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8話 後輩Iのランクアップ

「大分暗くなっちゃいましたね。一回も勝てなかったのは悔しいですけど、そろそろ帰ります」


 3戦目も俺の勝利で終わり――COMを最強にした為、小田切さんは最下位になった――口を尖らせていた彼女は、真っ暗になった窓の外を見ながら、残念そうな顔を見せた。

 これでお別れな事は辛いが、そんな小田切さんの表情に嬉しくなってしまう。まあ俺と過ごす時間が惜しいのではなく、言葉通りゲームで勝てないまま帰るのが悔しいだけだろうが、それでも嬉しいものは嬉しい。


「家……家の近くまで送りますよ」

「悪いですよ。近いですから大丈夫です」


 涼しげな顔に戻った小田切さんは、追加でアパートの名前を俺に告げた。


「そこの201ですから。近いでしょう?」

「いやあの。女性が自分の家をそう簡単に教えるのは良くないと思うんです」


 純粋に心配しての言葉だったが、小田切さんは僅かに顔をしかめた。


「誰にだって教える訳じゃありませんし、そう思われたなら心外ですよ」


 やってしまったと、暗澹たる気持ちになったが、救ってくれたのはその僅かに不機嫌そうな声。


「泉君ならいいと思って教えたんです。もう友達だと思ってるのは私だけですか?」

「いえ……すみませんでした」


 実際のところ、俺は小田切さんを友達だと思った事はないし、友達になりたいとも思っていない。なりたいのはあくまで恋人だ。

 しかし言葉自体は嬉しく思ったし、彼女の気持ちに応じる為に頭も下げた。


「わかってくれればいいんです」


 そう言ってニコリと微笑む小田切さんは、「それじゃあ」と立ち上がった。


「お詫びに送らせてください」

「気にしなくていいですよ」

「ええと、夕飯の買い物もしたいので、まあある意味ついでみたいなものです」


 正直これは奥の手だったのであまり言いたくなかった。

 実際に買い物はしたかったが、小田切さんを送る事についで感は出したくなかった。そっちが本命の用事なのだから。


「そうですか。それじゃあせっかくなので……」


 しかしその甲斐あってか、小田切さんは同行を認めてくれそうな雰囲気を出してくれた。言葉を切って何やら考え始めたのが不穏ではあるが。


「せっかくなので、どこかでご飯でも食べましょうか」

「はい!……はい?」


 名案を思い付いたと言わんばかりに自信満々に笑う小田切さんは、思ってもみなかった提案をしてくれたが、俺の理解が追いつくのは少し遅れた。



「定食屋には全く行った事が無いので、泉君にお任せします」


 そう言われて入ったのは、俺の家から小田切さんの家までの間にある定食屋。

 食べたい物や苦手な物などを聞いても、ニコニコと笑いながら「お任せします」の一点張りで、俺に情報を与えてくれなかった小田切さんは、店内を興味深そうにキョロキョロと見回している。


「量が多いんで、ご飯なんかは先に言っとくと減らしてもらえますよ。値段は変わりませんけど」

「良かったです。クッキーを貰った事を後悔したところでした」


 丁度他の客の席に注文した品が届いたところで、そのボリュームに小田切さんは目を見開いていた。

 因みに、ゲーム中ちょくちょくクッキーに手を伸ばしていた小田切さんは、「美味しかったですけどね。ありがとうございました」と苦笑しながら付け足した。


 大学付近の定食屋のターゲットは、当然ながら一人暮らしの学生。それも基本的には男子学生だ。

 だからほとんどの店は量が多い。俺でも品によっては食べた後に動くのが嫌になる場合もあるくらいには。


「泉君のお薦めはありますか?」

「そうですね……」


自炊よりはずっと美味いが、学生向けとは言え外食繰り返す程の余裕は無いので、それほどの頻度で来る訳ではない。なのでお薦め出来る程ここの料理を食べていない。


「定食、でしょうか。いくつかありますので、お好みのを選ぶといいかなと思います」

「因みに理由を聞いてもいいですか?」

「量が多いんで、丼ものだとずっと同じ物食べてる分きつくなるかもしれないので」

「なるほど。それじゃあせっかくなので定食から選びますね」

「はい。逆に俺は丼ものにします」


 量を減らさない場合のここの丼ものの凶悪な量を見てもらおうと、少しだけいたずら心が芽生えた。



「一度来てみたかったんですけど、友達はこういう所来ませんし、中々一人では来づらかったので、泉君と来られて良かったです」


 二人で料理を注文し、出来上がりを待つ時間、小田切さんは俺を勘違いさせそうな事を言い出した。

 都合のいい解釈を振り捨てて冷静に考えれば、女性一人では確かに来づらい場所ではないかと思う。ここ以外の定食屋でも、女性客を見るのは稀だったし、特にお一人様に限れば見た事は無かったように思う。しかし――


