*7* 寝込みじゃないから、変態ではないわ。
十一日目の深夜十二時。
今夜は久しぶりにベッドの中で眠っている彼の上にお邪魔できた。相変わらず疲労の色が濃い顔をしているけれど、以前注意してから唇の手入れだけはしてくれている。この素直さだけでも尊い。
僅かな微笑みを浮かべたところも見たことがない引き結ばれた唇は、いつも媚びた微笑みを浮かべていた私にとって憧れの塊だわ。
早くこの唇で愛を語らせて微笑ませたい……! それを端から見つめる私を視界に入れた彼が居心地悪そうにするところまで見られたら、もう天国の門に駆け込んであげるわ!
安らかな寝息を立てる皺のない眉間に、そうっと口付ける真似をしてみたけれど、熱も感触もない唇はその肌をすり抜けただけで。その直後に彼の目蓋が震えたので思わず飛び退き様に金縛りをかけてしまった。
ややあって大好きな琥珀色の瞳が私を捉え、掠れた声で「君か」と言う彼に微笑んで頷き返す。これで彼と私の“いつも通り”は守られた。寝込みを襲おうとした事実なんてどこにもないのよ、ええ。
『うふふ、こうしてベッドでちゃんと就寝中の貴男の上にお邪魔するのは久しぶりね? 無精髭の剃り残しもないし、唇もお手入れができていて偉いわ』
「……別に君に言われずとも、身支度くらいきちんとする。君が訪ねてくる時間帯が非常識なだけだ」
金縛りで動けない彼の上に肘をついて悪女らしくかけた言葉に、彼が眉間に皺を刻んで反論してくる。その表情が少しだけ不貞腐れたように見えてほっこりしてしまう。だけどそうよね。貴男はいつだってピシリとしていたもの。
「――どうした?」
『え?』
「何となくだが、いつもの勢いがないように見える」
半分透けている私の顔色を窺うように目を眇める彼の視線に、離れて久しい本体の体温が上がった気がする。弱った心臓が急に活発に動いて破裂したらどうしてくれるのよ。
『あのねぇ……死にかけなんだから、これくらいが普通よ。というより、いつもそこまでうるさくしていないわ』
動揺を悟らせまいとツンと顎を上げてそう返しても、何故だか彼はジッと探るような眼差しを向けてくる。どうせならその眼差しはまだ肉体があるときに受けてみたかった。
――なんて……肉体がないから私は彼を縛り付けて、ようやくこの視線をこうして受け止められるのに。身体が自由なら私なんて視界にも入れたくないはずだわ。
『まぁいいわ。今夜でついに十人目だから、今回のオススメ令嬢は少しこれまでとは違った視点で探してみたの』
「違った視点?」
『ええ。今回はちょっとだけ年齢層を上げて探してみたわ。考えてみれば貴男は年齢の割に落ち着いているんですもの。それならきっと落ち着きのある女性が合うのではないかと思ったのよ』
今夜でついに十人目の大台に乗るとあり、私は前夜の危ない発言の失態を取り戻すべく、今回のご令嬢探しにはちょっとした“属性萌え”というものについて考えを及ばせてみた。
その結果辿り着いたのが“歳上の落ち着いたお姉様属性”だ。これはきっと根強い人気のある落としどころのはず。
『王城で家庭教師をしてるドルマン子爵家の次女なのだけれど、ご本人も教育者として市井の学校で教鞭を取られているの。二十八歳と貴男より三つ歳上ね。もう子供達に大人気で、母性溢れる方だったわ。かなりオススメよ』
ちなみに彼女の名誉のために付け加えるなら、貴族の女性が外で、しかも市井の人間相手に教鞭を取るのがはしたないと言い出す愚か者が多い貴族社会。そのせいで婚姻が遅れていることに関して、本人も家族もまったく頓着のない素晴らしい家庭環境だった。
正直とても好ましい人で、十人目に相応しい選出だと自画自賛している。俗っぽく言うなら激推しってやつね。けれど興奮気味に紹介した私に対し、彼はやはり「そうか」と返事をした。
『もう、どのみち貴男も貴族でいるためには結婚して血を繋ぐ必要があるのよ? もっと真剣に考えなさい。貴男がそんなに暢気だと、心配で逝くのを後らせてしまいそうだわ』
そう口にしながら人差し指で眉間に刻まれた皺をつつく真似をしたら、彼は無表情に「ならば、君が生きていればいい」と言った。そんな彼らしくない冗談を言われて張り切らないはずがあろうか。いいや、ない。
『うっ……れしい、冗談ね? でも駄目よ。面倒がらないで、ひとまずご紹介したご令嬢達のどなたかに一度直接話かけてみて? その中に運命の女性がいるかもしれないし、いなかったらまた探してくるわ』
流石は私の“属性萌え”をしっかり押さえた人ね。ツンツンからのちょっぴりデレ。大変美味しゅうございました! 血が通った本体が鼻血を出していないといいのだけれど。
『それじゃあ、明日の深夜十二時に会いましょうね!』
意気揚々と告げて空気に掻き消える寸前、どさくさに紛れて彼の額に口付けを落とした。寝込みを襲わず正々堂々襲ったんだから、これはきっと許されるわよね?