♞4♞ それなりの休日。
色々とごたついて人事編成に大きな動きがあったせいで、久しぶりに丸一日取れたせっかくの非番に……何でこんな場違いな場所にいるんだとは思わなくもない。
――というか、思う。今からだって帰って寝たい気分でいっぱいだ。それくらい生活に余裕のある人間が使う表通りのお洒落な店内は、ド庶民なオレの感覚から乖離している。
だが上司とその奥方の命令とあっては仕方ない。たとえ普段着ない肩が凝りそうで趣味じゃねぇ服を着ていようが、整髪剤で髪を固められて掻きむしれなかろうが、無精ヒゲを剃った顔がスースーしようが、だ。
「ああ、クソ……やっぱり帰りてぇな」
そもそもあの日隊長の屋敷に行くことを了承したのは、アメリア嬢がきちんと元気に奥方が出来ているか見に行っただけで、婚約者云々の話は適当に聞き流すつもりでいた。いや、実際聞き流してた節はある。
確かにアメリア嬢を助ける前にそんな話をされたが、あれは計画を前に発破をかける口実だと思っていたし、結婚は人生の墓場とまでは言わないものの、オレは自分が結婚に向いている男だと思ったことはただの一度もなかった。
何よりも平民で、今の隊長が着任してくれるまでは泥の中を這うような生活をしていたから、尚更名誉だけの騎士爵称号は重い。若い娘を散々嬲って遊んだ貴族の仲間入り? 冗談じゃない。
「――……なんつって、あの嬢ちゃんを娼婦呼ばわりしたオレも同罪だっての」
苦い思いが込み上げる。幸せそうに隊長の隣で頬を染める姿を見てホッとしたもんだが、それで世間の汚い噂を鵜呑みにした罪が消えるわけじゃない。若い隊長はともかく、オレはいい歳をした補佐役だ。
隊長ほどの確たる正義感もないくせに、逃げ場のない相手の事情を知ろうともせずに酷い言葉を投げた。
『“特定の恋人は今はいねぇな。結婚もしてねぇ。オレくらいの良い男は結婚しなくても女に困ら――、”』
『“男は良いわね。そうやって身持ちの悪さを武勇伝に出来て。まぁ、別にお説教をしてあげるつもりはないからそこはどうでもいいわ”』
あの夜に彼女が何を思いどんな気持ちであの言葉を口にしたのか、今更聞けない。自分が赦されて楽になりたいだけの謝罪も無理だ。意外と嫉妬深かった隊長に殺される。
あの日から娼館には行っていないが、そんな奴が果たして純粋培養の貴族の娘を婚約者に……ひいては妻に出来るか?
考えなくても分かる。
どう考えても無理だ。
――が、何にせよどの道決定権は見合い相手側にある。
きっと粗野な成り上がりとの結婚話など断るだろう。誰だってそうする。同じ立場ならオレだってそうする。
そこまで考えたら急に楽な気分になって、見合い前の景気づけにワインの一杯でも頼もうかと手をあげかけたその時だった。
「あの……失礼ですが、ダルク・キース様でしょうか?」
背後からそう声をかけられて振り向けば、若草色の素朴なドレスに身を包んだ大人しそうな女性が立っていた。真っ直ぐな栗色の髪と少しくすんだ緑の瞳。これといって特徴のない地味な顔立ちではあるものの、流石貴族のご令嬢。立ってるだけでも下町の娘とは違い気品がある。
残念ながらどうやら気付けのワインの力を借りることは出来なさそうだ。
「あー……この度はどうも。ダルク……キース、です」
「ああ、良かった。初めましてキース様。わたくしドルマン家の次女でリリアと申します。待ち合わせ時間に遅れてしまってすみません」
「はぁ。これはご丁寧な挨拶を……いたみ入り、ます。あと、時間はオレが早いだけですよ。約束の時間まであと五分ある」
遅刻魔のオレに対し、口を酸っぱくして絶対に約束時間の十五分前には到着していろと隊長と嬢ちゃんが言ったので、今日はその通りにしたのだ。
まだ名乗り慣れない家名を口にして居心地の悪い気分でいると、座ったままのオレを見て慌てて店の従業員が正面の椅子を引く。彼女は従業員に礼を言って着席した。どうやらオレは早速マナー違反をしたらしい。
目の前で注文を済ませた彼女は、オレとの話が駄目でも同僚の中からすぐに希望者が募れそうだ。
