役立たず勇者だからとパーティーを追放された俺は、唯一味方してくれた聖女を救うため、何度も時間を巻きもどる
「……ると、アルト! 聞いてんのか⁉」
少し苛立ったような男の声に、ぼんやりとしていた俺の視線が定まった。
目の前の椅子には、足を組む30代ほどの男――冒険者パーティー《エスペランサ》のリーダーであるニスタが、そして俺の周りを少し距離を取って囲んでいる10人ほどの仲間たちがいる。
手にぬるっとした液体を感じた。
ついさっきまで戦っていたモンスターの血だ。手だけでなく、顔や服にも飛び散っていて気持ち悪いが、ここにいる皆が血まみれのままなので、喉元まで出かかった文句を飲み込んだ。
しかし、
「せめて、水浴びをして着替えるくらいの時間は欲しかったんだけど!」
俺のように、不満を心に留めておけなかった女性の声が響き渡った。
神聖魔法の使い手ラノだ。
教会に所属しており、世界に3人しかいない《神の声を聴く聖女》である。
歳は俺と同じ20歳だが、整った容貌にはまだ少女の愛らしさを残っている。
そして……俺の密かな想い人でもある。
ラノが詠唱を始めると、俺を含めた皆の体が輝いた。みるみるうちに体が清められ、戦いによって負傷した怪我や破損した装備や服が元に戻っていく。
神聖魔法だけが使える浄化と修復の魔法。使うにはかなりの魔力がいる。
服も装備も、同じ物であれば国がタダで支給してくれるので、この場にいる仲間たち皆が、制服のように同じ服装をしている。
ラノも、部屋に戻ればまったく同じ服があるのでわざわざ魔法を使う必要などないのだが、多少力を使っても、この血まみれ状態を何とかしたかったんだろう。
その辺が女性らしい。
モンスター討伐後、ニスタが突然、緊急会議を開いた。
内容はまだ聞いていないが、きっと緊急事態なのだろう。
そう思うと体が緊張するのに、仲間たちの表情は余裕そのものだ。
それどころか、俺を馬鹿にするようなニヤケ顔を向けてくるから、正直居心地が悪い。
俺、何かヤバいことしたかな?
ニスタが両手を打って皆の注目を集めると、周囲と同じような視線を俺に向けた。
「アルト、お前さ。何でこのパーティーに参加しているか、理由分かってる?」
「俺が勇者……だからですよね」
「そうそう。でもさ、《聖剣》を持たないお前って、普通の人間と変わんねえから正直お荷物なんだわ」
お荷物、という言葉に後頭部を殴られたような衝撃が走る。
そんな俺にニスタは容赦なく言い放った。
「ってことでアルト。お前、勇者のくせに役に立たねえから、今日限りでこのパーティークビな」
◆◇◆
この世界は、神に守られていた――はずだった。
しかし突如現れた魔王によって神は封印され、守護を失ったこの世界は、魔王の侵略によって滅亡の危機に瀕していた。
魔王の存在によって気候や土地が激変し、発生したモンスターが人々の日常を壊していく。
国は魔王討伐のために、世界中の手練れを集めて冒険者パーティー《エスペランサ》を結成し、様々な支援を行っている。
こんな俺も《エスペランサ》の一員だった。
ついさっきまでは、だが。
鼻息荒く横を歩くのは、俺と一緒に追放された聖女ラノだ。
「ごめんな、ラノ。君まで巻き込んでしまって……」
「いいの! あんなサイテー男のパーティーなんて、こっちからお断りよ!」
ラノが追放されたのは表向き、俺の追放を唯一反対したことだが、真の理由は、彼女よりも強力な攻撃魔法を扱える世界最強の魔術師メッゾが加入したからだ。
豊満な胸を押し付けるようにニスタに寄りかかる姿は、まあそういう関係なのだろう。
明日、《エスペランサ》は魔王討伐へ向かう。メッゾ加入によって、魔王を倒す算段がついたからだそうだ。
だから役立たずの俺と口うるさいラノが、ここぞとばかりに追放されたのだろう。
怒りを収め、唇を尖らせながらラノが悔しそうに呟いた。
「私に神様の封印を解く力があれば、勇者であるアルトが《聖剣》を手にし、あのクソ男をぎゃふんと言わせられるのに!」
