*20* 因果は廻る糸車。
二十九日目の昼。
私が終わりを迎えるまであと二日。
日々推しとのイチャイチャと、地獄へ続く道の舗装に余念はない。ふふふ、毎日充実してるというのは良いものね。
『はぁ……むさ苦しいお前とこうして逢い引きするのも今日が最後かしらね。当日は私も微力ながら手伝ってあげるから、きっちり仕留めるのよ?』
「分かってるっての、疑り深い女だな」
『お前のその不真面目な返事が心配なのよ。当日は深夜十二時の時間厳守。お酒は前日から控えておきなさい』
こちらの真剣な注意にさもうるさそうに「へいへい」と生返事を返す男。実態があれば扇で頬へ一撃食らわせてやりたいところだけれど、実態に戻る前に死ぬのだから今生で一撃入れるのは無理だろう。
――と、そこまで考えてからふと思い付いたことがあって男を見下ろした。
『そうだわ、お前、恋人はいて? 結婚はしているの?』
「……急に何だよ」
『いるか、いないか。しているか、していないか。答えなさい』
「特定の恋人は今はいねぇな。結婚もしてねぇ。オレくらいの良い男は結婚しなくても女に困ら――、」
『男は良いわね。そうやって身持ちの悪さを武勇伝に出来て。まぁ、別にお説教をしてあげるつもりはないからそこはどうでもいいわ』
性別の違いで生じる不公平さに憤るほど、もう青くない。これが成熟なのか爛熟なのかは知らないけれど、諦めの境地には違いなかった。何より本当に彼以外の人間のことなどあまり興味がない。
ただせっかく調べあげたご令嬢達の情報と、彼以外で唯一動向を気にした彼女達の行く末がどうなるかくらいは気になる。上部だけの下らない貴族の市場で言えば、逸材であるはずの彼女達も割とギリギリなのだ。
「チッ、じゃあなんだってんだ」
『予言してあげるからよく聞きなさい駄犬。二、三年の間に仕事で大手柄を立てたら、お前達の主人に素敵な女性を紹介してもらえるわ。たぶんね。だから良い子にしてるのよ?』
私の言葉に訳が分からないといった表情を浮かべる男を見て、少し愉快な気持ちになったものの、それを悟らせないように悪役の微笑みを貼り付けた。この男と打ち合わせをしたのは七日間で四回だけ。それだけでもこの男が彼の右腕なのだろうとは、薄々感じられた。
彼が私が調べあげた十二人の婚約者候補の中から一人を選んだところで、まだ十一人もいる。そんなの絶対に勿体ないわ。この男も見てくれに好みの差違はあれど、不細工という訳でもない。
がっちりとした身体つきと、日に焼けた赤銅色の肌。短く刈り上げた枯草色の髪は見ようによっては渋いし、やや垂れ気味なアーモンド色の瞳も悪くない。うん、好きな子は好きなタイプよね。私の好みは彼だけだからさっぱりだけど。
「良い子ってな……どう考えてもオレの方がお前より歳上だぞ」
『精神年齢の話よ』
「ま、いい。それより昨日何かごたついてたみてぇじゃねぇか。屋敷の使用人が騒いでたぞ?」
『ああ……別に大したことではないわ。予定調和のようなものだから』
本当は割と大事で、昼頃にまた妹の婚約者がノコノコやって来て、帰りにあの部屋から出てくる姿を妹に見つかって修羅場になったのだ。
逆上した妹がペーパーナイフで婚約者を刺して、危うく私の本体まで壊されるところを、駆けつけた父が妹を殴り飛ばして取り押さえた。それだけなら私への愛に目覚めた行動にも見えるが、実際は『“商品に傷をつける気か、この愚か者!!”』ということで。
あれにはお腹を抱えて涙が出るまで笑ってしまったわ。一番の愚か者はお前だと、あの場の誰もが言いたかったに違いないのに。
その後、妹は出入りしていた医者に気が狂ったと診断され、監督不行き届きと見なされた義母と共に、馬車でどこかに連れて行かれた。
普段の無能さが嘘のような父の手際の良さに呆れると同時に理解した。彼女達の末路もまた、私の母と同じであることだろう。
悲しいとは、思えない。
哀れだとも、思えない。
そう、因果は廻る糸車。
この悲喜劇のような歳月は、ただただ、それだけのことだった。
『二日後の作戦の決行に何ら影響はないから、お前は私を殺すことだけ考えていればいいわ』
私が死んで、幕が降りる。
ただただ、それだけのことだもの。
***
二十九日目の深夜十二時。
最後の日が近いとあって、レイモンド家の屋敷を上空から見下ろしてから邸内に侵入したのだけれど、いつも通り訪れた彼の屋敷はこんな時間に来客でもあるのか、慌ただしく客間を整えているようだ。
訝かしみながら彼の部屋に飛んでみるも、部屋はランプの明かりの一つもない暗闇に包まれて人の気配もない。
明らかに何かが常とは違う。説明のつかないその様子に直感的に嫌な予感がした。暗闇に目を凝らして周囲を伺えば、月明かりの落ちる窓辺に便箋らしきものが一枚置かれていて――。
覗き込んだ便箋の中心にたった一行簡潔に残された彼の文字に、慌てて空気に姿を溶かして夜空を駆けた。
“今宵、君を迎えに行く”
幼い頃からずっと焦がれるほどに欲しかったはずの言葉が、何よりも恐れていた言葉となって牙を剥いた瞬間だった。