初っ端からこの調子なら、すぐに向こうから見合いの切り上げを求めてくるだろう。そうしたらその足で隊長の屋敷に立ち寄って駄目でしたと報告すればいい。
「では改めまして、キース様。本日はお時間を頂いてありがとうございます。それから、その……無理をなさらずいつも親しい方と話されているようにお話して下さい。わたくしもそう致しますので」
昔から上品な言葉は苦手だが相手側からの嬉しい申し出なので、お言葉に甘えて乗らせてもらうことにした。
「そうしてもらえると助かる。それじゃあ、堅苦しいことはなしってことで」
「ええ、良いわ。わたしもその方が楽だもの。堅苦しい言葉はお偉い方達のいるところで使えば充分よ」
「へぇ……」
「貴族の娘なのにこんな口調でがっかりさせたかしら?」
最初のぼやっとした印象から一転、悪戯っぽく目を細めて口角を吊り上げる彼女はなかなかイイ女だ。アメリア嬢とは違った曲者感がある。
「いいや。むしろそっちの方が良い。あんたの雰囲気には合ってるぜ」
「ふふ、嬉しい。わたしの言葉遣いの先生は子供達なのよ」
「そう言えば確か市井で教師をやってるって釣書にあったな」
「ええ、そうよ。下町でね。乗り気ではなさそうなのに、きちんと釣書の内容を憶えてくれていて嬉しいわ」
成程、さっきの挨拶から今までの態度でお見通しってことか。それが分かっているのに怒って席を立たず会話を続けるところも変わっている。
「そりゃあ断られるって分かってても、一応見合い相手の情報くらいは頭に入れるさ。オレってそこまで適当に見えるのか?」
「いいえ。どちらかと言うと面倒見が良さそうで子供に好かれそうな人よ」
「オレがかぁ?」
「まぁ、教鞭を握って七年目の女の言うことは信じられない? これでも人相見は得意な方なのよ。それにわたしは貴男が嫌でなければこの次も会ってみたいわ」
「そりゃまた……何と言うか、物珍しさからなら止めといた方が良いぞ」
「あら、まさか。だって貴男はわたしが市井で教師をやっていることに眉を顰めなかったし、会って最初に愛人がいるとも、奴隷まがいの後妻になれとも、婚約したら仕事を辞めろとも言わなかったわ」
――思った以上にこれまでの見合い相手がクズばっかだな。よくそれで今日ここに今は騎士爵とはいえ元下層民あがりの男と会おうとしたもんだ。あっちには隊長が不利になる内容もしっかり書き込んだ釣書を渡したはずなんだが……。
「オイオイ、そんなことでか? 大袈裟だろ。あんたはこれまでの見合い相手が酷すぎて自棄になってんだよ。茶飲み友達ならその選び方で良いだろうが、これは一応婚約者選びだ」
「ふふふ、それくらい分かっているわ。それに本当はレイモンド様経由で聞かされた奥方様のお話で貴男のことを知ってから、是非会ってみたくて。実際に会ったら次も会いたくなったの」
「あのな、あんたはオレを買い被りすぎだ。今まで会った奴等がクズすぎるだけで、あんたはイイ女だよ。保証する。だから――、」
“オレなんか止めとけ”と切り出しかけたところで、ちょうど彼女が注文したらしいものがやってきた。しかしその注文した品を目にした瞬間、案外この次に会ってみても良いかと考えを改める。
それというのも――。
「この銘柄、美味しいのよ。グラスで注文なんてしたら高くつくし、今日はせっかくの素敵な出会いだもの。一緒に飲みましょう?」
目の前にはさっき頼み損ねたワインがボトルで置かれ、適当に洒落たツマミまで並んでいる。ここで断って席を立つのは簡単だが、たぶん後悔するだろう。
「……まだ昼間だってのに、不良な先生だな」
「仕事とプライベートはきっちり分けているから大丈夫よ」
従業員がコルクを抜き、一杯目を互いの前に置かれたグラスに注いで席を離れた。どちらともなくグラスに手を伸ばし、目の高さに掲げて笑う。
「えー……今日の善き出逢いに」
「乾杯」
キンッと薄いワイングラスの触れ合う音を聞きながら、いつの間にかこんな休日も悪くないと思う自分がいた。