「仕方ないさ。《聖剣》がなければ、俺が役立たずなのは本当だし」
「アルトは神様から選ばれた勇者、魔王を倒せる唯一の武器 《聖剣》の使い手なのよ⁉ 自信持ちなさい!」
「うむ……」
言葉が詰まって、言い返せなかった。
魔王を倒せる唯一の武器 《聖剣》は、勇者と神託を受けた俺にしか使えない。
しかし《聖剣》をもつ神は封印されており、封印を解くには大勢の聖女の命を捧げる必要がある。
この世界の聖女は3人しかおらず、現状 《聖剣》を手にするのは不可能だった。
俺自身、《聖剣》を扱う技術も力をあるが、その力が発揮されるのは《聖剣》を持った時のみ。
《聖剣》を持たない俺は、ただの人と同じだ。
なので、ニスタが役立たずと言った気持ちも分からなくもない。ないんだが、
(皆に役立てるよう様々な技術を習得し、戦いに貢献してきたつもりだったのにな)
その気持ちが空回ってたと思うと、恥ずかしさで消えたくなる。
俺の無能さを語るニスタと、呆然と立ち尽くしていた俺に向かって荷物を投げつける仲間たちの顔を思い出す。
リーダーであるニスタを尊敬していた。
仲間もいい人ばかりだった。
少なくとも、そう思っていた。
しかし、2か月前ぐらいから俺抜きで会議をすることが増え、疎外感を感じていた。
あの任務の失敗が原因だろうか……。
で、この追放会議だ。
(追放するくらいまで我慢してたなら、何が悪かったのか言って欲しかったな)
大人になると怒られることなく切捨てられると聞いたことがあるが、こんな形で洗礼を受けるとは思ってもなかった。
人間不信に陥りそうだ。
「でもね、追放されて一つ、良いことがあるわ」
「……なんだよ」
ラノの表情にパッと笑顔が咲くと、息がかかりそうなくらい顔を近づけてきた。
屈託のない笑顔に、心臓が跳ね上がり頰から耳にかけて熱が上がる。
「この制服みたいなダッサい服ともおさらばってこと! アルトも、その服しか持ってないでしょ? 落ち着いたら、一緒に新しい服買いに行こう? 約束よ?」
追放され落ち込む俺とは違い、ラノはいつも前向きだ。
彼女の明るい言葉に、正しさを貫く姿勢に、どれだけ心を救われたか分からない。
(俺、やっぱりラノが好きなんだな)
教会に身を置く彼女に、恋愛の自由などない。
決して叶うことのない想いだと知っていながらも、捨てきれない自分の女々しさに、また落ち込んだ。
◆◇◆
追放された次の日夜。
《エスペランサ》が魔王に敗れて壊滅したと知らせが入った。
俺たちが泊まる宿屋の一室に、ラノの狂ったような笑い声が響き渡る。瞳には、笑いすぎたためか涙が滲んでいた。
「あははっ! ざまぁっ‼」
まあ確かにざまぁだとは思うけど、俺は正直、複雑な気持ちだ。一応、今まで世話になってたわけだし。
その時、転移の魔法陣が床に浮かび上がった。
突然のことに言葉を失う俺たちの前に現れたのは、ボロボロの姿で力なく立つニスタだった。
血走った瞳は挙動不審に動き、手には長剣を握られている。
彼は俺たちの姿を見つけると、ニヤリと笑った。
「アルト、ラノ……戻って来てくれよ。皆死んじまって、もうお前らしかいねぇんだよ……」
「じ、自業自得じゃない! 今更あんたに戻ってこいって言われても、知ったこっちゃないわ!」
「そうか……」
次の瞬間、ニスタの肌の色が紫に変わった。瞳は白目をむき、半開きになった唇から涎が垂れている。
明らかに、様子がおかしい。
ラノの瞳が見開かれる。
「狂人化の呪い⁉ きっと魔王にやられたんだわ! このままだと、自我を無くして周囲の人間を襲うわ!」
「俺に逆らう奴は、死ねぇっ‼」
ニスタが吠えた。
その表情に、人間らしさは欠片も残されていない。
(狂人化の呪いにかかると、体のリミッターが外れ、通常以上の力を発揮するのか⁉)
ありえないスピードで間合いをつめられ、長剣の切っ先が俺に向けられた。
(殺られる!)
