令部宛に下山が間諜である密告が為されている。
加えて、既に密告の情報を入手した特殊戦略作戦室が佐世保に入り、捕縛をしようとしている情報を彼は把握していない。
下らないことだー、と下山はため息がちに紫煙を吐きながら思う。
例え、こちらの非を喧伝したところで方面軍幹部らの絞首台行きは覆らないだろう。
下関以降の相次ぐ陥落で反撃もままならず、押し返すチャンスも活かせなかった連中の罪は重い。
ただ、処刑台への道連れが増えるだけだ。
今日までに共産主義がまともに発展しなかった理由は単純に資本主義の競争力に負けた事だけではない。
こういった権力闘争由来の絶えぬ内ゲバと相互監視、上の命令が絶対が故に保身に走り嘘に嘘を重ねる内部の腐敗、それを監視し抑制するシステムが存在しないことも大きかった。
ともあれ、今回の会談は下山への最後通牒そのもので、場合によってはその場で射殺もあり得ると考えている。
だが、幹部が来る以上は何らかの打開を行うための最後のチャンスでもあった。
下山が生き延びる為には今夜何としても言いくるめ、汚名を払拭する機会を貰う他ない。
今晩来る相手は「橋田」という男だ。
以前、呉の件では橋田当人に被害が及ばないように砲撃を逸らし、逃がした恩があり、その橋田に口添えしてもらえるよう、今回は更に長期的な見返りを提示した上で臨んでいる。
彼は兵俑機運用の推進者であり、党本部への忠義の厚さから覚えもいい。
他の連中よりかは話が通じる相手だろう。
ただ、それでも現場で掌を返されてその場で粛清を受ける可能性も否定できない。
下山は最悪の場合、奥の手を出すしかない事も念頭に入れた上で夜の会談に臨む覚悟を決めている。
解放軍にも伝えていない上、面倒な特殊戦略作戦室すらも認知していないそれは来るべきクーデター時の切り札として残していたカードである。
むざむざタダで解放軍にくれてやるつもりは毛頭ない。
最悪の想定が的中しそうな今、切るべきタイミングはここをおいて他にはない。
夕暮れの陽が部屋に差し込み、薄暗い部屋で葉巻から出ている煙を照らす。
あるいはこれが自身にとって最後に見る夕陽になるかもしれないー、そう思いながら葉巻の火を灰皿で揉み消した。