「意外ですね。小田切さんはそういうの気にしないと思ってました」

「友達みんなが、こういう所には独特の作法があるって脅すんです。今日来てみて嘘だってわかりましたけど」


 不満げにこぼす小田切さんを見ながら、ふと彼女の友人の思考をトレースしてみた。からかうつもりもあったのだろうが、この人を放っておけなかったのではないかと思ってしまう。

 白衣の小田切さんを見て、定食屋のおばさんちょっと驚いてたしな。


「まあ、それは大袈裟かもしれませんが、ちょっと特殊な空気感は無い事も無いので、もし定食屋に行きたいなと思ったら俺を呼んでください。いくらでも付き合いますから」

「本当ですか?じゃあお言葉に甘えるかもしれません」


 小田切さんは嬉しそうに笑う。ちょっと卑怯だったかもしれないが、一人で定食屋に行かせるのも――多分白衣着ていくだろうし――少し不安があるし、だからと言って他の男を誘われるのなんて絶対にごめんだ。


 上機嫌な小田切さんと、今日やったゲームの話などをしていると、彼女の元に唐揚げ定食がやって来た。


「ご飯の量を減らしてもらって良かったです。唐揚げも大きいし、キャベツもこんなに多い」


 事前に他の客の品を見ていたとは言え、やはり自分の目の前にこれだけの量が出されると驚くものがあるのだろう。小田切さんは目を丸くして「食べられるかな」と小さく呟いた。


「じゃあ冷めない内にどうぞ。俺の方もすぐ来ると思うので」

「はい。それじゃあお先に失礼しますね」


 割りばしが丁度真ん中で割れなかった事に微妙な顔をしつつも、小田切さんは「いただきます」と小さく言ってから、定食に手を付け始めた。


 そんな小田切さんは、少し後に出された俺の親子丼を見て、その凶悪な量に絶句していた。



「食べ過ぎました……」

「しょうがないですよ」


 街灯とたまに通る車のライトに照らされながら、好きな女性を送っている。

 だと言うのに、ロマンの欠片も無い状況なのは、渋い顔をしながらゆっくりと歩く小田切さんの様子が面白いからだろうか。

ライスの量を減らしたとは言え、小食な女性にあの量は厳しかったらしい。


「次に行く時はお腹を減らしてから行きます」


 苦しそうな様子を見せながらも、小田切さんの目にはまたも炎が灯る。こんなところまで負けず嫌いなのかと、内心苦笑した。


「付き合ってもらいますよ、泉君」

「小田切さんとならどこだって付き合いますよ」


 ちょっと意識して言ってみた言葉だったが、彼女の方はまるで気付かず、「言質取りましたよ」と強かに笑うのみ。


「あ、ここです」


 定食屋から少し歩いた所で、小田切さんが指差したのは見覚えのある二階建てのアパート。


「ここ、入学前の部屋選びの時に見に行きましたよ」

「じゃあ同じアパートだったかもしれないんですね」


 愉快そうに笑う小田切さんだが、俺からすれば痛恨の極みだ。

 大学に近いからと言って今の部屋――あそこはあそこで気に入っているが――を選ばなければ良かった。


「残念です」

「そうですね」


 楽しそうに笑う彼女は、全く残念そうに見えない。


「それじゃあ、泉君。送ってくれてありがとう。もう遅いので、気を付けてくださいね」

「はい。ありがとうございます」


 俺に手を振りながらアパートの階段を上る小田切さんは、「それじゃあまた」と言ってくれたが、その「また」の約束は取り付けられなかった。


 今日はそこそこ進展したと思う。少なくともたまに話す後輩Iから友人に格上げしてもらったのだから。

 ここから頑張って、更に恋人に格上げしてもらうのだと、そう決意して小田切さんのアパートを後にした。


「よし!」


 気合を入れる為に自分の頬を叩くと、冬の寒さのせいでかなり痛かった。

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