死を覚悟した時、目の前でラノが倒れた。
トドメとばかりに、俺を庇った彼女の胸にニスタの刃が突き立てられる。
辺り一面に血飛沫が噴出し、俺の顔と部屋を赤く染めていく。
状況を理解した瞬間、俺は叫びながらニスタの首を刎ねていた。
ラノの手が俺へと伸ばされる。
慌てて駆け寄りその手を取った。
手遅れなのは、一目瞭然だった。
「いやだ……ラノ……ラノぉぉっ‼」
俺を唯一味方してくれた、そして想いを寄せていた女性が死ぬ。その事実が認められなくて、血が噴き出る傷口を両手で押さえた。
分かってる。
こんなことしても無駄だって。
理性がそう呟き、感情が否定の涙を流す。
「……ある……と」
血の海に沈みながらラノが微笑むと、温かいものがこの体を満たした。
次の瞬間、俺の意識は真っ白になり――
「……ると、アルト! お前、聞いているのか⁉」
少し苛立ったような男の声に、ぼんやりとしていた俺の視線が定まった。
目の前の椅子にはニスタが、そして10人の仲間たちがいる。
握った手から、ぬるっとした感触が伝わった。
この場面には見覚えがある。
(俺の追放会議……か?)
ラノが文句を言い、神聖魔法で俺を含めた皆の体を清めた。
さっきと同じ展開に、血の気が引き、全身の肌が粟立つ。
(まさか……時間が巻き戻ったのか?)
体を確認すると、確かにあの時と同じ状態。
ありえないが、それを頭から否定することは出来なかった。何故なら、死んだはずのラノが、今ここにいるからだ。
もし同じ展開を繰り返すなら、きっと彼女はニスタに殺される。
血まみれになって死んだ彼女の姿を思い出し、俺はニスタを睨みつけながら、心を決めた。
ラノを必ず守る、と――
◆◇◆
俺の決意をあざ笑うかのように、ラノは何度もニスタに殺され続けた。
彼女の微笑みと温もりに包まれ、俺の意識は途切れ、ニスタの声で追放会議の場へと戻る。
ある時は、全てを話し、ニスタたちを止めようとした。
ある時は、ラノ殺害の元凶であるニスタを殺そうとした。
でも、全て失敗した。
追放会議の場に戻ってニスタの顔を見るたびに、奴に対する憎しみを強め、今度こそはラノを救う、と心に誓う。
(あいつさえいなければ……)
憎しみは、俺の目つきを変えた。
ループした数を数えるのは、とっくの昔にやめた。
呪われたニスタは、俺たちがどこにいても必ず目の前に現れた。転移先にラノ個人を指定しているためで、逃れる術はない。
それに、狂人化したニスタの力は凄く、俺ごときの剣術では太刀打ちできなかった。
悩んだ末、一つの方法を思いついた。
ニスタが魔王の呪いにかかることで、結果的にラノが死ぬ。それなら魔王討伐の際、奴が呪いを受けないよう俺が守ればいいのではないか? と。
あんな奴を守るなど反吐が出るが、仕方ない。
俺はラノには内緒で、魔王討伐に向かう《エスペランサ》の後をつけることにした。
魔王との決戦の地。
そこで俺が目にしたのは、魔王と戦う皆の姿だった。
彼らは果敢に魔王に立ち向かっていく。
仲間が守るのは、魔術師メッゾ。
あの女が使う魔法が、魔王を倒す切札だからだ。
メッゾが杖を構え、詠唱を始めると、《エスペランサ》の仲間たちの頭上に魔法陣が浮き上がった。
次の瞬間、俺は目を瞠った。
(《エスペランサ》の皆が、倒れていく!)
