4話 ルール違反の正解
「お知合いですか?」
「先月辞めたサークルの先輩です」
いつの間にかいつものクール美人に戻った小田切さんに応じたものの、彼女の方はあまり興味が無さそうに見えた。
「おいおい泉クン。もっと正確に言えよ」
「そうそう。空気読めない事して居づらくなって辞めなきゃいけなくなったサークル、だろ?」
「彼女の前で言いたくないのは分かるけどな?」
バイアスがかかりまくっているせいか、下品に見える笑いをこぼす元先輩達の発言は、それこそ正確ではない。
まず――
「彼女じゃありません」
否定は平坦な声で、俺の向かいから発された。
小田切さんはそれだけ言うと、また静かに蕎麦を啜り始めた。
俺はと言えば、先輩達の彼女発言を否定しなければと思っていたはずが、小田切さんが代わりに否定してくれた事に対して、何故かもやっとした気持ちを抱いた。
「ま、まあいいか。コイツがどんな事したか聞きたくない?」
「あの時はウケたよな」
一方の先輩達は話を続けたいらしいが、出ばなをくじかれた為か、どことなく気まずげだ。
「とりあえず座ったらどうです?そこで立っていられても鬱陶しいですし」
発言に棘があるような気はしたが、小田切さんは二人に席を勧めてしまった。
俺個人で聞く分にもいい気はしないのに、彼女を巻き込んだ事でより憂鬱になる。
小田切さんも小田切さんで、わざわざ席を勧めなくてもいいだろうにとも思ってしまうが、立ったまま上から話されるのも確かに嫌ではあるので複雑だ。
「ああ、それじゃ泉クンの話だけどさ――」
「ええ。止めませんのでお好きなだけどうぞ」
箸を置いた小田切さんが涼しい声で促すと、気を良くしたのか二人の先輩はニヤつきながら席に着く。
「それじゃあ行きましょうか、泉君」
しかしそんな彼らが口を開く前、立ち上がった小田切さんはトレイを持ったまま歩き出した。
残された三人は何も言えず彼女見送りかけたが、「あっちですよ」の声で辛うじて俺だけが動き出せた。
「好きな席に座る権利も、好きな話をする権利も、お互いにある訳です」
そう言った小田切さんは一切振り返る事無く、学食の隅の席へと俺を誘った。
◇
「それでさっきの話の続きですけど」
「はい」
「あの時泉君が何を考えていたかは――」
「え?そっちですか?」
新しい席に移って「さっきの話の続き」を切り出され、覚悟を決めて言おうかと思ったところにこれである。
「そっち?」
小田切さんは、「他の話題ありましたっけ?」と僅かに首を傾ける。その様子からとぼけている訳ではない事がわかる。
「さっきの二人が話してた事です」
小田切さんは、「ああ」と思い出したように頷いて言葉を続けた。
「混ざりたかったですか?」
「いやいやいや」
「それなら話を元に戻しても構いませんよね?」
慌てて首を振る俺に、小田切さんは少しいたずらっぽい笑みを向ける。
「でも、気になりませんか?」
「何が?」
「あの人達が言ってた内容……です」
「あまり大事な事じゃなさそうでしたからね」
「ええ……」
しれっと言い放った小田切さんを前に、今俺はどんな顔をしているだろう。
「ちゃんと根拠はありますよ」
「根拠?」
「はい」
自慢げに頷いた小田切さんが、人差し指をピンと立てる。
「まず彼らは最初に泉君に声を掛けましたよね?からかうような調子で」
「そう、でしたね」
「仮に泉君が問題を起こしていて、それを私に忠告したいのであれば、アプローチとしては悪手でしょう。そらならば彼らがしたかった事は何かと言うと、泉君に対する嫌がらせ以外に無いでしょうね」
「たとえばですけど、俺に対する制裁的な何かとか――」
「彼らがそのつもりだったとして、結局は嫌がらせです。だってサークル内のトラブルなのに、サークルを辞めた泉君に対して制裁する権利なんて無いじゃないですか」
「なるほど」
「初対面の私の前で他人への嫌がらせを始める人達ですよ。話の内容が大した事じゃないのは明らかです」
立てた指を左右に振りつつ――指だけを上手く動かせなかったのか、手首ごと動いているのが面白い――小田切さんは自信満々に言い切る。
