★21★ 剥がれた鍍金と硝子の棺。
二十九日目の深夜十一時四十分。
静かな夜だ。
月のない空だ。
夜目がきく身で良かった。
野盗のような真似事をするには、持って来いの良い夜だ。
これから俺が成そうとしていることを、きっと彼女は怒るだろう。裏切りだと罵るだろう。しかしそれでも構わなかった。
彼女の本体が亡骸に変わる前に身柄の確保が出来るなら、それで構わない。ようやくこの気持ちに気付いて妻にと望んだ人の名を記すのが、冷たい墓石ではあまりに悔いがありすぎる。
思えば最初から彼女は婚約者である俺に何一つ言い訳をせず、助けを求めず、むしろこちらを心配するばかりで、常に自身の終わりを望んでいた。あれが覚悟なのか諦観なのかは分からない。
しかしどちらにせよ彼女に比べて俺は不甲斐ない男だった。始まりはなし崩しで結ばれた婚約であったとしても、婚約者の彼女に手を差し伸べることを躊躇わせるような、世間の噂を鵜呑みにして真実を暴こうともしない男だった。
本来の彼女は嘘が苦手なのだろう。毎夜言葉を交わすうちに、質の悪い鍍金が剥がれるように彼女の嘘は露呈して、淡水真珠のような素朴で歪で傷付きやすい地が現れた。
見舞いの一度もさせず婚約解消を迫るバートン子爵、彼の不釣り合いな上級貴族達との繋がり、出入りしていた医者の裏の家業、馬車で一昨日連れ出された彼の妻と実の娘の不審な事故。
言葉での謝罪には露ほどの価値もない。
言葉で贖うのは全てが終わった後だ。
懐中時計を取り出して蓋を開け、屋敷に踏み込んでからの手順を逆算していると、背後から「隊長」と声をかけられて振り返る。
そこにはこちらが提示した期間内に書類にサインをせず、まだこんな俺の部下であり続ける奇特な男が立っていた。その後ろにも奇特な馬鹿共が広がり、ジッとこちらに注目している。
「隊長、他の騎士団連中も未だに半信半疑だが配置についた。この屋敷の表も裏も封鎖済みだ。あとは袋のネズミをどうするか、隊長の指示を聞かせてくれ」
粗暴な笑みを浮かべる副長に視線を向け、そこからさらに後方にいる部下達の姿を見やる。今にしてよくもこれだけ人相の悪い連中が集まったものだと思ったものの、そんな部下達の放つ殺気を心地好く感じる俺も大概だろう。
「最終確認をするが、本当について来る気なのか、お前達は」
「ここまで来て何を言ってるんです、隊長。こいつらの誰もオレが隊長の後任だって言っても納得しなかった。せっかく狼の群れになれたんだ。野良犬の集まりに戻るのは誰だって嫌なんスよ」
「俺がいなくなったところで、お前達は狼の群れのままだろう」
「オイ、聞いたかお前等。隊長は随分とオレ達のことをかってくれてるらしい」
こちらの最後の問いかけに、ダルクがいつものように調子のいいことをのたまい、背後の部下達から圧し殺したような笑いが起こる。
静かな夜に似つかわしくない悪党達の笑いは風が巻く音にも似て、これから起こる嵐を予感させた。
「お前達に旨みがない。ことと次第によっては俺は爵位を失う可能性がある。吹けば飛ぶような男爵位を持つことで狼なら、失くせばお前達と同じ野良犬だ」
没落寸前の男爵家から出世の道が開けることなどない。だからこそ、六年前に平民出身者達だけで構成された部隊に配属された。ダルク達にしてみれば、またお飾りの厄介者が着任したという程度だ。
「旨みならありますよ。あんたにこれまで通り隊長を続けてもらう。それにオレ達が言ってるのは貴族の位じゃない。矜持のことだ。あんたに会うまでのオレ達にはそれがなかった」
ダルクの言葉に誰かが「そうだ」と応じれば、また誰かが「そうですよ」と声を上げる。今夜は夜目がきくとはいえ月のない夜だ。
けれどそれがどの部下の声なのかは見当がつく。六年という年月は、それくらいのことを可能にさせる時間だった。
『“オレ達野良犬は汚い世界に鼻が利く。だからあんたはオレ達を使って狼の狩りをすりゃいいんですよ、隊長。あのお騒がせな婚約者殿を取り返しに行くなら数がいた方が良いでしょう”』
書類にサインを求めた三日目の朝この男はそう言って、すでに半分ほどはこちらで調べをつけていた胸糞の悪い情報に、さらに細かく肉付けた。
出入りしていた医者が裏家業の人間だとは調べがついていたが、まさか人間に防腐処置を施して剥製に仕立てる輩だとは思いもしなかった。出入りをしている男達の中にそんな悪趣味な人形のコレクターがいたことも。
「では……この屋敷内にいるものは、使用人達も含めて重犯罪に加担したものしかいない。逃げ出す者は足なり腕なり折って捕縛し、手向かうものは切り捨てろ。誰一人として敷地内から逃がすな」
***
一度指示を下してしまえば、ダルク達の動きは常と変わらず流れるようで。音もなく庭園内に侵入し、あっという間に無人となった子爵の実子の部屋から屋敷内へと散った。
大抵の者達が深夜に突然押し入った騎士団に為す術もなく取り押さえられ、間違えた方向に気概のあった者達は切り伏せられる。当主の部屋は部下達に任せ、俺はダルクと共に彼女の寝かされているだろう一室へと駆けた。
恐らく当主であるバートン子爵と医者は、逃走するにしてもあの部屋を一番最初に消そうとする。そのことを疑う余地は一切なかった。
途中で騒ぎに気付いて部屋から逃げ出そうとしていた使用人達を数名叩き伏せ、ダルクにその捕縛を任せて単独辿り着いたのは、天井付近に明かり取り用の窓と、古い柱時計がある以外には何の装飾もない部屋だ。
そのくせいやに甘ったるい香の匂いが染み付いた部屋の中心には、一段高くなった祭壇のような場所があり、そのすぐ傍でチラチラと燃える燭台の蝋燭が香りの正体であることに気付く。
引き寄せられるように祭壇へと近付けば、そこには悪趣味な硝子の棺が鎮座し、その中に扇情的な白い夜着を纏わされた彼女の本体が寝かされていた。
「……アメリア……」
横たわる彼女は毎夜見る姿からは想像もつかないほど窶れ、階段から突き落とされた時に負ったのだろう。その美貌を黒真珠にたとえられた彼女の顔には、右の額からこめかみにかけて傷跡が残っていた。
だというのにこれだけ憔悴した姿になっても、何故か彼女は幸せそうに微笑んで眠っている。社交界で目にした“悪女”のものではなく、度々俺の胸の上に肘をついて見せた“少女”の笑みで。
『“はぁ……もしかしなくても、今が一番幸せだわ”』
当初深夜十二時に現れた彼女に向かってどれだけ冷たく返しても、彼女は確かにそう言って微笑んでいた。あの会話と表情を思い出しながら、不甲斐ない自分への怒りで震える指先で彼女の額に触れようとした――その時。
『アラン止めて! 見ないで!! 触らないで!!!』
深夜十二時二十分。
血を吐くような断末魔を上げて、頭上に彼女が姿を現した。