しかしそれ以上の疑問を抱く暇も与えず、メッゾは杖を掲げると、閃光が俺の目を潰し、あたり一面に爆音と爆風が吹き荒れた。
物凄い力の塊が、魔王にぶつけられたのだ。
目を開くと魔王の姿はなく、黒い肉片らしき物体が辺り一面に飛び散っていた。
(これが、メッゾのみが使える究極魔法か! 確か、自分や他人の命と引き換えに、強大な破壊を呼ぶ魔法だったはず。《エスペランサ》の命と引き換えに、魔王を倒したってことか⁉)
しかしその命には、メッゾ自身の物も含まれていた。
崩れ落ちる女魔術師に駆け寄る影があった。
ニスタだ。
魔法の餌食にならなかったらしい。
奴はメッゾの上半身を抱き上げると、項垂れた。そして彼女の体を横たえると、今度はメッゾの魔法の犠牲となった仲間たちの遺体に向かい、俯いた。
その後ろ姿は、俺を理不尽に追放したニスタとは同一人物なのかと疑ってしまうほど、深い悲しみに沈んでいるように思えた。
奴への憎しみが、一瞬揺らぐほどに。
その時、後ろで砂利が鳴る音がした。
反射的に近くにあった石を腰のポーチに入れ、振りかえる。いざというとき、石礫を食らわせるためだ。
そこにいたのは、
「アルト! あなた、一体ここで何をしているの⁉」
怒りで眉を吊り上げるラノの姿だった。
どうやら俺がいないことに気づき、転移魔法で跳んで来たらしい。
彼女の姿を見た瞬間、ニスタのことなど頭から吹き飛んだ。細い両肩を掴み、興奮気味に言葉をかける。
「ラノ! ついさっき《エスペランサ》が魔王を倒した! お前、今度こそ死ななくて済むぞ!」
「え? わ、私が死ぬ?」
ラノが心配そうにこちらを見ている。物凄く困惑しているようだ。
でもそんなことどうでもいい。
ラノが死なないなら、頭がおかしくなったと思われても――
「アルト、ラノ……」
心臓が跳ね上がる。
頭の中が真っ白になる。
ありえない状況でパニックに陥ったの俺が視界に映すのは、呪いにかかったニスタ。
「う、嘘だろ……?」
魔王は倒され、ニスタは呪いにかからなかったはず!
それなのに……
ニスタが動く。
俺が動く。
そして、
ラノの鮮血が飛び散った――
◆◇◆
再び世界が巻き戻る。
ニスタ、ラノ、仲間たちが見守る中、俺の意識が覚醒する。
ぬるっとした血の感触が、この手を覆う。
仲間とラノが言い争う中、俺はずっと先ほどの光景を思い出していた。
魔王に壊滅させられた《エスペランサ》。
前回の時間軸では、メッゾの魔法によって魔王は倒されていた。
しかし生き残ったニスタは、魔王に呪われていなかったのにもかかわらず、狂人化してラノを殺した。
……いや、
(そもそも、本当に《エスペランサ》は、毎回魔王に負けていたのか?)
追放された次の日の夜、俺は《エスペランサ》壊滅の報告をラノから聞きながら、ずっと考えていた。
ふと腰のポーチに手を入れると、硬い物が当たる。
気になって取り出した瞬間、ラノの声が消えた。
消えたんじゃない。
あまりの衝撃で、五感が閉ざされたのだ。
体が冷たくなり、早まった脈の音だけが響き渡る。
手が握っていたのは、石だった。
ただの石じゃない。
これは――
(前回、俺が拾った石。時間をループしているはずの俺が、何故持っているんだ?)