「理に適ってるでしょう?」
「そうですね」
「どうして笑うんですか?」
噴き出しつつも頷いた俺に、小田切さんは口を尖らせて応じる。
「流石だなと思って」
佐々木や松宮も恐らく似たような話を聞いたのだと思うが、ありがたい事に二人とも俺への態度を変えなかった。松宮はむしろ心配して近付いて来たくらいだが、それはあいつらがいい奴である事に加え、付き合いが半年以上あるからだと思っている。
2週間前に会っただけ、実際に話した時間は計1時間程度、そんな小田切さんがあの先輩達の話を聞いて、俺への態度を変えなかった事が嬉しい。
本人にとっては根拠のある事なのだろうし、信じているのは俺ではなくそれなのだろうが、やはり嬉しい。
「小田切さん」
「はい」
「さっきの『大事な事じゃない』話ですけど、聞いてもらってもいいですか?」
「やっぱり混ざりたかったんですか?」
「全然混ざりたくないです。何と言うか、俺の気持ち的に、小田切さんには聞いてほしいなと思いまして」
「よくはわかりませんけど、泉君が話したい事ならどうぞ」
「ありがとうございます」
感謝を込めて頭を下げる。
きっかけは些細なサークル内のトラブル。一人の先輩がちょっとしたミスをした。結果的に大した問題もなく済んだものの、金銭が絡む問題だったこともあり、その人は全体の前で頭を下げた。
そこまではまあ、ありがちな話だと思ったし、その謝罪を境目にゴタゴタしていたサークルも元に戻ると考えていた。
そして実際その通り、サークルは普段通りに戻った。表向きは。
結局その先輩は何をするにも、後輩からすらいじられるようになった。愛想笑いばかりするようになった。
特別親しかった訳ではないが、見るに堪えなかった。
「それで、辞めるつもりで文句を言ったと」
黙って俺の話を聞いてくれていた小田切さんが、話の切れたタイミングでぽつりとそう言った。
「そうです」
一番人の多くなる飲み会の席で、サークルのメンバーからすれば、俺はさぞ空気が読めていなかっただろうと、今なら思う。
「今の話、泉君に悪いところありました?」
「話してない所で色々と。根回しやらタイミングやら、その先輩の事さえ考えずに、短絡的でした」
結果的に俺に矛先が向いたので良かったが、その先輩の立場がより悪くなる可能性さえ考えていなかった。
「私はそのサークルの事はまるで知らないので、あまり口出しは出来ませんが」
少し考えるような仕草をした小田切さんが、そう前置きして言葉を続ける。
「でも、泉君はあまり後悔していないんでしょう?なんだかそんな気がします。これについては根拠がありませんけど」
「そう……ですね。やり方がまずかった事は反省してますが、行動自体に対しては、後悔してませんね」
多分こう思えたのはこの人のおかげなのだろう。
自分では悔いの無い行いだったと強がってみても、結果として俺は空気の読めない奴とバカにされた。面白おかしくその話を広められ、学科での人付き合いも減った。
それが全く辛くなかったかと言えば、きっと嘘になる。
それでも、現金な事に、サークルを辞めた結果小田切さんと話せるようになったおかげで、その辛さは大分軽減されていると思う。
「それならこの話はおしまいですね」
小田切さんの柔らかな微笑みを向けられ、心臓の鼓動が一瞬で早くなった。
その理由はもう明らかだった。
2コマの前に考えていた事は大嘘になった。
「それで泉君。話を元に戻しますけど――」
「俺が考えていた事は、『小田切さんは凄い人だな』です」
課題の答えを言いたがった彼女に対し、俺はルール違反とマナー違反を一つずつ犯した。
正解であるあの時思った事ではなく、今の俺が思っている事を伝えた。
それを彼女の回答よりも先に伝えたかった。
「まだ私が答えてなかったのに……」
拗ねたような反応を見るに、恐らく彼女が用意していた答えは違ったのだろう。
俺はそんな小田切さんの反応を見て、弛んでしまいそうな顔を必死で抑える為、テーブルの下で思い切り拳を握った。




