★9★ 婚約者への謎は深まる。
身体の上から彼女が掻き消えてしばらくすると、徐々に鈍っていた神経が調子を取り戻していく。
以前から霊体になってから毎夜飽きもせず訪ねてくる彼女に対して、ずっと違和感があった。あの日の出来事を事件と事故の両方から探り、部下からの報告書類に目を通していくうちに、段々とそれは不信感に変わる。
だから今夜はそのことで彼女に鎌をかけてみたのだが……益々謎が深まった。
問いかけは三つ。一つ目は霊体のまま昼間も出歩けるかというもので、その問いに対しての彼女の答えは、
『今そこに興味を持つの? 出歩けるというか、ええ、飛べるわよ。まだ肉体が死んでないからじゃないかしら』
――という、どこか他人事のようなものだった。ここで重要なのは飛べることは断定するのに、自身の現状を表す言葉に断定の言葉を用いなかったことだ。
二つ目はどうして昼間に俺の前に現れないのかという問い。この問いに対しての彼女の答えは、
『どうしてって……仕事の邪魔になるじゃない。それに昼間の私はたぶん今より透けてて、ほとんど見えないわよ。宙に向かってボソボソ独り言を言っていたら、取り締まる側から取り締まられる側になるわよ?』
――という、考えなくとも分かる見え透いた嘘だ。時々仕事中に彼女の気配を感じることがある。
だが真偽はどうあれ、霊体になる前は昼夜を問わず押しかけて来ていた彼女はここへきて急に大人しくなった。おまけに何故かたったの一度も自身の現状を語らない。恐らく本体である肉体の現状を知ろうとしていないのだろう。
……知ってさえいれば、彼女は毎夜俺の上に現れる必要などないのに。
俺は彼女がああなった三日後から、見舞いのため仕事終わりにバートン家を訪ねている。しかし彼女はそれを知らず、俺の方も正確に言えば未だ彼女に面会ができていない。
見張りにつけている部下の話では医者の出入りがあることから、彼女がまだ生きているのは間違いないだろうが、気になるのは見舞いに来る男が日に二人はいるという報告だ。
一応婚約を白紙に戻すようにとの話は出ていたものの、こちらが頷かない限りはまだ婚約関係にある。だというのに、婚約者の俺を遠ざけておきながら赤の他人には見舞わせているという。
『――ああ、良い声ね。こんなに近くで聞けるだなんて……もしかしなくても、今が一番幸せだわ』
以前彼女が口にしたあの言葉も、
『心配しないでも大丈夫よ。ベッドの上の私が死んだら、この事件の犯人は次に罪を重ねたりしないわ。すぐに皆、こんな女のことなんて忘れるわよ』
……あの言葉も。そのときに問いはしなかったがずっと引っかかっている。
前者は死の淵に立っている人間が口にするには相応しくなく、後者はまるで何もかもに気付いていながら、敢えて知らないふりをしているように聞こえた。
そこまで考えてから、ふと最後の三つ目の問いかけの答えを聞けていなかったことを思い出し、昨夜彼女が口付けた額に触れる。あれは駆け引き好きな彼女の悪ふざけだったのだろうか。
ただそれにしてはさっきの反応が――……と。
「そういえば……今夜のオススメ情報を聞いてやれなかったな」
毎夜得意気にあれを語って聞かせてくる彼女に悪いことをしたかもしれない。そんな感想を抱くほどにはこの異様な日々に馴染みかけているのだと気付き、微妙な気分になりながら目蓋を閉ざした。