意識だけが、過去に戻っているのではないのか?
体も過去を遡っていたら、あの場に二人の俺が存在するわけで……
どっと冷や汗が噴出し、唇が震え出した。
視界が石を中心に、ぐるぐる回る錯覚すら抱く。
「気づいてしまったのね? アルト」
ラノの声が、俺を正気に返らせた。
先ほどまで、大笑いしていた彼女はいない。無表情になった顔からは、不気味なほどの落ち着きが感じられた。
言葉の真意を問いただそうとした時、転移の魔法陣が現れた。
呪われたニスタが、ラノを殺しにきたのだ。
いつものように俺たちを誘う言葉を吐くニスタを、ラノが制する。
「ニスタ、もういいの。アルトは気づいている。そして、私たちの準備も整った。全ての並行世界の魔王を倒し、神を復活させるために必要な力を、集めることが出来たわ」
「そうか」
頷いたニスタが長剣を投げ捨てる。その表情には、人間性が戻っていた。
俺が尊敬していた、リーダーの顔が。
ニスタの捨てた長剣を手に、ラノが俺に向き合う。
「私の命《《たち》》を連れて来てくれて、ありがとう、アルト。私の死を繰り返し見続けて苦しかったよね?」
「何を言って……、いや、何故俺が時間をループしているのを知ってるんだ⁉」
「ループじゃないわ」
ラノは目を真っ赤にしながら、無理やり口角をあげて笑う。
「あなたは、一つの世界から造り出された並行世界を、ずっと転移していたの。私の命を集めるために」
「え? ど、どういうことだ⁉」
しかし、彼女はそれ以上答えなかった。
代わりに小さな唇から紡がれるのは、意味の分からない詠唱。まるで歌を歌っているような旋律が部屋に響き渡る。
一つだった旋律が幾重にも重なり、やがて合唱となった。
歌っているのはラノだけなのに、無数の声が重なって奏でる。
声の出所は、
(……俺?)
詠唱の合唱が鳴り響く中、ラノが自身の首を掻き切った。倒れた彼女から鮮血が噴出し、いつものように辺り一面が命の色で染まる。
衝撃的な展開に、心も体も動かなかった。
詠唱の主が倒れたのにもかかわらず、俺の中で鳴り響く歌は止まらない。
溢れた歌とラノの声が、俺の体と意識を包み込んだ。
白く染まる意識の中で、ニスタが自分の体を長剣で貫いているのが見えた。
その表情は満足そうに笑い、倒れたラノと重なり合うように崩れ落ちた。
◆◇◆
声が聞こえる。
これは、ニスタとラノの声?
でも、もう一つの男の声に聞き覚えはない。
『話をまとめると、魔王はこの世界と同じ並行世界をたくさん作り、その一つ一つに自身の複製を置いた。魔王を倒すには、並行世界に潜む魔王の複製を全て倒し、本体を《聖剣》で叩く必要がある、と』
『そうだ。複製の魔王は《聖剣》なくとも倒せる。しかし本体となると《聖剣》は必要だ。だがこの世界にいる聖女の命では、私の封印を解くに足りない。だから勇者に、並行世界の聖女の命を集めさせる』
『でも、何故アルトなのですか?」
『私が視た未来によると、これから2か月後、お前たちは勇者の追放会議を行う』
『アルトを追放? そんなこと、俺らがするわけが……』
『理由は知らない。しかし丁度その時、魔王は唯一自身を傷つけることのできる勇者を、全ての並行世界から消滅させるのだ。ただ一つ、私が魔王の複製の侵入から守った《原世界》以外はな。並行世界では、同じ人物が二人存在することは出来ないが、唯一無二の存在である勇者なら転移可能だ。《原世界》に存在する勇者を並行世界に転移させ、封印の解除に足る聖女の命を集めさせる。これは、魔王の本体を倒す絶好の機会。聖女よ、どうかお前の命を捧げて欲しい』
彼らの会話と、先ほどのラノの言葉が重なった。
理解したくないと思っても、頭が勝手に理解を進めていく。
気が付くと、場面が変わっていた。
ラノとニスタが話し合う声が響く。
『アルトが転移してくるまでは、並行世界の人間は皆、全く同じ行動をとっているんだったよな。それを利用してアルトに、転移ではなく、時間をループしていると錯覚させることは出来ないか?』
『どうして? 正直に話して、彼に私の命を集めるようにお願しては駄目なの?』
『駄目だ。世界のためだとは言え、俺たちを犠牲にできる奴じゃない。だから騙すんだ』
『騙す?』
『ああ。一番怖いのは、転移先でラノが死ぬのを見続けて、アルトの心が壊れることだ。並行世界だとは言え、一つの命には変わりないからな。しかしループしていると錯覚させれば、失敗してもやり直しがきくと思える。まだ心へのダメージは少ないはずだ。そして』
『そして?』
『俺がラノを殺せば、憎しみがアルトを突き進ませるはずだ』
『駄目よ! ニスタはアルトを弟のように可愛がってたじゃない! アルトもニスタを尊敬しているのよ⁉』
『だから俺がやるんだ。そのほうが、あいつのショックも大きい。俺が正気を失ったふりをしてラノを殺せば、俺を排除するためにアルトは諦めず進み続けるだろう。ついでにパーティを追放しとくかな? そしたら《エスペランサ》の仲間が死んでも、良心の呵責を感じないだろ。あいつら皆、魔王を確実に倒す為、メッゾの究極魔法に命を捧げて死ぬつもりだから。……ああ、だから追放会議を開くのか、俺らは。くくっ、上手く未来と繋がってるもんだな』
『……私は、どうすれば』
『ラノは、アルトが好きなんだろ? 命を投げ出すのも世界のためじゃなく、あいつに《聖剣》を与えるためなんだろ? 聖女である限り、あいつと結ばれることはないもんな』
『……そうよ。私が彼に出来るのは、それだけだから』
『なら最期の瞬間まで、あいつの傍にいてやってくれ』
『……うん』
ラノのすすり泣く声が響く。
(全部、俺のためだったなんて……)
追放も、
呪いも、
ラノが死に続けたのも、
世界を救うために課された残酷な選択に、俺の心が折れないように。
いつもループ後、体が、手が、血まみれだったことを思い出す。
(あの血は、殺されたラノの……)
彼女が神聖魔法を使い、俺たちの体を清め、服を修復していたのは、転移していると気づかせないためだったのだろう。
それに《エスペランサ》は、敗北していなかった。毎回、皆の命を捧げ、魔王の複製に勝利していた。
魔王討伐後、仲間の死体を前に俯くニスタの姿が思い浮かぶ。
裏に隠された気持ちに気づかず、まんまと騙されて憎んだ俺は、
(……大馬鹿野郎だ)
ニスタ。
《エスペランサ》の仲間たち。
そして、
「……ラノ。死んでしまった今になって君の気持ちを知っても……何にもならないじゃないか」
両想いだった嬉しさよりも、後悔が胸を衝く。
この気持ちを伝えたくても、もう伝えることは出来ない。
ラノは死に、俺の転移はこれで終わりなのだから。
皆の気持ちを思うと、涙が溢れて止まらなかった。
その時、厳かな声が響き渡った。
「来たか、勇者よ」
目の前にあるのは、白く輝く光の玉。見たこともない存在なのに、俺にはそれが何か分かっていた。
回想であった男の声の主、封印されていた神だ。
「あの光景を見せたのは、あなたか?」
「そうだ。お前に誤解をされたままでは、命を投げ出した彼らがあまりに哀れだ」
哀れ?
お前の残酷な提案が、全てのきっかけだというのに。
口元が歪む。
光の塊から、俺の腰ほどまでの剣が現れた。それは淡い光を放ちながら、思わず差し出したこの手の上に乗った。
触れた瞬間、分かった。
神が鍛え上げたひと振りの剣 《聖剣》。
魔王を討つことができる、唯一の武器。
体に力がみなぎった。今まで眠っていた能力が、《聖剣》の存在を感じて覚醒する。
「行け、勇者よ。魔王の本体を倒し、世界に平和を」
神の声が響き渡ったかと思うと、目の前が漆黒に覆われた。
魔王の本体がある空間に、転移させられたのだ。
濃い邪の気配を感じる。
「……来るなら来いよ、魔王」
その言葉が、戦いの合図だった。
◆◇◆
全てが終わった。
煙を上げて溶けていく魔王を見ながら、世界の脅威が取り除かれたのを知った。
満身創痍だった。
《聖剣》の全ての力を解放しても、魔王の力は強大だった。
でも、負けるわけにはいかなかった。
俺が《聖剣》を手にし、魔王を討つことを信じて命を投げ出してくれた仲間たちの信頼を、想いを、裏切るわけにはいかなかったから。
死してもなお、皆の存在が俺を支えてくれたのだ。
「勇者よ、礼を言う。長きに渡る魔王の支配は終わり世界は救われた。お前を元の世界に戻そう」
神の声と共に、癒しの力が体に降り注ぐ。
体の傷は癒える。
しかし愛する人を、仲間を失った心の傷は――
そんな俺の気持ちなど知らず、体が浮き上がる感覚が襲った。
元の世界への転移が開始したのだ。
(今更、元の世界に戻ったって……)
もうラノは、《エスペランサ》の仲間たちは、誰一人生きていないというのに。
世界を救った喜びよりも、愛する人を、仲間を失った喪失感を感じながら、歪むような転移の衝撃を感じていた。
両足が地面につく。
意識が浮上する。
背中にずしっと《聖剣》の重みを感じる。
空虚な気持ちを抱え、瞼の隙間から洩れ入る光に導かれるように瞳を開くと、そこには――
「……え?」
椅子に座っているニスタの姿があった。
その周囲には、《エスペランサ》の仲間たちが立っていた。
この光景は知っている。
何度も何度も繰り返した、追放会議の場面だ。
でも一つ違うのは、俺に注がれる皆の視線が、今までのように見下し軽蔑したものではないこと。
ニスタ含め、皆が泣きそうになりながら笑顔を浮かべていること。
驚く俺の脳内に、神の声が響く。
”言い忘れていたが、お前が今いる世界は、私が魔王の複製の侵入を防いだ《原世界》だ。魔王が倒された瞬間、全ての並行世界が《原世界》に集約……と言っても分からないな。まあ簡単に言うと、ここは《エスペランサ》の皆が死ぬ前の世界だ”
「皆が死ぬ前の……世界?」
"そうだ。並行世界での記憶も継承されている。大半の人間の記憶は消したが、《エスペランサ》の皆には断られてね。お前だけに、辛い記憶を背負わせるわけにはいかないと"
神の声がとぎれた。
不意に後ろから名を呼ばれたからだ。
「……アルト」
振り返るとラノがいた。
瞬きも忘れ、彼女を凝視する。
涙でぐしゃぐしゃになったラノの顔が、さらにくしゃっとなって笑った。
彼女の笑顔が、視界が、歪んで見えなくなる。
「アルト、覚えてる? 追放後、私と約束したこと……。一緒に服を買いに行こうって、言ったよね?」
「覚えてる。……覚えてるよ。でもその前に」
ラノの体を強く抱きしめた。
触れ合う肌の温もりが、柔らかさが、彼女の存在を俺に知らしめる。
伝えたかった。
伝えなければならなかった。
彼女が存在している、この瞬間に。
「ラノ、君が好きだ」
<完>